機動戦士ガンダム ランダムウォーカー   作:うーまろー

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第十七話

 灰狼隊の三機がムサイのドックへ滑り込んだのは、戦闘終了とほとんど同時のことだった。四十分の稼働限界はとうに迫っていて、燃料計はどの機体も底を突きかけている。ムサイはあの戦場からほとんど動いていない。撤収後もその場に留まり、収容作業のためだけに速度を落として待機していた。

 誘導灯に導かれるまま近づいていくと、機体がゆっくりとドックの磁力クレーンに捉えられ、吊り上げられていく感触が伝わってくる。

 ハッチが開くと同時に、外の空気ではなく、外の音が先に飛び込んできた。

 歓声だった。

「帰ってきたぞ、灰狼隊だ!」

「サラミス二隻だってよ、二隻!」

「新入りの准尉が二機落としたってマジか」

 ドックの床には整備班だけでなく、持ち場を離れられる範囲で居合わせた乗組員たちも詰めかけていた。誰かが工具箱を叩いて拍手の代わりにし、誰かが口笛を吹く。降りてきたミロに向かって整備兵たちが駆け寄り、リリアの機体には早くも点検員が三人がかりで取りついている。私のザクのコックピットハッチが開いたときも、下から見上げる顔の数はさっきまでの二人分と変わらなかった。

「准尉! 見てましたよ、砲塔ぶち抜くところ!」

 声をかけてきたのは、まだ顔も覚えきっていない整備兵の一人だった。梯子を降りる私の背中を、誰かが軽く叩く。足の裏がドックの床に着いた瞬間、膝が一度がくりと折れかけた。疲労で、ではない。緊張の糸が切れた反動だった。それを誰かに支えられ、笑って誤魔化す。

「おい、リオン」

 ミロがヘルメットを片手にぶら下げたまま歩いてきた。額には汗の跡が乾いた白い筋が残っている。

「二機と、砲塔五門か。上出来だ」

「……はい」

「その返事、疲れ切ってる声だな」

 図星だった。四十分の交戦時間のあいだ、私は自分の呼吸の音すら聞こえないほど集中していた。それが今になって、腕の先から順番に重さを取り戻していくような感覚がある。

 リリアが機体を降りてこちらへ歩いてくる。整備員たちの視線が一瞬だけ彼女に集まり、それからすぐに散っていった。彼女はもう灰狼隊の一員として、この艦でも顔が知られている。

「二人とも、大丈夫?」

「姉さんこそ。センサー周りの警戒、助かった」

「あなたがいなかったらミロ大尉の後ろは危なかったもの」

 三人でドックの奥まで歩くあいだ、何人もの整備兵やパイロットに声をかけられた。「灰狼隊、幸先いいな」「サラミス二隻仕留めたのは、今日の艦隊全体でもお前らだけだって話だぞ」。誰かが私の肩を掴んで揺さぶり、誰かが握手を求めてきた。手のひらの感触が、自分のものではないみたいに遠く感じる。

 食堂に顔を出すと、簡易的なものではあったが祝杯の準備がすでに整っていた。誰の指示だったのか、士官用の保存食の中でも上等な部類のものが並べられ、貴重な果実飲料の缶まで出てきている。艦長らしき人物が短く労いの言葉を述べ、それだけで場は沸いた。

「初陣で二機撃墜、砲塔五門破壊。ワーカー准尉、大したもんだ」

 誰かがそう言って缶を掲げるたび、私はぎこちなく頷いて応じた。悪い気分ではなかった。むしろ、体の芯のほうで何かがじんわりと温かくなっていくのを感じていた。士官学校の三年間、シーマの下で過ごした一か月、それら全部が今日という結果に繋がったのだと思うと、誇らしさに似た感情が確かにあった。

「疲れた顔してるわね」

 リリアが隣に座って、缶を私の手に押し付けてきた。

「悪くない疲れだよ」

「そう」

 姉は短くそれだけ言って、それ以上は聞いてこなかった。ミロは少し離れた席で他のパイロットたちに囲まれ、戦闘の詳細を聞かれている。時折こちらを見て、小さく片眉を上げてみせた。ねぎらいなのか、確認なのか、判別のつかない仕草だった。

 祝杯が一段落した頃、ミロが席を立って私とリリアに目配せした。

「飲むのはそこまでにしとけ。三十分後、いつもの会議室だ」

 声のトーンが、先ほどまでとは明らかに違っていた。

 案内された狭い会議室には、簡易的な作戦モニターと椅子が三つ用意されているだけだった。灰狼隊が結成されてまだ日が浅く、専用のデブリーフィング室というほどのものもない。ミロが椅子に腰掛けるなり、前置きなしに切り出した。

「浮かれるのは今日だけにしろ。俺たちはまだ、組んでたった数日のチームだ。今日勝てたのは運も半分ある」

 テーブルに投影された戦闘ログを、ミロが順に再生していく。1隻目のブリッジ破壊、リリアへの指示、推進部への一斉射撃。無駄のない連携に見えたが、ミロの指は途中で止まった。

「ここ。リリア、指示から着弾まで二秒近く遅れてる」

「……はい。エンジン側への回り込みに、思ったより時間がかかりました」

「機動そのものは悪くない。ただ、指示を受けてからの反応が一拍遅い。数をこなせば縮む差だとは思うが、次の戦闘までに詰めておけ」

 リリアは短く頷いた。反論はしなかった。

「リオン」

 ミロの視線が私に向く。

「お前は、序盤で完全に固まってた」

「……はい。視野が、狭くなって」

「それ自体は責めない。初めて人を殺しかねない場に出て、最初から普段通り動けるやつなんてほとんどいない。俺も、姉貴も、通った道だ」

 思っていたよりも柔らかい声だった。だが、続く言葉には芯があった。

「ただ、今日それで済んだのはたまたまだ。俺たちの声が届く距離にいて、届くタイミングだったからだ。次も同じ幸運があるとは思うな」

「……はい」

「初陣の硬直はどのみち一度は通る。問題は、そこから戻るための手がかりを、自分の中に持っているかどうかだ。今日のお前は、俺やリリアの声に助けられて戻ってきた。それ自体は悪くない。ただ、声が届かない状況で同じことが起きたら、お前は一人で戻ってこられるか」

 答えられなかった。今日はミロやリリアの声があったから戻れた。もしあの瞬間、通信が途切れていたら――考えたこともなかった。

「呼吸でも、体の一部の感覚でもいい。誰にも頼らずに自分を引き戻せる何かを、次までに一つ見つけておけ。これは今日の宿題だ」

「……分かりました」

 ミロは短く息を吐き、モニターを消した。

「悪い話ばかりじゃない。デコイの判断は良かった。あれは教本には載ってない。それと、リリアの警戒の的確さも助かった。あの一報がなかったら、俺は今頃ここにいない」

 珍しく素直な評価だった。リリアが小さく目を伏せる。

「連携はまだ粗い。だが、それぞれの得手不得手は今日でだいぶ見えた。次までに、そこを埋めていく」

 ミロがモニターに簡易的な陣形図を呼び出した。三つの三角形が、戦闘中の位置関係をなぞるように動く。

「基本の型を決めておく。まず、リリア。お前は警戒と牽制に向いてる。数字にも出てた、今日の索敵報告は俺の判断より早かった」

「……ありがとうございます」

「だから、これからは最初から後方警戒を専任にする。敵の増援や側面の動きはお前が見る。前に出るのは俺とリオンだ」

 リリアが小さく頷いた。異論はなさそうだった。

「リオン、お前はデコイと近距離の押し込みが向いてる。今日みたいに、俺が正面を割ったら、お前はそのまま横に抜けて敵の側面か背後に回れ。俺が敵の意識を引き付けている間に、な」

「――隊長が正面から入って、私が回り込む、という順番ですか」

「逆でもいい場合はある。もしリリアが『右に敵増援』と警告を出したら、その時点でお前は俺の指示を待たずに右へ寄れ。俺は左を潰す」

 図の上で、三角形の一つが素早く動いた。

「合言葉は要らない。リリアの警告方向イコールお前の移動方向、それだけ覚えとけ。俺は逆側を受け持つ」

「分かりました」

「それと、俺が『下がれ』と言ったら理由を聞かずに下がれ。今日はなかったが、そのうち必ず来る。命令の理由を考えるのは生き延びてからでいい」

 最後の一言には、冗談の色がなかった。私とリリアは同時に頷いた。

 それだけ言うと、ミロは立ち上がった。短い会議だった。だが、祝杯の場では感じなかった重みが、部屋を出る頃には肩にのしかかっていた。

 その夜遅く、私は与えられた個室に戻った。

 艦内の照明はすでに夜間モードに落とされ、通路の音も昼間の喧騒が嘘のように静まっている。ベッドに腰掛け、脱いだブーツを揃えて置き、それからしばらく、何をするでもなく壁を見ていた。

 ふいに、視界の端に光の条が蘇った。対空砲火の光。マシンガンの発射炎。砲塔が爆ぜる瞬間、内部の誰かが確かにそこにいたという事実。今日の昼間、あれだけ誰かに肩を叩かれ、二機撃墜、五門破壊と数字だけで語られ続けたそれが、急に輪郭を持って戻ってくる。

 二機。

 自分が操縦桿を引いた指の先で、確かに二機のセイバーフィッシュが爆散した。その中に座っていた人間が、どうなったのか。考えないようにしていたことに、今更気づく。昼間はそれでよかった。誰もがそれを「戦果」と呼び、拍手をし、缶を掲げてくれた。数字は数字のまま、誰の顔も持たずに済んでいた。

 だが今、静かな部屋の中でひとりになると、その数字がゆっくりと形を持ち始める。

 喉の奥に、鉛のような重さがせり上がってきた。胃のあたりが冷たく縮む。手のひらに、じっとりと汗が滲んでいるのに気づく。立ち上がろうとして、うまく力が入らなかった。

 ――人を、殺した。

 訓練でも、演習でもなく。今日、この手で。

 洗面台まで這うようにして辿り着き、蛇口をひねる。冷たい水を両手にすくって顔にかけても、震えは止まらなかった。鏡に映る自分の顔は、昼間ドックで歓声を浴びていたときと同じもののはずなのに、まるで別人のように見える。

 吐き気がこみ上げてきて、私は便器に顔を近づけた。結局、何も出てはこなかった。空っぽの胃が痙攣するように締まるだけで、それが余計に惨めだった。

 しばらくそのまま床にへたり込んでいた。艦の機関音が壁越しに低く響いている。誰かに聞かれてはいないかと、そんなことばかりが気になった。灰狼隊の准尉が、初陣の夜に便器を抱えて震えている。誰にも見せられない姿だった。

 ――シーマ中佐なら、今の私を見て何と言うだろう。

 そう考えた瞬間、コロンの小瓶のことを思い出した。手を伸ばし、机の上に置いてあったそれを握りしめる。蓋を開けず、ただ手の中の重みだけを確かめた。あの人も、こうして誰にも見せない夜を、いくつも越えてきたのだろうか。

 答えは出なかった。

 やがて震えが少しずつ収まってくると、私はもう一度顔を洗い、水を口に含んで吐き出した。ベッドに戻り、明かりを消す。天井を見上げたまま、昼間の歓声と、今の静けさの落差についてぼんやりと考え続けた。

 悪くない気持ちだった、あの拍手の中にいた自分は確かに本物だ。そして今、ひとりで震えているこの自分も、同じくらい本物だった。

 どちらかを選ぶことは、まだできそうになかった。

 眠りが訪れるまで、随分と長い時間がかかった。

 翌朝、艦内放送が「灰狼隊、艦長室へ」と告げたのは、まだ朝食の片付けも終わっていない時間だった。

 私とリリアが顔を見合わせているうちに、ミロはすでに席を立っていた。

「呼ばれてるのは俺たちだけらしいな」

「昨日の今日で、ですか」

「休む間もないってことだろう」

 艦長室に入ると、艦長はすでに壁面のモニターに星図を投影していた。昨日まではただの暗闇と、パトロール部隊の予測航路を示す点線だけが浮かんでいた画面に、今は太い矢印が一本、大きく引かれている。

「戦果は聞いている。大金星だったな」

 艦長はそれだけ言うと、すぐに用件に移った。

「灰狼隊、及びこの艦隊は、これより進路を変更する」

 矢印の先を、私は目で追った。星図の端、これまで作戦の話の中では一度も名前が出てこなかった宙域に、矢印はまっすぐ伸びていた。

「――ルウム宙域、ですか」

 思わず口に出していた。艦長が頷く。

「そうだ。キリング中将率いる艦隊が、すでにその宙域へ展開を始めている。我々もそこへ合流する」

 隣でミロが小さく息を吐くのが聞こえた。表情は変わらなかったが、握った拳の中で何かを確かめるような、そんな仕草だった。

「本隊……ということは」

 リリアが呟く。艦長がその先を引き取った。

「知っての通り、我々は今、ブリティッシュ作戦の最中にある」

 艦長の口から出たのは、もはや誰も隠す気のない、はっきりとした作戦名だった。開戦のその日から、末端の兵士に至るまで知らされている名前だ。

「コロニー『アインランドフィッシュ』の投下作戦、その護衛任務にこの艦隊は組み込まれる。各サイド方面で個別に動いていた部隊が、ここルウム宙域で一つに集結する。護衛艦隊の総指揮官には、ドズル中将よりキリング中将が任命された。我々はそのキリング艦隊麾下への合流だ。灰狼隊もその一員になる」

 キリング中将――その名前には聞き覚えがあった。昨日のサイド4強襲そのものが、キリング中将の指揮下で行われた作戦の一部だったはずだ。まさか同じ指揮官の下に、また合流することになるとは思わなかった。

「ドズル中将が、わざわざこの護衛任務の総指揮を任せたくらいだ。よほど買われてる指揮官なんだろう」

 艦長が、確かめるように付け加えた。

「買われてる、というだけの人物じゃない。昨日のサイド4強襲を思い出せ。哨戒部隊の動きを読み切った上で、複数艦を同時に殲滅する時間まで指定してきた指揮だ。眉唾で持ち上げられてる名前じゃない」

 言われてみれば、その通りだった。ミロが事前に受け取っていたブリーフィングの精度、奇襲のタイミング、退路を断つ艦の配置――どれも、ただの噂話だけで信頼できる指揮官の采配ではなかった。

「腕は確かだ。だからこそ、キリング中将が率いる艦隊が向かう先には、それに見合うだけの敵が待っている、と考えておいたほうがいい」

 艦長のその一言が、私の中で妙な重みを持って残った。優秀な指揮官の下につくという安心感と、それだけの敵と対峙するのだという緊張感が、同時に胸の中に居座っていた。

「……あの衛星を、地球へ落とす作戦ですか」

「そうだ。連邦もこれを黙って見過ごしはしないだろう。護衛艦隊として、大規模な迎撃部隊とぶつかる可能性が高いと考えておけ」

 昨日の戦いも、艦隊規模の作戦の中の一部隊としての戦闘だった。自分たちのすぐ側で被弾し、離脱していく味方の機体も見た。灰狼隊だけで完結していたわけではない。それでもエース級の戦果を期待される部隊として、他より一歩前に出る役回りを任されていた。今度はその規模が違う。コロニー、投下作戦、大規模な迎撃。単語の一つひとつが、これから起きることの規模を物語っている気がした。

「灰狼隊はキリング中将直属の指揮下、独立遊撃小隊としての運用が継続される。艦隊全体の中では小規模だが、その分、他の部隊が動けない隙間を埋める仕事を任されることになるだろう」

「了解しました」

 ミロが短く答えた。それだけで話は終わりだった。私とリリアは敬礼をして艦長室を出る。

 通路を歩きながら、私はまだ頭の中で星図の矢印を反芻していた。昨日の戦闘が、まるで前哨戦だったかのように感じられる。あれだけの緊張と、あれだけの重さを抱えたはずのものが、これから起きることの序章に過ぎないのだとしたら――。

「顔、強張ってるぞ」

 ミロが振り返らずに言った。

「……本隊と合流するというのが、思っていたより大きな話で」

「灰狼隊は灰狼隊のままだ。艦隊がでかくなったからって、俺たちのやることが変わるわけじゃない」

 それはミロなりの安心させ方なのだろうと思った。だが、続く言葉は思ったより硬かった。

「ただ――キリング中将の艦隊が動くってことは、向こうも本気で数を揃えてくるってことだ。昨日みたいな哨戒部隊相手とは、わけが違う」

 リリアが横から口を挟んだ。

「ルウムって、確か……」

「連邦のティアンム艦隊が、そこに展開してるらしい。コロニーの進路を塞ぐように陣取ってる。避けて通れる位置じゃない」

 ミロの言葉には、実感のこもった重みがあった。士官学校の座学で聞いた連邦軍艦隊運用の資料が、ふいに頭の中で像を結ぶ。あれは、まさにこういう場面のためのものだったのかもしれない。

「いつになりますか」

「艦隊の集結速度次第だが……そう長くはないだろうな」

 格納庫へ向かう途中、艦全体がゆっくりと進路を変える揺れを感じた。窓の外の星の並びが、わずかに流れていく。

 その先にあるものが何なのか、私にはまだ分からなかった。ただ、昨日二機を墜としたときの感覚と、これから起きることの重さは、明らかに種類が違う気がした。

 格納庫の入口で、自分の機体を見上げる。整備兵たちが黙々と点検を続けている。誰も声を荒げてはいないが、作業の手つきがどこか昨日より慎重になっているように、私には見えた。

 ルウム宙域までの道のりは、思っていたよりも短かった。艦隊の集結を待ちながらの航行は、速度を抑えた慎重なものになる。それでも合流は早ければ翌日、遅くとも二日後――ミロの言う「そう長くはない」が、文字通りの意味だったと知ったのは、その日の朝礼でのことだった。

 その空白の時間を、灰狼隊は遊ばせておかなかった。

 朝食の後、私とリリアはまた例の会議室へ呼び出された。今度は祝杯明けの緊張はなく、ミロは最初から机に星図とセンサーログを並べていた。

「今日から合流までの間、毎日これをやる。座学と呼ぶには軽いが、シミュレーターより実になる」

 投影されたのは、連邦軍艦隊の一般的な迎撃パターンだった。士官学校の座学で見た資料と重なる部分もあれば、初めて見る図もある。

「連邦の艦は、基本的に面で撃ってくる。対空機銃と誘導ミサイルの複合弾幕だ。狙いを外すことより、通り道を塞ぐことを優先してる」

「面で塞がれると、直線的な突撃は分が悪いですね」

「その通り。だから今回みたいな護衛任務じゃ、正面から食い破る場面より、弾幕の隙間を縫って割り込む場面のほうが多くなる」

 ミロが図の上に、いくつかの矢印を描き足していく。

「艦隊規模の弾幕には、必ず継ぎ目がある。撃ち手が違えば、照準のタイミングも微妙にずれる。そこを見て動け」

「見て、と言われても……」

「今のお前には無理な話に聞こえるだろうな。だが猶予は今日と明日、せいぜい二日だ。その間に、この手のログを繰り返し見せる。目が慣れてくれば、継ぎ目は見えるようになる」

 リリアが手を挙げた。

「私の警戒担当は、艦隊戦でも同じでいいんですか」

「基本は同じだ。ただし今回は敵の数が桁違いだから、全部は拾いきれない。優先順位をつける。護衛対象に向かう軌道の敵だけを最優先で拾え。それ以外は無視していい」

「……割り切りが必要ってことですね」

「割り切れなきゃ、全部落として共倒れになる」

 短いが、実感のこもった言い方だった。私は、リリアの表情がわずかに硬くなるのを見た。

「俺の『下がれ』の合図は変わらない。ただし艦隊戦じゃ、下がる先も自分で選ぶな。俺が指定する。味方の弾幕の中に無闇に飛び込むと、フレンドリーファイヤーで死ぬ」

「了解です」

 小一時間ほどのブリーフィングは、翌朝もう一度だけ繰り返されることになる。座学というより、頭の中に地図を描き込んでいくような時間だった。

 その日の午後、私は整備班の詰所に顔を出した。

「お、准尉。珍しいな、こっちに来るのは」

 グラムが工具を片手に振り返る。無精髭の下で、口元だけが笑っていた。

「機体のチューンの相談をしたくて。それと、OSの更新も」

「言われなくてもやるつもりだったが、まあいい。座れ」

 私は指示されるまま、整備台の脇に膝をついた。手渡された端末に、昨日の戦闘データが表示されている。

「見てみろ。お前の機体、左脚の外装に一発かすってる」

「……気づきませんでした」

 装甲を貫通するほどではなかったらしい。だが、ログに残った着弾のタイミングを見て、私は思わず息を呑んだ。あの瞬間、私は空になった弾倉を敵の射線へ投げつけた直後だった。

「これ、デコイを投げた直後です」

「そうだ。デコイの発想自体は悪くない。だが、投げた後にお前、一瞬動きを止めてる。狙いを逸らしたことに満足して、次の回避に移るのが遅れた」

 グラムが端末の映像を巻き戻し、コマ送りで見せてくれる。たしかに、弾倉を投げた腕の動きの後、機体の重心がわずかに一拍分、止まっていた。

「次からは、投げると同時に体を捻れ。狙いを逸らすのと、自分が動くのを同時にやる。片方だけじゃ半分の仕事しかしてない」

「……はい」

「幸い今回はかすり傷で済んだ。だが艦隊戦じゃ、この一拍が命取りになる。次までに、投げ動作と回避を一続きの型にしておけ」

 私は頷きながら、自分の機体の左脚部装甲に触れた。整備員が磨いていた傷が、指先に浅い段差として残っている。生々しい実感だった。

「OSのほうは、この間の反応速度のログも踏まえて詰めておく。お前の操作の癖、また拾っていいか」

「お願いします」

「工具、持てるか。今日はお前にも触らせてやる」

 差し出されたのは、装甲の固定ボルトを締め直すためのレンチだった。慣れない手つきで作業を始めると、隣の整備員がさりげなく手元を覗き込み、締め方の甘い箇所を指で示してくれる。

 汗をかきながらボルトを締めていく間、頭の中では今日聞いた話がずっと巡っていた。弾幕の継ぎ目。デコイの後の一拍。優先順位をつけるリリアの割り切り。どれも、昨日までの自分には見えていなかったものだった。

 夕方、作業を終えて詰所を出たところで、ミロに呼び止められた。

「今日はどうだった」

「……色々、見えてないことばかりでした」

「それでいい。見えてなかったことに気づけたのが、今日の収穫だ」

 ミロは少し考えるように黙り、それから言った。

「明日から、体力メニューを上げる。今までの倍だ。お前とリリア、両方」

「艦隊戦に備えて、ですか」

「四十分のフル稼働を、今より長く保たせる必要が出てくるかもしれない。それに、今日みたいな一拍の遅れは、体力が削られてる時ほど出やすい」

 当然のことだと思った。だが、続くミロの言葉には、少しだけ違う色があった。

「俺も一緒にやる。お前らだけにきついメニューをやらせて、自分は見てるだけってのは性に合わない」

 それは指揮官としての言葉というより、隊の一員としての言葉だった。私は素直に頷いた。

「よろしくお願いします」

「言っとくが、手加減はしないぞ」

 ミロが珍しく口の端で笑った。窓の外では、星の並びがまだゆっくりと流れ続けていた。ルウムまでの残りわずかな時間の中で、私たちにできることは、まだいくつも残っている。

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