第306特別機動大隊。クルトから聞かされたその名の重みを、正直、僕はまだ半分も実感できていなかった。エースパイロットの養成に特化した、選りすぐりの実働部隊――言葉では理解したつもりでも、実際にどれほどのものかは、赴任してみるまで分からなかった。
だが、その実感は、着任初日にして、いきなり吹き飛ばされることになった。
「――待ってたよ」
格納庫の前で待っていたのは、聞き覚えのある声だった。
「エースパイロットの養成に特化した部隊、なんて言っても、ぴんと来てないだろ。分かりやすく言えば――生き残ったやつだけが、本当の意味でエースと呼ばれる。そういう部隊だよ」
「――シーマ、中佐」
思わず、声が裏返った。
「な、なんでここに……!?」
「なんでって、私が大隊長だからだが」
シーマは、心底不思議そうな顔でそう言った。
「言っただろ、卒業試験の後。あんたの名前、覚えておくって」
「それは、覚えててくれるのは嬉しいですけど、まさかこんな形で……」
「気に入ったパイロットは、手元に置く主義でね」
シーマは、悪戯っぽく笑うと、僕の肩を軽く小突いた。
「ようこそ、第306特別機動大隊へ。歓迎するよ、坊や。……いや、リオン」
その言い直しに、僕は思わず面食らった。だが、それ以上何か言う前に、格納庫の奥から、聞き慣れない声が三つ、次々と飛んできた。
「――新入りか」
「線が細いな。本当にシーマの目に適ったのか?」
「まあまあ、見た目で判断するのは早計だろう」
振り返ると、揃いも揃って似た雰囲気を纏った、三人の男が立っていた。
「オルテガだ」
「ガイアだ」
「マッシュだ」
三人は、まるで台詞を分け合うように、順番に名乗った。
「この三人も、第306特別機動大隊の教官陣だ。以後、あんたをみっちり鍛える面々だよ」
シーマが、面白がるようにそう付け加える。
「よ、よろしくお願いします」
僕が頭を下げると、オルテガと名乗った男が、鼻を鳴らすように笑った。
「よろしくされる前に、まずは実技だ。噂の"型破り"とやら、見せてもらおうか」
「――ちょっと待ってください、着任初日ですよ!?」
「初日も何もない。ここでは、生き残るための訓練に、休憩時間なんてものは存在しないんだ」
ガイアが、そう言って肩をすくめる。
「シーマ中佐、僕、まだ荷物も解いてないんですけど……」
助けを求めるように振り返った僕に、シーマは涼しい顔で笑いかけてきた。
「安心しろ。荷物なんて、どうせすぐに解く暇もなくなる」
その言葉通り、僕の第306特別機動大隊での日々は、着任初日から、想像を絶する過酷さで幕を開けることになった。
「早速だが、実技だ。機体は、格納庫の三番」
オルテガが、そう言って格納庫の奥を顎で示す。
「言っておくが、あれは貸与機じゃない。お前専用の相棒だ」
「――専用、ですか」
思わず、聞き返していた。士官学校では、常に共有の訓練機を使い回してきた。自分だけの機体を任されるというのは、これが初めてだった。
「当たり前だろう。この大隊で預かる以上、半端な扱いはしない」
オルテガの素っ気ない口調とは裏腹に、その言葉には、確かな重みがあった。込み上げてくるものを堪えながら、僕は促されるまま、着任したばかりの、真新しいザクII C型に乗り込んだ。
起動した瞬間、僕は思わず息を呑んだ。
士官学校で散々乗り込んだ旧ザクとは、視界の広さからして違った。センサー越しの索敵範囲が、これまでよりも明らかに広い。試しに軽くブースターを踏み込むと、機体は想像以上の勢いで飛び出し、慌てて制動をかけると、今度は旧ザクとは比較にならない鋭さで急停止した。
「――速い……!」
思わず声が漏れる。機動性、制動性能、視界性能。そのどれもが、旧ザクとは段違いだった。これが、僕だけの機体なのか――高揚感が、胸の内に湧き上がってくる。
「今日は、無理に色々やろうとしなくていい。まずは、機体の性能を一通り確かめておけ」
通信越しに、マッシュがそう指示を出す。実戦さながらの訓練を覚悟していただけに、拍子抜けするくらい、内容そのものは基礎的なものだった。
だが、いざ動かしてみると、思っていたようにはいかなかった。旧ザクの感覚のまま操作すると、性能が良すぎて、逆に制御しきれない。ブースターの応答が、僕の癖とは微妙に噛み合わない。踏み込むタイミングと、機体が加速するタイミングの間に、ほんの僅かなラグがある。
「ふはっ、その反応、なんか懐かしいな」
通信越しに、ガイアの笑い声が響く。
「俺らも、初めて実戦配備機に乗り換えた時は、似たようなもんだったよ。頭では分かってても、体がついていかない」
「――ただし、お前は別だ」
オルテガの声のトーンが、僅かに変わった。
「ただの新米が、旧ザクの感覚を引きずってるだけなら、二、三日で片付く話だ。だが、お前の場合は、机上の型を"崩して"戦うのが持ち味だったんだろう。基準になる型が定まらないまま性能だけが上がると、崩し方すらも狂う。それは、並のパイロットが抱える課題とは、少し種類が違うぞ」
最初の訓練が終わる頃には、僕はへとへとになっていた。
「――お前、機体の性能に、完全に振り回されてるな」
着陸したばかりの僕に、ガイアがそう声をかけてきた。
「旧ザクの感覚のまま乗ってるんだろう。だが、この機体はあの型落ちとは出力も応答速度も桁が違う。今のお前の操縦は、その差に体がついていってない」
「――ですよね……」
肩を落としながら機体を降りようとしたところで、僕はふと、あることを思い出した。
「――あ」
グレタのデータチップ。
旧ザクから抜き出した、僕の操縦の癖を機体側に学習させるためのデータ。士官学校を発つ間際、彼女がそっと手渡してくれたそれを、僕はポケットの奥から慌てて取り出した。
「すみません、これ……! 整備班に、渡してもらえませんか」
「なんだ、これ」
整備班の一人が、怪訝そうな顔でチップを受け取る。
「旧ザクから抜き出した、僕の操縦データです。機体側が動きを学習してくれるように調整されてるらしくて……次の出撃までに、組み込んでもらえませんか」
「……妙なものを持ってますね。まあ、構いませんが」
端末にチップを差し込みながら、整備班員がふと片眉を上げた。
「――これ、駆動系のチューンデータだけじゃないですね。足回りの制御パラメータまで、別途セットで入ってます」
「足回り、ですか」
「ええ。旋回時の遊びを極限まで削って、代わりに初動の反応を跳ね上げる設定になってる。……正直、かなりピーキーな仕上がりですよ。これ、本当に適用しますか? 下手な奴が乗ったら、自分の機動に振り回されて姿勢を崩しかねない代物です」
僕は、少し考えてから頷いた。
「――お願いします。それ込みで」
「……まあ、あなたの評判は聞いてますよ。型破りな動きをする、って。だったら、これくらいの方が向いてるかもしれませんね」
整備班員は、そう言って苦笑いを浮かべると、迷いなく設定を適用した。
「明日の朝までには、組み込んでおきます」
「――ありがとうございます」
グレタの顔を思い浮かべながら、僕はそう頭を下げた。彼女がくれたこの一手が、これから始まる訓練の日々を、少しでも楽にしてくれることを、僕は静かに願った。
「――明日からは、決まった型に沿って訓練していく」
オルテガが、そう告げた。
「この大隊には、大隊なりのやり方がある。今日は挨拶代わりだ。……明日から、覚悟しておけ」
その日の夜、格納庫に顔を出すと、シーマが待っていた。
「――お疲れ様、頑張ったみたいだね」
「し、シーマ中佐……」
情けない足取りを見られ、僕は思わず苦笑いを浮かべた。
「あの三人、加減って言葉を知らないんですか」
「知ってても使わないだけだよ。……それより、明日から一週間の流れ、聞いておくかい」
「一週間の、流れ?」
「この部隊は、曜日ごとにやることが決まっている。月火は実機訓練、水曜は非飛行日で機体整備と座学、木曜は艦隊との合同演習、金曜は夜間演習、土曜は機体の大点検と講話、日曜は半日の休暇だ」
「――随分、きっちりしてるんですね」
「戦場に出れば、そんな余裕はなくなる。だからこそ、今のうちに、身体を作る期間には、きっちりとした型がいる」
シーマは、そう言うと、僕の部屋まで案内してくれた。
「休む前に、荷解きくらいしときな」
そう言い残して去っていくシーマの背中を見送りながら、僕は、荷物には手をつけないまま、泥のようにベッドへ倒れ込んだ。
――明日でいいか。
そんなことを考えたのを最後に、僕の意識は、あっという間に闇へと落ちていった。
月曜日――基本訓練
「起きろ、坊主」
ドア越しに響くオルテガの声に、僕は跳ねるようにベッドから飛び起きた。
「お、起きてます! 今行きます!」
――と、視界に飛び込んできたのは、壁際に置かれたままの、紐で縛られた荷物だった。
「嘘だろ……」
三日どころか、初日から、僕は早速、昨夜の自分との約束を破っていた。
「明日でいいか、じゃなかったのかよ、僕……」
自分自身への呟きに答える者はいないまま、僕は身支度を整え、大慌てで廊下へと飛び出した。
薄暗い兵舎の廊下を駆け抜けながら、僕はふと、士官学校の寮での朝を思い出していた。あの頃も、遅刻癖だけは直らなかった。三年経っても、根本のところは、何も変わっていないのかもしれない。
割り当てられたのは、兵舎前の通路の清掃だった。モップを片手に、僕は同じ区画を任されていたレナと並んで作業をした。
「――おはよ、リオン。今日から本番だってさ」
「本番、ですか」
「着任日は、まあ、顔合わせみたいなもんでしょ。今日からが、正式なスケジュール」
レナの言葉に、僕は昨夜シーマから聞いた話を思い出した。曜日ごとに決まった型がある――その最初の日が、今日ということになる。
掃除を終え、食堂に駆け込むと、トレイの上には、見るからに高カロリーな携行食が並んでいた。栄養バーのような固形物と、粘度の高いスープ、そして錠剤のようなサプリメント。決して美味しそうな見た目ではなかったが、香りだけは、意外にも食欲をそそるものだった。
「――十五分で食い終われよ。時間厳守だ」
同じテーブルについたオルテガが、そっけなくそう言った。
「十五分って、結構急かされますね……」
「戦場に、悠長な食事時間なんてない。今のうちに、体を慣らしておけ」
急いで胃に詰め込むようにして食事を終えると、次は医務室での体調チェックだった。血圧を測られ、目を閉じたまま片足立ちをさせられ、軍医が無表情のまま数値を記録していく。
「――三半規管、問題なし。行っていいぞ」
「あの、これも毎日やるんですか」
「体調管理も、訓練のうちだ。……お前みたいに、常軌を逸した機動をするパイロットは、特にな」
軍医のその一言に、僕は思わず苦笑いを浮かべるしかなかった。
「今日は、基本訓練だ」
格納庫で、オルテガがそう切り出した。
「無重力、低重力下での急制動と、空間認識の確認。……早い話が、鬼ごっこだ」
「――鬼ごっこ、ですか」
「文句あるか」
「い、いえ……!」
乗り込んだ機体のシートに深く座り込みながら、僕は小さく深呼吸をした。これから始まる二十分間が、今日という一日の、最初にして最も重要な二十分になる。そのことを、僕は昨日の訓練で、痛いほど理解していた。
カタパルトから射出された瞬間、僕はまず、自分の身体が座席に押し付けられる感覚に息を呑んだ。旧ザクの加速とは、明らかに質が違う。あの、殴りつけるような加速の感覚――何度経験しても、慣れることはなかった。
「――さあ、逃げてみせろ」
通信越しに、オルテガの声が飛んでくる。今日は、僕が逃げる側だった。
旧ザクなら、身体の一部のようにねじ込めた機動が、この機体では思うように追いつかない。加速のたびに内臓が押し潰されるようなGがかかり、方向転換のたびに、今度は逆向きに振り回される。視界の端が、一瞬白く滲む。
「くっ……!」
距離を取ろうとブースターを踏み込む。だが、その踏み込みが、僅かに大きすぎた。反動で機体の姿勢が僅かに崩れ、立て直そうとした一瞬の隙を、オルテガは見逃さなかった。
あっさりと、間合いを詰められる。
「判定、接触」
電子音が、無情に響いた。
それからも、同じことの繰り返しだった。距離を取れば取るほど、次の一手を読まれ、逆に距離を詰めれば、その隙を突かれる。二十分間、僕は結局、一度もまともに逃げ切ることができなかった。
「――時間だ」
オルテガの声に、僕は肩で息をしながら、機体を格納庫へと向けた。
インターバルでは、今の飛行データを前に、簡単なデブリーフィングが行われた。整備班が用意したモニターには、僕の機動の軌跡が、細かな折れ線グラフとなって映し出されている。
「――お前の加速の癖、モニターに全部出てる」
オルテガが、記録端末の画面を指し示す。
「見ろ。ここ、加速の立ち上がりが、他のどの動作よりも急だ。これは、旧ザクの頃からの癖だろう」
「――そう、なんですかね。自分じゃ、あんまり意識してないんですけど」
「無意識だからこそ、癖なんだよ」
オルテガは、そう言うと、グラフの一部を指でなぞった。
「踏み込みが唐突すぎる。急制動の前に、もう少し予備動作を削れ。それだけで、反応速度が変わる」
「――削る、ってどうやって……」
「頭で考えるな。今の感覚を、身体で覚え直せ」
その言葉は、正直、あまりに抽象的で、すぐに飲み込めるものではなかった。それでも、僕は素直に頷いた。今は、理解できなくても、覚えておくしかない。
水分を補給し、簡易的な冷却シートで身体を冷ましている間も、頭の中では、先ほどの機動を何度も反芻していた。踏み込みを、どう削るのか。予備動作を減らすというのは、具体的に、どういう感覚なのか。
午前の座学講義では、連邦軍艦艇や航空機の死角についての基礎知識が叩き込まれた。ノートを取りながらも、正直、頭の半分は、まだ午前の訓練の感覚に引きずられていた。
昼食を終えると、午後の出撃が待っていた。
「――さっきよりは、マシになったか?」
二度目のカタパルトを出た瞬間、僕は、意識してブースターの踏み込みを短くしてみた。頭で考えるな、と言われたばかりだったが、それでも、体で覚え直すためには、一度は意識して試すしかなかった。
「――お、少し変わったな」
オルテガの声に、僅かな驚きが滲む。
午前の教えを頭で反芻しながら挑んだ二度目の逃走は、それでも、あっさりと捕まって終わった。だが、判定接触までにかかった時間は、午前よりも明らかに長くなっていた。
「判定、接触」
「――今日は、これで終わりだ」
オルテガが、そう告げる。
「たった一日で全部変わるとは思うな。だが、今日のお前は、午前と午後で、別人だった。……悪くない」
その一言に、僕は思わず肩の力が抜けるのを感じた。わずか二本の出撃、それでも、確かに何かを掴んだ実感があった。士官学校での三年間、幾度となく反復を重ねてようやく身につけてきたものが、今日は、たった二本の出撃と、その間の一つの指摘だけで、僅かながら形になろうとしている。
――これが、この部隊のやり方なのか。
僕は、そんなことを思いながら、機体を格納庫へと降りた。
午後のインターバルでは、フライトログの解析と、シャワー、そして短い仮眠の時間が与えられた。泥のように眠り、目を覚ますと、次はシミュレーターでの訓練だった。機体トラブル発生時の緊急対処、これから訓練する特殊環境の予習――座席に座ったまま、僕は必死に手順を頭に叩き込んだ。
最後は、格納庫での整備班の手伝いだった。今日使った機体の汚れを拭い、整備兵に、今日の機動で感じた違和感を伝える。
「――足首の稼働域、もう少し欲しいですか?」
「あ、はい。旋回の時、あと少しだけ、粘れると助かります」
「調整しておきます」
こうした小さなやり取りの積み重ねが、明日の機体を、今日より少しだけ、自分に近づけていくのだと、僕はこの日、初めて実感した。グレタのデータチップが組み込まれたおかげか、それとも、昨日の着任日で早くも機体に少し慣れ始めていたおかげか――理由はまだ、はっきりとは分からなかった。それでも、機体が、少しずつ、自分の一部になっていく感覚があった。
夕食を終え、戦術ノートを整理しながら、僕は今日一日の密度に、改めて驚いていた。たった一日で、これほどまでに詰め込まれるとは、思ってもみなかった。昨日の着任日は、むしろ助走に過ぎなかったのだと、僕はようやく理解し始めていた。
夜間点呼と衣服点検を終え、消灯後のベッドの中、僕は泥のように眠りに落ちた。
火曜日――応用訓練
「今日は、射撃だ」
朝の格納庫で、マッシュがそう告げた。
「ダミーバルーンを使う。対艦、対MS、両方の想定でな」
「――射撃、ですか」
正直、意外だった。これまでの訓練は、機動と近接ばかりだったからだ。
「型破りな動きは、あくまで間合いを詰めるための手段だろう。詰めた後、確実に仕留められなければ、意味がない」
マッシュの言葉に、僕は頷いた。考えてみれば、卒業試験でも、最後にものを言ったのはマシンガンの一撃だった。機動でどれだけ優位を作れても、決める一手がなければ、それは戦果には繋がらない。
一本目、二十分。射出された先の空間には、既にいくつものダミーバルーンが浮かんでいた。不規則な軌道で漂いながら、時折、鋭く加速する。旧ザクの頃から得意だったマシンガンの誘導だったが、機体の反応速度が変わったことで、照準の勘所が、これまでとは微妙にズレていた。
「――浅い。中心を外してる」
マッシュの声が、淡々と指摘する。
「お前の照準は、機体の反応が遅かった頃の"間"のままだ。今の機体なら、もっと早く狙いを付けられる」
言われてみれば、確かにそうだった。旧ザクの頃の癖で、僕は無意識のうちに、目標の少し先を狙っていた。だが、この機体の反応速度なら、その"先読み"の幅は、もっと小さくていいはずだった。
午前の一本目は、命中率にして半分にも届かなかった。狙いを外すたびに、ダミーバルーンは軽やかに軌道を変え、僕の照準から逃れていく。
「――時間だ」
マッシュの声に、僕は肩を落としながら機体を戻した。
インターバルでは、座学として連邦軍艦艇の弱点部位についての講義があった。装甲の薄い関節部、推進器の根本、コクピットハッチの位置――図面を前に、僕は必死に頭に叩き込んだ。
「――知識と、実際に当てられるかどうかは、別問題だぞ」
マッシュが、そう釘を刺す。
「頭で分かってるのと、コンマ数秒の判断で狙えるのとじゃ、天と地ほど差がある。午後は、それを埋める時間だ」
昼食を終え、午後の二本目に臨む。午前の反省を踏まえ、僕は照準の"先読み"の幅を、意識的に小さくしてみた。
「――お」
最初の一射で、ダミーバルーンの端を掠める。完全な命中ではなかったが、明らかに、午前とは違う手応えだった。
二射目、三射目――少しずつ、照準の感覚が、この機体の反応速度に馴染んでいくのが分かった。マッシュの助言を意識したことで、命中率は、午前の倍近くにまで上がっていた。
「――上出来だ」
マッシュが、そう零す。
「昨日といい、今日といい……お前、覚えるのが早いな」
「――そう、なんですかね。自分じゃ、あんまり実感ないんですけど」
「自覚がないのか。まあ、それも含めて、お前らしいがな」
その日のインターバルでは、実際にその知識を活かした急所狙いの射撃訓練が行われ、シミュレーターでは、弾切れ時の緊急対処を学んだ。整備班との会話では、マシンガンの安定性についての要望を伝える。
「――連射時、僅かに右にブレるんですけど」
「グリップの遊びですね。調整しておきます」
こうしたやり取りも、月曜と同じように、日常の一部として、少しずつ僕の中に馴染み始めていた。
夕食の席では、隣に座ったオルテガ小隊のカイ・シュトルムと、初めてまともに言葉を交わした。
「――お前、射撃も悪くないな」
「カイさんも、見てたんですか」
「モニター越しにな。……近接だけじゃなく、遠間もそこそこできるとは、正直、意外だった」
「褒められてる、んですよね?」
「そう受け取っていい」
素っ気ない口調の中に、僅かな親しみが滲んでいるのが、なんとなく分かるようになってきていた。
「――そういえば」
僕は、ふと気になっていたことを尋ねてみた。
「カイさんは、いつも一人で食堂に来てますよね。ベラさんとは、一緒じゃないんですか」
「――アイツは、飯の時間がバラバラなんだよ。整備班と、装備の相談してることが多い」
「真面目な人、なんですね」
「お前が言うと、皮肉に聞こえるな」
珍しく、カイの口元が、僅かに緩んだ。それだけのやり取りで、今日一日の疲れが、少しだけ和らいだ気がした。
水曜日――非飛行日
目覚ましの音がいつもより優しく感じられたのは、気のせいではなかった。
「今日は、機体には乗らない」
朝の集合で、オルテガがそう告げた。
「ザクは、終日ドック入りだ。整備班が、消耗品を全交換する」
「――僕らは、何を?」
「月火の機動データの反省会。それと、通信訓練、座学だ」
久しぶりに機体に乗らない朝は、どこか拍子抜けするような、それでいて、身体の芯にまで染み付いた疲労を、ようやく自覚するような、不思議な感覚だった。
午前は、月曜と火曜の機動データを前にした反省会だった。会議室に集められたモニターには、この二日間の機動の軌跡が、幾重にも折り重なって映し出されている。オルテガ、マッシュ、そしてシーマも顔を出し、それぞれの視点から、僕の動きに指摘を入れていく。
「――加速の予備動作、まだ少し残ってる」
オルテガが、そう切り出す。
「月曜の午後よりは減ったが、まだゼロじゃない。……この癖が抜けきるまで、もうしばらくかかりそうだな」
「射撃の照準、悪くないが、外した時の切り替えがまだ遅い」
マッシュが、続けてそう指摘する。
「一射目を外したら、すぐ次の狙いに移れ。旧ザクの頃の"外したら仕切り直し"の癖が、まだ抜けてない」
次々と飛んでくる指摘に、僕はノートを取る手が追いつかなくなるほどだった。それでも、一つ一つの指摘が、確かに自分の課題を言い当てていることに、素直に驚いていた。
「――お前、指摘されたことを、次にすぐ活かせるタイプだな」
シーマが、そう零す。
「頭で理解するより先に、身体が勝手に修正しにいく。……これは、なかなか得難い才能だよ」
「――ありがとう、ございます」
「褒めてるだけじゃないぞ。……頭で理解する前に体が動くってことは、裏を返せば、悪い癖もすぐに体に染み付くってことだ。良い時も、悪い時も、その吸収の早さは、諸刃の剣になる」
シーマの言葉に、僕は思わず背筋を伸ばした。褒め言葉の裏に、確かな警告が滲んでいるのが分かった。
「――明日は、私の小隊での合同演習だ」
シーマが、話を締めくくるようにそう続けた。
「初めて、艦との連携も入る。詳しくは、明日話そう」
午後は、発光信号や接触信号を使った通信訓練だった。電子通信が使えない状況を想定した、地味だが、実戦では命に関わる訓練だという。
「――これも、いずれミノフスキー粒子とやらが絡んでくると、必須になる」
オルテガが、そう説明してくれた。
「――ミノフスキー粒子、ですか」
「電波観測を阻害する粒子だ。散布された戦場じゃ、レーダーはまともに機能しない。……その時、頼れるのは、目視と、こういう原始的な通信手段だけになる」
まだ耳慣れないその単語に、僕は漠然とした不安を覚えながらも、必死に手順を覚えた。手旗に近い発光信号の型、機体の装甲を叩いて音を伝える接触信号――どれも、これまでの訓練とはまったく毛色の違うものだった。
「――正直、地味ですね、これ」
僕が思わずそう零すと、オルテガは、鼻を鳴らして笑った。
「地味な訓練ほど、忘れた頃に命を救う。……覚えておけ」
通信訓練は、二人一組での実技も兼ねていた。組まされた相手は、オルテガ小隊のベラ・ノイマンだった。カイとはまた違う、生真面目な佇まいの女性だった。
「――よろしく、お願いします」
「よろしく。……あなたが、リオンね」
ベラは、そう言うと、手にした発光信号機を、几帳面な仕草で構えた。
「型を教わったら、すぐに実践しましょう。時間の無駄は、嫌いなの」
「――は、はい」
彼女の指導は、カイともオルテガとも違う、きっちりとした手順の積み重ねだった。一つの型を、寸分の狂いもなく再現できるまで、何度も繰り返させられる。
「――もう一度」
「あの、さっきのでも、ちゃんと伝わってましたよね……?」
「伝わった、と伝わりやすい、は違うわ。戦場で、判読に一瞬でも迷わせたら、その一瞬で死ぬこともある」
その言葉には、有無を言わさぬ響きがあった。僕は、素直に頷き、もう一度、同じ型を繰り返した。
「――あなた、筋はいいのね」
何度目かの反復の後、ベラが、ぽつりとそう零した。
「型を崩す人だって聞いてたから、こういう地道な訓練は苦手かと思ってた」
「――型を崩すのと、覚えるのが苦手なのは、別ですよ。たぶん」
「そう。……なら、安心した」
ベラは、そう言うと、僅かに口元を緩めた。カイと同じオルテガ小隊らしい、静かで真面目な空気を纏った人だった。
夕方には、座学として戦術全般の講義が行われた。艦隊運用の基礎、部隊連携の基本原則――座りっぱなしの一日だったが、それでも、身体を動かす訓練とは違う種類の疲労が、じわりと蓄積していくのを感じた。
夜は、久しぶりに時間の余裕がある食事になった。
「――今日は、随分と余裕そうだな」
グレンが、からかうようにそう言ってくる。月曜からの数日、まだきちんと話す機会のなかった彼と、この日、僕は初めてゆっくりと言葉を交わした。
「非飛行日、ありがたみが身に染みます……」
「まあ、明日からまた地獄だけどな」
「――えっ」
「木曜は、艦隊との合同演習だ。今度は、艦を守りながらの模擬戦闘になる。俺とお前も、そこで初めて一緒に組むことになる」
「――グレンさんと、ですか」
「シーマ中佐の小隊は、俺とお前と、中佐の三人だからな。よろしく頼むぜ、相棒」
グレンは、そう言って、悪戯っぽく笑った。
その一言に、僕は思わず身構えた。だが、不思議と、恐怖よりも、期待の方が勝っている自分がいた。