長かった。
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第二十一話
ハッチが閉まる重い音の後、コックピット内は急に静かになった。シーマの小瓶を手に取り、蓋を開けて中身を軽く一吹き、二吹き。コックピット内に、あの独特の香りが薄く広がる。息を吸い込むと、強張っていた肩から少しだけ力が抜けた。
この匂いは、落ち着く。嗅ぐたびに、あの人がまだどこかで見ているような気がしてくる。
小瓶を握っていた手を、操縦桿へ戻す。まだ発進命令は出ていない。格納庫の慌ただしい照明が、キャノピー越しに明滅している。
整備回線から、グラムの声が割り込んだ。
「前の戦闘でもしつこく言ったと思うが、もう一回だけ言っとく。残留放射が濃い区画に長居するな。今回も核をやり合った後だ、装甲じゃ防ぎきれねえ線量が出てる場所もある」
「分かってるよ、グラムさん」
軽く返しながらも、その一言を頭の隅に留めておく。
「全機、待機のまま聞け」
無線に流れたのは、ミロの声ではなかった。艦内の全チャンネルへ強制的に割り込む形で、聞き覚えのある声質の通信が始まった。総帥からの、全軍向けの音声だという。
「今この瞬間も、サイド5の空で命を賭している同胞たちよ。諸君らが握る操縦桿の先には、単なる勝敗ではなく、我らジオン公国が生き延びるための道が続いている」
いつもより低く、重みを持たせた声だった。
「地球という揺り籠に、いつまでもしがみつき、宇宙に生きる我らを虫けらのごとく扱う者たち。彼らに与えられるべきは、裁きである。かつて古い書に記された、天より下る滅びの炎——メギドの火が、堕落した都市を焼き尽くしたという。今、我らの手にあるこの力もまた、いずれ同じ役割を果たすことになるであろう」
どこか陶酔したような響きが、演説の端々ににじんでいた。
「臆することはない。これは侵略ではなく、宙域に生きる全人類のための、避けられぬ審判なのだ。諸君らの一機一機が、その裁きを支える炎の欠片である。ジーク・ジオン!」
放送はそこで唐突に切れた。詩的な比喩に彩られてはいたが、要するに、これから起こることを正当化するための前置きだと、聞いていて分かった。
「……言葉だけは、いつも立派よね」
リリアの声が、独り言のように無線へ漏れた。誰も相槌を打たなかった。
入れ替わるように、艦長からの短い声が入った。
「目標識別、確認された。指揮官はレビル中将——連邦軍主力艦隊、その本隊で間違いない」
艦長の声が、わずかに硬さを増した。
「艦艇数で言えば、向こうはこちらの三倍。だが、恐れることはない。奴らにあってこちらにないものは何もなく、こちらにあって奴らにないものがある。モビルスーツだ。ここでの決着が、戦局全体を左右する」
続けて、参謀の声。
「灰狼隊は艦隊本体にはまだ触れるな。まず敵の艦載機を掃討し、本隊の突入路を切り開け」
その言葉に、余計な気負いを削がれた気がした。今考えるべきことは、目の前の敵機を一つでも多く減らすことだけだった。
「行くぞ」
ミロの声は、いつもより短く、鋭かった。誰も答えなかったが、それで十分だった。
発進のブザーが鳴る。カタパルトのラッチが外れる感触と同時に、背もたれに全身を押しつけられる加速度がかかった。射出。視界が白く飛び、次の瞬間には漆黒の宙域だった。
まず目に入ったのは、ゆっくりと漂う残骸の群れだった。数十分前まで行われていた核弾頭の応酬——その痕跡が、まだ冷え切らないまま漂っている。原形を失った艦の骨組み、装甲板の欠片、識別信号を発しなくなった僚艦のIFFの空白。コックピット右下、放射線量を示すインジケータが黄色く点灯したままだった。出撃前のグラムの忠告が、頭の奥で鳴っている——残留放射の濃い区画へ長時間留まるな。
【第一次出撃】
武装確認。今日は三人とも同じ構成だった。マシンガン一挺、予備マガジン二本、計三百発。空になったマガジンは投げ捨てず、デコイとして使う。速度こそが命綱になる出撃だった。
「ウルフ1より各機、目標は敵艦載機。本隊の突撃路上に群がっている連中を、片っ端から削れ」
残骸の向こうに、機影の壁が見えた。
「……嘘だろ」
思わず声が漏れる。息が浅くなっているのが自分でも分かった。コックピット内の温度が上がる前から、額に汗が浮いていた。
「数、数えるな。考えるだけ無駄だ」
ミロの声が即座に飛んできた。
「行くぞ、散開!」
三方向に散る。スラスターの推力が背中に食い込み、内臓が押し潰されるような加速度がかかった。視界いっぱいにセイバーフィッシュとトリアーエズが群がり、一機を照準に捉えた瞬間には、もう二機、三機が視界に割り込んでくる。レーダーの警告音が、絶え間なく鳴り続けていた。
「くっ——」
機体を横に振って射線を逃れる。すれ違いざま、右肩の装甲を何かがかすめた。焦げるような振動が伝わってくる。空のマガジンを一つ、後方へ投げ捨てた。
「食いついた!」
誘爆かと見紛う反応を見せたセイバーフィッシュへ、マシンガンを叩き込む。装甲を食い破る手応えが、操縦桿を通して腕まで伝わってきた。
「一機!」
「同じ手は通じないぞ、次は読まれる!」
ミロの声が飛ぶ。分かってる、と答える余裕もなく、機体をひねって次を探す。視界の隅で、味方機の一機が被弾し、大きく機体を振られているのが見えた。
「二番機、大丈夫か!」
「かすっただけだ、問題ない!」
短いやり取りが、それだけで済むことに、かえって緊張が増した。
「ウルフ3、右から二機来てるわよ!」
姉の声。振り向きざま、機首を振って一連射。
「くそ、逸れた——」
相手が急旋回で射線を外す。二射目、狙いを絞り込みすぎず、面で押さえるように撃ち直す。ようやく捉える。装甲の薄い胴体が、内側から弾けた。
「弾切れ、装填する!」
叫ぶように無線へ告げ、マガジンを外す。その数秒が、途方もなく長い。周囲を確認する余裕すらなく、ただ手だけを動かし続けた。
「リオン、下がって、そっちは私が見てるから!」
姉のマシンガンが、代わりに周囲を薙ぐ音が無線越しに響く。背後に何かの爆発が起き、機体が軽く揺れた。
「装填完了、戻る!」
照準を戻した瞬間、また新手が視界に入った。終わりが見えない、という感覚が、初めて頭をよぎった。
「くそ、こっちも切れた、装填!」
ミロの声。振り返ると、ミロの機体が推進を落とし、無防備な背中を晒していた。マガジンを引き抜く手の動きが、コックピットの向こうにまで想像できるくらい、機体の挙動が硬く止まっている。
「見えてる、そのまま動くな!」
叫びながら機体を割り込ませる。ミロへ向かって突っ込んでいたセイバーフィッシュの鼻先を、横合いから連射で薙ぎ払った。被弾した機体が錐揉みしながら火花を撒き散らし、視界の外へ流れていく。
「悪い、助かった」
その声の直後、ミロの機体の前腕に火花が散った。庇ってもらった代わりに、無防備になった側面へ一発もらったらしい。
「かすっただけだ、続けるぞ」
「こっちも二機落とした。だが減った分だけ湧いてくる!」
ミロの声にも余裕がない。それでも統率だけは失っていなかった。
直後、姉の機体からも短い声が飛んだ。
「マガジン切れた、少しだけ抜けるわね!」
姉が機体を反転させ、背中を庇うように機首を下げる。その隙を狙って左右から挟み込もうとするトリアーエズ二機に、ミロが即座に反応した。
「そっちは俺が見る、装填に専念しろ!」
ミロの機体が、姉の頭上を掠めるように旋回しながら二機の進路へ割り込む。装甲同士がすれ違う寸前の距離で機首を振り、連射を浴びせる。一機が推進部から炎を噴き、もう一機が慌てて離脱していったが、離脱際の一撃が姉の機体の肩口を掠めた。装甲がひしゃげる音が、無線越しにも届く。
「姉さん、大丈夫か!」
「平気、装甲が持ってってくれただけ」
「装填完了、戻るわよ!」
姉の声が響いた瞬間には、もう三人とも元の位置に戻っていた。誰かが欠けている一瞬を、別の誰かが埋める。予備はもう残り少ない。悠長に繰り返せる余裕など、どこにもなかった。
「そっちの右翼、数が飽和してる。そこの小隊、そっちは俺たちが持つ、お前らは左に回れ!」
聞き覚えのない僚機の声が割り込む。
「了解、左を空ける!」
ミロが即答し、編隊ごと進路を切る。左へ切り返す一瞬、視界の端に、右翼を引き受けた僚機が正面から突っ込んでいくのが見えた。名前も顔も知らない誰かが、こちらの代わりに数を引き受けている。
「そっちは任せろ!」
「こっちは持ちこたえる!」
あちこちから飛び交う声。押されているだけじゃない、という実感が、その声のやり取りだけで伝わってきた。
「まだ来る、右前方、四機!」
「見えてる、任せろ!」
息が上がる。照準が合うまでの一瞬が、いつもの何倍も長い。汗が目に染みても、拭う余裕はなかった。それでも、視界の端では、僚機のマシンガンの曳光弾と、遠く味方艦列から放たれる艦砲のビームが、敵の隊列を確実に食い荒らしていくのが見えた。数の暴力に押し潰されそうになりながらも、こちらの陣形そのものは、崩れていなかった。
「弾薬、もう残り一割切ったわ!」
姉の声に、ミロが即座に応じる。
「全機、そこまでだ。稼働も限界近い。引き上げるぞ」
「弾切れ間近、一旦帰投する」
残弾を確認し、編隊を組み直す。深追いせず、決められた通りに引き上げた。全弾を撃ち尽くしたが、突撃路の一角は、確かにこちらの手で切り開かれていた。
ムサイのカタパルトデッキに戻ると、ハッチが開く。降りた瞬間、両足に力が入らないことに気づいた。ハンガーの手すりに掴まりながら、機体を降りる。
「お疲れ様、飲んで」
姉が水のパックを差し出してくる。受け取った手が、まだ小刻みに震えていた。ミロも、いつもより口数が少ないまま、壁に背を預けて座り込んでいる。
「次まで、三、四時間ある。今のうちに休め」
ミロの一言に、誰も異論を挟まなかった。仮眠室へ向かう足取りは、行きよりも重かった。
◆
カタパルトデッキは、静かな戦場に変わっていた。グラムはそう思っている。
派手な怒声こそ収まったが、手を止めた者は一人もいなかった。むしろ、ここからが本番だった。数分の応急処置では済まされない、装甲板そのものの交換や、内部フレームの精密検査が始まる。
「リオン機、右肩の装甲板、丸ごと交換だ。予備、まだあったな」
「ぎりぎり足りますが、次の機体分は使い切ります」
「構わん、今の三機を最優先にしろ」
クレーンが装甲板を吊り上げ、慎重に位置を合わせていく。溶接の火花が、暗いデッキのあちこちで瞬いていた。
「隊長機、前腕の当て板、外して溶接し直します。時間はかかりますが、次はもっと長く保ちます」
「頼む」
ミロ機の前腕から応急の当て板が剥がされ、本格的な補修に入っていく。急場しのぎでは、この先の出撃には持たない。
リリア機の左肩も同様だった。板金と樹脂で塞いだ応急処置を一度剥がし、フレームの歪みまで含めて丁寧に叩き直す。整備兵たちの手つきに、焦りよりも執念に近いものが見えた。
「装甲温度、完全に常温まで下げます。冷却材、追加で回してくれ」
三機の関節部から、再び白い蒸気が立ち上る。急場しのぎではない、じっくりと芯まで冷やすための時間だった。
弾薬庫からは、次の出撃用にバズーカのマガジンが運び出されてくる。マシンガンでの掃討は、この二回で終わりだと聞かされていた。次に積むのは、もっと重く、もっと不穏な装備だった。
グラムは整備班の隊員たちを見回した。誰もが同じ顔をしていた。祈るような、それでいて何も祈れないような顔。手を動かすことでしか、この時間を埋められない者たちの顔だった。
三時間が過ぎた頃、三機の装甲はどれも、次の出撃に耐えられるだけの補修を終えていた。継ぎ接ぎだらけではあったが、少なくとも足を引っ張る箇所は潰してある。
「上出来だ」
誰へともなく、グラムはそう呟いた。
◆
【第二次出撃】
仮眠室の照明で目を覚ますと、まだ体の芯に疲労が残っていた。それでも、招集のブザーは待ってくれない。ノーマルスーツは脱いでいない。いつ母艦本体が被弾してもおかしくない状況で、脱ぐという選択肢はなかった。ヘルメットだけを被り直し、コックピットへ向かう足取りは、来た時よりいくらか軽かった。
カタパルトに機体が固定される感触。二度目の射出は、一度目より重く感じた。休んだはずなのに、それとも同じ光景をもう一度見るという予感のせいなのか、自分でも判断がつかなかった。
残骸の海を抜けた先には、第一波を上回る数の敵機が展開していた。本隊の突撃路を守り直そうとする、増援の第二波だった。
あちこちに散らばったザクの機影が、同じように敵機の群れへ突っ込んでいく。無線には、聞き覚えのないコールサインが絶えず飛び交っていた。
「こちら第三小隊、右翼に展開する!」
「第七小隊、援護に回る、そちらは正面を頼む!」
誰かが崩れれば、別の誰かがすぐにその穴を埋める。灰狼隊の三機も、その巨大な網目の一つに過ぎなかった。
「……マジかよ」
誰かのつぶやきが漏れる。今度は誰のものか、はっきり分かった。自分の声だった。
「数が増えてる。焦らず削れ」
ミロの声は、それでも落ち着いていた。
「行くぞ!」
「散開!」
真っ先に迫ってきた一機へ、引き金を引く。銃口が明滅し、発射炎が視界の端を白く焼いた。フレームが震える。
「一機、落とした!」
「まだ来る、右奥にも群れてる!」
姉の声。連射で空になったマガジンを、後方へ投げ捨てる。誘爆かと見紛う反応を見せた一機の隙を突き、側面へ回り込んだ。
「食いつけ、食いつけ……よし!」
曳光弾の帯を追うように機体を振り、また引き金を引く。
「くそ、今日は一発が重い……!」
喜ぶ間もなく、レーダーに新たな反応。三機、四機と、まとまって突っ込んでくる。それだけではない。視界の奥では、別の小隊が同じような大群に飲み込まれかけているのが見えた。
次の一機、装甲の継ぎ目を狙って連射を叩き込む。姿勢を崩し、推進を落としたセイバーフィッシュに、止めを刺そうと照準を合わせ直した、その時だった。
「そいつはもらった!」
横合いから飛び込んできたザクが、瀕死のセイバーフィッシュへヒートホークを叩き込む。撃墜の表示が、こちらではなく別のコールサインへと記録されていくのが分かった。
「おい、それ私が——」
「悪いな、目の前にあったもんでね!」
軽口とともに、そのザクは次の獲物へ向けて離脱していく。文句を言う暇も惜しい。それでも、腹立たしさより先に、どこか安心する自分がいた。誰かが取りこぼしても、別の誰かが必ず拾ってくれる。この乱戦の中で、確実に機能している何かがあった。
「リオン、正面!」
ミロの声に反応する前に、機体が勝手に動いていた。急旋回、スラスター逆噴射。かろうじて正面衝突を避ける。
「くそ、囲まれてる——」
左右と背後、三方向から一斉に射線が向けられているのが分かった。逃げ場を探す間もない。
「下よ、抜けなさい!」
姉の声。考えるより先に、機体を真下へ落とす。頭上を、トリアーエズの編隊が通り過ぎていく。間一髪だった。
「助かった、恩に着る!」
「お礼はあとで、今は手を動かして!」
叱咤するような声にも、どこか安堵が滲んでいた。
「次、来るぞ!」
装填、スライドを引く。引き金を絞ると同時に、銃身が震えた。
「一機!」
「囮、いくぞ!」
空のマガジンを投げ捨て、隙を突く。
「まだまだ!」
「そっちも空けろ!」
あちこちで飛び交う短い報告。視界の隅では、他小隊の発射炎と爆散が絶え間なく明滅していた。
「この一角だけで、一体何十機いるんだ……!」
「数えるな、次だ!」
囮を投げ、また撃つ。単調なはずの動作が、繰り返すたびに指先の感覚を奪っていった。
「そっちの二機、私が引きつける!」
姉の声。機体を大きく振って、セイバーフィッシュ二機の注意を引く。その隙に、リオンは側面から回り込み、一機ずつ確実に仕留めた。
「ウルフ3、残弾は」
「もう予備はない、これが最後だ!」
答えながらも、頭の中で数字が減っていくのを感じていた。今装填している一本を撃ち尽くせば、それで終わりだった。
その最後の一本も、あっという間に空になった。
「弾切れ!」
叫んだ瞬間、手元に予備はもうなかった。全弾を撃ち尽くしていた。武器を失った機体で、この只中に留まることは、そのまま死を意味する。
視界の端、漂う残骸の中に、動かなくなったザクの機体が目に入った。この日の緒戦か、あるいはもっと前の戦いで墜とされた誰かの機体。右手に握られたマシンガンと、腰のマガジンラックだけが、まだ無傷のまま漂っている。同じジオニック社製、規格は共通のはずだった。
「そっち行くから、少しだけ時間くれ!」
「了解、こっちで引きつける!」
ミロの声が答える。姉の機体も、進路を変えて残骸との間に割り込んだ。二人の援護を受けながら、機体を寄せる。
「借りるぞ」
誰に向けた言葉でもなかった。残骸の手からマシンガンをもぎ取り、腰のマガジンラックごと引き剥がす。ディスプレイに、見慣れた残弾表示が浮かんだ。ラックに入っていたのは二本、どちらも七割ほど残量が減っている。使い古しではあったが、無いよりはましだった。
「隊長、そちらにも回します、取りに来てください!」
「助かる!」
一本を投げ渡す。ミロの機体が受け取ると同時に、隊列へ引き返した。
「弾薬、まだあるぞ!」
「上出来だ、さっさと戻ってこい!」
ミロの声に押されるように、隊列へ戻る。拾い物であることに、感謝はあっても不満はなかった。狙いを外さなければ、それで十分だった。一機、また一機。
だが、七割程度の残量は、あっという間に底をついた。
「くそ、こっちも切れた!」
ミロの声。振り返る余裕もなく、次の言葉を待つ。
「マガジンはもうねえ、適当な得物を拝借する」
ミロの機体が、漂う残骸の間を縫うように進路を変えた。目に留まったのは、原形をほとんど失った僚機の残骸に括りつけられたバズーカだった。
息を呑んで見守る。初陣の日、ミロがバズーカ一発でセイバーフィッシュを落とすのを、この目で見ている。あの時と同じだ、と分かっていながらも、何度目にしても信じがたい光景だった。
ミロが引き金を引いた。放たれた一発は、重力も抵抗もない宙域を、ただ真っ直ぐに進んでいく。狙ったのは今いる場所ではなく、旋回を終えたセイバーフィッシュが次に通るはずの空間だった。弾速の遅さを承知の上で、その一点だけを撃ち抜いていた。
直撃。爆炎が視界いっぱいに広がる。
「……さすがですね」
何度見ても、慣れる気配がなかった。弾速の遅い武器で、動き続ける的を正確に叩き落とす。理屈の上では、できるはずのない芸当のはずだった。
「口開けてる暇があったら手を動かせ」
ミロの声には、笑いが混じっていた。
姉のマガジンも、それから間もなく空になった。
「私も弾切れ、装填する!」
叫びながらマガジンを引き抜く。最後の一本を叩き込むまでの数秒、姉の機体が無防備に晒される。
「見てる、そのまま続けろ!」
声を上げながら、姉を狙って迫っていた敵機の前へ、割り込むように機体を滑らせた。拾い物のマシンガンで、正面から連射を浴びせる。
「装填完了!」
姉の声が響いた瞬間には、また三人とも元の位置に戻っていた。だが、これで全員が最後の一本を使い切ったことになる。次に切れれば、もう拾うあてもなかった。
「くっ——燃料残量、警告出てる」
ミロの声に、緊張が走る。
「あと何分保つ」
「十分ってところだ。それまでに片付けるぞ」
残弾も燃料も、確実に底をついていく。それでも敵の数は、目に見えて薄くなり始めていた。一機を墜とし、また一機。単純な作業の繰り返しが、少しずつ空を開けていく。
「弱まる気配、まるでねえぞ!」
誰かの声が無線に響く。
「退く気配もない。負けたら地球ごと終わりだからな、あいつらも!」
「こっちも退けねえのは同じだ、本隊が丸見えになる!」
「なら、削るしかないでしょ!」
姉の声。短い応酬が、そのまま答えだった。
「一機!」
「もう一機!」
「まだ来る、まだまだ来るぞ!」
叫び合いながら、それでも確かに密度は薄くなっていく。押しても引かない相手を、押し切るまで削り続ける。それしか道はなかった。
「突撃路、確保できた。艦隊本体、前進を開始する」
艦長の通達が入る。だが、それで肩の力が抜けるわけではなかった。
「本番はここからだ」
ミロの声に、噛み締めるような響きがあった。
「本番って……まだ終わってないのか」
思わず声が漏れる。
「当たり前だ。突撃路を開けただけだぞ」
「艦隊本体への攻撃、これからだからね」
姉の声にも、既に覚悟が滲んでいた。
「相手は艦載機じゃない。レビル艦隊の主力艦、そのものだ」
ミロの一言に、誰も返す言葉がなかった。
「とにかく、まずは補給だ。話はそれからにしよう」
「賛成」
姉の即答に押されるように、編隊は帰投針路を取った。
◆
カタパルトデッキに三機が収まると同時に、グラムは配置の指示を切り替えた。今度は、これまでとは違う。
「マシンガンは全部下げろ。次からはバズーカだ、ラックごと積み替える!」
台車に載せられて運ばれてくるのは、いつもより一回り大きいラックだった。装填にも、これまでの倍近い手間がかかる。
「グラムさん、私のだけ、マシンガンも残してもらえない?」
姉が、機体を降りる前に無線越しに割り込んできた。
「あ? 積載量、考えてんのか」
「考えてる。今回、私は周囲警戒も兼ねる。バズーカだけじゃ、近づかれた時に何もできない。二人を守るにも、機動力のある武器が要るの」
グラムはしばし黙り、それから短く息を吐いた。
「……分かった、お前の機体だけ両方積む。その分、他を削るぞ」
「それで構わない」
短いやり取りの後、姉の機体のラックにだけ、バズーカとマシンガンが並んで固定されていく。他の二機より、明らかに重装備だった。
「照準ユニットの調整、精度を上げとけ。相手はでかい図体だが、急所は狭い」
整備兵たちが機体の肩口に取りつき、慣れない大型ラックの固定に手間取っている。舌打ちしながらも、グラムは自ら工具を握って手を貸した。
その間、パイロットたちはハッチを開けて機体を降りていた。ヘルメットを外し、簡易の携行食を立ったまま口に運んでいる姿が、遠目にも見える。誰も座り込む余裕まではないようだった。近くの狭い区画へ駆け込んでいく者もいる。この短い時間しか、体を空にする機会はない。
その頭上を、別の編隊が次々とカタパルトへ吸い込まれていく。灰狼隊が休んでいる間も、戦場が止まることはなかった。
「第十二独立小隊、発進します!」
「第五強襲中隊、続けて出ます!」
名だたる腕利き揃いの部隊が、入れ替わり立ち替わり出撃していく。休む間もなく戦い続けているのは、灰狼隊だけではなかった。この宙域全体が、絶え間ない出撃と帰投の繰り返しで回り続けている。
その中に、ひときわ目を引く機影があった。他のザクと同じ形のはずなのに、塗装だけが違う。見慣れた鮮やかな赤とは違う、どこか彩度を抑えた、くすんだ赤だった。
「……なんだ、あの赤い機体は」
思わず呟く。カタパルト脇にいた整備兵の一人が、横目でそれを追いながら答えた。
「知らねえのか。新参の中尉殿だよ。何度か戦果を挙げてるって噂は聞くが、詳しいことは俺らにも回ってこねえ」
赤い機体は、他のどの編隊よりも滑らかな挙動でカタパルトに収まり、一瞬で闇の中へ消えていった。名前も知らない誰かの背中を見送りながら、妙な胸騒ぎだけが残った。
グラムは、それを横目で見ながら、ラックの固定を終える。
「よし、繋がった。動作確認、頼む」
「異常なし」
「こっちも問題ない」
整備班の短いやり取りが続く中、装甲の冷却にはまだ時間がかかるという。今度も、次の出撃まで三時間ほど待つことになった。
仮眠室に戻ると、体を横たえた瞬間、指先から力が抜けていくのが分かった。二度の出撃を終えた体は、思っていた以上に磨り減っていた。まぶたが重い。それでも、頭の芯だけは妙に冴えたままだった。眠ろうとしても、さっきまでの光景が瞼の裏でちらつく。
「まだ寝ないの?」
姉の声。壁際に座り込んだまま、水のパックを口に運んでいる。
「寝ようとはしてる」
「無理しないで、寝られる時に寝ておかないと保たないから」
その忠告に頷きながらも、体を起こす気力もないまま、ただ天井を見上げていた。ミロは既に眠っているのか、規則正しい息だけが聞こえてくる。三時間、という区切りが、これほど短く感じたことはなかった。
三人が再びハッチへ向かう足音が聞こえたのは、それからしばらくしてのことだった。
◆
「グラムさん、これは……」
整備の終わった機体を見上げ、思わず声が出る。
「見りゃ分かるだろ。艦相手に豆鉄砲は効かねえ」
グラムがニヤリと笑う。
「今度は的がでかいだけマシだと思っとけ」
軽口には聞こえなかった。誰もが、その言葉の裏にある意味を、正しく理解していた。
「装備、これで足りるのか」
「足りねえと困る。片付くまで、戦い続けるしかねえんだからな」
やり取りを聞きながら、コックピットへ向かう。シーマの小瓶に、触れるだけ触れた。
「今日は、まだ終わってないみたいだな」
誰に向けた言葉でもなかった。