機動戦士ガンダム ランダムウォーカー   作:うーまろー

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第二十二話

 最初に戻ってきたのは音だった。

 遠くで何かが軋むような、規則正しい機械音。それから、消毒液の匂い。しばらくの間、自分がどこにいるのか分からなかった。

 瞼の裏に、まだ焼き付いている光景がある。飛び交う曳光弾、次々と崩れていく敵機のシルエット、誰かの悲鳴のような無線越しの叫び。だがそれらはどれも輪郭がぼやけていて、まるで他人の見た夢を覗き込んでいるような感覚しかない。自分がどう動いたのか、何機落としたのか、はっきりと思い出せない。ただ、身体の奥に、燃え尽きたあとの灰のような重さだけが残っていた。

 目を開けると、白い天井があった。

「……気づいたか」

 声のした方に顔を向けると、簡易椅子に腰掛けたミロ隊長がいた。目の下の隈は前よりも濃くなっていて、腕を組んだままこちらを見下ろしている。

「隊長……ここは」

「艦の医務室だ。丸一日近く眠ってた」

 喉が張り付いて声が掠れる。起き上がろうとすると、身体の節々が鈍く痛んだ。ミロ隊長の手が肩を押さえて止める。

「動くな。医官がまだ本調子じゃないと言ってた」

 そこまで言われて、ようやく一番聞きたかったことを思い出す。

「姉さんは」

 声が震えた。ミロ隊長は少しの間、答えなかった。その沈黙だけで、最悪の想像が頭をよぎる。

「生きてる。すぐそこのベッドだ」

 その言葉に、詰めていた息を吐き出した。視線を巡らせると、隣のベッドに横たわる姉さんの姿があった。顔には包帯が巻かれ、腕には点滴の管が伸びている。胸はゆっくりと上下していた。生きている。それだけで、身体の力が抜けそうになる。

「目は、まだ覚めてない」

 ミロ隊長が続けた言葉が、その安堵に水を差した。

「機体ごと衝撃を受けてる。医官の話じゃ、命に別状はないが、いつ目を覚ますかは分からないそうだ」

「詳しいことは、ここでは分からないみたいだ。早いとこ本国に送って、ちゃんとした施設で検査を受けさせないと」

「……そうですか」

 それ以上、何を聞けばいいのか分からなかった。無事だと言われても、目の前で眠ったまま動かない姉さんを見ていると、安心と不安が同時に胸を締め付ける。

 しばらく沈黙が続いた後、ミロ隊長が椅子から身を乗り出した。

「リオン。お前に聞きたいことがある」

「なんですか」

「最後の方、お前が何をしてたか覚えてるか」

 問われて、もう一度記憶を辿ろうとした。だが霧の向こうにあるように、はっきりとした形を結ばない。マシンガンの重み、次々と照準に入る敵機、何かに突き動かされるように引き金を引き続けた感覚だけがある。

「……はっきりとは。夢中で」

「夢中、か」

 ミロ隊長の声が硬くなった。

「お前は、あれは普通じゃなかった。被弾はしても、致命傷になる一発だけは全部避けてた。まるで、先の先まで見えてるみたいに」

「そう、なんですか」

「自分でも分からないなら、なおさら怖いな」

 ミロ隊長はそこで一度言葉を切り、真っ直ぐにこちらの目を見た。

「聞くが、あれは自分の意思でできることなのか。やろうと思えばまたやれるのか、それとも気づいたらそうなってた、ってだけなのか」

「……分かりません。気づいたら、という方が近い気がします」

「そうか」

 短くそう返した後、ミロ隊長の声が一段と低くなった。

「もし多少なりとも自分の意思でどうにかなるようなら、今後は二度と使うな」

「どうしてですか。あれのおかげで、姉さんの敵を」

「だからだ」

 言葉を遮って、ミロ隊長は続けた。

「あれは、生身の人間が耐えられる領域のものじゃない。今回はたまたま身体が保っただけだ。自分の意思で引き出せるようなものなら、次はお前が壊れる番になる」

 その言葉には、労いではなく明確な警戒の色があった。何も返せなかった。

「隊長」

「なんだ」

「あのとき、もし姉さんを守れてたら」

 言いかけた言葉を、ミロ隊長が鋭く遮った。

「やめろ」

「でも」

「もしもの話をしても、何も変わらない。それより、今できることを考えろ」

 口を噤んだ。ミロ隊長はしばらくこちらを見つめたあと、少し声を落として続けた。

「リリアが目を覚ますまで、お前が代わりに死ぬ気で戦うとか、そういうことを考えてるなら今のうちに捨てとけ」

 図星だった。姉さんが目を覚まさないなら、せめて自分がその分まで戦って、償わなければならない。そんな思考が、意識のどこかで既に形を持ち始めていたことに、指摘されて初めて気づいた。

「お前が無茶をして死んだら、目を覚ましたリリアが一番傷つくのは誰だと思ってる」

 返す言葉がなかった。

「生きるために戦え。俺がお前に言ったことだ。死ぬために戦うようになったら、それはもう本末転倒だ」

 ミロ隊長の言葉は淡々としていたが、その分だけ重かった。小さく頷くことしかできなかった。

 そのとき、医務室の扉が開いて、グラム整備班長が顔を覗かせた。

「おう、目ぇ覚めたか坊主」

 いつもの気安い口調だったが、その目には安堵の色が滲んでいた。

「機体の方はどうですか」

 まだ横になったまま尋ねると、グラム班長は片手を挙げて応じた。

「お前のはまあ、肩と脚の装甲がお決まりみたいに逝ってるだけだ。おまけに関節のあちこちにガタが来てるが、それも含めてもうすぐ終わる。毎回よくもまあ、そこまで綺麗に痛めつけて帰ってくるもんだと感心するよ。リリアの方の旧ザクは……まあ、原形を留めてなかったな」

 その言葉に、あらためて姉さんが受けた衝撃の大きさを実感する。あの機体が身代わりになってくれたから、姉さんはまだ息をしている。

「艦隊の方は」

 ミロ隊長が話を変えるように口を開いた。グラム班長が答える。

「本隊からの通達だと、ルウムの連邦艦隊は完全に敗走したそうだ。この宙域はもう当分こっちのもんだろう」

 勝った。それが遠い出来事のように感じられた。

 視線を、隣で眠り続ける姉さんの寝顔に戻した。ポケットの中に、シーマ少佐から貰った小瓶がまだ入っていることを、指先の感触で確かめる。「絶対に、生き残れよ」――あの言葉を、今度は自分自身にではなく、まだ目を覚まさない姉さんに向けて、心の中で繰り返した。

 姉さん、頼むから、目を覚ましてくれ。

 白い天井の下で、ただそれだけを願い続けた。

◇

 そのとき、天井に取り付けられたスピーカーから、艦内放送のノイズが響いた。

『艦内の諸君に告げる。参謀部より戦況の共有がある』

 聞き覚えのある、参謀の硬い声だった。医務室の中にいた者たちが、皆一様に視線を上げる。

『まず、ルウム宙域における連邦軍主力艦隊は完全に潰走した。敵総指揮官レビル中将の身柄はこちらで確保している。第二次ブリティッシュ作戦は、これを受けて一時中断とする』

 中断、という言葉に、横のミロ隊長へ視線を向けた。ミロ隊長は腕を組んだまま、じっとスピーカーを見上げている。

『なお、此度の激戦において我が軍もまた少なくない損害を被ったことをここに報告する。だが特筆すべきは、連邦軍側が被った艦艇及び人員の損耗が、我が方のそれを大きく上回っているという事実だ』

 参謀の声は淡々としていたが、その内容は決して淡々としたものではなかった。何倍もの数を、連邦軍は失ったということだ。

『ここまでで連邦軍主力艦隊はほぼ壊滅状態にあり、加えて総大将格であるレビル中将の身柄も既にこちらの手中にある。あとは我が方から降伏勧告を突き付けるだけで事足りるだろう、というのが参謀部の見立てである』

 放送はそこで一度区切られ、最後に付け加えられた。

『――以上、共有を終わる。各員は引き続き最低限の警戒を維持されたし。なお、艦隊は順次サイド3へ帰還する』

 ノイズが切れ、医務室に静けさが戻る。しばらくしてグラム班長が、誰へともなく呟いた。

「終わる、か。言葉にすると簡単だな」

「でも、さっきの放送を聞いた限りだと、そう遠くない話のような気もします」

 そう言うと、ミロ隊長は小さく息を吐いた。

「そうであってほしいとは思う。だが、こっちの見立て通りに事が運ぶとは限らない」

 その言葉に、何も返せなかった。総帥の演説では威勢のいい言葉ばかりが並んでいたのを思い出す。姉さんなら、きっとまた皮肉のひとつも言っただろう。だが今、その声は隣のベッドで沈黙している。

 戦争が終わるかもしれない。それは喜ぶべきことのはずなのに、胸の中には安堵よりも先に、割り切れない重さだけが残っていた。

◇

 サイド3への帰投は、三日後、艦内時間で夜間帯に入った頃だった。

 医務室の小さな窓からは見えなかったが、格納庫のハッチが開いた瞬間、久しぶりに見るコロニー内壁の、夜間モードに落とされた薄暗い明かりが目に飛び込んできた。人の暮らす場所の匂いが、艦の中とは違う空気を連れてくる。

 だが、そんな懐かしさに浸っている余裕はなかった。

「搬送は、明日の朝だそうだ」

 医務室に顔を出したミロ隊長が、そう告げた。着岸したのがこんな時間だ、病院側の受け入れ準備も夜が明けてからになるらしい。姉さんは相変わらず眠ったままで、点滴の管も、包帯の位置も変わっていない。ただ、艦の揺れが収まったからか、心なしか呼吸が落ち着いて見えた。

「本国の、どこに」

「サイド3の第二中央病院だ。艦の医務室にはない検査機器が一通り揃ってるし、専門の医官もいる」

「付き添いは、出来ないんですか」

 ミロ隊長は少し間を置いてから、首を横に振った。

「休暇は出るが、そう長くはない。表彰式の話も出てるらしくて、上の方はその準備でてんてこ舞いだ。それと、パイロットは漏れなく全員、丸一日かけてメディカルチェックを受けることが決まってる。搬送の付き添いは、後方の担当が別についてる」

 分かってはいた。艦を降りてすぐの通路でも、すれ違う人間の顔つきがどこか浮ついていた。ルウムでの大勝と、レビル中将捕虜の一報は、既に本国中に広まっているらしい。まるで戦勝国にでもなったかのような空気が、街のあちこちに漂っている。それでも、姉さんが目を覚まさないまま、知らない誰かに預けられていくことに、言いようのない不安が拭えなかった。

「心配なら、今のうちに会っておけ。搬送前なら、まだこの部屋にいる」

 その言葉に頷いた。

 ミロ隊長が部屋を出て行った後、しばらく姉さんの寝顔を見つめていた。士官学校に入る前、まだ子供だった頃の記憶が、ふと蘇る。生意気な弟の頭を、乱暴に撫でてくる手のひらの感触。あれからもう、随分と長い時間が経った気がする。

「姉さん」

 声をかけても、返事はない。分かっていて、それでも呼びかけずにはいられなかった。

「明日、本国に運ばれるってさ。ちゃんとした病院で、ちゃんとした検査を受けて、それで――」

 言葉が続かなかった。それで目を覚ましてくれ、と続けようとして、その保証がどこにもないことに気づいてしまったからだ。

 代わりに、ポケットからシーマ少佐の小瓶を取り出した。栓を開け、微かに香るコロンの匂いを確かめる。士官学校で最後に会ったあの日も、あの人はいつもと変わらず、涼しい顔でこの匂いを纏っていた。

「絶対に、生き残れよ」

 あの日、シーマ少佐がかけてくれた言葉を、そのまま姉さんに向けて口にする。応える声はなかったが、それでいいと思った。言葉は、届く相手のためだけにあるとは限らない。

 翌朝、担架に乗せられた姉さんが、後方要員の手で艦を降りていくのを、ハッチの脇から見送った。ミロ隊長もグラム班長も、少し離れた場所から同じように見ていた。誰も、多くを語らなかった。

「必ず、良くなる」

 グラム班長が、独り言のように呟いた。誰に向けた言葉でもなかったが、その場にいた全員が、同じことを願っていたのだと思う。

 姉さんの姿がコロニー内壁の街並みに消えていくのを見届けてから、もう一度、格納庫の奥を振り返った。機体は既にドックへ引き渡され、本国仕様の総点検を受けている最中だった。搭乗できるようになるまでには、まだしばらくかかるらしい。

「ほら、渡しとくぞ」

 グラム班長が、小さなデータチップを二枚、こちらとミロ隊長にそれぞれ差し出した。

「機体を本国のドックに預ける前に、OSと機体カメラの記録、両方コピーしといた」

「わざわざですか」

「本国のドックに入ると、ついでにOSのアップデートを突っ込まれることがある。そうなると、今までの記録が上書きで消えちまう場合があるからな。念のためだ」

 ミロ隊長は受け取ったチップを黙って懐にしまった。同じように、渡されたチップをポケットの中、シーマ少佐の小瓶と並べてしまい込む。ここまでの戦いの記録が、この小さな板一枚に収まっているのだと思うと、妙な実感の湧かなさがあった。

「まあ、使う機会がないのが一番なんだけどな」

 グラム班長はそう言って、いつもの気安い調子で肩をすくめた。

「戦争が終わるかもしれない、か」

 誰へともなく呟いた言葉に、ミロ隊長が短く応じた。

「終わってほしいとは思う。ただ、正直なところ、そこまで簡単に片がつく気はしてないんだよな」

 その言葉には、参謀部の見立てとは違う響きがあった。何も言えず、ただ格納庫の天井を見上げた。姉さんのいない、がらんとした格納庫を眺めながら、この先に何が待っているのか、まだ何も分かっていなかった。

◇

 パイロット全員に義務付けられたメディカルチェックの順番が回ってきたのは、その日の昼過ぎだった。

 場所を告げられた瞬間、心臓が小さく跳ねた。姉さんが運ばれたのと同じ、第二中央病院。指定された階は違ったが、この建物のどこかに姉さんがいるのだと思うと、足取りが自然と早くなる。

 コロニー内をシャトルで移動する間、窓の外には見慣れた光景が流れていった。人工太陽の光の下、緑地には子供たちの姿があり、大通りには軍旗や垂れ幕まで掲げられている。ルウムでの勝利を祝う言葉が、そこかしこに躍っていた。誰もが浮かれた顔をしている。まるで、戦争そのものがもう終わったかのように。

 病院の正面玄関をくぐると、消毒液の匂いが鼻をついた。艦の医務室と同じ匂いのはずなのに、ここでは妙に他人行儀に感じられる。受付で名前と所属を告げ、案内された部屋でメディカルチェックを受けている間も、頭の片隅では常に姉さんのことを考えていた。

 検査は思いのほか長引いた。血液検査、反応速度の測定、脳波の計測。担当の医官はどれも淡々とこなしていったが、最後に一枚のグラフを見て、少しだけ眉を寄せた。

「何か、問題でも」

「いや……いくつか、規定値から外れてる項目がある。だが今すぐどうこうという話じゃない。念のため、後日もう一度診させてもらうかもしれない」

 それ以上は詳しく聞かせてもらえなかった。あの時、自分の中で何かが限界を超えていた、その代償が、まだどこかに残っているのかもしれない。そう思ったが、口には出さなかった。

 検査を終えて廊下に出ると、案内板に「病棟」への表示があった。姉さんが運ばれた病棟が、ここから遠くないことは、来る前に調べてあった。

 面会時間はまだ残っている。

 迷わず、その表示の方へ足を向けた。

 病棟のフロアは、検査エリアよりもさらに静かだった。足音を吸い込むような分厚い床材、規則正しく並ぶ扉。看護官に姉さんの名前を告げると、少し驚いたような顔をされた。

「もう来られたんですか。搬送されたのは今朝のはずですが」

「メディカルチェックのついでで。会えますか」

 看護官はカルテらしき端末に目を落としてから、頷いた。

「面会自体は構いません。ただ、意識はまだ戻っていません」

 分かっていたことだったが、実際に言葉にされると、胸の奥がまた重くなる。案内された病室の扉を開けると、艦の医務室で見たのと同じ寝顔が、今度は真新しいベッドの上にあった。管も機材も、艦の物より数段新しく、静かな駆動音を立てている。

「ずいぶん、いい設備ですね」

 思わずそう漏らすと、看護官が僅かに口元を緩めた。

「軍属の方は優先されますから。特に、今回の件でご活躍された部隊の方は」

 その言い方に、微かな違和感を覚えた。まるで、姉さんが眠っているこの状態すら、勝利の代償として片付けられているような響きがあったからだ。それ以上は何も言わず、看護官が部屋を出ていくのを見送った。

 ベッドの脇の丸椅子に腰を下ろす。艦にいた時と同じように、姉さんの手を取った。指先は温かかった。それだけで、少しだけ安心できる自分がいる。

「姉さん。検査、受けてきたよ」

 返事はない。それでも続けた。

「規定値から外れてる項目があるって言われた。大したことないとは思うけど……ちゃんと直しとかないとな。姉さんが起きた時に、情けないところ見せられないし」

 軽口のつもりだったが、声は思うように弾んでくれなかった。窓の外では、コロニーの人工太陽が、変わらず穏やかな光を降らせている。祝勝ムードに浮かれる街の喧騒は、この病室までは届いてこなかった。

 どれだけそうしていただろうか。廊下から近づいてくる足音と、看護官の声が聞こえた。

「ご家族の方が、いらしたようです」

 その言葉に頷いた直後、廊下から慌ただしい足音が近づいてきて、病室の扉が勢いよく開いた。

「リオン!」

 息を切らせた母さんと、その後ろに父さんの姿があった。二人とも、普段の身なりからは考えられないほど取り乱している。母さんは駆け寄るなり、両腕でこちらの肩を掴んだ。

「よかった……無事だったのね」

「無事だから、そんなに取り乱さないで」

 そう言おうとしたが、母さんの目はもう潤んでいた。父さんが横から、抑えた声で尋ねる。

「リリアは」

「まだ、目を覚まさない。さっきまで顔を見てきた」

 その言葉に、父さんの表情が僅かに強張った。母さんは口元を手で覆い、しばらく何も言えないでいた。それでも次に発した言葉は、リリアの容体についてではなかった。

「あなたが、無事で本当によかった」

 その一言に、堪えていたものが崩れた。姉さんがあんな状態になったのは、庇われたからだ。自分の判断が遅れたせいで、あの一撃を代わりに受けさせてしまった。分かっていたはずのその事実が、今更のように喉元までせり上がってくる。

「……ごめん」

 声が震えた。目の奥が熱くなって、堪える間もなく涙がこぼれた。

「姉さんが、庇ってくれたから」

 それ以上、言葉にならなかった。母さんが息を呑む気配がして、次の瞬間には、両腕で強く抱き寄せられていた。

「あなたのせいじゃない」

「でも」

「あなたのせいじゃないの」

 母さんは繰り返した。父さんも一歩近づき、震える声で続けた。

「悪いのは、私たちだ。お前たちを士官学校になんて入れなければ、こんな思いをさせずに済んだ」

「そんな……」

「私たちが、二人ともあの学校に入ることを許した。だから、これは私たちの責任だ。お前が背負うことじゃない」

 父さんの声は抑えていたが、その分だけ、長く抱えてきた後悔がにじんでいた。母さんの腕の中で、しばらく声を殺して泣いた。誰のせいでもないと分かっていても、誰かのせいにしなければ、この痛みをどこに置けばいいのか分からなかった。

「姉さんは、必ず良くなる」

 涙を拭いながら、そう口にした。今度は、誰かに向けた言葉というより、自分自身に言い聞かせるような響きになった。父さんが小さく頷き、母さんの肩に手を置いてから、ベッドの姉さんへと視線を移す。

「お前はもう行きなさい。まだやることがあるだろう?」

 その言葉に頷き、静かに病室を出た。閉じた扉の向こうから、微かに母さんのすすり泣くような声が漏れ聞こえてくる。

 振り返らずに、廊下を歩き出した。

 窓の外には、相変わらず祝勝ムードに浮かれた本国の景色が広がっている。垂れ幕の文字も、道行く人々の笑い声も、今はひどく遠いものに感じられた。握った拳の中に、爪が食い込む感触があった。痛みには気づかないまま、廊下を進む足だけが、やけに速くなっていく。

◇

 病院を出たところで、待ち合わせていたミロ隊長と合流した。

「面会、済んだか」

「はい。あと、両親も来てました」

 それだけ言うと、ミロ隊長は何かを察したように、それ以上は聞いてこなかった。

「次は人事部だ。スコアの確認と、諸々の手続きがある」

 案内された庁舎の一室は、病院とはまた違う種類の緊張感に満ちていた。担当官が机の端末を操作しながら、二人分の書類を並べる。

「まず戦果の確定から行います。灰狼隊、ミロ・ヴィンター大尉。サラミス級撃沈三、戦闘機撃墜八。リオン・ワーカー准尉――」

 担当官が一瞬、手を止めて画面を見返した。

「……戦闘機撃墜十九、ですか。本当に、この数字で間違いありませんか」

「間違いないはずですが」

「いえ、失礼しました。単独でこれだけの数を出す例は、なかなかお目にかからないもので」

 担当官はそう言って咳払いを一つ挟むと、姿勢を正して続けた。

「これらの数字は、開戦からこれまでの戦闘を通しての撃墜数として評価されています。お二方とも、我が軍の誇るトップエースです。つきましては、両名とも特別昇進の対象となりました」

「特別、というと」

 ミロ隊長が尋ねると、担当官は端末の画面をこちらへ向けた。

「二階級特進です。ミロ・ヴィンター大尉は中佐へ。リオン・ワーカー准尉は中尉へ」

 一瞬、何を言われたのか理解が追いつかなかった。ミロ隊長も珍しく、言葉を失っているのが分かった。

「……二階級、ですか」

「これほどの撃墜数を単独で挙げたパイロットは、そう多くありません。当然の評価だと思いますよ」

 担当官の口調には、心底感心しているような響きがあった。当然、という言葉が、妙に耳に残る。

「それと、こちらも合わせてお伝えしますね」

 担当官は端末をもう一度操作し、別の画面を開いた。

「リリア・ワーカー少尉についても、同様に二階級特進が決定しています。大尉へ、という辞令です」

「姉も、ですか」

「はい。今回は現場の戦果評価というより、上からの指示によるものだそうです。詳しい経緯までは、こちらでは把握していません」

「それと、明日の表彰式についてですが」

「出なきゃ駄目ですか」

 思わず尋ねると、担当官は書類から顔を上げ、はっきりと首を横に振った。

「両名とも出席は必須です。今回の特進者は式典の目玉になりますので、欠席は認められません」

 断る余地は最初からなかったらしい。ミロ隊長が小さく息を吐いた。

「分かりました」

「それでは、続けて危険手当と、撃墜数に応じた歩合分の申請手続きに移ります」

 担当官がタブレット端末を二台、机の上に並べた。

「こちらの欄に、所属・階級・氏名を。こちらは今回の出撃回数、こちらの欄には確定した撃墜・撃沈数を転記してください。数字はこちらで用意した確定値と一致していれば結構です」

 言われるままに、画面をタップして数字を打ち込んでいく。危険手当の欄、歩合の算定基準になる欄。指先で数字を入力するだけの単純な作業のはずなのに、自分が斃した機体の数を自分の手で打ち込むという行為には、妙な重みがあった。

「サインは、画面下の枠内にタッチペンで」

 指示された箇所にタッチペンでサインし、タブレットを担当官へ返す。ミロ隊長も隣で同じように、ペン先で画面をなぞって署名を済ませていた。

 担当官は受け取ったタブレットにざっと目を通し、頷いた。

「結構です。手当と歩合分は、来月分の給与に合算して支給されます」

「それと、明日の式典で授与される勲章についても、先にお伝えしておきますね」

 担当官が端末の画面を切り替え、二人分の一覧を表示した。

「ミロ・ヴィンター中佐には、一級ジオン十字勲章、ルウム戦役シールド、それにブリティッシュ作戦功労賞が授与されます」

「十字勲章、一級、ですか」

 ミロ隊長が僅かに眉を上げた。担当官は頷きながら続ける。

「リオン・ワーカー中尉には、二級ジオン十字勲章、白兵戦功章、ルウム戦役シールド、ブリティッシュ作戦功労賞です。お二人とも、これだけの数を一度に受けられる方は、そう多くありませんよ」

 勲章の名前を並べられても、実感はまるで湧かなかった。どんな形をしているのかも、どういう基準で等級が分かれているのかも、よく分かっていない。

「詳しい意匠や着用位置については、式典前に別途説明があります。今日のところは、対象者への事前通知ということで」

「分かりました」

「これで終わりですか」

「いえ、あと一件。階級が変わりますので、制服と階級証の申請、それから現行の物の返却手続きが必要です。そちらは総務部の管轄になりますので、このあと向かってください」

 担当官が渡した案内票には、庁舎内の別棟を示す簡単な地図が添えられていた。

 手続きを終えて庁舎を出ると、人工太陽はまだ高い位置にあったが、心なしか傾きかけていた。ミロ隊長が、階級章の予定位置を一瞥するように自分の襟元へ触れる。

「中佐、か。柄じゃないな」

「中尉なんて、柄じゃないですけどね」

「おい、それ俺の台詞だろ。真似すんなよ」

 ミロ隊長がわざとらしく顔をしかめてみせる。

「まあ、明日一日我慢すれば済む話だ」

 その言い方が、いつも通りで、少しだけ気が緩んだ。

◇

 総務部の庁舎は、佐官用と尉官用とで窓口の建物自体が分かれていた。ミロ隊長とはそこで別れ、それぞれの受付へと向かう。

 尉官用の待合スペースで順番を待っていると、ふいに聞き覚えのある声がした。

「……リオン?」

 振り返ると、見慣れた顔があった。特別機動大隊時代、シーマ小隊で共に組んでいたグレンだった。

「グレン、生きてたのか」

「そっちこそ。ルウムに出てるって話は聞いてたから、心配してたんだぞ」

 お互い、確かめ合うように顔を見る。傷だらけというほどではないが、以前より頬がこけて見えるのは、きっと自分も同じなのだろう。

「そっちこそ、どこで何してたんだ」

 グレンがどこに配属されていたのか、詳しくは聞いていなかった。

 グレンは一瞬、視線を宙に泳がせた。

「まあ……前線には、いたよ」

 それだけ言って、それ以上は続けなかった。何かを思い出したくないような、そんな間があった。触れていい話ではないのだと、すぐに分かった。

「フィンとリンは無事だ。この間、別件で顔を合わせた」

「そうか、それは良かった」

「ただ……カイとベラは、ルウムに応援で回されて、そっちで戦死したらしい」

 その言葉に、浮かれかけていた気分が一気に冷える。すぐ近くで戦っていたかもしれないのに、顔を合わせることすらなかった。同じ宙域のどこかで、帰ってこなかった者がいる。

「……そうか」

 それ以上、かける言葉が見つからなかった。

「ああ」

 グレンは短く頷いてから、気分を切り替えるように顔を上げた。

「で、お前こそどうしたんだよ。何かあったのか」

「開戦からの戦果で、二階級特進が決まった」

「は? マジかよ!」

 グレンが声を上げ、目を見開いた。

「すげえじゃねえか! 同じ大隊にいた身としちゃ鼻が高いぜ――」

 言いかけて、グレンがふと言葉を止めた。喜びに沸いていたはずの表情に、こちらの浮かない顔を見て、疑問の色が差す。

「……何だよ、その顔。めでたい話だろ」

「姉さんが、ルウムで庇ってくれて、意識不明のまま目を覚まさないんだ」

 グレンの顔から、表情が抜け落ちた。

「……嘘だろ」

 それきり、次の言葉が出てこないようだった。数秒の沈黙の後、絞り出すように呟いた。

「そう、か……すまん、はしゃいで」

「いや、いいんだ」

 短く答えると、グレンは何か言いかけて、結局は小さく頷くだけに留めた。それ以上踏み込まないでいてくれるのが、今はありがたかった。

「――次、お呼びの方どうぞ」

 受付から名前を呼ばれ、そこで会話は途切れた。

「じゃあな。また今度、ゆっくり話そう」

「ああ、また」

 軽く手を上げて別れ、それぞれの窓口へと向かった。祝勝ムードの本国の片隅で、まだ答えの出ていない安否が、確かにいくつも転がっているのだと、あらためて思い知らされた。

◇

 窓口の先で待っていたのは、想像していたよりもずっと地味な作業だった。

「では、採寸に入ります。腕を横に」

 被服担当の職員に言われるまま、腕を広げる。メジャーが肩から袖口、胸囲、丈と、機械的に数字を拾っていく。中尉の階級章が付いた新しい軍服は、まだ仮縫いの状態で、あちこちに待ち針が刺さったままだった。

「肩、もう少し上げてください」

「こう、ですか」

「もう少し」

 同じ姿勢を何度もやり直させられる。針が布地を噛む音、生地を引っ張る感触、鏡に映る中途半端な自分の姿。戦場で感じる疲労とは、まるで種類の違う疲れがじわじわと溜まっていった。あちらは一瞬の判断と反応の連続で消耗する疲れで、こちらは、ただ同じ姿勢のまま時間だけが過ぎていく退屈な疲れだった。

「次は襟周りの調整です。少々お待ちを」

 職員がミシンの方へ下がっていく間、鏡の前に一人取り残される。仮縫いの階級章が、慣れない光沢を放っていた。中尉、という響きに、まだ自分がついていけていない。

 戻ってきた職員が、今度は左胸のあたりに小さな台紙を当ててくる。

「勲章の位置決めもしておきますね。二級ジオン十字勲章はここ、下に白兵戦功章、ルウム戦役シールド、ブリティッシュ作戦功労賞はこちらの並びになります」

「思ったより、賑やかになるんですね」

「今回は特に、ですね」

 職員は苦笑まじりにそう返した。

 言われるままに、台紙の示す位置を鏡越しに確かめる。まだ何も付いていない、ただの布地の上に並んだ印だけを見ても、実感は湧かなかった。

「どれくらい、目立つものなんですか」

「明日にはお分かりになりますよ。式典用の物ですから、それなりに」

 職員は事務的にそう答えると、また針を持ってその場を離れていった。左胸に残った台紙の跡だけが、これから起きることの予告のように感じられた。

 どれくらい経っただろうか。ようやく本縫いが終わり、袖を通してみる。肩周りの感触は悪くないはずなのに、どこか他人の服を借りているような違和感が拭えなかった。

「本日の作業は以上です。式典当日は、こちらでお預かりした軍服を会場入り口でお渡しします」

「ありがとうございます」

 礼を言って庁舎を出る頃には、人工太陽の光が夕方の色合いに変わりはじめていた。単純な採寸と仮縫いだけで、これほど時間が溶けるとは思っていなかった。マシンガンを撃ち続けるよりも、じっと立たされている方が、よほど体力を奪われる気がした。

 明日には、この慣れない軍服を着て、大勢の前に立たなければならない。想像するだけで、また新しい種類の疲労が、肩の上に降り積もった。

 採寸、書類、勲章の名前、仮縫いの階級章。今日一日で並べられた言葉を思い返しながら、ふと、力が抜けるような虚しさが込み上げてきた。姉さんは、まだ目を覚まさないままだ。それなのに、自分の周りだけが、こんなにも忙しなく回っている。

 一体、何をしているんだろうか。

 答えの出ないまま、コロニーの街並みへと足を向けた。




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