三日間の猶予は、それぞれにとって、それぞれの使い方があった。
まず動いたのは、グレタだった。
「――全機、一旦格納庫に集めて」
これまで、僕は彼女がここまではっきりと指示を出すところを見たことがなかった。
「グレタ?」
「暗礁地帯用に、全部組み直す。時間、ない。急いで」
言うが早いか、彼女はもう工具を手に、僕の機体の装甲を剥がし始めていた。
三日間、僕らの機体は、ほとんどグレタの手の中にあったと言っていい。
「センサー、暗礁地帯用の反応速度に調整。隕石の破片は、通常の索敵範囲だと反応が遅れる」
「関節部の可動域、限界まで広げる。……リオン、あなたの動き方だと、これくらいやっておかないとまた壊す」
「装甲、部分的に軽量化。機動性優先。ただし、要所は逆に厚くする。どうせ、無茶な受け方をするだろうから」
最後の一言は、僕に向けられたものだったが、彼女は顔も上げずにそう言った。図星だった僕は、何も言い返せなかった。
グレタの周りには、いつしか整備科の同期たちも集まっていた。
「グレタ、その調整案、関節の可動域を広げすぎじゃないか? 強度計算、合ってるのか」
「合ってる。念のため、もう一回シミュレーションかけて」
「もう三回目だぞ、それ」
「四回目でも五回目でも、納得するまでやる」
整備科の同期の一人が、呆れたように肩をすくめながらも、渋々端末に向き直る。
「あんたがそこまで意固地になるの、珍しいな」
「今回は、失敗できない」
グレタは、珍しくきっぱりとそう言い切った。その横顔には、いつもの機体オタクらしい無邪気さとは違う、張り詰めた真剣さがあった。
「――リオンの動き、見たことあるだろ。あの動かし方に耐えられる機体を作れるの、多分、私しかいない」
誰へともなく零されたその一言に、周りの同期たちは顔を見合わせ、それ以上茶化すのをやめた。
クルトとエルフィの機体には、また違う調整が施されていた。
「クルトの機体は、通信・索敵系統を強化する。指揮を執るなら、情報の遅延が命取りになる」
「私の乗る艦は今回関係ないけど……ああ、そうか。今回の想定シナリオでの後方支援機を、私仕様に調整してくれてるのね」
「うん」
短い返事の中にも、グレタなりの気遣いが滲んでいた。
その間、僕はと言えば――いつも通り、シミュレーターの前に座り続けていた。
「暗礁地帯の想定データ、来た。とにかく回数、こなす」
自分でそう決めて、朝から晩まで、隕石を模した障害物の中で機体を動かし続けた。ただし、目的は移動そのものではなかった。移動だけなら、正直そう時間はかからずに感覚を掴めた。難しいのは、その中で"戦う"方だった。
だが、この三日間だけは、僕一人ではなかった。
「――お前も暗礁地帯用の訓練か」
隣のブースから声をかけてきたのは、パイロット科の同期の一人だった。他にも数人、同じように暗礁地帯を想定したシミュレーターに齧りついている顔ぶれがあった。試験に選ばれたのは僕らのチームだけだったが、いずれ配属されれば誰もが直面しうる状況だと、教官陣が特別に開放してくれていたのだ。
「移動はもう慣れたけど、戦闘になると別問題だよな」
「うん、それ。隕石避けながら照準合わせるのと、隕石避けながら"斬り合う"のとじゃ、全然感覚が違う」
「お前でもそうなのか、少し安心した」
同期の一人が、そう言って苦笑いを浮かべる。
「隕石の回避パターン、お前はどうやって覚えてる?」
「覚えてない。その場のを、その場で見て動いてるだけ」
「それができたら苦労しないんだよ……」
同期の一人が、頭を抱えながらそう零す。
「感覚だけで乗り切れる奴と、そうじゃない奴がいるんだよな、やっぱり」
「そんなことないと思うけど。回避パターン、僕も一応、頭には入れてるつもり」
「入れてるだけで、実際に動くときはそれ無視してるだろ」
図星を突かれて、僕は苦笑いを返すしかなかった。
それでも、彼らと肩を並べて何百回と模擬戦形式のシミュレーションを回すうちに、ちょっとした発見があった。
「――お前のその、隕石を避けるんじゃなくて、隕石の"隙間の隙間"を通る動き、あれもう少し詳しく教えてくれよ」
「隙間の隙間、って言われても……あ、多分だけど、隕石同士がぶつかった直後の反発方向って、一瞬だけ予測しやすくなるんだよね。そこを縫う感じ」
「……それ、お前にしか分からない感覚だと思うぞ」
同期たちの呆れ笑いに、僕もつられて笑ってしまった。だが、彼らと過ごしたこの三日間は、一人でひたすら回数をこなすだけの訓練よりも、確かに何かを僕の中に積み上げてくれた気がした。
二日目の夜、僕は同期の三人に、あるお願いをした。
「――三人がかりで、僕を狙ってくれない?」
「は?」
声を揃えて聞き返されたのも無理はなかった。
「暗礁地帯の中で、三対一。もちろん、向こうも本気で来てほしい」
「無茶言うなよ……ただでさえこの環境、一対一でも手一杯なのに」
「うん、分かってる。でも、シーマ中佐が相手だと考えたら、多分これでも足りないくらいだと思う」
その一言に、三人は顔を見合わせ、それぞれ諦めたように苦笑いを浮かべた。
「お前がそこまで言うなら、付き合ってやるよ」
シミュレーターが起動する。暗礁地帯を模した空間の中、三方向から同時に迫る攻撃を、僕はひたすら捌き続けた。
初日は、惨敗続きだった。
「――そこ、隙あったぞ」
「見えてなかった、今の」
一度目、二度目、三度目。何度やり直しても、三人がかりの連携には、ことごとく判定上の"撃墜"を突きつけられた。息が上がり、思考が追いつかなくなっていく。だが、それでも僕は、やめようとは言わなかった。
「もう一回、いい?」
「お前、懲りないな」
呆れながらも、同期たちは律儀に付き合ってくれた。
二日目に入る頃には、少しずつだが、変化が出てきた。三機のうち一機を、判定上の"撃墜"に追い込めるようになったのだ。ただし、その代償は大きかった。
「――判定、被弾。装甲、半壊」
一機を仕留める代わりに、残る二機の集中砲火をまともに浴びる。そんな展開が、何度も繰り返された。判定上とはいえ、機体の半分近くが使い物にならなくなった状態で、それでも"撃墜数で上回った"というだけの、綱渡りの勝ち方だった。まともに一発も貰わずに切り抜けられたことは、一度もなかった。
「なんとか、勝った……のかな、これ」
「なんとか、って感じだったな、正直」
同期の一人が、苦笑いを浮かべながらそう評した。
だが、三日目の後半になると、その"なんとか"の質そのものが、変わり始めていた。
「――もう一回」
何十回目かの試行で、僕は初めて、被弾なしで三機全てを退けた。
「――は? 今の、無傷か?」
「……本当だ。装甲、判定上まったく減ってない」
驚く同期たちをよそに、僕自身も、妙な感覚に包まれていた。三対一という状況そのものへの恐怖が、いつの間にか薄れていた。誰がどこから来るか、その気配を、体が勝手に拾えるようになっていたのだ。
それからは、勝つこと自体は、そう珍しいことではなくなっていった。何度やっても、大きく崩されることはない。だが――
「――くっ、ロックオン、外せない」
どれだけ動きを読み、間合いを制しても、最後の最後、照準そのものを完全に振り切ることだけは、最後までできなかった。判定上の"撃墜"こそ免れても、狙われ続けているという事実そのものは、変わらなかったのだ。
「――お前でも、そこは無理か」
三日目の夜、疲労困憊でシミュレーターを降りた僕に、同期の一人がそう零した。
「うん。避けることと、狙われないことは、別物みたい」
「贅沢な悩みだな、それは」
その言葉に、僕は苦笑いを返すしかなかった。三対一を退けられるようになったことは、確かに大きな進歩だった。だが、シーマ中佐が相手なら、この"ロックオンされ続ける"という一点だけで、命取りになりかねない。その事実だけは、最後まで拭えなかった。
一方、クルトとエルフィは、二人で作戦室に籠りきりだった。だが、そこにも、二人きりではない時間があった。
「エルフィ、この布陣の読み、本当に正しいと思うか?」
参謀科の同期の一人が、資料を覗き込みながらそう尋ねる。
「絶対とは言えません。ただ、教導班の過去の戦例を見る限り、この三パターンのどれかである可能性が高いと考えています」
「三パターンのうち、一番怖いのはどれだ?」
「――輸送艦を分断してから各個撃破するパターンです。もしこれを選んでくるなら、指揮官役と遊撃役の連携が、序盤で崩されるリスクがあります」
エルフィの分析に、周りの同期たちが唸る。
「お前、いつもそうやって、最悪のパターンから考えるよな」
「最悪を想定しておけば、それ以外は全部"想定内"にできますから」
その言葉に、誰かが小さく笑った。
「エルフィって、真面目すぎて怖くなる時あるよな」
「そうですか? 私は、単に、失敗が嫌いなだけです」
澄ました顔でそう返すエルフィに、同期たちは顔を見合わせて笑った。だが、その笑いの中には、確かな信頼の色があった。
「なら、俺はそれぞれの布陣に対する初動指示を、事前に叩き込んでおく」
クルトが、そう言って資料を引き寄せる。
「ええ。あと――リオンの分岐パターンも」
「あいつの分岐パターンなんて、読み切れるのか」
「完全にはね。でも、"傾向"だけなら」
二人はそう言って、深夜まで、想定問答を繰り返していたという。その傍らで、参謀科の同期たちも、エルフィの分析に付き合いながら、資料の山と格闘し続けていた。
三日目の夜、僕がシミュレーター室を出ると、格納庫にはまだ明かりが灯っていた。
「――終わったの?」
グレタが、油まみれの手のまま、僕の機体を見上げていた。
「うん。とりあえず、今できることは全部やった」
「そう」
短くそう言うと、彼女は初めて、少しだけ笑った気がした。
「私も。……これで、多分大丈夫」
その一言だけを残して、彼女はまた工具を手に取り、最後の調整に戻っていった。
その背中を見ながら、僕は、この三日間、誰一人として手を抜かなかったことを、改めて実感していた。
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試験当日、出撃前の最終ブリーフィングには、三人の教官全員が顔を揃えていた。
「時間だ、始める」
オットー教官が、そう言って壁面の投影図を切り替える。暗礁地帯の立体地図と、想定される輸送艦の航路が映し出された。
「輸送艦は、この経路を通って護衛エリアを目指す。お前たちの役割は、輸送艦が離脱するまでの間、これを守り抜くことだ。繰り返すが、目的は殲滅ではない。輸送艦を、無事に護衛エリアの外へ出すこと、それだけだ」
「開始と同時に、通信環境は実戦想定のノイズを再現する。多少の遅延、途切れは織り込んでおけ」
ハンス教官が、いつもより幾分か抑えた声でそう付け加える。
「制限時間は設けない。輸送艦が護衛エリアを突破するか、あるいは大破判定を受けるか――決着がつくまで、試験は続く」
最後に、イルゼ教官が、感情の読めない声でそう告げた。
「質問は」
「――ありません」
クルトが、代表して答える。誰も、それ以上何も言わなかった。
「では、搭乗開始」
その号令と共に、僕らはそれぞれの機体へと向かった。
僕らのチームは、あの入学初日から変わらず、四人のままだった。
「作戦は、任せる」
試験開始前、僕はエルフィにそう告げた。
「分かりました。ただし――リオン、あなたの動きだけは、私にも完全には読めません。だから、大枠だけを決めます。細部の判断は、あなた自身に委ねます」
「了解」
「基本方針は、輸送艦を挟んで対称に展開する二正面防御です。ただし、これはあくまで初期配置の話です」
エルフィは、そう言って手元の端末に暗礁地帯の想定図を呼び出した。
「シーマ中佐がどちらの隊列に紛れているか、開始直後には判別できません。もし正面に現れれば、指揮官として経験のあるクルトが相手をした方がいい。逆に、右舷か左舷、輸送艦の死角側から来るようなら――」
「僕が行く、ってことだね」
「はい。中佐の性質上、恐らく死角を突く側に回る可能性が高いと見ています。あくまで"高い"であって、絶対ではありませんが」
「クルト、指揮系統は、私とグレタの意見を都度吸い上げてください。特にグレタの機体状況報告は、最優先で」
「分かってる」
グレタは、いつも通り機体のチェックに余念がなかったが、耳だけはこちらに向けているのが分かった。試験形式では、彼女は僕とクルトの乗る機体に取り付けた簡易センサーの数値を、後方の支援艦から常時モニタリングする役目を担うことになっていた。エルフィもまた、同じ支援艦の作戦室から、隕石群の挙動と敵の動きを計算し続ける立場だった。
――出撃。
実際に暗礁地帯へと出るのは、僕とクルトの二機だけだった。
カタパルトを抜けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、これまで見たどんな戦場のデータよりも、静かで、それでいて息が詰まるような光景だった。
大小さまざまな隕石が、無数に、無秩序に浮かんでいる。太陽光の届かない陰の部分は、闇そのものと見分けがつかない。時折、隕石同士が緩やかにぶつかり、砕けた破片が新たな軌道を描きながら散っていく。その一つ一つが、この瞬間もこちらへと向かってきているかもしれない。
シミュレーターでは、どれだけ精巧に再現されていても、この"静けさの中の緊張感"だけは味わえなかった。音のない宇宙空間で、視界の端を絶えず何かが過っていく感覚。それは恐怖に近く、けれど同時に、僕の中の何かを妙に高揚させてもいた。
「隕石帯、密度、想定の一・二倍……! 予定より、視界不良が深刻です」
支援艦から届いたエルフィの声にも、緊張が滲んでいた。
「クルト、聞こえてる?」
「聞こえてる。……こいつは、思ったより骨が折れそうだ」
通信越しのクルトの声にも、いつもの余裕は薄かった。
暗礁地帯は、シミュレーターのデータよりも遥かに視界が悪かった。隕石の破片が、絶えず視界の端を横切る。
「輸送艦前方、敵影五機接近! 隕石の陰から、こちらのレーダーを避けるように接近しています!」
支援艦から、エルフィの警告が飛ぶ。
「――内訳は?」
「三機が正面から威嚇的に接近、残る二機は、輸送艦右舷側の索敵の死角――隕石の裏に回り込もうとしています。恐らく、正面の三機は陽動。本命は、右舷から輸送艦に取り付く二機です」
エルフィの声には、既に敵の意図を読み切ったような確信があった。
「右舷の二機のうち一機、機体反応が他と明らかに違います……! 恐らく、ザクII S型――シーマ中佐御本人の乗機です」
教導班の他の機体は、揃ってザクII C型だという事前情報だった。それに対して僕とクルトが与えられているのは、制式配備の機体ではなく、あくまで訓練用の旧ザクだ。性能差は、素人目にも歴然としていた。
「中佐は、輸送艦の死角側――右舷にいます。事前の想定通りです」
エルフィの声に、迷いはなかった。
「クルト、正面の三機を。リオン、あなたが右舷の二機、中佐を含めて対応してください」
「聞いての通りだ」
クルトの声が、すぐに続く。
「正面の三機は、俺が輸送艦の直衛として引き受ける。リオン、お前は右舷に回り込む二機を潰せ。輸送艦の死角を、絶対に晒すな」
「了解!」
その言葉を最後に、僕とクルトの機体は左右に分かれた。
クルトの機体は、正面から迫る三機の敵を一手に引き受ける形で、輸送艦の直前に立ちはだかった。多勢に無勢の中、指揮官として、なおかつ一人のパイロットとして、彼はその場に踏み留まり続けることを選んだのだ。
僕はと言えば、輸送艦の右舷側、隕石の陰を縫うように進む二機の敵影を追っていた。片方が、正真正銘のエースの乗機だと思うと、腹の底が僅かに冷えた。だが同時に、妙な高揚感もあった。
これまでとは違う焦りがあった。一刻も早くこの二機を片付けて、クルトのもとに戻らなければならない。その一念が、僕の判断を、いつも以上に際どい方向へと押しやっていた。
「リオン、隕石群との距離、詰めすぎです! もう少し余裕を――」
エルフィの声が、珍しく咎めるような響きを帯びる。分かっていた。だが、遠回りをしている時間はなかった。僕は、あえて隕石の群れのすれすれを縫うような、最短距離の軌道を選び続けていた。
「大丈夫、まだいける!」
紙一重で、巨大な岩塊の脇を擦り抜ける。安全マージンを削った分だけ、進みは速くなる。それでいい、と自分に言い聞かせた。
だが、そうしている間にも、右舷側の二機は着実に距離を詰めていた。このままでは、輸送艦の死角に取り付かれる。
――それでも、まだ足りない。
直線的な追跡だけでは、隕石群による減速が響いて、追いつけない。僕は咄嗟に、進行方向にある小型の隕石の表面へと機体を叩きつけた。脚部で蹴りつけた反動を、そのままブースト噴射に上乗せする。教本にはない、無茶な加速方法だった。
「リオン、今の機動は……!」
エルフィの驚いた声が、通信越しに飛んでくる。
「近道! 一秒でも早く片付けて、そっちに戻る!」
答えながらも、僕は次の隕石へと狙いを定めていた。着地の衝撃、反動の方向、そのどれもが毎回微妙に違う。だが、その"読めなさ"こそが、この地帯を突破するための唯一の手段だった。
跳躍を繰り返すこと、数度。ついに、右舷へ回り込もうとしていた二機の敵影を、視界の中に捉えた。片方が、間違いなくエースの機体だった。
「――逃がさない」
僕は、隕石から隕石へと跳ぶ勢いを殺さないまま、二機の間へと躍り込んだ。上下左右、あらゆる方向から迫る隕石の隙間を縫うようにして繰り出す、立体的な奇襲だった。
狙いは、エースではない方の一機。
隕石の陰から死角に飛び込み、振り抜いたヒートホークで、まず関節部を捉える。装甲を貫くほどの威力はなくとも、動きを封じるには十分だった。
そのまま、僕は機体を捻り、動きを止めた敵の胴体を思い切り蹴り抜いた。狙いは撃墜ではない。その反動を使い、機体ごとシーマの方向へと弾かれるように加速する。
蹴り飛ばした勢いのまま、僕は振り返りざまにマシンガンを掃射した。狙いは、コックピット。
「判定:撃墜」
無機質な音声と共に、一機が機能を停止し、その場に力なく漂い始めた。
「――は?」
通信に紛れて、困惑した声が漏れ聞こえた気がした。
その勢いを止めないまま、僕は残るもう一機――シーマの機体へと、そのまま突っ込んだ。距離は、瞬く間に間合いの内側まで詰まる。
「――八艘飛び、ってやつか。まさか、こんなところで見るとはね」
そう零したのは、エースの機体――シーマ中佐、その人だった。故事に出てくる、船から船へと飛び移る離れ業になぞらえたその言葉には、隠しきれない驚きが滲んでいた。
「――一機、落ちました……!」
エルフィの驚きを隠しきれない声が、通信越しに届く。
「まず、一機!」
無邪気に喜んでいる余裕はなかった。残るは、本命のシーマだけだ。僕は短くそう返すと、いつもの戦い方に入った。マシンガンでの牽制射撃から、進路を制限しての白兵戦。何度も繰り返してきた、僕の得意な間合いだった。
だが、シーマは、その動きを見切っていた。
射撃で誘導しようとした進路を、最小限の機動で外される。間合いを潰そうとブーストで踏み込んだ一撃も、涼しい顔で受け流された。
「――中々やるねぇ、坊や」
シーマの声には、これまでの余裕とはまた違う、確かな熱が滲んでいた。
「でも、ここからが本番だよ」
その一言と共に、シーマの機体は、これまでの教本的な動きを一切捨てた、鋭い変則機動で距離を詰めてきた。僕の得意なはずの"読めなさ"を、真正面から相手取ってくる動きだった。
「――っ、本気じゃん!」
思わずそう漏らしながらも、僕は口の端が緩むのを抑えられなかった。
だが、笑っていられたのは、そこまでだった。
シーマの機動は、そこから先、一切の容赦がなくなった。隕石の隙間を縫うような不規則な軌道、予備動作を極限まで削った射撃、そして僕の得意な"読めなさ"そのものを逆手に取るような、変幻自在の間合い。
教本もシミュレーターも、ここには存在しなかった。あるのは、目の前の一挙手一投足だけだった。
「リオン、聞こえるか。状況を――」
クルトの声が、通信の向こうから届いていた。だが、僕には、その言葉の中身を拾う余裕が、既になくなっていた。
視界の端から迫る一撃を避け、その反動でまた次の一撃を捌く。呼吸を整える暇すらない。頭の中を占めているのは、ただ「次、どう避けるか」「次、どう仕掛けるか」、それだけだった。
「――リオン! 聞こえてるか!」
クルトの声が、二度、三度と繰り返される。だが、それすらも、意識の表面を滑り落ちていくだけだった。
僕は、気づいていなかった。この時、自分がどれほど、目の前の一機だけに全神経を吸い取られていたかを。
シーマ自身も、この状況を、正直予想していなかった。
――離脱しない。
本来なら、これだけ圧倒的な力の差を見せつければ、大抵の相手は活路を求めて距離を取ろうとする。あるいは、仲間の危機を優先し、この場を切り上げようとするはずだった。だが、目の前の坊やは、その選択肢そのものが、頭から抜け落ちているようだった。
――いや、抜け落ちているんじゃない。見えていないんだ、他が。
エースを相手に一歩も引かない度胸は、褒めていい。だが、この"引けなさ"は、褒め言葉だけでは済まされない危うさでもあった。シーマは、内心でそう独りごちながら、それでも手を緩めることはしなかった。これは、試験なのだから。
---
――後で知ったことだが、この時クルトは、輸送艦の直前で、一人、三機の敵を相手にしていた。
当初は陽動と見られていた正面の三機は、リオンとシーマの死闘によって右舷側の戦力が完全に膠着した今、迷わず全力でクルトへと襲いかかっていた。
「――くっ……!」
三方向からの同時攻撃を、クルトは機体を回転させながら、辛うじて捌き続けていた。一機、二機と防いでも、必ずどこかに隙が生まれる。指揮官として全体を見る余裕など、とうになかった。
「エルフィ、リオンは応答しない。輸送艦の被害、これ以上防げない」
通信越しのクルトの声には、これまでにない切迫感があった。
「支援艦から、後衛用の機体を出せるか。緊急発進で構わない、援護に来てくれ」
「……! 準備します!」
エルフィの声にも、明らかな緊張が滲んでいた。
だが、その一瞬の遅れすら、既に見越していた者がいた。
「――エルフィ、こっち」
グレタだった。
「クルトが応援を要請してくること、多分あると思ってたから。武器、もう選んである」
エルフィが格納庫に駆け込んだ時には、後衛用支援機のハンガーに、既に必要な装備一式が並べられていた。中遠距離からの精密射撃に向く狙撃用ライフルに、予備弾倉を積み増したマシンガン。精密さで敵の隙を作り、数を撃ち込んで牽制する――どちらも、この局面で最も現実的な選択だった。
「グレタ、これ……」
「戦況、ずっと見てた。多分、こうなると思った」
油まみれの手のまま、グレタはそう言って、装着作業に取り掛かった。
「早く。時間、ない」
その一言に、エルフィは頷き、機体へと乗り込んだ。
「――エルフィ・レンナー、支援機で緊急発進します!」
実地経験の乏しい参謀科の彼女にとって、それは初めての、そして想定外の出撃だった。だが、迷っている暇はなかった。
カタパルトを抜けた瞬間、エルフィは目の前に広がる戦況を、瞬時に頭に叩き込んだ。
「クルト、右後方の一機、次の攻撃予測、来ます……! 私が牽制します!」
震える声のまま、それでもエルフィは、狙撃用ライフルの引き金を引いた。狙いは撃墜ではなく、あくまで牽制。だが、その一射が、確かにクルトの側面を守った。
「助かる……!」
クルトの声に、僅かな余裕が戻る。だが、それも長くは続かなかった。
三機は、エルフィという新たな脅威に対しても、瞬時に対応を変えてきた。一機がエルフィの牽制を無視する形で突出し、輸送艦への直接攻撃へと転じたのだ。
「――させるか!」
クルトが、その進路に自らの機体を割り込ませる。装甲が悲鳴を上げる音が、通信越しにも届くようだった。
だが、防ぎきれなかった。
「輸送艦、被弾……! 被害、深刻……!」
グレタの声が、絶望的な報告を告げる。
その頃になっても、僕はまだ、シーマとの死闘の中にいた。目の前の敵を捌くことだけに全てを費やし、輸送艦の危機にも、クルトの奮闘にも、気づくことすらできずにいた。
「――輸送艦、大破……! 護衛エリア突破、不可能……!」
グレタの声が、震えながらそう告げた。
シーマの機体が、すっと動きを止める。
「――そこまでだ、坊や」
その声で、僕は初めて、自分の呼吸がどれほど乱れていたかに気づいた。
輸送艦は、大破していた。護衛エリアには、届かなかった。
――僕らは、試験に、失敗した。
「――試験、終了」
放送越しに響いたその声に、僕は機体の中で、大きく息を吐いた。
結局、最後まで、シーマ中佐には一太刀も浴びせられなかった。
――勝てなかった。
その事実が、じわじわと胸の底に沈んでいく。輸送艦を守れなかったことへの焦りとはまた別に、目の前の一機にすら届かなかったという悔しさが、拭いきれずに残っていた。
「くそ……」
誰に聞かせるでもなく、僕はそう零していた。判定上は互角に渡り合えたつもりでいた。だが、シーマは、恐らく最後まで本気ではなかった。その差を、僕は嫌というほど分かっていた。
格納庫に戻った二機は、それぞれ違う形で、満身創痍だった。クルトの機体は、輸送艦を庇い続けた末に、左肩部推進器の判定に加えて、腕部と胸部装甲にも重度の判定損傷を受けていた。あと一撃受けていれば、判定上の"撃墜"すら免れなかっただろうと、後になって聞かされた。そして僕の機体は、判定による装甲の傷こそ小破程度だったものの、駆動系だけは判定を介さない、正真正銘の実損傷を負っていた。整備班からは「下手をすれば内側から機体が壊れていた」とまで言われることになる。だが、その事実を知らされても、僕の中の悔しさは、そう簡単には収まらなかった。
支援艦の方も、無傷ではなかった。輸送艦の大破という判定に加え、艦内のセンサー系統も一時的に半分近くが判定上使用不能になっていたという。エルフィもグレタも、幸い怪我こそなかったが、揺れ続ける艦内で最後まで持ち場を離れなかった。
判定上、クルトの機体は大破寸前、僕の機体だけは、判定を超えたところで、確かに傷ついていた。そして――守るべき輸送艦は、大破した。
---
試験後の講堂には、これまでにない重い空気が漂っていた。
「――結果から言おう。任務、失敗だ」
ハンス教官の声は、いつもの豪快さを潜め、静かだった。
誰も、何も言えなかった。三年間の集大成のはずの試験を、僕らは"失敗"という結果で終えた。その事実だけが、重く胸にのしかかっていた。
「だが」
オットー教官が、そこで言葉を継いだ。
「この試験、そもそもお前たちに"クリアさせる"つもりで設計されたものではない」
その一言に、僕は思わず顔を上げた。
「敵役にシーマ中佐を据えた時点で、戦力差は初めから度外視されている。士官学校を出たばかりの生徒二人と、現場仕込みの練度を持つ熟練部隊、加えてエースパイロット一人。これを正攻法で退けられる新卒士官など、存在しない」
「じゃあ、僕らは、最初から――」
「そうだ」
オットー教官は、僕の言葉を遮るように頷いた。
「勝てない試験だった。だが、勝てないことと、何もできないことは、違う。この試験で私たちが見ていたのは、"勝てるかどうか"ではない。理不尽な状況を前に、お前たちがどう判断し、どう動くかだ」
その言葉に、教室の空気が、少しずつ変わっていくのを感じた。
「では、一人ずつ評する」
オットー教官が、資料に目を落とす。
「クルト。三対一という状況下で、お前は指揮官としての判断力を捨てず、なおかつ最後まで戦線を離れなかった。自らの機体を盾にしてでも輸送艦を守ろうとした判断は、指揮官である以前に、一人の兵として立派だった」
「……ありがとうございます」
「だが、同時に指摘しておく。お前はあの局面で、リオンへの連絡を試み続けたが、応答がないと分かった時点で、より早く"リオン抜きでの立て直し"に思考を切り替えるべきだった。応答を待つ数秒が、被害を広げた可能性は否めない」
クルトは、唇を引き結んで頷いた。
「エルフィ」
「はい」
「実地経験のないお前が、緊急発進という想定外の事態に対し、恐怖よりも先に、状況分析と行動を選んだことを評価する。特に、牽制射撃という"撃墜を狙わない"判断は、参謀としての冷静さの表れだ」
エルフィは、僅かに目を伏せた。
「ただし、初動が遅かった。クルトからの要請を受けてから発進までの数十秒は、この戦況では致命的になりうる時間だ。次に同じ状況が来た時は、要請を待たずとも、自ら"動くべき時"を判断できるようになれ」
「――肝に銘じます」
「グレタ」
「……はい」
「お前の判断は、今回の試験全体を通して、最も的確だった」
オットー教官の口調に、初めて僅かな温かみが混じった。
「エルフィの緊急出撃を、要請が来る前から見越し、装備の選定まで済ませていた。その数十秒の短縮がなければ、輸送艦はもっと早く落ちていただろう。整備科としてではなく、戦況全体を見た上での判断だ。見事と言っていい」
グレタは、油の染みついた手を、無言のまま握りしめていた。
「そして、リオン」
その名を呼ばれた瞬間、僕は思わず身構えた。
「機体性能で劣り、なおかつシーマ中佐という桁違いの相手を前にしながら、一機を撃墜し、なおかつ本人を相手に一歩も譲らなかった。これは、もはや生徒の域を超えている。現場に出しても、エース級と言って間違いない」
そこまでは、素直に嬉しかった。だが。
「――だが、それは一パイロットとしてなら、の話だ」
オットー教官の声が、僅かに鋭さを増した。
「お前は、目の前の敵に没頭するあまり、クルトの呼びかけにも、輸送艦の危機にも、最後まで気づかなかった。一人のパイロットとして戦うだけなら、それでいい。だが、お前はいずれ、部下を預かる立場になる。現場責任者たる士官が、目の前の戦いに没頭するあまり部下を放置する――それは、断じて許されることではない」
その言葉は、これまでのどんな叱責よりも、深く胸に刺さった。
「一人の敵に集中する強さは、時に、視野を狭める弱さにもなる。今回、お前が守れなかったのは、輸送艦だけじゃない。仲間からの声そのものを、お前は聞き逃した」
僕は、何も言い返せなかった。ただ、頷くことしかできなかった。
「――最後に」
それまで沈黙していたシーマが、静かに口を開いた。
「あんたたちがこの試験に"合格"できなかったのは、恥じることじゃない。むしろ、私が相手をして、それでもここまで食らいついてきた新卒士官を、私は他に知らない」
その一言に、講堂の空気が、僅かに緩んだ。
「これから、あんたたちの、いや私達には、恐らく今までの誰も経験したことのない、未曾有の戦争が待っている。そこでは、今日のこの試験なんかよりずっと、理不尽なことばかりが続くだろう。勝てない、守れない、間に合わない――そんな瞬間が、何度も来る」
シーマの声は、静かで、けれど確かな重みを帯びていた。
「それでも、生き残るために、自分に何ができるか。それを、今のうちから考えて、動く癖をつけておきなさい。今日のこの"負け方"を、忘れるな。忘れなければ、それはいつか、お前たちの誰かを救う」
そして、イルゼ教官は、いつものように短く、それでいて重みのある一言を残した。
「――お前たちは、私が見てきた組の中で、初めて"覆せない詰み"に、正面から挑んだ」
その言葉に、教室が静まり返った。誰も、何も言えなかった。
彼女は、それだけ言うと、静かに講堂を後にした。だが、去り際にちらりとこちらを振り返った、その一瞬の表情を、僕は今でも忘れられない。
それは、寂しさでも、無関心でもない。どこか、安堵にも似た――柔らかな色をした表情だった。
講堂が解散になった後、僕は格納庫へと向かう途中、シーマに呼び止められた。
「そこの君」
「はい」
「少し、時間をもらえるか」
人気の少ない通路の隅で、シーマは僕と向き合った。講堂での厳しさとはまた違う、幾分か砕けた雰囲気だった。
「さっきの総評、聞いてただろ。士官としてはまだまだ、ってやつ」
「……はい」
「気にするな、とは言わない。あれは、事実だからな」
思ったよりもあっさりと、シーマはそう言い切った。
「でも、一つだけ言っておく。あんたのその、目の前のことに全部持っていかれる集中力は、欠点であると同時に、他の誰にも真似できない武器でもある。矯正するにしても、殺すんじゃなくて、使いこなせるようになれ」
「使いこなす、って……」
「今のあんたは、"それしか見えなくなる"んだろう。だったら、次は"それしか見えなくなっても大丈夫な状況"を、自分で作れるようになればいい。誰かに、周りを託せる相手を見つけておくとか、な」
その言葉に、僕はふと、クルトやエルフィ、グレタの顔を思い浮かべた。
「あんたは、チームでの連携よりも個人技で戦うことに向いてる。でも、一人でしか戦えないままだと、いずれ本当に大事なものを、目の前で見逃す日が来る」
シーマの声には、これまでのどんな教官の言葉とも違う、実感の伴った重みがあった。
「――肝に、銘じます」
「うん」
シーマは、それだけ言うと踵を返しかけて、ふと足を止めた。
「――リオン」
初めて、坊やではなく、名前を呼ばれた。それだけのことに、僕は妙に胸を突かれた。
「覚えておく。あんたの名前」
その一言を残して、シーマは軽い足取りで去っていった。その背中を見送りながら、僕は彼女の言葉を、何度も頭の中で繰り返していた。
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卒業式の日、僕らは、士官学校の門を出た。
「――結局、最後まで滅茶苦茶だったな、お前は」
クルトが、呆れたような、それでいてどこか複雑な顔でそう言った。
「ごめん、ほんとに。クルトの声、途中から全然聞こえてなかった」
「知ってる。まあ……お前がシーマ中佐相手にあそこまでやるとは、正直思ってなかった。おかげで、こっちは死ぬ思いだったが」
「それは、本当にごめん」
僕は、素直に頭を下げるしかなかった。
「別に、責めてるわけじゃない。次に同じことが起きたら、俺はもっと早く、お前抜きで動く。それだけの話だ」
クルトの声には、皮肉ではなく、確かな決意が滲んでいた。
「私も、同意します」
エルフィが、静かにそう付け加える。
「でも――正直、あの緊急発進の時は、生きた心地がしませんでした。実地経験がないのに、いきなり最前線に出されるなんて」
「意外だね、エルフィがそんな風に言うの」
「私だって、怖いものは怖いです。ただ、怖がっている暇がなかっただけで」
エルフィは、少し肩をすくめてそう言った。
「でも――悪くなかったです。自分の判断で、あの状況を動かせたという実感は」
「それ、結構危険な台詞じゃないか?」
クルトが、苦笑交じりにそう茶化す。
「あら、クルトにだけは言われたくありません。誰よりも無茶な判断をしていたのは、あなたですよ」
「……否定はしない」
「指揮官は大変ですね」
エルフィが、今度は少し悪戯っぽくそう繰り返すと、クルトが呆れたように肩をすくめた。
それを見て僕らは、顔を見合わせて笑った。
卒業席次の発表では、クルトが首席、そして次席には、エルフィの名前が読み上げられた。首席のクルトは中尉、次席のエルフィは少尉として、それぞれ任官が決まったという。
「――やるじゃん、エルフィ」
「あの理不尽な想定訓練に、一番食らいついていたのは私ですから」
澄まし顔でそう返すエルフィに、クルトが呆れたように肩をすくめた。だが、その顔には、確かな敬意が滲んでいた。
配属先の辞令が、それぞれの手に渡される。
僕は、第306特別機動大隊の一員として。
クルトは、独立小隊「鉄嘴隊(てっしたい)」の隊長として。
エルフィは、ドズル・ザビ閣下座乗の旗艦グワランにて、主席参謀付きとして。
グレタは、ムサイ級のMS整備士として。
辞令を見せ合いながら、僕らは自然と顔を見合わせた。
「――第306特別機動大隊?」
クルトが、辞令を覗き込みながら、僅かに目を見開いた。
「なにそれ、知ってるの?」
「詳しくは知らない。ただ、名前だけは噂で聞いたことがある」
クルトは、そう言いながら、珍しく僅かに声のトーンを落とした。
「エースパイロットに更なる教練を施す、選りすぐりの連中が集まる部隊らしい。士官学校を出たばかりの新卒が、いきなり配属されるような場所じゃないはずなんだが……」
「そう、なんだ……」
「指揮官が誰かまでは、俺も知らない。だが、そんな部隊にいきなり引っ張られるなんて、只事じゃないな」
「絶対しごかれるやつじゃないですか、それ」
エルフィが、苦笑交じりにそう突っ込んだ。
「エルフィこそ、いきなりドズル閣下の旗艦って、とんでもない配属じゃない?」
「正直、実感が湧きません。主席参謀付きなんて、荷が重すぎます」
そう言いつつも、エルフィの目には、確かな緊張と、それを上回る意欲が滲んでいた。
「でも、クルトもすごいじゃないですか。首席で、いきなり隊長だなんて」
「――正直、嬉しさより先に、重さの方を感じてる」
クルトの表情から、笑みが薄れた。
「首席だからこそ、期待されて任される立場だ。だが、隊長っていうのは、部下の命を預かるということでもある。俺の判断一つで、誰かが死ぬかもしれない。……その重さに、まだ見合うだけの覚悟ができているのか、正直、自信はない」
いつもの飄々とした調子とは違う、抑えた声だった。
「でも、逃げるつもりもない。任された以上は、やる」
「クルトなら、大丈夫だと思いますけど」
「そう言ってもらえると、多少は気が楽になる」
「グレタは?」
「ムサイ級の整備士。派手じゃないけど……色んな機体、見られそう」
珍しく、グレタの声が僅かに弾んでいた。
四人がそれぞれ手にした辞令は、行き先も、立場も、何もかもがばらばらだった。士官学校の三年間を共に過ごした僕らが、これからは別々の場所で、別々の戦いに向き合うことになる。
「――なんか、変な感じだね」
「変な感じ、か。言い得て妙だな」
クルトが、そう言って小さく笑った。
「無事でいてください。皆さん」
エルフィが、いつになく真剣な顔で、そう口にした。
「グレタも。機体だけじゃなくて、自分の身も大事にしてよ」
「うん。……リオンこそ」
グレタが、ぽつりとそう返す。
「クルトは、隊長なんだから、なおさら気をつけてね」
「言われなくても分かってる。……だが、そうだな」
クルトは、僕ら三人の顔を、順に見渡した。
「――全員、絶対に生き延びろ。それだけだ」
その一言に、誰も茶化さなかった。ただ、それぞれが、それぞれの形で頷いた。
解散になりかけたその時、グレタが、僕とクルトを呼び止めた。
「――待って。これ、渡しておく」
差し出されたのは、小さなデータチップが二枚。
「三年生の時に使ってた旧ザクから、それぞれの操縦データを抜き出しておいた。クルトのは、通信と索敵系統の最適化データ。あなたの指揮スタイルに合わせて、情報の優先順位を調整してある」
「……こんなものまで、いつの間に」
クルトが、驚いたようにチップを受け取る。
「いつから、こんなの準備してたの?」
僕が思わず尋ねると、グレタは、当たり前のように答えた。
「卒業試験の後から。二人とも、パイロット科と指揮官科でしょ。どうせ実機に乗ることになるだろうから、配属が決まる前から、少しずつデータは取ってた」
「――随分と、気の早い話だな」
クルトが、呆れたような、それでいて感心したような声を漏らす。
「新しい機体に組み込んでもらえば、真っ白な状態より、最初から多少は扱いやすくなるはず」
グレタは、素っ気ない口調でそう言うと、もう一枚のチップを僕に差し出した。
「リオンのは、ちょっと特殊」
「特殊?」
「機体の駆動系チューンだけじゃなくて……あなたの操縦の癖を、機体側が学習していくようにしてある。隕石の蹴り方の癖とか、白兵戦に入る前の予備動作とか。使い込むほど、機体があなたの"次の動き"を先読みしてくれるようになるはず」
その言葉に、僕は思わずグレタの顔を見つめた。
「そんなことまで、できるの?」
「気休め程度。あくまで試作段階の調整だから。でも――配属先に着いたら、まず整備班にこれを渡して。真っ新な機体にいきなり乗るより、多少は馴染みやすくなると思う」
グレタは、珍しく、はっきりと僕の目を見た。
「あなたの動きは、誰にも真似できない。なら、機体の方を、あなたに合わせればいい。そう思っただけ」
短い言葉だったが、そこには、この三日間のグレタの全てが詰まっているような気がした。
「――ありがとう、グレタ」
「うん」
グレタは、それだけ言うと、いつものように、少し照れくさそうに視線を逸らした。
三年間、決して噛み合っていたとは言えない四人だった。それでも、この日、確かに一つのチームとして、この場所に立てていた。
――四人は、それぞれ違う場所へと、旅立っていく。
この別れが、これから始まる戦争の中で、どれほど長く、どれほど重いものになるかを。