十二月二十五日
その日の朝は、いつもより空気が張り詰めていた。
兵舎の廊下を歩きながら、私は自分の足音がやけに硬く響くのを感じていた。今日で――第三〇六特別教導大隊は、正式に解散する。
整列した八人のパイロットの前で、シーマ中佐が壇上に立った。いつもの飄々とした空気はそこになく、背筋を伸ばした姿は、初めて会った日の彼女を思い出させた。
「これより、本大隊の解散を宣言する」
短い言葉だった。それだけに、重みがあった。
「諸君らと過ごした一月足らずの日々は、私にとって短くも濃いものだった。それぞれの持ち場で、今日学んだことを恥じることなく発揮してくれ」
視線が一人ずつを通り過ぎ、最後にほんの一瞬、私のところで止まった。何かを言いかけて、しかしシーマはそれを飲み込み、代わりに小さく頷いただけだった。
「――解散!」
号令とともに、隊列が崩れる。それが合図だったかのように、周りの空気が一気に緩んだ。
「リオン、お前だけ違う場所に行くんだもんな」
最初に声をかけてきたのはグレンだった。飄々とした調子は変わらないが、その目はいつもよりまっすぐだった。
「向こうでも、変な動きで敵を混乱させてやれよ。お前ならできる」
「グレンこそ、海兵隊で油断するなよ。お前の飄々とした感じ、実戦だと逆に頼りになるって、僕は思ってる」
「おいおい、褒められると調子狂うな」
グレンが笑ったところに、ダンが割り込んできた。
「リオン。お前とはずっと張り合ってきたけどよ……ここに来た頃の自分より、今の自分の方が好きだ。それはお前のおかげでもある」
「僕もだよ、ダン。お前が整備まで勉強し始めた時、本当に驚いた」
握手を交わす。骨太な、力強い手だった。
カイは相変わらず口数が少なく、ただ黙って手を差し出してきた。私がその手を握ると、彼は小さく頷き、それだけで背を向けて去っていった。それがカイらしい別れだった。
レナは最後まで元気だった。
「リオン、灰狼隊でも生き残んなさいよ! あんたが死んだら、あたし絶対怒るから!」
「レナに怒られるのは、正直シーマ中佐に怒られるより怖いよ」
「あら、光栄だと思っときなさい」
ベラは真面目な顔のまま、短く「達者で」とだけ言った。それだけの言葉に、彼女らしい不器用な優しさが滲んでいた。
フィンとリンは、二人並んで最後に来た。
「私たちの機体にもいずれ、同じ話が来るのかと聞いたことがあったな」
フィンが静かに言った。あの日、彼女が口にした問いだった。誰も答えられなかった問い。
「答えは、まだ出てないままだ」
「……そうだね」
私も、その問いにどう答えていいか、今もわからなかった。ただ、フィンの目には諦めではなく、次の場所でそれを見つけるという静かな決意があるように見えた。
リンが横から、いつもの負けん気そうな顔で言った。
「フィンと二人で、あんたに負けないくらい生き延びてやるからな」
「うん。約束だ」
「そうだ、最後に一枚撮っておかないか」
レナが思い出したように声を上げた。誰からともなく頷き、八人で兵舎前に集まった。グレンが通りがかりの整備兵にカメラを頼み込み、レナを中心に肩を組む形で並ぶ。
「ほら、リオンも真ん中来なさいよ」
引っ張られるまま、輪の中心に押し込まれる。ダンが横で笑い、カイが珍しく口の端を上げ、フィンとリンが最後列でそっと並んだ。
「撮りますよー、はい」
シャッター音が響いた瞬間、誰かが「もう一枚!」と声を上げ、結局三枚も撮ることになった。出来上がった写真を覗き込みながら、レナが満足げに頷く。
「これでいつでも会える気がするわね」
その一言に、誰も何も言わなかった。ただ、皆が同じ写真をそれぞれの胸ポケットにしまい込んだ。
一人ひとりとの別れが終わり、荷物をまとめ終えた頃、シーマが一人で私を呼び止めた。兵舎の裏、あの何度も特訓をした場所だった。
「灰狼隊について、私が知っているのは名前だけだ。それは前にも言ったな」
シーマはそう言うと、いきなり懐から小さなデータチップを取り出し、私の手に握らせた。
「先に、これを渡しておく。この一月の、お前との模擬戦のログだ。お前の癖――良いところも、まだ甘いところも、全部記録してある。持って行け」
「……これは」
「お前は自分の動きを言葉にするのが苦手だろう。だったら、データで持って行けばいい。次の場所で、誰かがこれを見て、お前を鍛え直してくれるかもしれない」
「はい」
そっけない口調だったが、その手渡し方には、確かな重みがあった。
シーマはさらに、もう一つ、小さな瓶を懐から取り出した。
「ついでに、これもやる」
「……香水、ですか」
「安物のコロンだけどな」
シーマはそう言って、少し照れたように鼻を鳴らした。彼女がいつもつけている、あの匂いだった。シミュレーターの座席で、模擬戦の合間に、何度も嗅いだ匂い。
「シミュレーターでも、いつもこの匂いと一緒だっただろう。実戦でこいつが香ったら、多少は緊張もほぐれるんじゃないか」
「……そんな理由で」
「悪いか」
シーマはふいと目を逸らした。その仕草に、私は思わず笑ってしまった。
「いえ。ありがたく、貰います」
瓶を受け取ると、思っていたより軽かった。それでも、データチップと並んでポケットに収まったそれは、ずしりと確かな重みを持っているように感じられた。
「シーマ中佐」
「なんだ」
「――ありがとうございました」
深く頭を下げると、シーマは珍しく、ふっと笑った。
「お前が卒業試験で私に食らいついてきた時から、こうなる予感はあったんだ。行け、リオン」
背を向けて歩き出した私の後ろで、シーマが小さく呟いた。
「――絶対に、生き残れよ」
それは、私の耳には届かないくらいの、小さな声だった。
その日の午後、私は一人、輸送艦に乗り込んだ。貨物区画には、私がこの一月ずっと乗ってきたあの機体も、コンテナに固定されて運び込まれている。窓の外に、これまで過ごした基地が小さくなっていくのを見ながら、握りしめたデータチップの角が、掌に食い込むのを感じていた。
灰狼隊の駐屯地に着いたのは、居住区画の照明がちょうど夜間モードへ切り替わり始めた頃だった。
案内された格納庫には、これまで見たどの部隊とも違う空気が漂っていた。整然としているが、どこか殺気立っている。壁際に並んだ機体には、数えきれないほどの補修痕があった――だが型式は明らかに新しい。年季の入った装甲の下に、見慣れたC型とは違うラインが覗いている。その隣には一回り古い型の旧ザクが一機、予備機として整然と並べられていた。四機で編成された小隊なのだと、それだけで察しがついた。
「お前が新入りか」
振り返ると、一人の男が立っていた。私と同い年くらい、整った顔立ちに、飄々とした――いや、飄々というより、どこか達観したような表情。階級章は大尉。
「ミロ・ヴィンターだ。この小隊の隊長をやってる」
「リオン・ワーカーです。よろしくお願いします」
ミロの視線が、私の背後――整備兵たちがコンテナから機体を降ろしている方に移った。
「乗ってきたのは、それか」
「はい。第三〇六で使っていた機体です」
「悪くないな。うちの整備班に少し触らせろ。ここのやり方に合わせて、多少手を入れさせてもらう」
有無を言わせない口調だったが、突き放すような響きではなかった。むしろ、これから迎え入れるという合図のようにも聞こえた。
私はポケットからシーマにもらったデータチップを取り出し、差し出した。
「あの、これと併せて調整していただきたいのですが。前の部隊での模擬戦の癖が記録されています」
ミロは一瞬意外そうな顔をしたが、すぐにチップを受け取り、整備兵の一人に投げるように渡した。
「へえ。律儀な置き土産まで持たされたわけか」
「はい」
「じゃあ、癖ごとお前を仕上げてやるよ」
ミロは私をじっと見つめ、ふと目を細めた。
「お前の姉貴と、目元がそっくりだな」
「え――」
その言葉の意味を理解するより早く、格納庫の奥から声が響いた。
「リオン?」
聞き覚えのある声だった。振り返った先に、私の記憶の中よりも少し大人びた、けれど間違いなくあの頃のままの姉が立っていた。
「姉さん……」
七年ぶりだった。姉が家を出た日から、ずっと会えずにいた。手紙のやり取りだけが繋がりだったその人が、今、目の前にいる。
「まさか、同じ部隊になるなんて」
姉の目に、みるみる涙が浮かんだ。それを堪えるように、彼女は無理に笑ってみせた。
「大きくなったわね。すっかり一人前の顔して」
「姉さんこそ……変わってない。ちっとも」
抱き合うことはしなかった。ただ、お互いの顔を確かめるように見つめ合った。それだけで、十分だった。
ミロが横で、少し困ったように頭をかいていた。
「感動の再会に水を差すようで悪いが――」
彼は格納庫の奥、壁に貼られた星図に目をやった。そこには、いくつもの赤い印がつけられていた。
「新年まで、もう間もなくだ。上は何も言わないが、この空気は……近い」
その言葉に、姉の表情が一瞬引き締まるのを、私は見た。それでもすぐに、いつもの柔らかな顔に戻り、私の方を向く。
「荷物、まだ部屋に運んでないんでしょう。案内するわ」
姉に連れられて、格納庫から居住区画へ移動する。通路の細部まで案内しながら歩く姉の背中は、記憶にあるよりずっと逞しく見えた。
「男性用はこっちの棟。私の部屋は隣の棟だから、何かあったらいつでも呼びに来なさい」
割り当てられた部屋は簡素な個室だった。ベッドが一つと、机と収納があるだけの、必要最低限の空間。トランクを開けて荷物を並べていると、戸口から姉が横からひょいと覗き込んできた。
「相変わらず、詰め方が雑ね」
「姉さんほど几帳面じゃないだけだよ」
姉は苦笑しながら、部屋に入って乱れた衣類をさっさと畳み直していく。その手際の良さに、家にいた頃の記憶がふっと蘇った。
「父さんと母さんは、元気にしてる?」
「うん。最後に手紙をもらった時は、二人とも変わりなくやってるって。母さんは相変わらず心配性で、姉さんのことばかり聞いてくるけど」
「私のこと? リオンの方が危なっかしいでしょうに」
「それを言うなら、姉さんが先に家を出たんじゃないか」
軽口を叩き合いながら、荷物を片付け終える頃には、部屋の中にも少しだけ生活の匂いが混じり始めていた。
「一人で不安じゃない?」
「不安じゃないよ。姉さんがいるから」
素直にそう言うと、姉は一瞬驚いた顔をして、それからくしゃりと笑った。
「大きくなったわね、本当に」
その笑顔に、これまでの緊張が少しだけ緩むのを感じた。姉はひとしきり片付けを手伝うと、「隣の棟に戻るわね」と言い残し、部屋を出ていった。
部屋の窓の外、格納庫の方角では、まだ整備兵たちが機体の点検を続けているのだろう。夜間照明に切り替わった通路の先で、これから始まる何かの予感を分かち合いながら、私は胸ポケットに入れたままの、あの集合写真の感触をそっと確かめた。
翌朝、目を覚ますと、見慣れない天井があった。一瞬、自分がどこにいるのか分からず、体を起こしてから、ようやく昨日のことを思い出す。
身支度を整え、居住区画を出ると、廊下の向こうから姉が既に身なりを整えた様子で歩いてくるのが見えた。
食堂に顔を出すと、既にリリアとミロが向かい合って座っていた。
「おはよう。よく眠れた?」
「うん、思ったより」
席に着くと、見知らぬ声が横から飛んできた。
「お、噂の新入りか」
振り向くと、初老に差し掛かるくらいの男が、トレイを片手にこちらを見ていた。無精髭に、目つきは鋭いが、口調はどこか気安い。
「グラム・オイゲンだ。まあ、この部隊じゃ一番の古株になる」
「リオン・ワーカーです。よろしくお願いします」
「あの旧ザクの主が、この人よ」
リリアが補足するように言った。ミロが横で頷く。
「グラムはうちの整備班長だ。普段は乗らないが、いざという時はあの予備機に乗る。腕は俺たちより荒っぽいがな」
「腕は荒っぽくても、生き延び方はお前らより知ってるつもりだけどな」
グラムはそう言いながらも、まんざらでもなさそうに笑った。三人だけの小隊の中に、既に何年も一緒にいるような空気ができあがっているのが伝わってくる。私だけが、まだその輪の外側にいた。
朝食を終えると、そのままミロに格納庫へ呼ばれた。
「お前の機体、整備班が一晩かけて手を入れた。乗ってみろ」
コックピットに座ると、シートの感触も操作系の配置も、これまでと大きく変わってはいなかった。だが、いざスラスターを噴かしてみると、これまでとは明らかに違う軽さで機体が応えた。
「……速い」
「データチップの中身、ちゃんと読み込ませたからな。お前の癖に合わせて、初期反応を早めに振ってある」
無線越しにミロの声が響く。格納庫内の限られた空間での短い可動域テストだったが、それでも十分に違いが分かった。
「隊長機と比べたら、まだ大人しいものだけどな」
「一度でいいので、隊長の機体を見てみたいです」
「見るだけならいつでも見せてやるが、動きは真似するな。あれは俺の体に合わせて作られてる」
言葉の端々に、余人には計れない何かがあることを感じさせる。それが何なのか、ミロ自身もどう説明していいのか分かっていないようだった。
昼過ぎ、簡単な模擬戦が組まれた。相手はリリア。
シミュレーターではなく実機での、初めての対戦だった。姉の機動は無駄のない、教科書通りの美しさを保っている。かつて士官学校時代に見た彼女の操縦そのものだった。だが、その"教科書通り"こそが、シーマに散々叩き潰されてきた私にとっては、一番食らいつきやすい相手でもあった。
「加減はしないから」
「望むところだよ」
開始早々、私は姉の射線を大きく外して距離を詰めにかかった。シーマに叩き込まれた、常に相手の死角を数手先取りする動き。教本通りの反応速度で軌道修正してくる姉に対し、その"型"の一歩先を読むのは、そう難しいことではなかった。
「――え」
通信越しに、姉の小さな声が漏れた。姉が距離を切ろうと反転した瞬間には、既にヒートホークを模した接触判定が成立していた。
「今の、どこで覚えたの」
「前の部隊の教官に、みっちり」
二戦目も、三戦目も、結果は変わらなかった。姉が的確に組み立てを変えてくるたび、私はそれをわずかに上回る速さで崩していく。最後の一戦を終えた頃には、姉は無線の向こうで、しばらく黙り込んでいた。
「昔からリオンは筋が良かったけど……ここまでとはね」
「姉さんの動き、全部覚えてるつもりで戦ってたよ」
「その言い方、ちょっと悔しいわね」
軽口のようでいて、その声には、これまでの余裕とは違う響きが混じっていた。
「正直に言うと、あなたにはもう敵わないかもしれない」
その一言に、思わず頬が緩んだ。姉に褒められるのは、士官学校の頃からずっと嬉しかった。今もそれは変わらない。
「本当に? やった」
素直にガッツポーズを取ると、姉は無線の向こうで小さく吹き出した。
「そういうところは、昔のまんまね」
夕方、ミロが「せっかくだ、俺とも一戦やるか」と声をかけてきた。断る理由もなく、格納庫の隅で簡易的な対人戦の準備が組まれる。
「本気で来い。手加減はしてやらない」
その言葉に応えるつもりで、私は最も自信のある一手を選んだ。姉との対戦で何度も通用した、死角からの奇襲。索敵の隙を突き、完全に背後を取ったはずだった。事実、通信越しの映像でも、ミロの機体はこちらに気づいた素振りを一切見せていなかった。
刃を振り下ろす直前――ミロの機体が、こちらの動きを見てすらいないタイミングで、正確にその軌道の外へ滑り出た。
「――は?」
思わず、声が漏れた。振り向きもせず、加速の予備動作すらなく、ただ結果だけがそこにあった。避けられたという事実だけが、後から追いついてくる。
「後ろに目でもついてるんですか」
「さあな。俺にもよく分からん」
ミロの声は飄々としていたが、そこにはシーマや三連星のような、経験に裏打ちされた"読み"の気配が一切なかった。癖を見抜いたのでも、初動を先読みしたのでもない。まるで、起こる前から知っていたかのような、説明のつかない何か。
呆然とする私をよそに、ミロは特に得意げな様子もなく、機体を通常姿勢に戻した。
「教えられることじゃない。悪いな」
その言葉の軽さと、今しがた目にしたものの異質さが、うまく噛み合わなかった。姉との対戦で掴んだ手応えが、その一瞬で塗り替えられていくのを感じた。
夕方、格納庫の隅でグラムが機材の点検をしながら、ぽつりと言った。
「この数日、補給の動きが妙に慌ただしい。お前らは気づいてないだろうが」
「妙に、というのは」
「弾薬の搬入量が、普段の倍以上だ。演習にしちゃ量が多すぎる」
ミロが顔を上げたが、何も言わなかった。ただ、いつもの飄々とした表情の奥に、わずかな緊張が滲んでいるのが見て取れた。
その夜、消灯前の見回りついでに、姉が私の部屋を覗きに来た。
「明日から、本格的に訓練メニューを組むことになったから」
「うん」
「無理はしないで。……なんて、リオンには言うだけ無駄か」
姉は苦笑しながら、扉の向こうへ消えていった。一人になった部屋で、私は胸ポケットに入れたままの写真を取り出し、そっと机の上に置いた。八人で笑っている、あの日の顔ぶれ。
窓の外、駐屯地の照明はいつも通りの明るさを保っていた。それでも、どこか張り詰めたこの空気の正体を、私はまだ言葉にできずにいた。
灰狼隊での日々は、これまでとはまるで違う速度で流れていった。
三人だけの小隊は、余計な号令も形式張った点呼もない。その分、一つ一つの訓練が濃かった。
「今日は緊急発進の想定だ。お前とグラムで組んでもらう」
朝、ミロがそう告げた日、私は初めて予備機に乗ったグラムと編隊を組んだ。普段は工具を握っている手が、驚くほど滑らかに機体を操る。旧ザクの機動性は、私のC型改修機に比べれば見劣りするが、それを補って余りある索敵眼だった。
「お前の機体、まだ勘に頼りすぎだ。俺の誘導に合わせろ」
無線越しの指示は簡潔で、無駄がない。最初はぎこちなかった連携も、数回のすれ違いを重ねるうちに噛み合い始める。彼が拾った索敵情報を、私が最短距離で刈り取る――そんな役割分担が、その日一日だけで自然とできあがっていった。
「悪くないな。お前、思ったより素直に人の言うこと聞くタイプか」
「素直じゃないってよく言われますけど」
「それは、聞く相手を選んでるだけだろう」
グラムの言葉に、思わず苦笑した。見透かされている気がした。
「普段は整備で手一杯だが、いざという時のためにこの機体の勘は鈍らせないようにしてる。お前も、俺が乗ることになったら覚悟しとけよ」
「その時は、よろしくお願いします」
昼はリリアとの模擬戦が日課になった。初日の完敗を境に、姉は本気で組み立てを見直してきた。
「もう手加減はできないから、本気で来なさい」
その宣言通り、姉の動きは日ごとに研ぎ澄まされていったが、それでも私が優位に立つ戦績は変わらなかった。ただ、姉が食らいついてくる粘りだけは、日を追うごとに増していった。
夜、部屋で一人になると、机の上の写真を眺める癖がついていた。あの日別れたグレンやダン、フィンやリンは、今頃どこでどんな訓練をしているだろうか。手紙を出そうかとも思ったが、当分は互いに落ち着く暇もないだろうと、思いとどまった。
ある夜、消灯前の見回りに来たミロが、珍しく部屋の入り口で足を止めた。
「お前、シーマ中佐のとこで、どんな指導受けてきたんだ」
「生き残るための戦い方、です。囮とか、偽装被弾とか。あとは……相手の癖を読む訓練」
「ふうん」
ミロはそれだけ言うと、何か考え込むような顔をした。
「悪くない師匠に恵まれたな。この部隊にも、似たようなことを教えられる奴はいる。俺じゃないが」
「グラムさん、ですか」
「まあ、聞いてみろ」
翌日、整備の合間を縫ってグラムに稽古を頼むと、彼は意外そうな顔をしたあと、にやりと笑った。
「シーマ中佐の生き残り方と、俺の生き残り方は、たぶん似て非なるもんだぞ。あの人のは前に出る生存術だ。俺のは、下がって拾う生存術」
「両方知っておいて、損はないですよね」
「まあな」
その日から、朝はミロとの近接稽古、昼はリリアとの実戦、合間にグラムから整備の目線での機体の限界や生存術を教わる、という日課が固まっていった。
そんな中、駐屯地全体の空気が、日を追うごとに張り詰めていくのを感じるようになった。格納庫に運び込まれる補給物資は増える一方で、通信室の周りにはいつも誰かが詰めている。ミロやリリアの表情にも、以前より口数の少ない瞬間が増えていた。
その空気が、はっきりと形を持って現れたのは、着任から数日後のことだった。
「今日は演習じゃない。パレードの予行だ」
朝礼でミロが告げた内容に、格納庫の空気が一瞬ざわついた。連邦軍の偵察に対する示威と欺瞞を兼ねた、コロニー内での軍事パレード。だが、参加するのはMSではなかった。
「本番も含めて、俺たちはあれに乗る」
指し示された先には、作業用の人型機械が並んでいた。荷役や建設現場で使われる、装甲も武装もないただの重機。パイロットとしての体裁だけを保ちながら、その実、MSの数も配備状況も外部に一切悟らせない――そういう狙いだった。
「私たちの機体は」
「ムサイの艙内に、とっくに積み込み済みだ」
グラムが横から補足する。整備班が徹夜で搬入作業を終えていたのだと、その時初めて知った。
慣れない重機の操縦桿を握りながら整然と隊列を組んで進む、奇妙なパレードだった。沿道に詰めかけた市民の歓声を浴びながら、私はどこか現実感のないまま、隊列の中を歩かされた。
パレードの翌々日から、艦隊は動き出した。
輸送艦の艙内で、外の様子を窺うことはできなかった。ただ、エンジンの唸りと振動だけが、確実に距離を刻んでいることを伝えてくる。三日間、艦隊は徹底した静粛航行を保ったまま、サイド4方面へと進んだ。
「無駄口は叩くな。今のこの艦の音一つが、私たちの命に関わる」
リリアの言葉に、誰も軽口を返さなかった。狭い艙内で過ごす三日間は、これまでのどの訓練よりも精神を削るものだった。
電源を落とした機体は、格納庫の暗がりに沈黙したまま並んでいた。私はその一機、自分の機体のコックピットに、許可を得て一人で座ることが多くなった。
計器は何一つ光っていない。モニターも、警告灯も、呼吸を確かめるようなハッチの開閉音さえも、今は封じられている。ただの鉄と装甲の塊の中に、自分だけがいる感覚だった。
目を閉じる。
静寂の中で、自分の心臓の音だけが、やけにはっきりと聞こえてくる。とくん、とくん、と一定のリズムを刻むそれを数えながら、私は目蓋の裏に戦場を思い描いた。
――発進。隊列を組む。索敵レンジに敵影。距離を詰める。相手の初動を見る。姉ならどう動く、ミロならどう動く、シーマならどう動く。想定していた敵の軌道が、頭の中で幾通りにも枝分かれしていく。回避、反撃、離脱。何度も、何度も、同じ場面を繰り返した。
呼吸が浅くなっていることに気づき、意識して長く吐き出す。艦の振動が、掌の下からわずかに伝わってくる。この暗闇の向こうで、艦全体が息を潜めながら前進しているのだと思うと、自分の心臓の音さえも、余計なノイズのように思えてくる。
姉は今頃、どんな顔でこの静寂に耐えているのだろうか。ミロは。グラムは。そんな考えが浮かんでは消え、また目の前の敵影のイメージに引き戻される。
コックピットの闇の中で、私はただひたすら、来るべき瞬間のために、何度でも同じ戦いを繰り返し続けた。
目的地付近の宙域に到達してからも、すぐには動かなかった。配置につき、待機する。二日間、私たちは息を潜めるようにして、最終的なブリーフィングの時を待った。
「目標はサイド4付近を哨戒する連邦軍パトロール部隊。奇襲による殲滅。トップは俺が取る。左翼はリリア少尉、右翼はリオン准尉。電撃戦とはいえ味方も入り紛れる。フレンドリーファイヤーには気を付けろ。コードは俺がウルフ1、リリア少尉がウルフ2、リオン准尉がウルフ3だ」
ミロの声は、これまでのどの訓練の説明よりも平坦だった。平坦であることが、かえってその重さを伝えてきた。
「――以上だ。あとは、時間だけの問題になる」
その夜、私は自室で、シーマにもらったコロンの小瓶を長く眺めていた。栓を開けると、あの懐かしい匂いが鼻先をかすめる。シミュレーターの座席で、模擬戦の合間に、何度も嗅いだ匂い。
胸ポケットの写真にも、もう一度目を通した。八人で笑っている、あの日の顔ぶれ。今頃、彼らも同じような夜を過ごしているのだろうか。
やがて、格納庫に出撃を告げるブザーが鳴り響いた。時刻は、朝と呼ぶにはまだ早すぎる時間だった。
私は自分の機体――ザクIIの狭いコックピットに滑り込みながら、場違いなほど冷静に、ここまでの一月余りのことを思い返していた。
シートに座る前、懐から小瓶を取り出し、栓を開ける。コックピットの内壁に、あの懐かしい安物のコロンを一吹きした。とたんに、狭い空間があの匂いで満たされる。シミュレーターの座席で、模擬戦の合間に、何度も嗅いだ匂い。それだけで、指先の震えが少しだけ収まっていくのが分かった。この匂いに包まれていると、耳元でシーマの声が聞こえてくるような錯覚がした。「絶対に、生き残れよ」――そう言われている気がしてならなかった。実際にそう言われた覚えはない。それでも、そう聞こえた気がした。
戦争も始まらないのに、こんな膨大な量の文章に付き合ってくれて本当にありがとうございます。