日曜の朝は、いつもより早く目が覚めた。
兵舎の窓から差し込む光は柔らかく、他の面々はまだ眠りの中にいる。半日休暇――だが、僕には今日もやることがあった。
昨日、軍医に言われた一言が頭に残っている。
――明日からは毎日この調子だぞ。
休暇日であろうと、体力強化メニューは待ってくれないらしい。僕は音を立てないよう身支度を整え、一人で訓練エリアへ向かった。
誰もいない訓練エリアは、いつもと違って静かだった。有酸素、筋力、反射訓練――昨日と同じメニューを一人でこなす。立ち会う軍医もおらず、時間を計るのは壁掛けの時計だけだった。
黙々と体を動かしていると、不意に足音が響いた。振り返ると、寝間着のままのグレンが、あくび交じりに立っていた。
「……お前、休暇日まで律儀だな」
「シーマ中佐が、毎日やれと」
「知ってるよ。だからって、こんな朝っぱらからやらなくてもいいだろ」
グレンは呆れたように笑いながら、壁に寄りかかった。
「今日、みんなで外出しようって話になっててな。レナとダンとカイ、それに俺。お前も誘おうと思ってたんだが……」
「行きたいです」
思わず即答していた。グレンは少し驚いた顔をしてから、ニヤリと笑う。
「気合入ってんな。じゃあ、さっさとそれ終わらせろよ。待っててやるから」
「待たなくても……」
「いいから。一人でこなすより、見てる奴がいた方が捗るだろ」
グレンはそう言うと、床に腰を下ろしてこちらを眺め始めた。急かされるでもなく、ただそこにいる。その気遣いが、思いのほか背中を押してくれた。
残りのメニューを、僕はいつもより早いペースでこなしきった。
昼前、コロニー内の商店街に、五人で繰り出した。
「お前、また鍛えてたのか。物好きだねぇ」
レナが呆れたように肩をすくめながらも、僕の腕を引っ張って歩き出す。
「今日はもう訓練のことは忘れろ。せっかくの休みなんだから」
「はい、そうします」
言われて、僕は素直に頷いた。実際、コロニー内を彩る人工太陽の光の下、賑わう通りを歩いているだけで、自然と気持ちが浮き立ってくる。
最初に立ち寄ったのはゲームセンターだった。旧式の対戦筐体が並ぶ一角で、ダンが真っ先に飛びついた。
「これ、俺得意なんだよ。かかってこいよ」
「望むところです」
挑発に乗って向かい合った対戦格闘ゲームは、思いのほか白熱した。周りでレナとカイが野次を飛ばし、グレンが実況めいた解説を挟んでくる。結果は僕の辛勝だったが、ダンは悔しがりながらも「次は負けねえ」と笑っていた。
「お前、シミュレーターの腕がこんなところにも出るんだな」
「これは別物だと思うんですけど……」
そう言いつつも、レナに強引に次の対戦台へ引っ張られる。射撃ゲームでは意外にもカイが圧倒的な強さを見せ、寡黙な彼が珍しく得意げに口の端を上げていた。
「射撃は苦手なはずじゃ……」
「ゲームは別だ。的が動かない分、性に合う」
その言い訳めいた一言に、全員で笑った。
昼食後は、露店の並ぶ通りをぶらぶらと歩いた。ダンは工具屋の店先で、何かの部品を熱心に眺めていた。
「こないだの整備で気になった部分があってさ。自分でも少し勉強しとこうと思って」
ダンの言葉に、僕は少し驚いた。木曜日の危機感から始まった彼の変化は、着実に別の形へ育っているようだった。
「お前も変わったな」
「お前のせいだよ、半分は」
ダンは照れくさそうに言って、また部品棚に視線を戻した。
カイは相変わらず口数が少なかったが、金物屋で研磨用の砥石を選ぶ横顔は真剣そのものだった。
「また研磨か」
「これは俺の相棒の手入れだ。手を抜けない」
その一言に、カイらしさを感じて僕は少し笑った。
途中、写真屋の店先に置かれた古めかしい撮影機を見つけたレナが、目を輝かせた。
「せっかくだし、記念に撮ろうよ。五人揃うことなんて、この先そうそうないかもしれないし」
冗談めかした一言だったが、誰も茶化さなかった。狭いブースに五人で無理やり収まり、店員の合図で肩を寄せ合う。フラッシュが焚かれた瞬間、グレンがわざと変な顔をして、レナが吹き出した。出来上がった写真は、笑いすぎて誰も真面目な顔をしていない、締まりのない一枚になった。
「まあ、こういうのもいいだろ」
グレンはそう言って、自分の分の写真を大事そうに胸ポケットにしまった。僕もそれに倣って、自分の一枚を制服の内側にしまい込んだ。
昼食は、狭い食堂に五人で押し込まれる形になった。他愛のない話――昨日の夜間演習での失敗談を茶化されたり、フィンとの一戦の話をグレンに面白おかしく聞かれたり。
「へえ、フィンと組んだのか。あいつ、なかなか手強かっただろ」
「完敗でした。距離の詰め方から見直さないと」
「お前がそう言うの、珍しいな」
グレンにそう言われて、僕は自分でも意外に感じた。負けを認めることに、以前ほど抵抗を感じなくなっている。
食後、誰からともなく「ここを出て、いざ前線に配属されたら」という話になった。訓練期間はそう長くは続かない。誰もが、その先に待っているものをうっすらと予感していた。
「俺は……とりあえず、生きて故郷に帰りたいな」
ダンがぽつりと零した言葉に、一瞬だけ空気が静かになる。だがすぐに、レナが茶化すように割って入った。
「気が早いって。まだ配属されたばかりでしょ」
「そりゃそうだけど……こういう時間、大事にしとかないとって、最近よく思うんだよ」
その言葉に、僕は何も言えなかった。ただ、目の前の四人の顔を、少しだけ長く見つめた。
「まあ、辛気臭い話はここまでだ。もう一軒、甘いもの食いに行くぞ」
グレンがそう言って強引に立ち上がり、皆もそれに続いた。屋台で買った菓子を頬張りながら歩く帰り道、笑い声が絶えなかった。
午後、五人での外出を終え、僕は一足先に兵舎へ戻った。まだ体のどこかに、二日も実機に乗っていないことへの落ち着かなさが残っている。ザクの操縦桿を握らない日が続くと、指先が妙に疼くような感覚になる。
僕は迷わず、シミュレーター室へ向かった。
扉を開けると、そこには意外な先客がいた。シーマだった。一人で座席に腰掛け、コンソールの画面を眺めている。
「――お前もか」
シーマは振り返らないまま、そう言った。
「はい。少し、体が鈍ってる気がして」
「休暇日にまで律儀なことだ。まあいい、こっちに座れ」
誘われるまま、僕は隣の操作席に着いた。何が始まるのか分からないまま、シーマの指示に従って模擬戦の設定を組む。
「今日は、勝ち方の話をしてやる」
「勝ち方、ですか」
「お前の戦い方は、正面から食らいついて、隙を見て一撃で仕留める。綺麗といえば綺麗だが、それしか知らないと、いずれ通用しなくなる」
画面に、複数の敵機を模したアイコンが表示される。数的不利、燃料残量僅か、退路なし――シーマが次々と条件を書き換えていく、あからさまに絶望的な状況だった。
「ここからどう凌ぐ」
僕は正攻法で挑み、あっさり全滅判定を受けた。二戦目、三戦目も同じだった。
「お前の頭には、正面から崩すか、奇襲で仕留めるか、その二つしかないだろう」
シーマの指摘は的確だった。
「実戦じゃ、綺麗に勝てる場面の方が少ない。時には、機体を囮にして僚機を逃がすことも、わざと被弾して敵の照準をこっちに引きつけることも、勝つためじゃなく生き残るためだけに機体を使うことだってある」
シーマは操作卓を叩き、新しいシナリオを組んだ。
「たとえば、これだ」
次に始まった模擬戦では、シーマ自らが手本を示した。劣勢の状況で、正面からの撃ち合いを避け、瓦礫の陰に機体を潜ませて敵の索敵を欺き、追い詰められたと見せかけて反転、背後を取った一機だけを確実に仕留めて即座に離脱する。決して華やかではないが、生存を最優先にした、粘り強く狡猾な戦い方だった。
「格好悪いだろう」
シーマは少し笑って言った。
「でも、これで部下を一人でも多く連れて帰れるなら、格好なんてどうでもいい」
その言葉が、思いのほか深く胸に刺さった。
「今度はお前がやってみろ」
同じシナリオで、僕は何度も失敗を重ねた。囮の使い方が中途半端で僚機役ごと巻き込んだり、反転のタイミングを外して逆に追い詰められたり。
――操作卓の隣で、シーマは黙ってその様子を見つめていた。
二週間前、この坊やが配属されてきた日のことを思い出す。士官学校を出たばかりの、危なっかしい新米。それが今では、綺麗な勝ち方だけなら並のパイロットを凌ぐ域にまで来ている。教え甲斐がある、というより、置いていかれそうで少し怖いくらいだった。
だが、それだけでは足りない。シーマは知っていた。戦場は綺麗事だけでは進まない。腕がいいだけの若者から、これまで何人も見送ってきた。優等生ほど、型を外れた瞬間にあっけなく崩れる。
この坊やだけじゃない。グレンも、レナもダンも、カイもベラも、フィンもリンも――誰も彼も、まだ若い。若すぎる。本当なら、こんな泥臭い戦い方など教えずに済む世界であってほしかった。それでも、教えないままこの子たちを戦場に送り出すことだけは、シーマにはできなかった。
一人でも多く、生きて帰ってきてほしい。指揮官らしくもない、ただそれだけの願いが、胸の奥で疼く。
それでも、五度目に差し掛かる頃、ようやく一機だけを仕留めて離脱することができた。
「――及第点だ」
シーマは短くそう言うと、席を立った。
「綺麗な勝ち方は、お前はもう分かってる。これからは、汚くてもいいから生き残る術を覚えろ。それが、いずれお前の下につく奴らを守ることに繋がる」
それだけ言い残し、シーマは訓練室を後にした。一人残された僕は、しばらくその場に座ったまま、画面に表示された自分の戦績――決して褒められたものではない、泥臭い生存記録を見つめていた。
自室に戻り、荷物を整理していると、ふと、この二週間の出来事が頭をよぎった。
ゾーンという名前がついた、あの感覚。三連続被弾の屈辱。優しさの方が堪えるという発見。ダンとの距離が変わったこと。フィンという、新しい壁の存在。そして今日、シーマから教わった、綺麗事だけでは済まない戦い方。まだ馴染みきらない「私」という一人称。
どれも、二週間前には想像もしていなかったものばかりだった。
窓の外、コロニーの人工太陽が徐々に光量を落としていく。明日からは第三週――さらに負荷の増す訓練が待っている。
それでも、不思議と気は重くなかった。
僕はノートを開き、この二週間の反省点を書き出し始めた。まだ整理しきれていない感覚も、言葉にすれば少しは形になる。オットー教官の教えが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
夜、消灯前の点呼で、シーマが短く告げた。
「明日から第三週だ。気を引き締めていけ」
短い言葉に、教室の空気が静かに引き締まる。僕は自分の中に、まだ知らない何かが静かに積み上がっていくのを感じていた。