まだ人工太陽が昇りきらない時刻、ズムシティ公王庁舎の裏手に、対象者たちが集められていた。案内された通用口をくぐると、そこから先は普段の軍施設とはまるで違う空気が待っていた。磨き抜かれた石床、天井の高い回廊、壁に並ぶ紋章の数々。靴音ひとつが、やけに大きく反響する。
「――整列。開始まで、あと五時間もある。気を抜くな」
式典を仕切る儀典部の士官が、抑揚のない声で告げる。集められた対象者は十数名、ほとんどが顔も知らない他部隊の人間だった。その中に見知った顔を見つけて、少しだけ肩の力が抜ける。少し離れた列にミロが立っていた。
最初の一時間は、ただ立ち方の指導だった。踵の角度、顎の高さ、視線をどこに固定するか。次に隊列を組んでの歩行練習。絨毯の敷かれた謁見の間まで、規定の歩数と拍で歩く。多すぎても少なすぎても、儀典部の士官から容赦なく声が飛んだ。
「そこ、半歩遅れている。やり直し」
何度も同じ場所からやり直しになる。戦場では一瞬の判断のずれが命取りになるが、ここでは半歩のずれが叱責の対象になる。勝手が違いすぎて、体がどう動けばいいのか分からなくなる瞬間があった。
「敬礼、もう一度。角度が浅い」
もう何十回目かも分からない敬礼を繰り返すうち、腕の付け根が鈍く痛み始めていた。銃の反動より、こちらの方が骨身に堪えるとは思わなかった。
休憩の合間、隣に来たミロが小声で言った。
「戦場より疲れるな、これは」
「……同感です」
短くそれだけ返す。声を出す元気も惜しいくらいだった。
「勲章の受け渡し方まで、拍まで決まってるらしい。差し出す手の角度、受け取る間合い、全部だ」
ミロが自分の手のひらを見つめながら言う。銃把を握るための手が、今日だけは別の動きを覚えさせられている。
二度目のリハーサルでは、実際に謁見の間に通された。天井は外の回廊よりもさらに高く、正面には壮麗な玉座――今日この場に総帥ギレン・ザビ本人が臨席するかどうかは知らされていないが、その可能性を前提に、あらゆる所作が磨き上げられていく。壇上の位置、勲章を捧げ持つ係官の立ち位置、名前を呼ぶ間隔。すべてが分刻みで決められ、何度もやり直された。
「貴官らは公国の英雄として、この場に立つ。恥ずかしい真似は許されんぞ」
儀典部の士官の言葉に、誰も声を返さない。ただ黙って、決められた通りの角度で敬礼をやり直す。窓の外の光が徐々に明るさを増していくのを、視界の端で追いながら、早く終われとだけ思っていた。
四時間近いリハーサルの末、ようやく休憩と身支度の時間が与えられた。控室の鏡の前で、真新しい制服の襟を直す。まだ体に馴染まない硬さの生地越しに、これから留められる勲章の重みを想像する。
そして、本番。
ズムシティ公王庁舎、謁見の間。高い天井から吊り下げられた紋章旗の下、居並ぶ制服の列に向かって、壇上の男が両腕を広げた。
「諸君らの流した血は、断じて無駄にはならない。地球という重力に縛られた腐敗した権威に対し、我々サイドに生きる者たちが初めて、明確な勝利という形で答えを示したのだ。ルウムの空に散った同胞たちの魂は、今この瞬間、この勝利を見届けている――」
総帥ギレン・ザビの声は、感情の抑揚をわざとらしいほど誇張しながら、謁見の間の隅々にまで響き渡っていく。壇の後方、一段高い貴賓席には、ザビ家の主だった面々が並んでいた。腕を組んだまま微動だにしないドズル中将、切れ長の目で会場全体を静かに見渡すキシリア、まだ少年の面影を残したまま緊張気味に姿勢を正すガルマ。その視線の重みを意識してか、居並ぶ士官たちの背筋はいっそう伸びていた。
受章者の列を挟むように広がる両側の傍聴席にも、見慣れない顔ぶりが目立った。星の数の勲章を肩や胸に連ねた将官級の姿、それに交じって、軍服ではない仕立ての良い礼装をまとった一団――本国の行政府から出向いてきたらしい官僚たちが、几帳面な仕草で式次第を目で追っている。戦果を血で示す側と、それを記録し称える側とが、この一室に同居している。そのちぐはぐさに、居心地の悪さを覚えずにはいられなかった。
朝からの長いリハーサルで痺れた腕の付け根に、まだ鈍い疲労が居座っていた。
「この勝利は終わりではない。始まりに過ぎない。ジオン公国は、これよりさらなる正義の炎をもって――」
演説はなおも続いたが、内容の大半はどこか上滑りしていくように感じられた。壮麗な言葉の羅列と、目の前に居並ぶ疲弊した顔つきの兵士たちとの間に、埋めがたい距離があるように思えてならない。それでも最後、拳を突き上げた総帥の号令に合わせ、謁見の間全体が唱和する。
「ジーク・ジオン!」
声を張り上げながら、隣に立つミロの横顔をちらりと窺った。ミロは規定通りの表情を崩さず、しかしその目はどこか醒めているようにも見えた。
演説が終わると、儀典部の司会が壇に進み出て、勲章授与が始まった。名前を呼ばれた順に、一人ずつ絨毯を進んでいく。
「――宇宙攻撃軍第一機動司令部付MS小隊、シャア・アズナブル中尉。前へ」
その名が呼ばれた瞬間、周囲の列にわずかなざわめきが走った。壇へ進み出る足取りには、無駄な力みがまるでない。だが何より目を引いたのは、その顔の上半分を覆う白い仮面だった。……あれは、いったい何なのだろうか。制式装備の一部にはとても見えない。こんな私物じみた格好、普通に考えて許されるものなのか――そんな素朴な疑問が浮かんだが、誰に尋ねるわけにもいかず、曖昧な違和感だけが残る。
「戦艦五隻の撃沈という、単独では類を見ない戦果を成し遂げた。ここに一級ジオン十字勲章を授与する」
「二階級特進、少佐への昇任を発令する」
その言葉に、周囲からわずかに感嘆の息が漏れたのが分かった。授与を受ける所作すら、他の誰よりも滑らかだった。壇を降りる際、一瞬だけ視線がこちらの列を掠めたような気がしたが、確かめる間もなく本人はすでに定位置へ戻っていた。
「――宇宙攻撃軍第二宇宙攻撃艦隊付MS小隊、シン・マツナガ曹長」
次に呼ばれたのは、精悍な口髭を蓄えた士官だった。歴戦を感じさせる、年齢不詳なほど渋みのある顔つきをしている。重い足取りで壇に上がる。
「弱冠二十四歳にして、戦艦六隻撃沈、この戦役における最多撃沈記録を打ち立てた。ここに一級ジオン十字勲章を授与する」
「特別昇任により、曹長より中尉への任官を発令する」
二十四という数字に、思わず耳を疑った。とてもそうは見えない、それだけの貫禄が顔中に滲み出ている。勲章を受ける表情には気負いのようなものがまるでない。開戦からのわずかな期間で幾度となく修羅場をくぐり抜けてきたことを窺わせる、若さに見合わぬ落ち着きがあった。
「――突撃機動軍第七師団攻撃艦隊付MS小隊、ジョニー・ライデン曹長」
呼ばれて進み出た男は、人懐っこそうな笑みを浮かべていた。動作の端々に、自分の実力への確信が滲み出ている。
「圧倒的な戦闘技量をもって、戦艦三隻を沈める際立った戦果を成し遂げた。ここに二級ジオン十字勲章を授与する」
「特別昇任により、曹長より中尉への任官を発令する」
勲章を受け取る瞬間、将校と交わした一礼にも、独特の間があった。
「――突撃機動軍第七師団第一MS大隊司令部付特務小隊、ガイア・オルテガ・マッシュ少尉、三名同時」
その呼び声に、思わず視線が動いた。壇へ進み出る三人の足並みは、これ以上ないほど揃っている。歩幅も、腕の振りも、まるで一人の人間が三体に分裂したかのようだった。
「敵旗艦アナンケの撃沈、及びレビル中将の拿捕――この戦役における、まさに大金星と呼ぶべき戦功に鑑み、一級ジオン十字勲章を授与する。加えて――」
将校の読み上げる文言の中に、聞き覚えのある異名が混じった。
「――黒き稲妻の如き、その戦い方から、諸君らは今日この日をもって『黒い三連星』と呼ばれることとなるだろう」
「三名とも二階級特進、大尉への昇任を発令する」
謁見の間に小さな笑いさざめきが広がる。三人はそれぞれ違う表情を浮かべていた。先頭の男――ガイアは口の端を持ち上げ不敵に笑い、最後尾の男――オルテガは眉ひとつ動かさず淡々と勲章を受け、中央のマッシュだけが、隠しきれない照れくささを滲ませていた。壇を降りる際、こちらの列に気づいたのか、ガイアが視線をよこして小さく片眉を上げた。
やがて、自分の番が近づいてくる。
「――突撃機動軍第七師団独立遊撃小隊、リオン・ワーカー准尉。前へ」
名前を呼ばれ、リハーサル通りの歩数で絨毯を踏む。視線が集まる感覚に、後ろから撃たれているような錯覚すら覚えた。壇上の将校の前で止まり、規定通りの敬礼をする。
「ルウム宙域における一連の戦闘において、貴官は際立った戦果と勇猛なる戦闘行動をもって、我が軍の勝利に多大なる貢献をなした。ここに二級ジオン十字勲章を授与する」
将校の声が謁見の間の空気を震わせる。淡々と読み上げられる戦果の数字――サラミス級二隻撃沈、戦闘機十九機撃墜――が、まるで他人の記録のように耳を通り過ぎていった。あの一晩の記憶は、今も曖昧なままだ。
二級ジオン十字勲章が、白い手袋の手によって左胸に留められる。続いて白兵戦功章、ルウム戦役シールド、ブリティッシュ作戦功労賞。ひとつずつ重みが増していくのを、布地越しに感じた。想像していたよりも、ずっと重い。
「二階級特進、中尉への昇任を発令する。おめでとう」
差し出された手を握り返す。乾いた、事務的な握手だった。拍手の音がやけに遠くから聞こえてくるように感じられる。壇上、貴賓席の方角に視線を向けると、キシリアの視線がほんの一瞬、こちらへ向いたような気がした。
列に戻る途中、視界の端に空席が見えた。本来ならそこにいるはずだった人の姿がない。姉は今も目を覚まさないまま、病院のベッドにいる。壇上に立つはずの人間がいないまま、その空白だけがぽっかりと残っていた。
「――突撃機動軍第七師団独立遊撃小隊隊長、ミロ・ヴィンター大尉」
次に呼ばれたのはミロの番だった。
「ルウム宙域における一連の戦闘において、貴官は部隊指揮官として卓越した統率力を発揮し、自らもサラミス級三隻を撃沈する武勲を挙げながら、麾下部隊によるサラミス級六隻撃沈という比類なき戦果を成し遂げた。ここに一級ジオン十字勲章を授与する」
この式典において四組目となる一級ジオン十字勲章だったが、それでもなお破格の栄誉であることに変わりはない。どよめきというよりは、得心したような静かな空気が謁見の間に広がるのが分かった。ミロは壇上でも普段と変わらない、実直な顔つきのまま勲章を受ける。
「二階級特進、中佐への昇任を発令する。健闘を称える」
その言葉にも表情を崩さなかった。ただ最後、壇を降りる直前に一瞬だけ、謁見の間の隅――空席のある方向へ視線を向けたのを見逃さなかった。
その後も授与は続いたが、意識はすでに半分上の空だった。
やがて全ての授与が終わると、壇上に総帥ギレン・ザビが再び進み出た。片手を挙げると、鳴り止まなかった拍手が水を打ったように静まっていく。閉式の合図かと思いきや、口を開いた内容は違っていた。
「我がジオン公国の同胞諸君、栄誉ある将兵諸君。本日この場において、我々はルウムの宙で連邦の大艦隊を打ち破った、数多の英傑たちの武功を称えた」
総帥の声が、一段と芝居がかった調子を帯びる。
「シャア・アズナブル少佐が示した、一騎当千の大戦果。黒い三連星の将兵らが成し遂げた、敵総司令官捕縛という快挙。そして――先ほど勲章を授与されたミロ中佐、リオン中尉らが、ルウムに至る激戦の中で示した、確実にして苛烈なる一撃の数々。統率された連携によって連邦艦艇を屠り続けた彼らの戦いぶりもまた、我がジオンの刃の証明である」
「しかし諸君、我々はこの勝利の壇上において、もう一人、決して忘れてはならない者の存在を、その胸に刻まねばならない」
壇の背後に据えられた大型スクリーンに、映像が映し出される。医療機器に囲まれたベッドの上、患者衣のまま静かに眠る姉の姿だった。息が止まった。
「彼女の名は、リリア・ワーカー少尉。先ほど二級ジオン十字勲章を授与されたリオン・ワーカー中尉の姉であり、自らもサラミス級を沈めた優秀なパイロットである。だが彼女はルウムの激戦の最中、連邦の牙が弟の背後に迫ったその瞬間――自らの機体を盾にして弟を守り、力尽きた」
総帥の視線が、こちらの列へ真っ直ぐに向けられている。拍手はまだない。誰もが息を詰めて聞き入っていた。
「これこそが、我がジオンの、スペースノイドの魂の美しさだ。地球の官僚どもは互いの足を引っ張り合い、保身のために兵を捨て駒にする。だが我がジオンの戦士は、同胞のために、その命を燃やし尽くすことができる。彼女の挙げた戦果は、ただの撃沈数ではない。連邦の暴力に対し、我がジオンの絆が勝利した証なのだ」
「ゆえに私は、総帥たる権限をもって、この場に立てぬ英雄に対し、二階級特進、大尉への任官を発令する。加えて、公国が誇る栄誉『ジオン勲功大賞』をここに授与する」
壇上に飾られた、主のいない軍服の胸元に、総帥自らが重厚な勲章をピン留めする。
「見よ諸君。姉は大尉として命を賭してジオンの未来を守り、弟はその想いを武器に変えて敵を狩り尽くした。彼女の魂は今、この若者の背中を支える影となって、共に連邦を睨み据えているのだ」
「彼女の目が再び開く時、それは我々が地球連邦を打倒し、真の独立を成し遂げたその瞬間である。将兵諸君、そして国民諸君! 眠れる英雄の意志を継げ! ジオン公国に、栄光あれ!」
謁見の間全体が地鳴りのような「ジーク・ジオン!」の唱和と拍手に包まれる。だが、その一つ一つが、針のように肌へ刺さった。姉の意識がまだ戻っていないことも、あの夜に抱いた憎悪も、こんな風に他人の言葉で飾り立てられ、消費されるためにあったわけではない。
隣に立つミロが、こちらの様子に気づいたのか、微かに眉を寄せた。だが何を言うこともできず、ただ鳴り止まない拍手の中に立ち尽くすしかなかった。
式典が終わり、控室での身支度を経て、そのまま同じ棟の大広間へと案内される。祝勝会が始まろうとしていた。
会場に入ってすぐ、ミロも別の一団に取り囲まれ、人波に呑まれていくのが見えた。ミロとははぐれたまま、こちらも同じように見知らぬ士官たちに取り囲まれた。「素晴らしいご活躍でした」「先ほどの話、胸を打たれましたよ」――口々にかけられる祝いの言葉に相槌を打ち続けるうち、愛想笑いで頬が強張ってくる。誰の顔もろくに覚えられないまま握手を交わし、ようやく人波が途切れた隙に、壁際まで逃げ込むようにして息をついた。
そこへ、聞き覚えのある豪快な笑い声が近づいてきた。
「よう、坊主。総帥閣下のおかげで、えらい注目を浴びちまったじゃねえか」
振り返ると、勲章を輝かせた三人組――黒い三連星の面々が、こちらへ歩み寄ってくるところだった。先頭のガイアが片手にグラスを持ったまま、値踏みするような目でこちらを見る。だが、その目つきがふと和らいだ。
「……姉貴のことは、残念だったな」
声のトーンが、わずかに落ちる。オルテガとマッシュも、揃って一瞬だけ表情を引き締めた。
「けどな、まだ生きてるんだろ? 生きてりゃ、望みはある」
ぶっきらぼうな口調の奥に、飾らない励ましが滲んでいた。何と返せばいいか分からず、ただ小さく頷く。
「ガイア小隊長……いえ、これからは何とお呼びすれば」
「呼び方なんざどうでもいい。それより聞いたぜ、サラミスを二隻も単独で沈めたんだってな。一隻目はこっちも遠目に見てたが、二隻目の方はもっぱら噂で聞いた話だ」
オルテガが淡々と口を挟んだ。事実確認をするような、感情の乗らない口調だった。
「あれは……無我夢中で。おふたりとマッシュさんの連携を見た時の方が、よほど鮮やかでした。あの零距離での二隻目、艦橋を撃ち抜いて『艦橋だけじゃ沈まねぇぞ』って――正直、圧巻でした」
思い出しながら口にすると、マッシュが目を丸くしてから、破顔した。
「おいおい、あの啖呵まで覚えられてたのか。恥ずかしいとこ見せちまったな」
「恥ずかしいことがあるかよ。啖呵切るとこまで含めて、あれが俺たちの型だ」
ガイアがマッシュの肩を小突きながら言う。それから改めてこちらを見据え、口の端を持ち上げた。
「けどな、坊主。お前も一人でサラミスをやるなんて、随分と成長したじゃねえか。あの訓練の頃は、まだ半人前だったのによ」
悪態にも聞こえるが、その声には確かな称賛が滲んでいた。何と返せばいいか分からず、曖昧に頭を下げる。
「あの大隊にいたおかげです。シーマ小隊長や、皆さんに鍛えられたからこそ、今があります」
「殊勝なこと言うようになったじゃねえか」
ガイアが笑いながらこちらの頭を軽く小突いた。
「そうそう、俺たちのおかげってとこ、もっと強調していいんだぞ」
マッシュが調子よく乗っかってくる横で、オルテガだけが「買いかぶりすぎだ、実力はお前自身のもんだろう」と素っ気なく、それでいてどこか照れくさそうに返した。
「おっと、こいつは奇遇だな。さっきの演説で名前が挙がってた奴が、こんな寂しいとこに隠れてたとはよ」
背後から割り込むように、屈託のない明るい声がした。振り返ると、先ほど授与を受けていた中尉――ジョニー・ライデンが、快活な笑みを浮かべてグラスを片手に立っていた。
「パーティーは苦手か?」
からかうような笑みを浮かべ、返事を待たずに続ける。
「あんたが俺と同じ二級ジオン十字勲章のパイロットか。たった一晩で敵機を中隊規模丸ごと落としたって噂、伊達じゃなかったみたいだな」
興味津々といった様子で、こちらの胸元の勲章に視線を向ける。人懐っこい、裏表のなさそうな目つきだった。
「……光栄です」
「光栄、ね。堅いこと言うなよ」
ライデンは声を立てて笑った。その空気を読んだのか、ガイアがにやりと笑ってこちらの肩を叩いた。
「おい坊主、こいつも今回の叙勲で、丁度お前と同じタイミングで中尉に上がったクチだ。奇遇なもんだよな、これもまた一つの同期ってやつだ」
「見えないだろうけどな! ハッハッハッ!」
マッシュが弾けるように笑い、オルテガまでもがわずかに口の端を緩めた。ライデン本人も悪びれることなく声を上げて笑い、否定はしなかった。
「同じタイミングだったんですね。それは、何だか嬉しいです」
思わず笑みがこぼれ、まじまじとライデンの顔を見つめると、本人は快活に笑いながら片手を挙げてみせた。
「まあいい。せっかく肩を並べたんだ、この先どっちが多く落とせるか、楽しみにしてるぜ」
それだけ言うと、ライデンは軽く手を上げてグラスを傾け、人混みの中へ戻っていった。ガイアたちも「またな、坊主」と言い残し、別の一団の方へ流れていく。
その場に取り残される形になり、ようやく肩の力が抜けた。少し離れた場所から様子を見ていたらしいミロが、グラスを片手に近づいてくる。
「賑やかだったな」
「……気の休まらない時間でした」
「同感だ」
ミロが珍しく声を出して笑った、その時だった。
「――ヴィンター中佐、ワーカー中尉。少々よろしいでしょうか」
声をかけられて振り返ると、見覚えのない士官が二人の間に割り込むように立っていた。
「キシリア様より、お二方に。休暇明け、新たな配属先についての内示があります。お時間をいただけますか」
どうやら、キシリア付きの副官らしい。ミロと目が合う。その表情には、驚きよりも、来るべきものが来たという静かな覚悟が滲んでいた。
案内されるまま人混みを抜け、大広間の喧騒が遠のいていく。連れて行かれたのは、庁舎の奥まった一角、重厚な扉の並ぶ区画だった。副官が短くノックし、何かを告げると、扉が音もなく開かれる。
中は、祝勝会の熱気とはまるで切り離された静けさに満ちていた。壁際に並ぶ調度品は華美というより冷たく整然としていて、天井から下がるシャンデリアの光さえ、どこか温度を感じさせない。
正面のデスクに腰掛けていたのは、キシリア・ザビだった。切れ長の目が、書類から顔を上げてこちらへ向けられる。
「かけて構わない。手短に済ませる」
促されるまま、ミロと並んで椅子に腰を下ろす。緊張で背筋が伸びたまま、動けなかった。
「よく戦った。此度の戦役、貴官らの働きには目を見張るものがあった」
労いの言葉から始まったことに、思わず身構えていた肩から少し力が抜けた。声の抑揚こそ薄いが、そこには社交辞令とは違う響きがあった。
「私の麾下から、これほどの戦果を挙げる部隊が出たことを、誇りに思っている」
その一言には、確かな満足と、部下への労わりが滲んでいた。
「改めて言うまでもないが、灰狼隊は私が直々に編成させた部隊だ。貴官らの戦績には、逐一目を通してきた。これからも、頼りにしている」
念を押すというより、むしろ気にかけているのだと伝わってくるような口調に、ミロが「はい」と短く答える。
「人事の権限は、私にある。これだけの戦果を挙げたのだ、多少の融通は利かせられる。何か希望はあるか」
唐突な問いに、何と答えればいいのか分からず、思わずミロの横顔を窺った。ミロも同じように、僅かに戸惑いを見せていた。
「……すみません、急なことで、何も思いつきません」
突然のことに、頭の中が真っ白になっていた。ミロも同じように、言葉を探しあぐねているようだった。
「無理もない。今すぐでなくていい、少し考えておけ」
キシリアはそう言うと、小さく頷いた。
「リリア大尉の件だが」
その一言に、背筋が伸びた。心なしか、声が僅かに柔らかくなったように感じた。
「少し調べさせた。目立った外傷はない。おそらく、脳への影響だろう」
淡々としながらも、そこには事務的なだけではない気遣いが滲んでいた。
「私自ら病院を手配するとまでは言わない。だが、脳波の研究に特化した機関に伝手がある。そこでなら、他所とは違う手が打てるはずだ」
感情を大きく表に出す言い方ではなかったが、そこには確かな気遣いがあった。てらいのない、実務的な口調が、かえって信用できるように思えた。何度か瞬きをしてから、「……お願いします」とだけ絞り出す。
「灰狼隊は、リリア大尉の離脱により、当面は編成を維持できない。次の任地については追って沙汰する。それまでは、体を休め、英気を養っておけ」
拍子抜けするほど、あっさりとした言葉だった。てっきり、すぐにでも次の任務を告げられるものだと身構えていたが、その裏にあるのは、無理に働かせるつもりはないという、意外なほどの気遣いだったのかもしれない。
「……ありがとうございます」
ミロが短く答える。
キシリアは軽く頷き、視線を扉へ向けた。それが、退室の合図だった。副官に連れられて部屋を出ると、祝勝会の喧騒がまた遠くから押し寄せてきた。
だが、もうその音は、さっきまでとは違って聞こえた。祝勝の熱狂の裏側で、静かに動き出した歯車の音が、まだ耳の奥に残っていた。
『ルウム戦役編』、これにて一区切りとなります!
一年戦争はまだ始まったばかり。
次なる戦いへと物語は進みます。
ここで少しだけ調整期間を頂きます。
次章からは、『対G訓練編』をスタートします!
今後とも本作をよろしくお願いいたします。
(※よろしければ、お気に入り登録や評価☆をポチッとお願いします!)