二本目の合図が鳴ると、今度は、二人が先に動いた。
ブラントが前へ出る。段の縁で、低く構えた。マリーナの機体が、稜線の裏へ消える。教えた通りの配置だ。
「右の段、押さえます」
「曹長、降りる先は左です」
「了解」
声が短い。さっきまでとは、別の部隊のようだった。
こちらから、仕掛けた。
右の段へ低く跳ぶ。ブラントが前へ出るのを見てから、バーニアを噴かし直し、左の斜面へ向きを変えた。着地と同時に、マシンガンを構える。三連射。ブラントの足元で、泥が白く跳ねた。機体が、半歩、横へずれる。
「止まった所を撃たれたら、横へ。そこで止まらずに」
「……了解です」
赤い弾が、降りた場所を削った。その前に、もう跳んでいる。ずらした先で、また撃つ。ブラントの左腕の外装に、白が弾けた。手足の一か所。
「……当てられました」
荒い息の向こうに、焦りと、わずかな熱が混じっていた。
横合いから、黄色い弾が来る。稜線の裏から、一射ごとに位置を変えて、間隔も不揃いだ。置きに入りにくい。
「軍曹、まだ当たりませんね」
「……っ、次は当てます。必ず」
稜線の縁へ、マシンガンを二連射する。岩肌が砕け、土煙が噴き上がった。マリーナの機体が、慌てて裏へ引く。視界が、茶色に染まる。構わず、その煙の中へ跳んだ。
煙を抜けると、F型の頭部が、こちらを向いていた。銃口が、わずかに下がる。銃口より先に、肩の線が変わった。
見えた。見えたが、動かなかった。肩の線が動いてから弾が出るまでの間隔を、体に入れる。右肩に、黄色が弾けた。手足の一か所。
「当たりました。……当たりましたけど、中尉、避けられましたよね、今の」
「いえ。当たりました」
即座に、撃ち返した。マリーナの脚へ、白が一発。手足の一か所。彼女は、転がるように稜線の裏へ引いた。
ブラントが、また前へ出る。止まる。今度は、止まった足元に、こちらの弾が先に着いていた。
「曹長、バーニアの光も」
「バーニアの光。……見えました」
噴かし直した一瞬の光を、ブラントの弾が、初めて追った。外れた。外れたが、半拍、近い。左脚を、赤い弾がかすめた。塗料は付かない。手足の二か所目だけは、避ける。避けて、決めには行かない。
そのあいだも、機体の応答を確かめ続けていた。右へ、左へ、短く噴かして外す。踏み込みを、半分ずつ深くする。一段深くなるたびに、膝の奥で、金属が小さく鳴った。ここまでは、ついてくる。ここから先は、膝が先に悲鳴を上げる。グレタが止める線は、あの手前だ。
数の優位を持つ二人が、何度も踏み込み、何度も押し切れない。押し切れないまま、少しずつ、確かに近づいてくる。ブラントの機体が、こちらの脚を見ている。マリーナの弾が、跳ぶ先から降りる先へ寄ってくる。教えたことを、その場で拾っていく。
そのあいだに、ひとつだけ気づいた。ブラントが右の段を塞いだとき、黄色い弾は、一度も右へ飛ばなかった。ブラントの機体が、マリーナの射線に重なるからだ。前へ出た瞬間だけ、後ろの射線が一本消える。教えた配置が、そのまま穴になっていた。それは、まだ、言わないでおく。
「時間切れ。……引き分け」ヘルマンの声が響いた。
降機して、機体の膝の戻りを確かめる。さっきより、わずかに遅い。グレタが無言で点検口を開け、ひずみ計の針を見て、短く言った。
「膝、あと一段。そこまで」
「分かった」
ブラントとマリーナも降りてきた。マリーナが、手袋を外して指を振る。
「勝てませんでした。でも、一本目より、ずっと手応えがありました」
「配置が、噛み合ってきました。曹長が前で止めて、軍曹が後ろから撃つ。その形は、本物です」
「中尉殿」ブラントが、水を一口飲んで言った。
「はい」
「稽古は、ここまでですか」
「次は全力でいきますよ」
「やっとですか」マリーナが、息を吐いた。
「やっと、です」
丘の上で、博士が記録紙に何かを書きつけているのが見える。
乗り込む前に、J型の脚部の前で、グレタを呼び止めた。
「グレタ。次は、本気でやる。駆動系がおかしくなったら、ごめんね」
「謝らなくていい。そのために、私がいる」
点検口を閉める手に、迷いはなかった。
「……頼りにしてる」
三本目の合図の前に、乗り込んで、全身の力を確かめた。膝は鳴いていない。踏める。確かめた限り、J型は、こちらの入力に、ぎりぎりでついてくる。遅れは、残る。その遅れを、先回りで消せばいい。いつもの、やり方だ。呼吸を整える間に、ブラントの声が聞こえた。
「中尉殿。こちらも、本気で止めに行きます」
「期待してますね。軍曹の三発目は、特に」
「……へえ」マリーナの声が、一段、低くなった。「三発どころじゃ、済ませませんよ。覚悟してください、中尉」
合図が鳴った。
最初の一歩で、二本目までとは別の機体になった。ペダルを踏み込む深さが違う。二本目までに確かめた限界の、すぐ手前まで。J型が泥を蹴る。背中を、シートが殴りつけた。モニターの景色が、一気に後ろへ引き剥がされる。一度の跳躍で、段を二つ越えた。ブラントの赤い弾が、降りるはずの場所へ着弾し、泥が弾ける。そこに、こちらはいない。降りなかった。降りる前に、バーニアを噴かし直して、もう一度跳んでいた。
「右の段、塞……」
ブラントの声が、言い終わる前に、その右の段を、すでに越えていた。
マリーナの黄色い二連射が、さっきまでいた空間を掃く。一発目は、脚の横を抜けた。半歩ずれていただけだ。二発目は、すでに誰もいない場所へ飛んだ。二人の声も、二人の弾も、すべてが半拍遅れていた。
跳ぶだけではなかった。二人の視界に、上下の軸を足していく。段の壁面を蹴って真上へ跳ね、最高点でバーニアを一瞬だけ噴かして、横へ滑る。弾が通り過ぎた直後に、廃土の斜面を逆の脚で蹴り、斜め下へ落ちる。落ちながら、もう一度、短く噴かす。ごう、と背中が鳴るたびに、機体の幅ひとつぶん、位置がずれる。左右だけではない。上へ、下へ、斜めへ。弾道の隙間を、一つずつ縫って、息をするように繰り返した。
「ロックオン……した! したのに、いない。今、そこにいたのに!」マリーナの声が、裏返った。
「軍曹、上です!」
「上にも、いません! どこ、どこに……っ」
「……消える。照準の中から、機体が消えます」ブラントの声が、掠れていた。「捉えたと思うと、もう、そこにいない。これが、同じ機体ですか。さっきまでの中尉殿と、まるで別人だ」
「当たらない……何をしても、当たらない……!」
悲鳴に近い声が、無線に重なった。
撃つのは、当てるためだけではなかった。
ブラントの降りる先へ、三連射する。当てる気のない弾だ。ブラントの機体が、反射で横へ跳ぶ。そこは、マリーナの射線の真ん前だった。彼女の銃口が、味方の機体に塞がれて下がる。
「曹長、射線が!」
「すみません、軍曹! 避けさせられ……っ」
弾で、二人の動きを、こちらの望む場所へ押し込んでいく。
次の跳躍で、足元の地面へ撃ち込んだ。乾いた土が弾け、煙幕のように舞い上がる。二人のモニターが、茶色に染まる。
「見えません!」
「煙で、照準が……!」
その煙の中へ、あえて突っ込む。廃土の丘の縁を、脚で蹴り崩した。斜面が崩れ、土砂が、二人の足元へ流れ落ちていく。ブラントの機体が、足を取られて、半歩よろけた。
「足元が……っ!」
太陽は、稜線の上にあった。そこへ二人を誘い込み、逆光に回って、光を背負って跳ぶ。二人のモノアイが、一瞬、白く飛んだ。
「眩しい……どこ、どこに……!」
使えるものは、全部使う。土も、煙も、太陽も。
肩の線が変わる。銃口が動く。弾が出る。その順番が、一つずつ、手に取るように分かった。次の一手を選ぶ必要すらなかった。体が、すでに先にいる。
右の段へ、あえて跳んだ。足元で、土煙が渦を巻く。ブラントが、降りる先を塞ぎに前へ出る。止まる。そのとき、マリーナの黄色い弾は、右へは一発も飛んでこない。
ここだ。
着地をやめ、ブラントの頭上を越えて、跳躍の最高点から稜線へ向けて三連射する。マシンガンが吠えた。マリーナの機体が頭を引くより先に、胴へ白が三つ並んだ。
「撃墜。軍曹機、胴に三」
「……今の、どこから」
答える暇は、なかった。
息をつく暇も、与えなかった。着地したところへ、ブラントが踏み込んでくる。撃っても当たらないと見切ったのだろう。マシンガンを捨て、腰の模擬刃を抜いて、止まらずに突っ込んできた。止まる癖のある男が、止まらずに来る。それは、紛れもなく本気の刃だった。
ブラントのF型が、鋭く刃を振りかぶった。その刃が落ちる前に、マシンガンの三連射を、足元へ撃ち込む。塗料が泥に散り、機体が反射でわずかに沈んだ。止まる瞬間。いや、止められた瞬間だ。
バーニアを噴かして懐へ飛び込み、模擬刃を抜きざま、胴を薙いだ。斬って、離れる。ブラントの刃は、こちらの装甲に触れることすらなかった。白い塗料が、胴に一本の線を引く。
「撃墜。曹長機、胴に一。……中尉機の、勝ち」
ヘルマンの声が、少しだけ震えていた。
「開始から、一分と、少しです」
機体には、赤も黄も、どこにも付いていなかった。
しばらく、無線の向こうから、誰の声も聞こえなかった。
「……これが、中尉殿の本気ですか」
「はい」
「二人で、かすりもしませんでした」マリーナの声は、笑ってはいなかった。
「自分は戦車で、撃たれる側の兵を何人も見てきました。ですが、今のは、撃たれる前に、そこにいませんでした」
答える言葉は、見つからなかった。
「ワーカー中尉。左膝の戻りが、遅くなっている。降りてくれ」
博士だった。声は、わずかに低かった。
降機して泥の上に立つと、操縦桿を握っていた手が、小さく震えた。ブラントとマリーナも降りてきて、並んで立つ。マリーナが、手袋を外して指を振った。
「三発どころじゃ済ませないって、言ったのに。……かすりもしませんでした」
「当たりかけました。一発目は」
「半歩、ずれてたんでしょう」
「半歩です」
「その半歩が、遠いんです」
「煙も、土砂も、太陽まで使うなんて。ずるいです」マリーナが、唇を尖らせた。
「実戦に、ずるいはありません。使えるものは、全部使います」
「……はい」
「稽古のお礼を、言わせてください」ブラントが、穏やかに言った。「三本目で、思い知りました。一本目も二本目も、中尉殿は、本気の半分も出していなかったのですね」
「お二人に、死んでほしくないので。訓練しか、それを減らす方法がありません」
「自分は、MSに乗って日が浅いので。ありがたいです」
「三本目は、自分の腕を、知っておいていただきたかったんです。年下の隊長に命を預けるのは、不安でしょうから」
マリーナが、少しだけ視線を逸らした。
「……見くびって、ました。正直に言うと」
「構いません。そのかわり、安心して、ついてきてください」
「……はい。次は、その半歩の先に撃ちます」マリーナが言った。
返す言葉を探しているうちに、博士が丘を降りてきた。記録紙の束を抱え、地面に直接座り込む。泥が白衣の裾に付いたが、気にした様子はない。
「一本目と二本目。君は、わざと遅れている」
「……はい。お二人の動きを見たかったので。曹長には、経験も積んでいただきたくて」
「教えながら、受ける場所を選んでいる。それも記録に出ている。問題は三本目だ。マリーナ軍曹が撃つ前に、半歩動いている。何を見た」
答えを探した。探して、見つからない。
「……肩、だと思います。銃口より先に、射手の機体が少し構えを変えます。その変わり方が、見える気がします」
「気がする、では足りない」
「見えています。ただ、毎回同じものを見ているわけではなくて、言葉にしようとすると、違ってきます」
「それでいい。言葉にならなくていい。君が見たものを、センサーが拾えているかどうかを、私が確かめる。拾えていれば、機械が先に動く。踏む前に、機体が用意をする。並のパイロットでも、踏んだ瞬間に、エース級の動きが出る。そういうOSにする」
「踏む前に、機体が用意を」
「全部ではない。半歩ぶんだ。君が自分で消している遅れを、機体の側で消してやる」
博士は記録紙を一枚、こちらへ向けた。細い線が上下に走り、その一箇所だけが、他より先に折れ曲がっている。
「これが、君の半歩だ。他のパイロットには、これがない」
自分の動きが、紙の上で一本の線になっている。不思議な気分だった。ずっと自分の中にあったものが、外へ出て、誰かの手に渡ろうとしている。
ブラントが、少し離れたところから言った。
「博士。自分のも、取っていただけますか。戦車屋の癖です」
「面白い。頼もう」
博士は、今日初めて、はっきり笑った。
昼は、整備棟の裏手の木箱に腰かけて食べた。携行食の缶を開けるマリーナの手が、いつもより乱暴だった。
「撃った後に留まる癖、中尉にも博士にも言われました」
「見えていたそうです。記録に出ていると」
「悔しいです。自分では全然分からなかったのに」
「自分も、足癖の悪さは知っていましたが、右膝にまで出ているのは、グレタに言われるまで気づきませんでした」
「それは、そうですけど」マリーナは缶の中身を匙でつつく。「直したら、また別の癖が出ますよね」
「出ると思います。そうしたら、また見てもらえばいいのでは」
しばらく考えてから、彼女は顔を上げた。
「中尉、意外と前向きですね」
「そうでしょうか」
ブラントが、少し離れた木箱で缶を空にしていた。博士に取られた自分の記録を、歩きながら思い返しているのだろう。足元の土を、また指でつまんでいる。
「曹長は、どうでしたか。博士に見られて」
「落ち着きません」ブラントは正直に答えた。「ただ、自分の癖が止まる場所にある、と言われました。戦車を降りたばかりだから、体がまだ、止まる場所を探している、と」
「それは、直しますか」
「直せるものなら、直したいです。ですが、直さないほうがいいこともあるでしょう。止まる場所が分かるから、降りる先が読めます。そこに、中尉殿に教わった脚の見方を足します」
そう言って、ブラントは缶の蓋を閉めた。
裏手の向こうでは、ブルームが無言で模擬弾の箱を片付けていた。年上の軍属は、こちらの視線に気づくと、手を止めずに言った。
「中尉。塗料の色が三色あって助かりました。後で拭くのが楽です」
「……はい。ありがとうございます」
それだけ言って、また箱を運んでいく。わずかに口元が緩んでいたように見えたのは、気のせいではないと思う。
夕方、整備棟の一角で、博士の案が図面になった。机にはJ型の脚部の図が広げられ、その横にグレタが陣取っている。図面の関節に、博士が赤い線を何本も引いていた。
「ここと、ここ。許容の端まで使えるようにする」
「端まで?」
グレタの声が低くなった。
「端まで使えば、関節が持たない」
「持つ範囲は、試験で数にしている。その中なら、使い切る」
「使うたびに、ひずみは溜まる。端まで踏む機体は、何回目かで折れる」
「その前に、敵を落とせる」
「地面で脚が折れたら、動けない的になる。それが一番だめ」
作業台の周りが静かになった。ヘルマンもブルームも、手を止めて見ている。ブラントは壁際で腕を組み、マリーナは離れた椅子で、犬の背を撫でていた。
「二人とも、間違っていないと思います」
口に出してから、余計なことを言ったと思った。二人がこちらを見る。
「博士の言う通り、使わないと意味がない。グレタの言う通り、動けなくなったら意味がない。どちらかを選ぶ話では、なくて……」
言葉が続かなかった。そこへ、ブラントが静かに言葉を足した。
「一つだけ、よろしいでしょうか。戦車では、履帯の傷みを乗員が目で見て、無理をするか引くかを決めました。機体の傷み具合が、乗る者に分かるようには、できませんか」
グレタが眉を寄せ、図面を見る。
「……ひずみの積算を、計器に出す」
呟いて、図面の脚の関節を、指でなぞる。
「乗ってる人が、あとどれだけ使えるか分かる。引く時を、自分で決められる」
博士が、赤鉛筆を持つ手を止めた。数秒の間があった。
「それは、考えていなかった」
「でしょ」
「積算にOSの上限を連動させる。溜まるほど、使える端が手前に来る。……面白い。やってみよう」
グレタは鼻で息をつき、図面に自分の線を引き始めた。博士の赤い線の隣に、黒い線が並ぶ。二人とももう、こちらを見ていなかった。
夜になって、図面の端の空欄を、博士が万年筆の先で叩いた。
「名称がいる。呼べないと不便だ」
「OSの、ですか」
「計画書の欄が空いている」
しばらく、誰も答えなかった。マリーナが手を挙げる。
「小隊の名前では。ガルム小隊のOSなので」
「J型専用では困る。並の者に使わせるのだから」
「でも、最初に走るのは、ガルム小隊です。呼びやすい名前のほうがいいですよね」
博士がこちらを見た。
「中尉。綴りは」
「G、A、R、M、です」
「GARM」
博士はその四文字を、欄に書き込んだ。
「短くていい。呼びやすい」
「番犬の名前を、機械に付けるの」グレタが言う。
「番犬は、主を守る。OSも同じだ」
「博士、そういう言い方もするんだ」
博士は答えず、万年筆の蓋を閉めた。足元で、黒い犬が小さくあくびをした。
「この子の名前も、そろそろ、決めないと」マリーナが、犬の背を撫でながら言った。
「ヴルストは、却下です」ブラントが即座に言った。
「まだ何も言ってません!」
笑いが起きた。グレタさえ、口の端を動かしている。
黒い毛並みの犬が、こちらを見上げていた。番犬。ふと、口が動いた。
「ガルム」
犬が、耳を立てた。
「小隊と、OSと、同じ名前ですよ、中尉」マリーナが、目を丸くした。
「番犬の名前ですから。ちょうどいいと思って」
「……ガルム、ですか」ブラントが、犬を見下ろした。「確かに、番犬の顔つきです」
犬が、ふん、と鼻を鳴らした。そのまま、足元に座り込む。
皆が引き上げたあとも、整備棟の灯りは消えなかった。博士は机に突っ伏すようにして図面を睨み、時々、赤い線を足しては、黒い線に消されたところで首を傾げている。グレタが残した線だ。消されても、博士は怒らなかった。消された理由を、ひとつずつ確かめているようだった。
J型の前には、グレタが残っていた。台の脇にしゃがみ込み、外した右膝の外装を、布で拭いている。声をかけるべきか迷って、結局、隣にしゃがんだ。三年、同じ教室にいた。素っ気ない人間が、素っ気ないままで、少しだけ柔らかくなる。その加減を、知っている。
「博士と、やり合っちゃったな」
「喧嘩じゃない」
「そうなのか」
「言ってることは、間違ってない。端まで使う設計は、私は嫌いだけど」グレタは布を持つ手を止めなかった。「でも、使わなきゃ、守れない場面もある。それは分かってる」
「うん」
「だから、積算を出す。動けなくなる前に、戻れるように。そこまでが、整備の仕事」
拭き終えた外装を、彼女は台の上に置いた。泥の跡が消えて、鈍い灰色が戻っている。
「リオンの動き、嫌いじゃない。三年見てきたし。膝以外は」
「足癖が悪いのは、自覚してる。膝の癖は、修正する」
「毎日、ひずみを見せて。戻ってないか、確かめる」
「毎日、見せるよ」
「うん」
それ以上は、何も言わなかった。外装を抱えて、彼女は立ち上がる。背中が、少しだけ軽く見えた。博士との言い争いのあとで、ようやく息をついたようだった。
整備棟の奥で、ブルームが黙って湯気の立つカップを二つ置いていくのが見えた。一つは博士の机、もう一つは、グレタの作業台の端。誰も礼を言わないが、受け取られていた。
その夜、手紙を書いた。
姉さんへ。今日は、ブラント曹長とマリーナ軍曹と模擬戦をした。最初の二本は稽古のつもりで走って、三本目は全力で走った。二人とも、教えたことをその場で拾っていく。特に曹長は、MSに乗って日が浅いのに、驚くほど飲み込みが早い。
博士は、変わった人だけど、機体を見る目は確かだと思う。こちらの動きを、機械に教えるんだって。うまく言葉にできないものを、言葉にしろと言われた。姉さんなら、マニュアルにするんだろうな。マニュアル通りに動かす人だから。
OSの名前は、GARMになった。ガルム小隊の、ガルム。黒い犬も同じ名前になったから、呼ぶとき、少し紛らわしい。
並のパイロットでも、エース級に動けるようになるらしい。そうなれば、ブラント曹長も、マリーナ軍曹も、少しは生きて帰りやすくなる。そのために使えるなら、この動きも悪くない。
明日から、ここで数字になる。
今後とも本作をよろしくお願いいたします。
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