この訓練編も少し長くなりますが、
お付き合い頂ければ。
第二十六話
表彰式の熱は、しばらく基地の空気に居座り続けた。祝勝ムードはそう簡単に冷めるものではなく、廊下ですれ違う士官たちの顔にも、まだどこか浮ついた色が残っている。
その浮かれた空気の中で、キシリアの部屋で交わされた言葉だけが、頭の片隅に重く沈んだまま消えてくれなかった。「これだけの戦果を挙げたのだ、人事にも融通は利く」という申し出も、「目立った外傷はない、おそらく脳への影響」という、あの柔らかい声で告げられた診立ても、「脳波の研究に特化した機関に伝手がある」という一言も。すぐに答えの出るようなものではなく、かといって忘れられるようなものでもなかった。新しい階級章と、答えの出ないまま続いていく毎日――残ったのは、その両方だった。
特別休暇中の身ではあったが、朝はシミュレーター室に通う習慣だけは崩さなかった。二度と誰かに命を預けるような真似はしたくない――理由はそれだけだった。予約を入れると、決まって数人の若手パイロットが順番待ちの列に紛れ込んでくる。ルウム戦役の戦果は良くも悪くも噂として先に広まっていて、「一手ご教授願えませんか」と声をかけられることが増えていた。断る理由もなく、対MS戦闘の想定演習を三本、対艦艇戦闘の想定を二本、いつの間にか教える側として付き合う羽目になる。
教える立場になって初めて、ついひと月ほど前まで自分がシーマや三連星に同じように教わる側だったことを思い出す。あの頃は、与えられた課題をこなすだけで精一杯だった。それが今では逆の立場で、若い士官に手本を見せている。時間の流れの速さに、内心で苦笑いが漏れた。
シーマは今、どこで何をしているだろうか。グラナダ海兵上陸戦の代理司令官に任命されたという話を最後に、消息は届いていない。餞別にもらった小瓶は、お守り代わりに今も手元に残してある。それでも「絶対に、生き残れよ」という一言だけは、今でも耳の奥に残っていた。
シミュレーターの後は、休憩を挟んで身体強化のメニューだ。始めた頃は自分一人だけの自主メニューだったが、思いのほか早く広まって、今では基地の一角に専用の器具が並ぶまでになっていた。通りすがりの新兵が物珍しそうに覗いていくこともある。まだそう経っていないはずなのに、この広がり方の早さには自分でも驚いていた。
昼を過ぎたら、面会時間に合わせて病棟へ向かう。これが一日の中で唯一、義務ではなく自分の意思で選んでいる予定だった。
姉の病室は変わらず静かだった。管につながれた身体、規則正しく上下する胸、機械の立てる電子音だけが時間の経過を教えてくれる。椅子に座って、今日あった訓練の成果を報告するように話しかける。返事はない。それでも構わなかった。声に出すことで、自分の中の何かが整理される気がしていたし、何より――目を覚ました時に、誰も傍にいなかったなどという事態だけは避けたかった。
ミロとは、示し合わせたわけでもないのに完全に別行動になっていた。中佐という階級は多忙を極めるらしく、灰狼隊の再編に関する会議やら、上層部からの呼び出しやらで、基地内で顔を合わせることすらほとんどない。それでも週に何度かは、面会時間の終わり際にふらりと病室に現れる。椅子は一つしかないから、大抵は壁に寄りかかって腕を組み、姉の顔を黙って見つめている。
「変わりないな」 それだけ言って、また黙る。会話らしい会話はなかったが、それでよかった。この人も同じものを見に来ているのだと分かるだけで、十分だった。
◇
連邦政府への停戦勧告――事実上の降伏勧告が発せられたのは、表彰式から明けた翌朝のことだった。
基地の食堂に据えられた受信機から、総本部発表の声明が流れる。ルウム宙域における一連の戦闘での連邦軍主力艦隊の壊滅、レビル中将の身柄確保。これらの戦果を踏まえ、公国政府は連邦政府に対し戦闘行為の即時停止を求める、という内容だった。言葉こそ穏当に整えられていたが、居合わせた誰もが、それが体のいい降伏要求であることを理解していた。
「これで終わるかもな」 隣の食卓で誰かがそう呟くのが聞こえた。楽観的な空気が食堂に広がっていく。以前艦内放送で耳にした誰かの見立てそのままの展開に、皆が浮き足立っている。
自分だけが、素直に喜べずにいた。
終わるというなら、姉は目を覚ますのだろうか。連邦への憎しみは、行き場を失ってどこかへ消えてくれるのだろうか。どちらの答えも、想像がつかなかった。ミロの「見立て通りに事が運ぶとは限らない」という声が、ふと頭をよぎる。
案の定というべきか、その日を境に何かが劇的に変わることはなかった。連邦側からの正式な回答はまだない、という続報が流れるだけで、シミュレーター訓練も、身体強化も、病室通いも、それまでと同じように続いていった。戦争は、政府同士の書類のやり取りひとつで止まるほど単純な形をしていないらしい。
◇
噂を耳にしたのは、それから二日ほど経った頃だった。
シミュレーター室の待機列で、前に並んでいた見知らぬ下士官二人が、声を潜めて話しているのがたまたま耳に入った。
「――ソロモンで、非公式にやるらしいぞ」 「弔いか。誰の発案だ」 「知らん。上の許可も下りてないって話だ。だから正式な式典じゃない、有志が集まるだけらしい」
それだけの断片だったが、胸の奥に何かが引っかかった。弔い、という言葉に反応したのだと気づいたのは、少し経ってからだ。
脳裏に浮かんだのは、特別機動大隊時代の顔ぶれだった。グラナダ海兵上陸戦の後、応援としてルウムへ回され、そちらで戦死したというカイとベラ。総務部の待合で再会したグレンが、言葉を濁しながら伝えてくれた事実。フィンとリンは無事だと聞いて安堵したが、カイとベラの分は誰も弔っていない。少なくとも、自分の知る限りでは。
考えてみれば、あの頃の自分たちは誰も、死を弔う場を持っていなかった。大隊は解散し、それぞれが別々の部隊へ散った。訓練期間中に共に汗を流した仲間が戦死していたと知らされたのは、まだ四日前のことだ。それなのに、慌ただしい毎日に押し流されるうちに、花の一輪も手向けられないまま今日まで来てしまっていた。
ソロモンでやるという弔いが、具体的に誰を悼むためのものなのかは分からない。だがそれは関係なかった。戦死者を悼む場があるというなら、そこに立つことで、自分の中に溜まったまま行き場のないものに、多少なりとも形を与えられる気がした。
◇
問題は、そこへどうやって辿り着くかだった。
非公式の集まりに、正規の輸送申請が通るはずもない。灰狼隊は目下再編待ちで身動きが取れず、特別休暇中の身とはいえ、サイド3からソロモンまでの移動手段を個人の伝手なしに確保するのは現実的ではなかった。
まず当たったのは総務部だった。軍服の採寸で世話になった顔見知りの担当官に、それとなく探りを入れてみたが、「非公式の行事に関する情報は把握していない」の一点張りで、けんもほろろに追い返された。無理もない。上の許可すら下りていない集まりを、事務方が把握しているはずもなかった。
次にグレンへ連絡を取ってみたものの、彼自身がグラナダ配属の詳細を語れない立場にあるようで、力になれずに終わった。それでも「もし何か分かったら報せる」とだけ言ってくれたのが、せめてもの救いだった。
伝手を探して基地内をうろつくうち、士官食堂の片隅で見覚えのある三つの背中に行き当たったのは、半ば偶然だった。
「――お、こいつは奇遇だな」
先に気づいたのはガイア大尉だった。振り返った顔に浮かんだのは、祝勝会で見せたのと同じ、不器用な笑みだった。隣ではオルテガ大尉が黙って頷き、マッシュ大尉が空いた椅子を軽く叩いて座るよう促してくる。
「何かあったのか、辛気臭い顔しやがって」 ガイアの問いに、少し迷ってから、聞いた話をそのまま伝えることにした。ソロモンでの非公式な弔いの噂、それに参加したい理由――カイとベラという同期がいたこと、まだ何も弔えていないこと。話し終える頃には、三人の表情から茶化す色は消えていた。
「ああ、その話なら聞いてる」 答えたのはマッシュだった。「うちの中隊にも、ソロモン方面で世話になった連中が何人かいるんでな。命日が近いってんで、有志で手を合わせに集まるだけの話らしいぜ」
「正式な話じゃねえから、当然お前の階級じゃ通る輸送申請もねえだろうな」 ガイアが腕を組みながら言う。図星を突かれて、それ以上言葉を返せずにいると、オルテガが低い声で口を挟んだ。
「俺たちなら、便乗させてやれる」 短い一言だった。だが、それが誰よりも頼りになる申し出だと分かるくらいには、この三人の性分を知るようになっていた。ガイアが先陣を切り、マッシュが間を柔らかく取り持ち、オルテガが最後に堅実な形をつけてくる――戦場での立ち回りそのままの流れに、場違いだと分かっていても、少し笑いそうになった。
「うちの小隊は、休暇の合間にソロモン方面へ足を延ばす予定がある。ついでと言っちゃなんだが、乗せていってやれないこともない」 マッシュが続けて、輸送艦の便を教えてくれる。出発は明日、サイド3からソロモンまでは片道およそ三日かかるという。ぎりぎりの日程だったが、非公式な集まりだという性質上、大っぴらに手続きを踏むわけにもいかず、あくまで「三連星の私的な移動に同行する形」という体裁を取ることになった。
「姉貴のことがあるのに、抜けて大丈夫なのかよ」 ガイアが不意にそう聞いてきた。気遣いの言葉だと分かるだけに、何と答えるべきか一瞬迷う。
「――数日なら」 それだけ答えると、ガイアは軽く肩をすくめただけで、それ以上は何も聞いてこなかった。
◇
出発の前日、面会時間の最後に病室へ寄って、いつものように今日あったことを報告した。それから、数日留守にすることも、聞こえていないと分かっていながら、律儀に付け加えた。
病室を出たところで、ちょうど通りかかったミロと鉢合わせた。
「聞いたぞ、三連星のところに転がり込んだんだってな」 基地内の噂はどこからともなく広まるものらしい。誤魔化す気にもなれず、経緯を簡潔に話すと、ミロはしばらく黙って聞いていたが、やがて短く言った。
「――行ってこい」 それだけだった。行けとも止めろとも言わずに送り出してくれるあたりが、この人らしいと思った。
輸送艦の乗艦口で、ガイア、オルテガ、マッシュの三人が待っていた。私的な移動という体裁のためか、いつもの機体色そのままのMSが並ぶ格納庫を横目に、指定された区画へと足を向ける。
「言っとくが、着いたらお前は俺たちの連れだ。妙な口をきくなよ」 ガイアがにやりと笑いながら言う。頷き返しながら、艦の向こうに広がる暗い宙域を見上げた。
ソロモンは、まだ遠い。
◇
輸送艦の三日間は、思っていたより静かに過ぎた。
私的な移動という体裁のため、士官用の狭い個室をあてがわれたが、大半の時間はガイアたちの部屋に転がり込んで過ごすことになった。四人が座ればそれだけで一杯になる狭さで、壁際にはトランプの束と、飲みかけの携行食のパックが転がっている。
三人は道中も暇さえあれば整備談義に興じていた。話題の中心は決まって機体の話で、今日はF型のバーニア出力配分についてだった。
「結局、上半身の推力を絞ってでも脚部に回した方が、格闘戦では手が合う。C型の頃からそうだったろ」 オルテガが淡々と言うのに、ガイアが不服そうに割り込む。
「それじゃ格闘に振りすぎて、離脱のタイミングを見誤るだろうが」 「見誤るお前が下手なだけだ」 軽口の応酬に、マッシュが苦笑しながらこちらに水を向けてきた。
「おい、お前はどうなんだ。C型仕様からF型に乗り換えた口だろう」
少し考えてから、思ったままを口にした。
「脚部に振るのは賛成ですけど、その分センサーの追従を犠牲にしてる自覚がないと、格闘に入った瞬間に死角ができます。自分は追従の遅れを、先に相手の初動を読むことで埋めてました。……多分、まともなやり方じゃないですけど」
一瞬、部屋の空気が止まった。ガイアとオルテガが顔を見合わせる。
「センサー云々の前に、初動を読むのが前提になってる時点でおかしいだろ」 ガイアが呆れたように言うと、オルテガも珍しく口の端を上げた。
「その発想は、無いな」 「だろ」とマッシュが笑う。「お前、ほんとに調子狂うことばっか言うな。並のパイロットなら追従性能の話で終わるところを、当たり前みたいに『読んで埋める』とか言い出すんだから」
褒められているのか呆れられているのか判然としないまま、曖昧に頷いておいた。だが三人とも、それ以上茶化してはこなかった。ガイアが話題を変えるように次の武装調整の話を切り出し、また談義が続いていく。緊張をほぐそうとしてくれているのだと、その時になってようやく気づいた。
「カイってのはどんな奴だったんだ」 二日目の夜、マッシュがふと聞いてきた。オルテガ小隊にいた二人の名前は、三連星にとっても他人事ではないらしい。
「格闘戦になると、正直かなわなかったです。一撃離脱の駆け引きなら多少は張り合えましたけど、殴り合いが長引くと最後は決まって崩されてました。口では機動が雑だってよくベラに突っ込まれてたのに、格闘の粘りだけは誰よりも上で。ベラの方は逆にほとんど喋らない人で、二人並ぶと噛み合ってるんだかいないんだか分からない感じでした」 言葉にしてみると、記憶の輪郭が急に鮮明になった。声も、癖のある笑い方も、ちゃんと覚えている。それだけで、少し救われた気がした。
「らしいな。うちの中隊の連中も、似たようなこと言ってたぜ」 マッシュはそれだけ言うと、それ以上は深追いしてこなかった。
◇
ソロモンの外郭に接舷したのは、予定通り三日目の朝だった。
小惑星をくり抜いて造られたという要塞は、外から見る限りでは無骨な岩塊にしか見えない。だが内部に入ると、通路の広さも、行き交う人員の数も、サイド3の基地とは比べ物にならないほどの規模だと分かる。前線の要と呼ばれるだけのことはあった。
案内されたのは、居住区の外れにある広場だった。こぢんまりとした祭壇を思い描いていたが、着いてみると、広場を埋め尽くさんばかりの人だかりに面食らった。聞けば、もとは有志だけの小さな集まりだったのが、いつの間かドズル閣下の耳にまで届き、「いい話じゃないか」と大いに賛同されたのだという。閣下がそう一言洩らしたというだけで話は独り歩きし、ソロモンに詰める将兵の半数近くが顔を出したいと言い出す騒ぎにまで膨らんだらしい。それでも式次第や号令のようなものは一切なく、簡素な台の上に戦死者名簿の写しと、誰かが持ち寄ったのだろう花が置かれているだけの、飾り気のない場所だった。階級章もばらばらで、所属部隊もまちまちのまま、めいめいが思い思いのタイミングで台の前に立っては、また離れていく。人数だけは膨れ上がっていたが、指揮系統だった雰囲気は不思議となかった。
ざわめきが不意に静まったのは、広場の奥で人垣がひとつ割れた時だった。現れたのは、巨躯を軍服に包んだドズル・ザビ中将その人だった。傍らに付き従うのは、見覚えのある渋い顔つきの中尉――シン・マツナガだった。表彰式で名前だけは覚えていたが、まさかこんな場所で、しかもドズル閣下の傍らで再び目にするとは思っていなかった。護衛らしき人影はほかにわずかで、儀仗も号令もない。壇上に立つでもなく、集まった将兵の輪の中に、ただ一人分の場所を空けさせただけだった。
「わざわざ号令をかける気はない。今日ここに集まった連中に、俺から言うことは大してない」 低く太い声が、思いのほか静かに広場へ響いた。「ただ――生きて帰ってこられなかった者たちのことを、忘れずにいてやってくれ。それだけだ。どれだけ勝ち星を重ねようと、帰らなかった奴らがいることに変わりはない。今日くらいは、遠慮なく悼んでやれ」
それだけ言うと、ドズルは自ら真っ先に台の花を一輪取り、深く頭を下げた。号令も合図もなかったが、それを機に列がゆっくりと動き出す。献花は、そこから静かに始まった。
順番が回ってくるまで、しばらく列の中で待った。名簿に手を伸ばし、指先でカイとベラの名前をなぞる。ペン書きの粗末な字だったが、確かにそこに刻まれていた。
何を言えばいいのか、結局最後まで分からなかった。ただ、花を一輪選んで台に手向け、しばらくの間、頭を垂れていた。特別機動大隊で過ごした一月足らずの記憶が、途切れ途切れに浮かんでは消えていく。カイの軽口、ベラの寡黙な相槌、フィンの真剣な問い、リンの静かな視線。誰も欠けてほしくなかったのに、この場に立っているのは自分一人だった。
隣に立ったガイアが、何も言わずに肩を軽く叩いてくる。それだけで十分だった。
顔を上げると、要塞の外に広がる宙域が視界の端に映った。停戦の噂通りに事が運ぶなら、この星々の向こうにもう戦場は残らないのかもしれない。もしこのまま本当に終わるのなら、カイもベラも、名簿に並ぶ他の誰もが、決して無駄死にではなかったことになる。――そう思わなければ、やっていられなかった。それでも今この瞬間だけは、ただ弔うためにここに立っていることが、自分でも意外なほど大事なことに思えた。
◇
列が一巡りする頃には、広場のざわめきも落ち着いていた。ドズルとシン・マツナガはいつの間にか人垣の向こうへ姿を消していて、来た時と同じように、号令も見送りもなかった。
「満足したか」 ガイアに声をかけられて、頷いた。「ええ、来られてよかったです」
「そうかい。――で、お前、休暇はいつまでだ」 マッシュに聞かれて、はっとした。特別休暇にも当然終わりがある。この分の往復と滞在で、残された猶予はもう心許ないくらいに削られているはずだった。
「……できれば、今日中に折り返したいです」 「気付くの遅すぎだろ」 ガイアに呆れられたが、反論の余地はなかった。
「うちの艦がサイド3方面に戻るのは、まだ数日先だ」 オルテガが淡々と告げる。三連星自身の便には乗せてやれない、ということだった。落胆しかけたところで、マッシュが顎に手をやりながら口を挟んできた。
「ああ、ちょうどいいのがある。第七師団の連絡便が、今日の後半にサイド3方面へ折り返す予定だ。うちの中隊付きの伝手で融通は利く」
マッシュが無線で二言三言やり取りすると、話はあっさりまとまった。士官一名を臨時便乗させる程度、どうということもない扱いらしい。
「世話になりました」 深く頭を下げると、ガイアが軽く背中を叩いてきた。
「気にすんな。カイとベラの分、お前が来てくれて、こっちも救われた」 その一言に、また少し胸の奥が熱くなった。
◇
連絡便は貨物と人員を半々に積んだ、飾り気のない輸送艦だった。行きの三日間とは違い、同乗者は顔も知らない他部隊の人間ばかりで、会話らしい会話もなく過ぎていく。それでも構わなかった。窓の外を流れる宙域を眺めながら、今日一日のことを頭の中で繰り返し反芻するだけで、時間は十分に埋まった。
サイド3への到着を間近に控えた三日目の朝――暦の上では一月の最後の日にあたる――艦内放送が唐突に鳴った。定時連絡にしては、様子がおかしかった。
「総本部より緊急発表。連邦軍捕虜、レビル中将が救出された模様。詳細は追って通達する」
一瞬、艦内がざわついた。停戦勧告からこちら、レビルの身柄は交渉材料として扱われているはずだった。それが今になって奪還されたという事実は、楽観していた誰の想定にもなかったに違いない。
続報が入ったのは、それから数時間後だった。救出されたレビル自身が、連邦軍全体に向けて演説を行ったのだという。今度は要旨だけでなく、演説そのものが艦内放送を通じて流された。雑音混じりの無線の向こうから、低く重い声が響いてくる。
「――我が名はヨハン・イブラヒム・レビル。統合軍の大将として、友軍によるルウム救援を指揮した」
声はまず、淡々と名乗りを上げた。
「戦いの結果は、大敗に終わった。指揮を誤ったのは、この私だ。全ての責任は、司令官たる私にある」
艦内は水を打ったように静まり返っていた。誰も、口を挟む者はいない。
「捕虜としてジオン本国に囚われていた私が、今こうして声を届けられるのは、命をかけて救い出してくれた勇敢な部下たちのおかげに他ならない。多くの将兵、多くの艦を、この作戦で失った。その罪は、私が生涯背負っていく」
一度言葉が途切れ、声の調子が変わった。
「――だが、聞いてほしい。南極で休戦の話し合いが進んでいると耳にしている。だが今、この時点での休戦を認めるわけにはいかない。それは休戦などではない。降伏に他ならないのだ! 長い歴史と文化を積み重ねてきた、この地球に生きる者たちが、専制の前に頭を垂れるということなのだぞ!」
声量が増していく。無線越しでも、拳を握りしめているのが伝わってくるような響きだった。
「なぜ彼らが、コロニー落としなどという凶行にまで手を出したのか、考えてみるべきだ。あれは、彼らの余裕のなさの表れに過ぎない。資源も兵力も限られたジオンに、長引く戦いを支える力などありはしない。だからこそ、一刻も早い講和を求めている。その誘いに、我々が乗ってやる道理はない!」
最後の一言は、雷のように艦内に響いた。
「これより先も、戦いを続けよう。ジオンに、兵なし。勝利は、必ず我々の手にある」
その一言で、艦内の空気が一変した。停戦勧告の噂に浮かれていた楽観は、跡形もなく吹き飛んでいた。戦争は終わらない。むしろ、これからが本番になる――そう理解するのに、大した時間はかからなかった。
サイド3に接舷したのは、そんな空気を引きずったまま、特別休暇の期限ぎりぎりの時刻だった。慌ただしく基地へ戻り、帰投の手続きを済ませたその足で、面会時間の最後に滑り込むように病室へ向かう。
いつもと変わらない姉の顔を見た瞬間、詰めていた息がようやく抜けた気がした。
「――ただいま」 返事はない。それでもよかった。今日あったことを、また一から話して聞かせるつもりだった。カイとベラのこと、ドズル閣下の言葉、三連星に世話になったこと――すべてを。
その夜、基地内に緊急集合がかけられた。整列した将兵を前に、上層部から通達が下る。戦争は終わらない――まずそう告げられた。南極で締結された条約は、核兵器や生物・化学兵器、コロニー落としを禁じる戦闘規定に過ぎず、講和でも停戦でもないのだと、念を押すように繰り返される。
どよめきが起きたのは、その後に続いた一言のせいだった。
「詳細は明日、正式に発表する。――地球降下作戦を敢行し、地球を我が公国の占領下に置く」
今夜伝えられたのは、その一点だけだった。詳しい規模も日取りも分からないまま、整列した列のあちこちからざわめきが漏れる。
◇
解散の号令がかかった後も、しばらくその場を動けずにいた。人波が引いていく中、見知った長身がこちらへ歩いてくるのが目に入る。ミロだった。
「――聞いたか」 ミロの方から先に口を開いた。頷き返すと、彼は小さく息を吐いた。
「地球降下作戦、ですか。隊長は詳しい話を?」 「まだ何も。上も末端まで詰め切れてない。地球に降りるってことと、時期がそう遠くないってことぐらいだ」
「隊長も、行くんですか」 「さあな。グラナダ勤務になるって話もあるが、正式な辞令はまだ来てない。俺自身、どこに回されるかも分からん。灰狼隊がどう組み込まれるかも、上からは何一つ降りてきていない」 嘘をついているようには見えなかった。この人でさえ蚊帳の外に置かれているという事実が、かえって作戦の重さを物語っている気がした。
それきり、二人とも黙り込んだ。人気の失せた通路を、当てもなく並んで歩き出す。
「――姉貴の容体は」 「変わりません。ずっと」 答えると、ミロは小さく頷いただけだった。それ以上は何も聞いてこない。
「ソロモンは、どうだった」 聞かれて、少し考えてから答えた。
「行ってよかったです。カイとベラの名前を、ちゃんと見ました。ドズル閣下まで来てくれて……あれだけの人数が集まるとは、思ってませんでした」 「そうか」 ミロはそれだけ言うと、何かを察したように、それ以上は踏み込んでこなかった。
連邦への憎しみは、あの慰霊祭を経ても消えてくれなかった。むしろ、レビルの演説を聞いた瞬間から、勢いを増していた気さえする。姉をこんな目に遭わせたのも、カイとベラを奪ったのも、元をたどれば連邦との戦争そのものだ。地球へ降りるというなら、そこに連邦の本拠地がある。因縁に決着をつける機会だと言われれば、迷う理由などないはずだった。
それなのに、心のどこかで、素直に頷けない自分がいる。
弔いの場で見た、名も知らぬ将兵たちの横顔を思い出す。誰もが、誰かを失っていた。もし地球への降下が実現すれば、あの祭壇に名前が増える側に、今度は自分がなるかもしれない。憎しみだけを頼りに動いて、それで本当に構わないのか――答えは、まだ出なかった。
「難しい顔してるな」 ミロの声で我に返った。
「……自分が何をしたいのか、よく分からなくなっただけです」 「今すぐ分かる必要はない。まだ時間はある」
それだけ言うと、ミロは軽く手を挙げて、分かれ道の方へ歩いていった。残された通路の先に、いつもと変わらない基地の灯りが並んでいる。
姉のことを思えば、傍を離れがたい気持ちに変わりはなかった。だが、このまま宇宙に留まっていていいものなのか――そんな迷いも、同じくらいの重さで胸にのしかかってくる。
どちらに転んでも、後悔だけはしたくなかった。それだけは、はっきりしていた。
その夜は、なかなか寝付けなかった。
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