最終学年の担任として僕らの前に現れたのは、三人の教官だった。
「実技担当のハンス・ブレナーだ! いやぁ、噂は聞いてるぞ、お前が例の型破り野郎か!」
両腕を大きく広げながら、快活な声で笑いかけてきたのは、見上げるほどの長身と、鎧のように鍛え上げられた体躯を持つ男だった。二百センチはあろうかという巨体が、まるで少年のような無邪気さで僕の肩を叩く。
「機体を摩耗させながら戦うなんて、普通は教官に怒られて終わりだが……いいじゃないか、それも才能だ! なあ?」
「い、いえ、僕は普通に怒られましたけど」
「細かいことは気にするな! お前みたいなのを、俺は伸ばしたいんだよ」
ガハハ、と豪快に笑うハンス教官に、僕は面食らいながらも、なぜか嫌な気はしなかった。
対照的だったのが、隣に立つもう一人の男だった。
「座学担当、オットー・ライマンだ」
七三に整えられた髪、皺一つない制服。まるで教科書から抜け出てきたような、実直を絵に描いたような佇まいだった。
「模擬戦の逸話は聞いている。……褒められた戦い方ではないな」
その一言に、思わず苦笑いが漏れる。
「基本を疎かにする者は、戦場で早死にする。型を破るのは、型を完璧に修めてからだ。今のお前の戦い方は、危うい賭けの延長でしかない」
静かな声だったが、その分だけ、ずしりと重みがあった。ハンス教官のような無条件の肯定とは真逆の視線を、僕は初めて向けられた気がした。
そして最後に、三人目が、口を開くこともなく僕らの前に立っていた。
「――特務教官、イルゼ・フォーゲル」
オットー教官が代わりにそう紹介する。小柄で、地味な印象の女性だった。だが、その双眸だけは、やけに深く、静かな陰を宿しているように見えた。
僕らが名乗っても、イルゼ教官はただ一瞥をくれるだけで、何も言わなかった。歓迎の言葉も、忠告の言葉もない。ただ、値踏みするような視線だけが、僕らの間をゆっくりと巡っていった。
「……無口な人だね」
後になって、僕がそう零すと、クルトは声を潜めてこう返した。
「あの人のクラスは、成績優秀者だけ入れると聞いた。しかも、やたらと厳しいらしい」
「厳しいって、ハンス教官みたいに?」
「いや……もっと、別の種類の厳しさだ」
クルトの表情には、どこか居心地の悪さが滲んでいた。理由は、この時の僕にはまだ分からなかった。
三人の教官のもと、最終学年の日々は、これまでとは違う色合いを帯びて始まろうとしていた。
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### ハンス・ブレナーという教官
ハンス教官の実技訓練は、良くも悪くも規格外だった。
「よーし、今日はパイロット科の実戦想定演習だ! リオン、お前は好きにやれ!」
「好きにやれって、それだけですか」
「それだけだ! 型なんぞ、教官が教え込むまでもなくオットーがやってくれてる。俺の仕事は、お前らの伸びしろを潰さないことだけだからな!」
豪快に笑いながら、ハンス教官は本当にそれ以上の指示を出さなかった。他の生徒たちが定石通りのフォーメーションを組む中、僕だけは毎回、その場その場で思いつくままに機体を振り回すことを許されていた。
「無茶苦茶な動きしやがって……だが、悪くない。悪くないぞ、それ!」
演習の後、機体の損耗具合を見ながらも、ハンス教官は決まってそう言って笑った。整備班からは毎度のように苦言を呈されたが、それすらも「若いうちの特権だ」と豪快に受け流してしまう。僕にとって彼は、士官学校の中で数少ない、無条件に僕を面白がってくれる大人だった。
だが、それは僕にだけ向けられた甘さではなかった。
「お前、さっきの回避、なんで右に回った?」
演習後の講評で、ハンス教官は他の生徒にもよく声をかけていた。相手は、僕とは正反対に、教本通りの動きを徹底して磨き上げているタイプの生徒だった。
「……教本の推奨行動です。左からの攻撃には右旋回で――」
「知ってる知ってる。でもよ、あの瞬間、左に回った方が敵の死角に入れたはずだ。なんでそっちを選ばなかった?」
「それは……教本には、右旋回が定石だと」
「定石、な」
ハンス教官は、腕を組んで少し考えるように黙り込んだ。
「定石ってのは、大勢のパイロットが死んで、それでも生き残った奴らの経験則の集合体だ。だから否定はしない。ただな」
彼は、生徒の肩に大きな手を置いた。
「その定石を選んだのは、"自分がそう考えたから"か? それとも"そう習ったから"か? その違いを、お前自身が分かってないなら、いずれ痛い目を見るぞ」
その言葉は、僕に向けられたものではなかったはずなのに、なぜか僕の胸にも深く突き刺さった。型を守ることも、型を破ることも、本質はきっと同じなのだ。自分の頭で選んだかどうか、それだけが問われている。
「ハンス教官って、ただ甘いわけじゃないんですね」
演習の帰り道、思わずそう零すと、ハンス教官は片眉を上げてこちらを見た。
「当たり前だろ。俺は"型破り"が好きなんじゃない。"自分の頭で戦う奴"が好きなんだよ。お前はたまたま、それが分かりやすい形で出てるだけだ」
カラカラと笑いながら、彼はそう続けた。
「昔な、俺の部隊にも一人いたよ。お前みたいに、型なんぞくそくらえって動く奴が」
ふと、その声のトーンが、僅かに落ちた。
「そいつは……」
僕が続きを促そうとした瞬間、ハンス教官はわざとらしく大きく伸びをして、話を切り上げてしまった。
「さあ、今日はここまでだ! 飯食いに行くぞ、お前らも来い!」
豪快な声に紛れて、僅かに滲んだ影を、僕は見なかったふりをした。何かを聞いてはいけない気がした。
それからというもの、僕はハンス教官に対して、ほんの少しだけ違う目を向けるようになった。豪快で、無邪気で、誰よりも生徒を伸ばすことに情熱を注ぐ彼の裏に、きっと語られない過去があるのだろう、と。
食堂でも、ハンス教官はよく僕らのテーブルに割り込んできた。
「おう、今日はグレタも一緒か。お前、この間の演習でエンジン出力を勝手にチューニングしてただろ」
「……ばれてました?」
「ばれるも何も、機体の挙動見りゃ一発だ。整備班の連中が青い顔してたぞ」
グレタが珍しく気まずそうに視線を逸らす。それを見て、ハンス教官はまたガハハと笑った。
「別に怒っちゃいねえよ。むしろ褒めてやりたいくらいだ。あの調整、悪くなかった」
「本当ですか!」
途端に目を輝かせるグレタに、ハンス教官は満足げに頷いた。
「お前らみたいなのが、俺は好きなんだよ。教本通りにやる奴もいい。だが、それをはみ出して、自分なりの答えを見つけようとする奴の方が、俺は圧倒的に信じられる」
その一言に、僕はふと、クルトの横顔を盗み見た。彼は複雑そうな表情を浮かべながらも、何も言わなかった。教本通りに、誰よりも正確に、誰よりも完璧に振る舞い続けてきた彼にとって、その言葉はどんな響き方をしたのだろう。
「クルトは、どう思う?」
思わず訊ねると、彼は一瞬、言葉を探すように黙り込んだ。
「……分からない。俺は、型を守ることでしか、今まで自分の価値を証明できなかった。だから、正直、少し怖い」
「怖い?」
「型を外れて、それでも通用する奴を、俺は知らなかったからだ。お前を見るまでは」
その言葉に、今度は僕が黙り込む番だった。
いつも通り豪快に笑うハンス教官の隣で、僕らはそれぞれ、違う重さでその言葉を受け止めていた。
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ハンス教官の過去について、僕がもう少しだけ詳しく知ることになったのは、それから数週間後のことだった。
夜間の緊急招集演習――実戦を想定し、深夜に叩き起こされて出撃するという、悪名高い訓練の後だった。疲労困憊で装備を片付けていると、格納庫の隅、誰もいないはずの場所に、ハンス教官の姿があった。
彼は、旧式の機体――今はもう教育訓練にしか使われていない、時代遅れのモビルスーツの前に立っていた。整備記録を眺めているのでも、点検をしているのでもない。ただ、じっとその機体を見上げているだけだった。
「……教官?」
声をかけると、彼は少し驚いたようにこちらを振り返った。
「おお、リオンか。まだ残ってたのか」
「片付けが遅くなって。教官こそ、こんな時間に何を」
彼は少しだけ苦笑いを浮かべ、機体を見上げたまま、僕の隣に並ぶことを許した。
「昔な、こいつと同じ型に乗ってた部下がいたんだよ」
前置きもなく、そう切り出した。
「言っただろ、型なんぞくそくらえって戦う奴がいたって。あいつだ」
「その人は、今は……」
「死んだよ。まだ三年前の話だ」
あまりにあっさりとした口調に、僕は一瞬、返す言葉を見失った。
「上からの無茶な命令でな。新型装備の実弾実地試験を、安全マージンなんぞ度外視して、予定通りに強行しろって命令が下った。あいつは、無茶を承知でその試験に臨んだ。俺が止めても聞かなかった」
ハンス教官の声には、怒りも悲しみも、表向きにはほとんど滲んでいなかった。ただ、淡々と、事実だけを語る口調だった。
「あいつはな、俺の見立てじゃ、お前よりよっぽど才能があった。型を破ることに関しちゃ、天才だったよ。だが」
そこで、初めて言葉が詰まった。
「才能だけじゃ、生き残れない時もある」
その一言だけを残して、ハンス教官はしばらく黙り込んだ。格納庫の照明が、旧式の機体の輪郭を淡く照らしている。
「だから、俺は生徒を伸ばすことしかできない。あいつを守ってやれなかった分、せめて――お前らには、生き延びるための"自分なりの答え"を、山ほど持たせてやりたいんだよ」
豪快な笑い声からは、想像もつかない静かな言葉だった。
「教官」
「なんだ」
「僕、生き延びます。ちゃんと」
我ながら、青臭い言葉だと思った。だが、言わずにはいられなかった。
ハンス教官は、一瞬きょとんとした顔をした後、いつもの豪快な笑みを取り戻した。
「――当たり前だ。俺がそう仕込んでやるんだからな」
ばん、と背中を叩かれ、僕はよろけながらも、なぜか笑ってしまった。
この夜のことを、僕はしばらく誰にも話さなかった。ただ、ハンス教官の豪快さの裏にある、あの静かな眼差しの意味を、僕はこの日、初めて理解した気がした。
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### オットー・ライマンという教官
オットー教官の座学は、士官学校の中でも「地獄の時間割」と密かに呼ばれていた。
「本日の課題――サイド5、通称ルウム周辺における兵站経路の脆弱性について、各自の見解を述べよ」
黒板いっぱいに描かれた図表を前に、彼は一人一人の目を順番に見据えていく。逃げ場はなかった。
「グレタ。お前の専門である整備の観点から、この経路の弱点を三つ挙げよ」
「……補給艦の隔壁強度、燃料タンクの配置、あと、緊急時の換装作業に必要な人員数です」
「悪くない。だが、なぜその三つが"弱点"たり得るのか、根拠を述べよ」
グレタが珍しく言葉に詰まる。機体の構造なら、誰よりも雄弁に語れる彼女だったが、それを"戦術"という文脈に落とし込むのは、また別の能力を要求された。
オットー教官は、そんな彼女の沈黙を急かすことなく、静かに待った。答えられなければ容赦なく次に移るハンス教官とは違う、独特の間があった。
「――人員数が不足すれば、換装作業の遅延を招きます。遅延は、艦隊全体の展開速度低下に直結し、結果として敵の攻撃機会を増やします」
絞り出すように答えたグレタに、オットー教官は小さく頷いた。
「合格だ。次からは、その根拠を先に述べる癖をつけろ」
短い言葉だったが、そこには確かな評価の色があった。僕は、ハンス教官とはまた違う形で、この人もまた、生徒一人一人をきちんと見ているのだと気づかされた。
だが、僕にとってのオットー教官の授業は、常に一筋縄ではいかなかった。
「リオン。先の演習における撤退判断について、判断基準を述べよ」
「え、と……あの状況なら、右手の稜線を回り込んで、敵の索敵範囲外に――」
「感覚ではない。数字で語れ」
いつもの調子で、彼は僕の言葉を遮る。
「燃料残量、搭載弾数、生存者の移動速度。それらを踏まえた上での結論を述べよ」
僕は、そこでいつも言葉に詰まった。頭の中では、確かに"最適な道"が見えている。だが、それを支える数字を、僕は覚えていない。感覚が先に答えを出してしまい、その根拠を後から言葉にする、という手順そのものを、僕は普段からしていなかった。
「……分かりません。ただ、なんとなく、そっちが安全な気がしただけで」
「"なんとなく"では、部下はついてこない」
オットー教官の声は、決して感情的ではなかった。だからこそ、その一言一言が、余計に重く響いた。
「戦場において、指揮官の"なんとなく"は、時に部下の命を預けるに値しない。お前がいずれ誰かを率いる立場になった時、その"なんとなく"を、どうやって他人に信じさせるつもりだ」
僕は、何も言い返せなかった。
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その日の放課後、僕だけが呼び止められた。
「リオン、残れ」
教室に二人きりになると、オットー教官はいつもの厳しさを僅かに緩めた。
「お前を辱めるつもりで、毎回問い詰めているわけではない」
「……分かってます」
「本当に分かっているか?」
鋭い視線に、僕は思わず言葉を飲み込んだ。
「お前の"なんとなく"は、恐らく本物だ。ハンス君の評価も、伊達ではないだろう。だが、それは諸刃の剣でもある」
彼は、黒板に描いたままの図表を、静かに指し示した。
「お前がいずれ部隊を率いる日が来たとして、部下にこう言うつもりか。"なんとなく、こっちが安全な気がする"と。それで、部下は死地に向かえるか?」
僕は、答えられなかった。
「言葉は、時に武器よりも重要な装備になる。お前の感覚を、誰かに預けられる形にしておけ。でなければ、お前がいなくなった瞬間、お前の積み上げてきたものは、誰にも引き継がれずに消える」
その言葉の重さは、まだ十九の僕には、正直半分も理解できていなかった。だが、なぜかその一言だけは、鮮明に胸に刻まれた。
「教官は、どうしてそこまで、"言葉にすること"にこだわるんですか」
思い切って訊ねると、オットー教官は珍しく、少しの間、沈黙した。
「――昔、ある部隊で、指揮官が急な発作で倒れ、指揮を執れなくなったことがあった」
そう切り出す声は、いつもより幾分か低かった。
「持病持ちだと聞いてはいたが、まさか演習の最中に倒れるとは、誰も思っていなかった。代わりに指揮を引き継いだ副官は優秀な男だった。だが彼は、それまで指揮官の"感覚"に頼りきりで動いていた部隊だったせいで、いざ自分が指揮を執る段になって、何も引き継げていないことに気づいた」
「それで……」
「部隊は、混乱の末に、演習中の事故で数名の負傷者を出した。実戦であれば、恐らく死者が出ていただろう」
オットー教官は、僅かに目を伏せた。
「その副官は、私だ」
その一言に、僕は言葉を失った。彼のあの徹底した厳格さの根底には、自分自身の苦い経験があったのだ。
「私は、あの日から誓った。どんな才能も、言葉にできなければ、次の世代に受け継がれない。お前の"なんとなく"が、いつかお前を離れて、誰かの力になる日が来るように――私は、お前たちに"言葉"を叩き込む」
その日以来、僕はオットー教官の授業に対する見方を、少しだけ変えた。厳しさの裏にあるのは、意地悪でも、成績至上主義でもない。ただ、彼なりの不器用な誠実さだったのだ。
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オットー教官とクルト、そしてエルフィとの関係は、また少し違った色合いを帯びていた。
「エルフィ。今日の想定演習、お前の立てた作戦の評価は、及第点だ」
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げるエルフィの隣で、クルトが黙って講評を聞いている。この最終学年になってから、演習における役割は自然と定まっていた。作戦を組み立てるのはエルフィ、それを現場で指揮し、部下を動かすのはクルト。頭脳と統率、それぞれの得意分野に応じた棲み分けだった。
「だが」
オットー教官は、いつものように容赦なく続けた。
「エルフィ、お前の作戦は、常に"教本通りに動く部下"を前提にしている。もし部下の中に、お前の想定を外れて動く者がいたら、その作戦はどうなる」
エルフィの表情が、僅かに強張った。
「それは……状況に応じて、修正案を――」
「机上で修正案を練っている間に、部下は死んでいるかもしれんぞ」
沈黙が落ちる。
「クルト」
今度は、矛先がクルトへと向いた。
「お前は、その"想定外"を現場でどう処理する。エルフィの作戦が崩れた瞬間、お前はどう部下に指示を出す」
クルトは、一瞬言葉を探すように黙り込んだ。
「……エルフィの作戦を信頼しつつも、崩れた瞬間は、自分の判断で部下を動かします。多少、作戦の意図から外れても」
「その"多少"の裁量を、いつ、どこまで許すのか。それを事前にエルフィとすり合わせているか?」
クルトとエルフィは、思わず顔を見合わせた。二人とも、答えられなかった。
「作戦を立てる者と、それを現場で動かす者。両者の間に、"想定外への裁量"の合意がなければ、どれだけ優秀な作戦も、現場で瓦解する」
オットー教官は、そこで初めて、僅かに視線を僕の方へ向けた。
「お前たちのチームには、定石を平然と無視して戦う者がいるだろう。その存在を、作戦の"想定外"としてではなく、"計算に入れるべき変数"として扱えるようになった時、お前たちの作戦は初めて完成する」
この日、教室を出た後のクルトとエルフィのやり取りを、僕は知らない。だいぶ後になって、当人たちからそれぞれ聞いた話を繋ぎ合わせただけの、又聞きの記憶だ。
二人は、誰もいなくなった教室に残って、しばらく黙り込んでいたらしい。
「……正直、あいつを計算に入れるなんて、無理な話だと思っていた」
先に口を開いたのは、クルトだったという。
「私も、同意します」
エルフィが、静かにそう返したそうだ。
「あいつの動きは、こちらの想定を毎回軽々と越えてくる。指揮を執る側からすれば、正直、扱いづらいことこの上ない」
「ええ。作戦の再現性という点では、最悪の変数です」
二人して、ため息交じりにそう零し合った。だが、そこで会話は終わらなかった。
「――だが」
クルトが、そう続けたという。
「もし、その"扱いづらさ"を本当に読み切れたら」
「途轍もない作戦が組める、かもしれません」
エルフィが、その言葉を引き取るように続けた。
「今まで誰も想定していなかった動きを、"戦力"として組み込めるということですから。理論上は、こちらの選択肢が、飛躍的に広がります」
「理論上、な」
クルトが、苦笑気味にそう返す。
「その理論を実現するには、お前の解析力が要る。俺一人じゃ、あいつの動きの意図なんて、到底読み解けない」
「私だけでも、無理です。データを解析しても、最後にそれを現場で動かして、部隊をまとめ上げるのは、あなたの仕事ですから」
互いの言葉に、しばしの沈黙が挟まったという。
「……お互い、苦労するな」
「ええ、本当に」
二人は、そう言って、初めて顔を見合わせて笑ったそうだ。
その日を境に、クルトとエルフィの間には、それまでとは違う種類の信頼が芽生え始めていた――らしい。少なくとも、後になって聞かされた僕は、そう理解している。
オットー教官の授業は、僕らそれぞれに、違う形で、確かな爪痕を残していった。そして、クルトとエルフィという二人の関係もまた、この頃から、単なる同期という以上の、確かな信頼で結ばれ始めていた。
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### イルゼ・フォーゲルという教官
イルゼ教官の授業に、僕が立ち会うことはほとんどなかった。
彼女が教壇に立つのは、週に一度、参謀科・指揮官科志望の上位成績者だけを集めた特別講義の時間だけだった。クルトとエルフィは、そこに名を連ねていた。パイロット科の僕には、縁のない時間だった。
だからこそ、その授業の様子を、僕は当人たちから聞いた話でしか知らない。
「今日の演習結果、指揮官役はクルト、参謀役はエルフィ。両名、前へ」
感情の読めない声で、イルゼ教官が二人を指名したという。
演習内容は、実戦を模した想定訓練――しかも、常に理不尽な制約が課せられていた。増援は来ない。補給は途絶している。撤退の許可は下りない。
「この条件で、お前たちの部隊は生き残れるか」
冷徹に問いかけるイルゼ教官の前で、クルトとエルフィは何度も"敗北"を突きつけられた。
「――今回も、部隊は全滅だな」
講評の言葉にも、慰めの色は一切なかった。
「不満か?」
「……いえ」
俯くクルトに、イルゼ教官はそれ以上、何も言わなかった。ただ、その視線だけが、やけに長く彼の横顔に注がれていたのを、エルフィは見ていたという。
「あの人の授業は、まるで最初から、僕らを潰しにきているみたいだ」
その日の夜、珍しく弱った声でそう零したクルトに、僕はかける言葉が見つからなかった。
「潰しに、って……そこまで?」
「ああ。増援なし、補給なし、撤退許可なし。三重苦を課された状態で、それでも"生き残る方法を出せ"と言われる。しかも、どんな答えを出しても、必ず"部隊は全滅する"という講評が返ってくる」
「それって、最初から詰んでる問題なんじゃ……」
「かもしれない。だが、あの人は決して、"これは解けない問題だ"とは言わない。ただ、"お前たちの答えでは、部隊は死ぬ"と繰り返すだけだ」
クルトの声には、疲労と、それ以上に得体の知れない苛立ちが滲んでいた。
「エルフィは、何か言ってた?」
「……あいつは、毎回悔しそうにしている。だが、投げ出そうとはしない。次の授業までに、また別の解答パターンを、山ほど用意してくる」
その言葉に、僕はエルフィの、あの理知的だけれど頑固な横顔を思い浮かべた。彼女らしい、と思った。
その粘り強さの中身を、僕が詳しく知ることになったのは、それからしばらく経ってのことだった。
夜、図書室の消灯間際まで、エルフィが一人で資料を広げていることに気づいたのは偶然だった。
「まだ帰らないの?」
声をかけると、彼女は分厚い戦例集から顔を上げ、少し驚いたような顔をした。
「……リオン。ええ、もう少しだけ」
机の上には、過去の戦例や補給理論の資料が、山のように積まれていた。付箋の数だけで、彼女がどれだけの時間をここに費やしているかが分かった。
「イルゼ教官の課題、まだ解けそうにない?」
「正直、今のところは。増援なし、補給なし、撤退許可なし――この条件下で"部隊を生存させる"という前提自体が、通常の戦術理論では成立しないんです」
エルフィは、疲れた様子を見せながらも、その声には諦めの色がなかった。
「じゃあ、どうするの」
「発想を変えるしかないと思っています。"部隊を全滅させない"のではなく、"部隊の定義そのものを変える"方向で」
「定義を、変える?」
「はい。例えば、全員での生存を目指すのではなく、最小限の犠牲で、最大多数を生存させる。あるいは――部隊としての機能を、物理的な人員ではなく、"情報"として生存させる、とか」
僕には半分も理解できなかったが、彼女の目には、それまで見たことのないような熱があった。
数日後、僕はその成果を、クルトから伝え聞くことになった。
「今日の演習、少し空気が変わった」
珍しく興奮気味に、クルトがそう切り出した。
「エルフィが出した作戦は、"全員生存"を最初から捨てていた。指揮系統を分散させて、部隊を二つの独立したユニットに分ける。片方が囮になって敵の主力を引きつけている間に、もう片方が生存者を収容しながら撤退経路を独自に確保する――言ってしまえば、部隊としての一体性を犠牲にして、生存確率そのものを引き上げる作戦だ」
「それで、結果は?」
「全滅は、免れた。犠牲は出た。だが、"部隊としての生存"という定義そのものを塗り替えたことで、初めて"詰み"の状態から抜け出せたんだ」
クルトの声には、興奮と、それを上回るほどの敬意が滲んでいた。
講評の時、イルゼ教官は、いつもと同じ、感情の読めない声でこう言ったという。
「――及第点、以上だ」
たった一言。だが、その場にいたクルトによれば、それは彼女がこれまで誰にも向けたことのない、最大限の評価だったという。
「あの人が"以上"をつけるところを、初めて見た」
そう語るクルトの声には、隠しきれない誇らしさがあった。
この一件をきっかけに、イルゼ教官の授業における空気が、僅かにだが変わり始めた。相変わらず理不尽な条件は課され続けたが、エルフィの立てる作戦は、その都度、少しずつイルゼ教官の"及第点"のラインに近づいていった。
「エルフィは、あの人に認められようとしているわけじゃないと思う」
ある日、クルトがぽつりとそう零した。
「じゃあ、何のために?」
「あいつはただ、"解けない問題はない"と証明したいだけなんだ。誰に認められるかは、二の次で」
その言葉に、僕は思わず笑ってしまった。
「エルフィらしいね」
「ああ。本当に、らしいよ」
クルトも、少し柔らかい顔でそう頷いた。
その頃にはまだ、僕らの誰も知らなかった。イルゼ教官があの理不尽な課題を課し続ける、本当の理由を。
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イルゼ教官の過去を、僕らが知ることになったのは、ずっと後――僕がこの手記を書いている今だからこそ、語れることかもしれない。当時の僕らは、ただ漠然と「何か事情があるのだろう」と感じていただけだった。
だが、後になって知った話を、ここに記しておこうと思う。
イルゼ・フォーゲルには、かつて夫と、幼い子供がいたという。
夫もまた軍人だった。辺境の哨戒部隊に所属していたという。ある時、本来なら複数機で編成すべき哨戒任務に、人員不足を理由として、夫は単機での任務を命じられた。護衛もなく、通信中継すら満足に確保されない状態での派遣だった。夫は、その配置の危うさを進言したが、「人手が足りんのだ、我慢しろ」の一言で退けられた。
結果、夫はその哨戒任務の最中、消息を絶った。
子供もまた、その少し後――詳しい経緯は、当人たちも語ろうとしなかったため、僕にも分からない。ただ、イルゼ教官は、短い期間のうちに、夫と子供の両方を失ったのだという。
喪失の後、彼女がどのようにして士官学校の教官職に就いたのか、その経緯までは分からない。だが、彼女はいつしか、教え子たちを、まるで自分の子供のように可愛がるようになっていたそうだ。
当時のイルゼ教官を知る先輩教官の一人は、こう語っていたという。
「昔は、今とは全然違ったよ。優しくて、面倒見が良くて、生徒からも慕われていた。特に、あるクラスの生徒を、それは大事にしていてなあ」
そのクラスの中に、一人、特に優秀な生徒がいたという。ペーパー試験は常にトップ。それだけでなく、実機の操縦においても際立った腕を持つ、将来を嘱望される存在だった。
その腕を見込まれ、彼は新型機の実地評価試験――暗礁地帯における機動試験の要員に選ばれることになった。
イルゼ教官は、その人選に異を唱えたという。
「暗礁地帯での高速機動試験だ。あれは、経験の浅い者が担うべき任務じゃない。熟練したパイロットに任せるべきだ」と。
だが、その進言は、上層部に一蹴された。
「経験が浅い、経験が浅いと、それではいつまで経っても経験を積ませられんだろう。それとも貴官は、戦争にでもなった時、新米だからと暗礁地帯で戦わせられませんとでも上申するつもりか」
皮肉交じりの反論に、イルゼ教官はそれ以上、食い下がることができなかった。生徒は、その優秀な腕を買われたまま、試験任務へと送り出された。
試験は、高速機動での障害物回避を主眼とした内容だったという。生徒の腕は、確かに優れていた。だが、暗礁地帯特有の、予測のつかない隕石の挙動までは、経験の浅さが読み切れなかったのだろう。
高速移動中、彼の機体は隕石の群れの中で進路を見誤り、そのまま激突。機体は大破し、彼は帰らぬ人となった。
イルゼ教官が案じていた通りの理由で、彼女が案じていた通りの結末を迎えたのだった。
「あの人は、それから変わった」
その先輩教官は、そう語ったという。
「生徒を可愛がるのをやめたわけじゃない。むしろ、逆だ。あの人は今も、生徒たちを誰よりも大事に思っている。ただ――その大事にし方が、変わったんだ」
守ってやることができないのなら、せめて、理不尽に耐えるだけの力を、今のうちに叩き込んでやる。
増援なし、補給なし、撤退許可なし。あの理不尽極まりない想定訓練は、彼女なりの、屈折した愛情だったのだ。
だが、この時の僕らには、まだそんなことは知る由もなかった。
最終学年のある日、僕は珍しく、廊下でイルゼ教官と二人きりですれ違った。
「……お前が、リオンか」
初めて、彼女の方から声をかけられた。
「は、はい」
「クルトとエルフィから、よく名前を聞く」
感情の読めない声だったが、なぜかその一言には、僅かな温度があるように感じられた。
「あの二人は、お前という"想定外"を計算に入れることで、少しずつ変わってきている」
「……それは、褒められてるんでしょうか」
「さあな」
イルゼ教官は、そう言うと、それ以上何も語らず、静かに廊下の向こうへと歩き去っていった。
その背中を見送りながら、僕はふと、彼女の纏う空気の中に、これまで感じたことのない種類の、静かな寂しさのようなものを感じた気がした。
理由は、まだ分からなかった。だが、その予感だけは、なぜか胸の奥に、いつまでも残り続けた。
---
最終学年も終わりに差し掛かった頃、僕らを待っていたのは、士官学校生活の総決算とも言える、卒業試験だった。
「今年の卒業試験は、少し特別だ」
試験前日、招集された講堂で、ハンス教官がそう切り出した。
「実技、座学、そして戦術指揮――三つの評価軸を、単一の総合演習で同時に測る。担当は、俺とオットー、そしてイルゼ教官の三人合同だ」
講堂がざわめいた。三人の教官が同時に評価に立ち会うことなど、これまで一度もなかった。
「四人一組のチーム編成で、想定戦闘領域は――暗礁地帯」
その言葉に、僕は思わずクルトと顔を見合わせた。
「敵役は、教導班の熟練パイロット部隊。数的に優位な状況を再現する。加えて、暗礁地帯特有の不規則な隕石群による視界不良、通信障害を再現する」
オットー教官が、淡々と条件を読み上げていく。
「なお、敵役の指揮は、外部から招いた教導パイロットが直々に執る」
その一言に、講堂の空気が一段と張り詰めた。
「――シーマ・ガラハウ中佐だ」
その名前に、僕は思わず息を呑んだ。豊富な訓練実績と卓越した技量を持つ女性パイロットとして、既に一部で名の知れた人物だった。士官学校の生徒が相手取るような格の人物ではないと、誰もが知っていた。
「エースパイロット直々の指導を受けられるんだ、光栄に思え」
ハンス教官が、いつもの豪快さでそう付け加える。だが、その口調とは裏腹に、講堂の空気は重く沈んでいた。
「想定シナリオは、輸送艦の護衛任務。お前たちの目的は、輸送艦を無事に離脱させることだ。全滅は許されるが、護衛対象の被害は最小限に抑えねばならない」
最後に、イルゼ教官が付け加えた。
「――これは、これまでの授業で私が課してきた"理不尽な想定"の集大成だと思え」
感情の読めないその声に、教室が静まり返った。
「試験までは、三日の猶予を与える。準備に使え」
ハンス教官のその一言で、講堂の空気が僅かに緩んだ。
「一つ、忠告しておく」
オットー教官が、付け加えるように口を開いた。
「今回の試験は模擬弾を使用する。機体への被害は、あくまで判定上のものだ。だが――暗礁地帯そのものの危険は、判定でも何でもない。隕石への衝突は、シミュレーターの再現度をもってしても、実機での感覚とはまるで違う。三日のうちに、暗礁地帯での高速機動に、体を慣らしておけ。慣れていない状態で突っ込めば、判定を待たずして本当に死ぬ」
その一言に、講堂の空気が、僅かに引き締まった。
「特にリオン、お前だ」
名指しされて、僕は思わず背筋を伸ばした。
「お前のような戦い方をする者ほど、暗礁地帯との相性は諸刃の剣になる。存分に使いこなせば武器になるが、勝手が分からないまま突っ込めば、真っ先に死ぬぞ」
真っ向からの忠告なら、これまでも散々受けてきた。だから聞き流すことには慣れている――はずだった。だが、この時ばかりは、僕の中で少し違う受け止め方をしていた。
暗礁地帯そのものでの高速移動なら、正直、そう恐れるほどのことではないという自負があった。隕石の"読めなさ"は、むしろ得意な部類だ。だが、オットー教官の言う"相性"は、恐らくそこではない。移動ではなく、戦闘だ。あの環境の中で、動きながら戦う――それだけは、まだ僕の中で確立できていない感覚だった。