第十六話 改訂
隣で整備兵が何か叫んでいる。エンジン始動、各部異常なし、幸運を、というようなことだったと思う。だがその声も、今の私にはひどく遠く聞こえた。
戦争が、始まる。
これから私が向かうのは、訓練でも演習でもない。人が、人を殺すための場所だ。
計器を起動すると、通信画面の端に表示された数字が、7時ちょうどを指した瞬間、通信全体に一斉に薄いノイズが走った。
「ミノフスキー粒子、散布開始」
オペレーターの声が無機質に響く。それを境に、レーダー画面の情報が急速に不確かなものへと変わっていく。これから先は、機械ではなく己の目と勘だけが頼りになる。
十五分後、格納庫の扉が開いた。カタパルトへと機体が押し出されていく。宇宙の闇が、目の前いっぱいに広がる。
「灰狼隊、発進」
ミロの号令とともに、三機のザクが漆黒の宙へと滑り出た。隊列を組み、指定された座標へ向けて加速していく。心臓の音が、コックピットの静寂の中でやけに大きく響いた。
発進から五分。通信の主回線に、聞き慣れたはずの声が割り込んだ。土曜ごとに繰り返し聞かされてきた、ギレン総帥の声だった。だが、その響きはこれまでとは明らかに違って聞こえた。
「――地球連邦政府、ならびに地球に魂を縛られた愚民どもに告ぐ。本日、宇宙世紀0079年1月3日。我らジオン公国は、地球連邦政府に対し、完全なる独立を勝ち取るための『独立戦争』の開始を宣言する。これは、不当な支配に対する我々の神聖なる宣戦布告である!」
雑音混じりの声は、次第に熱を帯びていく。
「我々スペースノイドは、長きにわたり地球連邦の搾取に耐え忍んできた。過酷な宇宙のフロンティアを切り拓き、人類の版図を広げたのは誰か? 我々である! しかし連邦の特権階級どもは、地球という揺り籠に安住し、宇宙の富を吸い尽くしながら、我々を二級市民として扱い続けてきた。この歪んだ構造が、これ以上許されるはずがない」
コックピットの中で、私はただその声を聞いていた。演説の内容の一つ一つよりも、この声が今この瞬間、無数の機体、無数のパイロットに同時に届いているという事実の方が、重く肌に迫ってきた。
「すでに地球の生態系は限界を迎えている。人類を存続させる唯一の道は、選ばれた優良種たる我々ジオンの民が、全人類の指導権を握ることなのだ。地球連邦の軟弱な官僚どもよ。君たちが旧態依然とした権力にしがみつくのであれば、我々は全宇宙の意志を代弁し、鉄槌を下すのみである。歴史の必然は、すでに我々ジオン公国にある!」
声はいよいよ高まり、最後の一節へと駆け上がっていく。
「ジオンの栄光ある兵士たちよ、今こそ立て! 宇宙の未来は、我々の手で掴み取るのだ! ジーク・ジオン!」
それで、終わりだった。前置きの言葉はもう思い出せないほど遠く、最後の雄叫びだけが耳の奥に焼き付いていた。これまで積み重ねてきた一月余りの日々が、確かに一つの区切りを迎えたのだと悟った。
「灰狼隊諸君、戦争の時間だ」
ミロの声が、無線越しに冷たく響いた。
スロットルを全開に倒す。加速度に体を押し付けられながら、私は初めて、訓練では決して味わえなかった感覚――この先に何が待っているのか分からない、剥き出しの恐怖と高揚が入り混じった感覚を、全身で受け止めていた。
吸って、吐く。
ヘルメットの内側で、自分の呼吸の音だけがやけに大きく響いていた。吸って、吐く。その単調な繰り返しだけが、今の私を辛うじて機体に繋ぎ止めている気がした。
モニターに映る宙域は、灰狼隊三機の噴射炎と、遠く散らばる連邦軍艦隊の光点でいっぱいのはずなのに、私の目にはなぜか、正面の一点しか映っていない気がした。
その正面で、対空火器の光条が幾筋も伸びている。橙、白、時折混じる青。暗い宙域を切り裂くように走るその光は、恐ろしいほど綺麗だった。まるで硝子細工の糸を無数に張り巡らせたような、静かで、どこか儚い輝き。これが自分を殺しにきている光だと、頭では分かっている。分かっているのに、目はその美しさに一瞬だけ吸い寄せられて、離れなくなる。
ウルフ1、ミロの機体が真っ先に仕掛けた。
「トップは俺が取る。ついてこい」
通信越しの声は、いつもと変わらず軽い。まるで演習と地続きの調子で、ミロは連邦艦隊の輪形陣に突っ込んでいった。左翼のリリア――ウルフ2――がわずかに遅れてそれに続く。
私は、動けなかった。
正確には、動いてはいた。機体は前進している。だが、頭の中で組み立てているはずの手順――間合いを詰め、囮を使い、致命部を避けて縫うように抜ける、シーマに教わったあの動き――が、どこにも出てこない。ただ機体を前に押し出しているだけだった。
前方で、護衛のセイバーフィッシュが一機、ミロの機体へ向かって突っ込んでいくのが見えた。速度を落とさぬまま、ミロはヒートホークを引き抜く。躱すでも、迎え撃つでもない。すれ違いざま、ただ一振り。それだけで、セイバーフィッシュは推進部から真っ二つに裂けて爆散した。
息をつく間もなく、もう一機。今度は側面から回り込むように迫ってきたそれへ、ミロは機体を半身にして応じる。刃は敵機の主翼を薙ぎ、制御を失った機体がそのまま艦隊の隙間へ落ちていった。
二機。あっという間だった。通信越しにミロの声が飛ぶ。
「見てないで前を向け、ウルフ3」
叱責というより、拍子抜けするほど軽い調子だった。それがかえって、自分との差を鮮明にした。ミロにとって、今のは呼吸をするのと変わらない動作なのだろう。私はまだ、その呼吸すら整っていない。
サラミス級巡洋艦の艦影が、モニターいっぱいに広がってくる。対空火器の光条が、思っていたより何倍も密度が濃い。演習で想像していた「弾幕」と、これは違う。一発一発が、こちらの命を止めるために撃たれている。当たり前のことのはずなのに、その当たり前が、今初めて実感として腹に落ちてきた。
視界の隅で、光点が一つ消えた。
友軍機だ。誰かは分からない。ただ、機体を示す輝点が瞬いて、そのまま消えた。それだけのことのはずなのに、心臓が変な跳ね方をした。
(今の、誰だ)
考えるな、と自分に言い聞かせる。考えている場合ではない。分かっているのに、思考がその一点に張り付いて離れない。気づけば機体の動きが単調になっていた。まっすぐ、速度だけを頼りに突っ込む。シーマに散々叩き込まれた「まっすぐ突っ込むな、必ず外連味を混ぜろ」という教えが、頭から抜け落ちている。
「――ウルフ3、右に寄りすぎだ」
ミロの声が飛んできた。平静な口調のまま、しかし明確な指摘だった。私は反射的に機体を左に振る。直後、今まで自分がいた空間を、対空機銃の光条が薙いだ。
(避け……られた……?)
自分の反応でないことは分かっていた。ミロの声がなければ、間違いなく被弾していた。冷たい汗が背中を伝う。
「ウルフ3、周りを見て。あなた一人の戦争じゃないんだから」
今度はリリアの声だった。左翼から回り込むように、彼女の機体が敵の火線の一部を引き受けている。それだけで、こちらに向く弾の密度がわずかに減った。姉が、身を挺しているわけではない。ただ位置取りと動きで、敵の照準を割いているだけだ。それでも私には、それが途方もない余裕に見えた。
どうして、姉さんはこんな中でも周りが見えているんだろう。
息が詰まる。酸素はちゃんと来ているはずなのに、肺の底まで届いていない感覚があった。たまらず、無意識のうちに手が動き、ヘルメットのバイザーを僅かに上げていた。
その隙間から、ふっと、あの匂いが香った。
安っぽいコロンの匂い。搭乗直前に内壁へ一吹きした、シーマから贈られたあの香り。
――絶対に、生き残れよ。
聞こえなかったはずの、あの夜の小さな声が、耳の奥で蘇る。実際には聞いていない。分かっている。それでも、その錯覚が、強張っていた肩から力を少しだけ抜いた。
大丈夫だ。あれだけ、やってきた。シーマの矯正指導も、ガイアに叩きのめされた夜も、消灯後に一人で続けた稽古も、全部、この瞬間のためにあったはずだ。
怖い。今も怖い。それでも、体は覚えている。
バイザーを戻す。もう一度、あの光の中へ向き直った。
視界が、少しだけ広がった気がした。今まで正面の一点しか見えていなかったのが、周辺の光点――友軍機の位置、敵艦の火器配置、セイバーフィッシュの群れの動き――が、ようやく像を結び始める。
まだ本調子ではない。だが、機体は止まっていない。
「ウルフ3、動ける状態か」
「――問題ありません」
声が上ずったのが自分でも分かった。ミロは短く「なら来い」とだけ返してくる。信用しているのか、それとも今は選んでいる余裕がないだけなのか、判断はつかなかった。ただその短い言葉に、押し出されるように機体を前に出した。
セイバーフィッシュの編隊が視界に入る。連邦軍の艦載機だ。艦隊護衛のために展開しているのだろう、密集した隊列を組んでいる。
シーマに叩き込まれた動きが、ようやく指先に戻ってきた。まっすぐ突っ込まない。速度を殺さず、しかし直線を描かない。囮のように機体を振って一機の照準を外させ、その隙に別の一機の側面へ回り込む。
マシンガンの連射。狙ったのは推進部だった。仕留めるためではなく、動きを止めるための一撃。だが手応えは思っていたより深く、機体が空中で爆散した。
一機。
息を整える間もなく、二機目が視界に飛び込んでくる。今度は正面から向かってきた。撃ち合いになれば、装甲もスペックもザクが上回る。それでも、恐怖が完全に消えたわけではなかった。相手の機銃の光が、こちらのコックピットを狙っているように見えて、一瞬だけ体が竦む。
その一瞬を、コロンの匂いが埋めた。
――大丈夫だ、いつもと同じだ。シミュレーターでは、何度もこの位置取りをやってきた。ここで引かず、むしろ距離を詰める。
ヒートホークに持ち替え、最後の間合いで機体ごとぶつかるように懐へ飛び込んだ。敵機が回避しようとした軌道を、シーマとの模擬戦で染み付いた「相手の癖を読む」感覚が先回りする。振り抜いた一撃が、装甲を割った。
二機目。
通信の向こうで、ミロが低く笑ったのが聞こえた気がした。
「――やるじゃないか。それでいい」
その言葉に応える余裕はまだなかった。喉の奥が、ひりつくように渇いているのに気づく。緊張と興奮で呼吸が浅くなっていたせいか、口の中はもうすっかり干上がっていた。
ヘルメット内側、口元に伸びているストローに、無意識に吸い付いていた。生ぬるい水が、喉を伝って落ちていく。それだけのことなのに、頭の芯にわずかに残っていた靄が、少しだけ晴れる感覚があった。
一口、また一口。飲み過ぎればすぐ気持ちが悪くなることは分かっていたから、二度だけで止めた。それでも、渇いていた分だけ、水の味が妙にはっきりと感じられた。
荒い呼吸のまま、艦隊全体の戦況を示す簡易表示に目をやる。連邦艦隊の中核、サラミス級巡洋艦二隻が、まだほとんど無傷でそこにいた。
「灰狼隊、目標をサラミスに切り替える。周りの露払いは他部隊に任せる」
ミロの声に、緊張が一段階、上がるのが分かった。セイバーフィッシュ相手とは、勝手が違う。艦そのものを相手にするのは、これが初めてだった。
一隻目のサラミスへ、ミロの機体が先陣を切って突っ込んでいく。バズーカを牽制に使いながら、艦の周囲を旋回して敵の照準を乱す。直接ブリッジを狙えるほどの隙は、まだない。
「主砲、副砲はマシンガンでも落とせる。装甲は無理でも、砲塔の関節部なら抜ける。狙いを外すな」
ミロの声に押されるように、私は艦体側面へ機体を寄せた。対空機銃の光条が、これまでで一番密に飛んでくる。避けきれない分は、あえて致命部を外して受ける――シーマに叩き込まれた「縫う」動きを、初めて実戦のただ中で意識的に使った。
肩に、一発。装甲が弾け飛ぶ感触が伝わってくる。それでも機体は止まらない。
狙いを、艦首寄りの主砲塔、その根元の関節部に絞る。マシンガンの連射を、点でなく線で叩き込む。厚い装甲そのものは抜けない。だが、砲塔を支える駆動部は別だ。何度目かの掃射で、砲身がぐらりと傾ぎ、そのまま動きを止めた。
「主砲、一つ潰しました!」
自分の声が、思ったより上ずっていた。だが確かに手応えがあった。ガイアの言った「楽」の意味を、身体で理解した瞬間だった。それだけで、周囲を飛び交う友軍機の動きが、目に見えて滑らかになる。今まで主砲の射線を警戒して大きく迂回していた僚機が、艦の側面へ直接切り込めるようになっていた。
弾倉の残弾表示が、赤く点滅する。連射のしすぎで、握把から伝わる振動にも熱が混じっていた気がした。空になった弾倉を排莢し、腰のラックから新しいものを引き抜く。指先が強張っていて、いつもの半分の速さも出ていない。
その一瞬、対空機銃の光条が、まっすぐこちらへ伸びてきた。避ける間合いがない。
考えるより先に、手が動いていた。今まさに排莢したばかりの、まだ焼けるように熱い弾倉を、敵の射線へ向けて放り投げる。センサーが小さな金属塊を機体と誤認したのか、光条が一瞬だけそちらへ逸れた。
(――こんなの、シーマにも教わってない)
いや、違う。教わっていないわけじゃない。「ある物は何でも使え、綺麗に勝とうとするな」と、耳にたこができるほど言われてきた。あの泥臭さが、頭で考えるより先に、体から出てきただけだ。
新しい弾倉を叩き込み、再び射撃態勢に入る。荒っぽいやり方だと分かっていたが、生き延びるための一手には違いなかった。
止まらず、艦体側面に並ぶ副砲へ機体を寄せる。同じ要領で、砲身の付け根にマシンガンを叩き込む。一つ、また一つ。狙いが甘ければ弾を跳ね返されるだけだったが、シーマとの模擬戦で染み付いた「相手の隙を見る」感覚が、砲塔の可動範囲の死角を教えてくれた。
一隻目だけで、主砲一つ、副砲二つ。
リリアはセンサー類を潰しながらも、艦の周辺に目を配っていた。護衛のセイバーフィッシュが、まだ数機残っている。艦を守ろうと群がってくるそれを、姉が的確に追い払っているおかげで、こちらは砲塔潰しに専念できていた。しつこく食い下がってきた一機には、マシンガンの掃射を機首から突き刺すように叩き込み、そのまま爆散させていた。動きに一切の無駄がなかった。
「ウルフ3、後ろ! ウルフ1に寄ってる!」
リリアの声に反応し、視線を巡らせる。艦の死角から回り込んできたセイバーフィッシュ二機が、ブリッジへの一撃を狙って旋回するミロの機体へ迫っていた。ミロ自身は照準に集中していて、気づいていない。
考えるより先に、機体をその軌道へ割り込ませていた。マシンガンを連射し、敵機の進路上に弾幕を張る。狙いを外させるだけでいい。一機が慌てて回避し、隊列が崩れる。もう一機も、私の弾幕に怯んで軌道を逸らした。
「――今のは助かった」
ミロの声に、余裕はなかったが、確かに礼が滲んでいた。私はそれに応える間もなく、再び自分の照準を艦の副砲へ戻す。
戦闘は、思っていたよりずっと長く続いた。いつもの模擬戦なら、一度の交戦は数分で決着がつく。だが今回は違う。主砲、副砲を各所で潰し、艦のダメージコントロールが追いつかなくなったところへ、他部隊の攻撃が波状に叩き込まれる――その繰り返しが、延々と続いた。
体感で、もう二十分は経っている気がした。腕の感覚が鈍くなり、呼吸のリズムが乱れかけるたび、あのコロンの匂いを頼りに立て直す。それを、何度繰り返しただろうか。
武装をあらかた潰され、反撃の密度が目に見えて落ちたその瞬間を、ミロは見逃さなかった。
「――そこだ」
旋回の勢いを殺さないまま、艦のブリッジへ向けてバズーカを構える。至近距離からの一撃が、ブリッジを直撃した。爆炎が艦上部を包み、指揮系統を失った一隻目のサラミスは、そのまま大きく傾いていく。艦全体を統制する声が消えたのだろう、対空砲火が乱れ、狙いを失っていくのが遠目にも分かった。
「ウルフ2、トドメを頼む。エンジン側に回れ」
「了解」
リリアの返事は短かった。艦の後方へ回り込むと、推進部の露出した配管群へ向けて、マシンガンをフルオートでばら撒く。狙いを絞る余裕などないとばかりの掃射だったが、密集した弾は確実に急所を捉えていた。誘爆が連鎖し、艦の後部から徐々に炎が広がっていく。
やがて、艦全体を呑み込むように大きな爆発が走った。一隻目のサラミスが、光の塊となって艦影を失う。歓声にも似た通信の乱雑な声が、一瞬だけ飛び交った。
だが安堵する間もなく、二隻目が、僚艦を庇うように前面へ回り込んできた。主砲の照準が、こちらへ向く。
「来るぞ、散開!」
ミロの声に反応し、機体を横に振る。直後、艦の主砲が放った一撃が、今まで自分がいた空間を薙いだ。至近弾の衝撃で機体が大きく揺さぶられ、視界が白く点滅する。
(まだだ、まだ――)
揺れる視界の中、コックピットに残るあの匂いだけが、変わらずそこにあった。それだけを頼りに、機体を立て直す。
二隻目に対しても、同じ手順を繰り返した。私は主砲一つ、副砲一つの関節部を狙ってマシンガンを叩き込み、リリアがセンサー類を潰しながら、なおも群がってくるセイバーフィッシュから周囲を守り続けていた。これで、二隻を合わせて主砲二つ、副砲三つ、計五つの砲門を私が沈黙させたことになる。単純な力業ではなく、急所を的確に潰していくその戦い方は、シーマ小隊で叩き込まれたものと、根本では同じだった。
開戦から実に四十分近くが過ぎた頃、武装のほとんどを失い、なお抵抗を続けようとする二隻目へ、ミロが機体を最短距離まで押し込んだ。残り少ないバズーカの最後の一発を、今度は迷わず機関部の中心へ叩き込む。至近距離からの直撃に、艦内部で連鎖的な誘爆が走った。
「――仕留めた」
ミロの声は静かだった。二隻目のサラミスもまた、大きな火球とともにその艦影を失った。
こちらの被害もゼロではない。友軍機の輝点が、また一つ消えていた。誰だったのか、今は確かめる術がない。ただ、その事実だけが冷たく胸に残った。
それでも、戦況は圧倒的にこちらへ傾いていた。連邦軍の対空火器は激しかったが、練度と機動性の差は歴然だった。セイバーフィッシュの編隊は次々と数を減らし、サラミス級二隻は、いずれも艦影を失った。
「戦闘終了、撤収する」
ミロの声が、静かに戦闘の終わりを告げた。
私は、自分の呼吸がまだ荒いことに気づいた。モニターに映る自機のセンサー情報を見ても、実感が湧かない。ただ、コックピット内に漂う、あの安っぽいコロンの匂いだけが、変わらずそこにあった。
――絶対に、生き残れよ。
もう一度、あの一言が耳の奥に蘇った気がした。今度は、震えではなく、静かな安堵のようなものが、体の奥に落ちていくのを感じた。
(生き残った。今のところは)
撤収のために機体を反転させたところで、通信にミロの声が入った。
「ウルフ2、ウルフ3、機体チェック。……上等だ、二人とも大きな損傷はなしか」
言われて初めて、自分の機体のダメージ表示を見直す。肩の装甲が一部欠けている程度で、行動に支障の出るような損傷はどこにもなかった。
「スコアも悪くない。サラミス二隻、セイバーフィッシュ五機。特にウルフ3、初陣で二機落として、砲塔を五つ潰したのは上出来だ」
ミロの声には、からかうような軽さと、確かな評価の両方が滲んでいた。素直に喜べるほどの余裕は、まだ戻ってきていない。それでも、強張っていた指先から、少しだけ力が抜けていくのが分かった。
「――ありがとうございます」
やっとの思いで、それだけを返す。私はまだ、自分がこの戦争の入り口に立ったばかりだということを、噛みしめるように理解していた。
パイロットスコア
ミロ大尉、サラミス級巡洋艦一隻、セイバーフィッシュ2機
リリア少尉、サラミス級巡洋艦0.5隻(大破後の撃破のため)、セイバーフィッシュ1機
リオン准尉、セイバーフィッシュ2機