翌朝、基地内の放送は普段より早い時間に鳴った。士官・下士官を問わず、大講堂への集合が命じられる。昨夜の緊急招集の続きだというのは、誰の顔を見ても分かった。
壇上に立ったのは師団参謀の一人だった。南極条約は公国と連邦の間で結ばれたものだが、戦闘そのものを止める取り決めではない。核・生物・化学兵器の使用禁止、コロニーへの攻撃禁止——そうした戦時のルールを定めたに過ぎず、戦争の継続そのものは前提とされている。つまり条約の締結は、これで終わるどころか、この先も戦いが続くことを公式に確認したに等しい、という説明だった。連邦の本拠地は依然として地球にある。ジオン公国はその中枢を叩くべく、大規模な降下作戦を計画している——言葉はいくらか婉曲だったが、要するにそういうことだった。詳細な部隊編成については、追って順次通達する、とだけ告げられ、集会は解散した。
隣に立っていたミロが、小さく息を吐いた。
「読めてたことではあるが、いざ言葉にされると重いな」
そう言う横顔に、いつもの落ち着きはなかった。発表されたばかりの大作戦の全容が、翌日にはもう各部隊の編成として固まっているはずもない。灰狼隊のように、ただでさえキシリア派という特殊な立場にある部隊であればなおさらだ。人が動くまでには、まだ時間がかかるだろうというのが、隣にいる隊長の見立てらしかった。
「グラナダの件は、正式な辞令はいつ頃になりそうですか」
「今日明日にでも、とは言われている。だが、こういう発表があった直後だ、多少ずれ込んでもおかしくはない」
ミロの返事は、いつになく歯切れが悪かった。自分の配属は固まりつつあるのに、灰狼隊そのものの行き先はまだ何も見えていない。その中途半端さが、言葉の端々に出ているように思えた。
「このまま待っていて、自分の希望通りの場所に配属されるとは、正直思えません」
思っていたことを、そのまま口にした。灰狼隊は元々キシリア個人の裁量で編成された部隊だ。通常の人事の流れに乗せられれば、地球行きどころか、後方の警備任務に回されて終わる可能性すらある。
「……進言するつもりか」
「はい。閣下には以前、休暇明けの内示の際に『希望はあるか』と聞かれたきり、答えを保留にしています。あの時の続きとして、今度こそはっきり伝えたいと思います」
ミロはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「分かった。だったら俺も一緒に行こう。グラナダの件を含めて、二人でまとめて話した方が話が早い」
その日のうちに、ミロが副官を通じてキシリアへの拝謁を願い出た。返事は思いのほか早く、翌日の午後、二人揃って私室に呼ばれることになった。
通されたキシリアの私室は、以前と変わらぬ静けさだった。書類に目を落としていた視線が、二人に向けられる。
「揃って来るとは、珍しい組み合わせだ」
どこか面白がるような響きがあった。
「お時間を頂き、感謝致します」
ミロが先に頭を下げ、まずグラナダ勤務の件を改めて確認した。キシリアは正式な辞令が二、三日中に下ることを認めた。
「それで、中尉の用件は」
視線がリオンへ移る。値踏みするような目だったが、そこには少なからず興味の色もあった。
「先日、休暇明けの内示の折に、希望はあるかとお尋ね頂きました。あの時はお答えできませんでしたが、今なら申し上げられます」
背筋を伸ばし、続けた。
「地球降下作戦に加わる部隊への配属を、希望致します。前線で戦わせて頂きたいのです」
キシリアはペンを置いた。
「姉君のことは、それでいいのか」
一拍、間が空いた。姉のことを言い訳にはしたくなかった。だが、意識のないまま眠り続ける姉の姿が、頭のどこかから離れないのも事実だった。
「姉のことは、心残りではあります。ですが、姉が目を覚ました時、自分が何もせずに後方でくすぶっていたと知られる方が、よほど情けないと思います」
キシリアはしばらく黙ってリオンを見ていた。その目に浮かんでいたのは、上官としての値踏みだけではなかったように思う。少しの間の後、ふっと表情が緩んだ。
「姉君のことは、私も気にかけている。案じているなら、留守の間くらいは私が目を配っておこう」
思いがけない言葉だった。
「……恐れ入ります」
そう返す間に、キシリアはもう表情を戻していた。
「いいだろう。中尉の希望は聞き届ける。ただし、正式な辞令には手続きが要る。数日は待ってもらうことになる」
「感謝致します」
キシリアは椅子の背にもたれ、続けた。
「ちょうどいい話がある。地上運用型のJ型——ザクIIの新仕様が、今ちょうど最終テストの段階に入っている。中尉が地球を希望するなら、うってつけの仕事だ。あの機体の慣熟訓練と、地球での実戦テストを任せたい」
「……自分にでしょうか」
「ジオン十字勲章まで授けた腕だ。地上でも、その腕を存分に見せてもらおう」
声には、事務的な指示とは少し違う響きがあった。買っているのだ、と分かった。
「宇宙と地上とでは、戦い方がまるで違う。新型機の実戦適性を見るには、ちょうどいい機会だろう。ただし、それには重力に体を慣らす対G訓練が要る。怠れば、戦う前に体の方が先に潰れることになる」
「はい」
「それほど間を置かず、別のコロニーへ移ってもらう。1G環境下での訓練に、本格的に入ってもらうことになる。辞令が下りるまでの間、暇があるとは思わないことだ。念入りに仕込んでおけ」
「はい」
深く頭を下げたところで、隣のミロが口を開いた。
「閣下、もう一点よろしいでしょうか。自分のグラナダでの任務ですが、地球降下作戦の後方支援・補給調整にも携わらせて頂けないでしょうか。前線に出た者の武装や機体整備の要望を、少しでも現場に近い形で拾い上げられればと思います」
名指しこそしなかったが、その意図は明らかだった。キシリアは少しの間ミロを見て、小さく口の端を上げた。
「中佐らしい進言だ。——考えておこう。だが中佐ほどの腕前を、事務仕事だけで遊ばせておくつもりはない」
そこで一拍、間が空いた。
「……灰狼隊も、これで解散か」
独り言のような響きだった。
たった一月あまりしかいなかった部隊だ。それでも、その短さでは測れないものを、ここで経験した。初陣を飾り、幾度かの激戦を生き延び、姉は重傷を負い、自分は英雄として祭り上げられた。その全てが、この灰狼隊で起きたことだった。
それ以上は何も続けず、キシリアはすぐに話を切り上げた。
「それだけだ、下がれ」
私室を辞去し、廊下に出たところで、ミロが小さく息を吐いた。
「言うだけは言ったな」
「はい。……あとは、辞令が下りるのを待つだけです」
「お前が自分から言い出すとは思わなかった」
「隊長がいなければ、拝謁を願い出ることすら思いつきませんでした」
軽く返すと、ミロは肩をすくめただけで、それ以上は何も言わなかった。
夕方、いつも通り姉の病室を訪ねた。意識のないまま横たわる姉の顔は、この数日変わらない。医官の話でも、悪化はしていないが好転の兆しもまだない、ということだった。
枕元の椅子に座り、今日あったことをそのまま話した。地球降下作戦のこと、キシリアへの進言のこと。返事のない相手に話しかけるのは、もう慣れたつもりでいたが、今日ばかりは声が続かなかった。
「……姉さんを置いて行くことになる。自分から望んだことだから、後悔はしていないつもりだけど」
言ってしまってから、それが誰かに聞かせるための言葉ではなく、自分自身への確認だったことに気づく。手を伸ばし、姉の指に軽く触れた。冷たくはない。ただ、握り返してくる力がないだけだ。
「連邦の本拠地に近づくことが、姉さんのためになるのかは、自分でもまだ分からない。それでも、ここでじっとしているよりはましだと、そう思ったんだ」
沈黙の中で、ソロモンで見た献花の列を思い出した。ドズル閣下の短い言葉、カイとベラの名前を確認して花を手向けたときの静けさ。あの場にいた誰もが、憎しみだけで立っていたわけではなかった。それでも、レビルの演説を聞いた夜から、胸の奥でくすぶり続けているものは消えていない。答えの出ない綱引きは、今もまだ続いている。
病室の灯りが遠ざかるのを振り返りながら、リオンは重い足取りで宿舎へ向かった。
翌日、格納庫に顔を出すと、グラムが整備作業に追われていた。いつもの気安さの奥に、どこか疲れが見えた。
「聞いたぞ、キシリア様に直談判したんだってな」
「耳が早いですね」
「整備屋の情報網を舐めるなよ。……辞令が下りるのはまだ先なんだろう」
「はい、数日はかかるそうです」
「なら、それまでは大人しくシミュレーターでも回してろ——と言いたいところだが、今度乗る機体は、うちの班じゃ触ったこともない代物なんだろう」
「はい。地上運用型の新仕様だそうで、自分もまだ実物は見ていません」
「畜生、そそられるな。図面だけでも一目拝みたいもんだ」
軽口のつもりらしかったが、その先に少し間があった。
「……お前さんが今度乗る機体、最後まで面倒見てやれないってのは、正直ちょっと悔しいな」
「そう言って頂けるだけで、十分です。……いっそ、地球までついてきて頂いても構いませんよ」
軽く冗談めかして言うと、グラムは鼻を鳴らして笑った。
「俺みたいなロートルは、宇宙だけで手一杯だ。地球なんて、重力に潰されちまう」
そう言って笑っていたグラムが、ふっと真顔になった。工具を握る手を止め、こちらをまっすぐに見る。さっきまでの気安さが、嘘のように消えていた。
「向こうに行ったら、ちゃんと信用できる整備屋に当たれよ。機体の癖ってのは、乗り手より先に整備屋の方が気づくもんだ」
それだけ言うと、グラムは再び工具を手に取り、作業に戻っていった。作業に没頭するその背中を眺めながら、リオンはこの部隊で過ごした一月あまりの短さと、その中に詰め込まれたものの多さを、あらためて思った。
辞令はまだ下りていない。だが、自分の口で望みを口にした以上、もう迷う余地はないはずだった。
辞令が下りたのは、それから三日後のことだった。文面には、地球降下作戦に向けた地上戦闘実証部隊付属パイロットとして、サイド3内の別コロニーにある実験施設への出向が記されていた。ミロのグラナダ行きも、同日付で正式になっている。出発は三日後——灰狼隊としての籍は、その日をもって形の上でも失われることになる。
文面の末尾には、もう一行だけ付記があった。機体そのものは支給の仕様だが、色だけは自由に指定してよい、という一文だった。ジオン軍のパイロットにとって、機体の色は肩書きよりも雄弁に何かを語る。何色にするか、まるで見当がつかなかった。ふと、灰狼隊という名前が頭をよぎった。灰色、か——それでいい気がした。指定欄に「灰色」と書き入れ、辞令の紙を折り畳んだ。
残された時間は慌ただしく過ぎた。私物の整理、若手パイロットへの最後の指導。姉の病室にも毎日通ったが、話せることはもうほとんど話し尽くしていた。ただ黙って手を握る時間が増えた。
出発の朝、格納庫の前でミロと落ち合った。輸送便の乗り場はここから別方向になる。同じ場所で見送ることすら、もうできない。
「グラナダに着いたら、真っ先に補給ルートを洗う。地上に降りた誰かが、部品一つで足止めを食うような真似はさせない」
「よろしくお願いします」
「そっちこそ、機体の癖くらい、自分の身体で覚えろよ。誰にも頼らずに帰ってこられるくらいにな」
「はい」
短いやり取りだった。それ以上、言葉にすることは互いになかった。ミロが先に踵を返し、リオンもまた別の輸送便へと歩き出した。
灰狼隊として過ごした日々は、ここで本当に終わったのだと、歩きながら実感した。
輸送便の中は、これまで乗ってきたどの便よりも静かだった。個人の私物を詰めた荷物一つと、辞令の写しだけを抱え、座席に身を沈める。窓の外に流れる星々を眺めながら、ふと、あの慌ただしかった一月あまりのことを思い返した。初陣、幾度かの激戦、姉の重傷、勲章、そしてこの異動。どれも、まだ実感が追いついていない気がした。
目的地のコロニーは、居住区に入る限りではこれまでと変わらない重力だった。違和感を覚えたのは、案内された訓練区画に足を踏み入れた瞬間だった。歩くたびに、足の裏にかかる重みが明らかに違う。案内の技術局員によれば、この一角だけ内壁の回転数を調整し、地球と同じ1.0Gの環境を人工的に再現しているという。
格納庫に入る前に、まず簡単な説明会に集められた。壇上に立ったのは軍医官と、対G訓練を統括する教導大隊の教官だった。軍医官が淡々とした口調で切り出す。
「まず理解しておいてほしい。諸君らの身体は、コロニー内でこそ重力に慣れているが、パイロットとして機体を操り、戦ってきたのは、その大半が無重力の宇宙空間だ。血管も筋肉も、地上のような持続的な重力負荷には慣れていない。それをいきなり地球の重力に叩き込めば、最悪、血管が悲鳴を上げて意識を落とす」
淡々とした説明の中に、脅しではない実感がこもっていた。
「だからこそ、この二十日は段階を踏む。今日から三日間は、地球と同じ一G環境で基本動作を体に覚え込ませる。その後、負荷を少しずつ引き上げ、身体の方をこの重力に慣らしていく。急がば回れだ。ここで焦って基礎を疎かにした奴から、後半の高負荷についていけなくなる」
続けて教官が、実機訓練とシミュレーター、座学と休息日を組み合わせた大まかな流れを説明した。休息日には低重力区画での回復も組み込まれているという。二十日という数字を聞いて、リオンは内心で小さく息を吐いた。重力に身体を慣らすには、あまりに短すぎる。
説明会が終わると、各自の担当区画へと散っていく。案内された先が、リオンにとっての格納庫だった。
格納庫には、既に大勢のパイロットが集まっていた。数えるまでもなく百人単位、聞けば二百名近くがこの訓練に参加しているという。誰もがルウム戦役を生き延びた歴戦の顔ぶれで、階級は下は曹長から上は少佐まで幅広い。その視線の多くが、入ってきたリオンに向けられているのが分かった。ジオン十字勲章を受け、プロパガンダにまで名前が使われた自分は、この場でも否応なく注目の的になるらしかった。
視線の質は、一様ではなかった。すれ違いざまに軽く顎を引いて寄越す者がいる。それとは対照的に、値踏みするような目を隠しもせず向けてくる者もいた。少し離れた一団からは、聞こえよがしの声も飛んできた。
「あれが……姉貴に庇われて、勲章まで貰ったっていう子か」
「プロパガンダ映えする面してるじゃねえか」
揶揄とも羨望ともつかない響きだった。近くにいた曹長格の一人が、ずかずかと歩み寄ってくる。
「中尉殿、宇宙じゃ大した腕前らしいですが。ここじゃ勲章は何の役にも立ちませんよ。——むしろ宇宙の感覚が染み付いてる奴ほど、後半になってから苦労する羽目になる」
「肝に銘じておきます」
年嵩の相手にはそう返すしかなかった。体裁こそ保っているものの、突っかかるような物言いの裏に、多少なりとも実力を試そうとする気配がある。それが敵意なのか、単なる興味なのか、この場に立ったばかりの自分には判別がつかなかった。居心地の良いものではなかったが、気圧されている暇もなさそうだった。
通された先に、件の機体が置かれていた。ザクIIの脚部・関節構造を大幅に見直した新仕様。装甲は指定した通りの灰色に塗り上げられている。合わせ目や脚の付け根の造りも、これまで乗ってきたどの機体とも違う。
周囲から、抑えきれない囁きが漏れ聞こえてきた。
「勲章持ちはいいよな、パーソナルカラーまで付けてもらえるんだから」
「見てろよ、俺だってそのうち貰ってやる」
ここに集められているのは、いわば選りすぐりの精鋭たちだ。その中でも、自分は否応なくトップクラスの扱いを受けている。外から見ればやる気があるのかないのか分かりにくい態度かもしれないが、自分から志願してここに立っている以上、腹の底の決意まで疑われる筋合いはなかった。連邦をこの手で叩きに行くという一点だけは、誰よりもはっきりしている。それでもなお、パーソナルカラーまで与えられているとなれば、やっかまれて当然だという自覚はあった。傍らにいたのは、この訓練を統括する教導大隊の教官だった。対G訓練を専門に扱う古参で、機体を見上げるリオンに気づくと声をかけてきた。
「噂は届いている。灰狼隊の出身だそうだな」
「至らぬ点も多いかと思います。ご指導のほど、よろしくお願いします」
目上への礼を欠かさぬよう、そう答えた。教官は軽く笑うと、手元の端末で機体のスペックを呼び出した。
「まずは覚悟しておけ。この機体のOSはまだ地上用に仕上がり切っていない。補正を鵜呑みにせず、自分の判断で操作量を加減しろ。今日はまだ地球と同じ1.0Gだ、大したことはないと思うだろうが——それを二十日かけて1.3Gまで引き上げていく。今日甘く見た奴から、後半で音を上げることになる」
「では乗れ。まずは身体に覚えさせろ」
言われるがまま、初めてコクピットに身を沈めた。腰を落とした瞬間、これまで乗ってきたどの機体とも感触が違うことに気づく。量産機のシートは、座った拍子に尻から沈み込み、底に当たるまで妙な柔らかさに付き合わされるものだった。だがこの座面は違う。高密度のクッションが、沈み込む間もなく下から押し返してくる。深く腰掛けるほどに、むしろしっかりと支えられる感覚があった。
表皮に触れた感触にも違和感があった。量産機特有の、ノーマルスーツ越しにつるりと滑るビニール地ではない。目の詰まったスエード調の生地が、身体の動きに合わせて僅かに引っかかり、姿勢を裏切らない。
ベルトを締め、試しに上体を左右に振ってみる。座面にも背もたれにも、ミリ単位の遊びすら感じられなかった。代わりに、奥に仕込まれているらしい太いダンパーが、揺り戻しの震えを一拍で殺してしまう。指揮官用のS型に使われている良品を回してもらっている、と教官が付け加えた。整備班の職人が一本一本増し締めしたというその座席は、かたかたと余韻を引きずる量産機の座席とは、明らかに作りが違った。
コクピットハッチが閉まる前、軍医官が短く告げた。
「バイタルは常時こちらで監視する。危険域に入れば、機体側で強制的にシステムを止める。無理はするな」
自分の意思とは無関係に止められる、という響きに落ち着かないものを感じながらも、頷くしかなかった。
バケット状の背もたれは、背骨のどこか一点に当たるのではなく、肩甲骨から腰まで、背中全体で均等に体重を受け止めてくれる。この造りなら、この先負荷が上がっても、余計な痛みに気を取られずに済みそうだった。数字には表れない、支給品と支給品の間にある確かな差を、座った瞬間から思い知らされた。
これまで乗ってきたどの機体より、明らかに金がかかっている。それだけの物を用意されたということは、それだけの結果を出せと言われているのと同じだった。座り心地の良さが、そのまま重荷になって肩にのしかかってくるような気がした。
初日のメニューは、実機による基本歩行とダッシュ訓練、三十分だけだった。地球と変わらない1.0G。たかが1.0G、と侮っていた。動かしてみると、確かにそこまで大げさな話ではなかった。転ぶことも大破することもない。ただ、終始つきまとう感覚があった。腕を振っても、脚を踏み出しても、機体のあらゆる部分がほんの少し重い。常に何かに下へ下へと引っ張られているような、宇宙では感じたことのない妙な引力があった。
スラスターで軌道を変える感覚のままバーニアを軽く吹かすと、思ったより機体が浮かない。宙に浮いた分だけ、律儀にその何かが引き戻してくる。着地も、宇宙の感覚で身構えるとワンテンポ早く、脚がまだ着いていないうちに重心を預けてしまいそうになる。
「その引っ張られる感覚に、まず慣れろ。宇宙では気にする必要のなかったものだ」
無線越しに、教官の声が飛んでくる。周りの機体も、似たような戸惑いを見せていた。すぐ隣で訓練していた曹長格の機体も、時折わずかに姿勢を崩しては立て直している。宇宙では、あの動きだけで敵機を翻弄してきたはずの手練れたちが、たった1.0Gの引力一つに、揃って調子を狂わされていた。
宇宙と地上とではこれほど勘所が違うものかと、じわじわと実感させられた。今まで積み重ねてきた技術も勘も、そのままでは通用しない部分がある。
「ここでは、跳ぶより歩け。地面を蹴った分だけ、地面がお前を引き戻してくる」
教官の言葉に頷きながらも、身体に染みついた動きの記憶がそう簡単に書き換わるはずもなかった。バーニアを使わず、フットペダルの操作だけで一歩ずつ踏み出す練習に切り替える。何度も繰り返すうちに、三十分の終わりごろには、ほんの少しだけ、あの引っ張られる感覚との付き合い方が掴めてきた気がした。踏み込み、脚が重さを受け切るのを待ち、そこから次の一歩へ移す呼吸——踏み込み、受け止め、送り出す。単純な三拍子のはずなのに、これまで宇宙で培ってきた反射は、ことごとくその拍子を狂わせにかかってくる。
三十分が終わる頃には、コクピットの中の自分の身体にも、軽い疲労が残っていた。派手に転げ回るほどではなかったが、あの下へ引っ張られる感覚だけは、目を閉じてもまだ残っているような気がした。たった1.0Gでこれなら、この先の二十日で何が待っているのか、まだ実感は湧かない。それでも、望んでここに来た以上、二十日かけてでも身体に叩き込んでやる、という思いの方が勝っていた。
午後は居住区に戻っての座学と、1.0Gのシミュレーターによる地形進軍・索敵訓練に充てられていた。地球の気圧、気候、地形。連邦軍地上部隊の戦術。宇宙では意識したこともない要素の羅列は、午前の疲労の残る頭にはなかなか馴染まなかったが、実機を降りての作業だけに、身体だけは休まった。シミュレーター上でのろのろと地形を進みながら、教官の声を思い返す。
今日を甘く見た奴から、後半で音を上げる——たった三十分でこの有様の自分に、その言葉は重くのしかかった。それでも、焦っても仕方がない。まずは目の前の一日を、こなしていくしかなかった。
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