二週目の月曜日、格納庫に集まった僕らを待っていたのは、これまでとは明らかに違う空気だった。
「――先週は、まだ様子見だった」
オルテガが、そう切り出した。
「基礎の反復は、もう十分こなした。今週からは、複数の課題を同時にこなす。急制動をかけながら、同時に照準を合わせる。回避しながら、僚機の位置を把握する。……戦場じゃ、一つのことだけに集中してる暇なんてない」
「――複数、同時に」
「音を上げるなよ、坊主」
オルテガの声に、僅かな笑いが滲んでいた。それは、これまでのような、値踏みするような響きではなく、どこか、期待に近いものだった。
一本目、二十分。カタパルトから射出された瞬間、僕はまず、これまでとは比較にならない情報量に、頭が追いつかなくなるのを感じた。
急制動をかけながら、ダミーターゲットへの照準を維持する。旋回のGに耐えながら、同時にオルテガの機影の位置を把握し続ける。一つ一つの動作は、この一週間で確かに身体に馴染んできたはずだった。だが、それを同時に処理するとなると、話はまったく別だった。
「――照準、外れてるぞ」
「くっ……!」
急制動に意識を割いた瞬間、照準が大きくブレる。慌てて立て直そうとすると、今度は旋回のタイミングがズレ、オルテガの追撃を許してしまう。
「判定、接触」
電子音が響く。だが、これまでのように、僕はすぐには落ち込まなかった。むしろ、頭の中では、今の失敗の原因を、猛烈な速さで分析している自分がいた。
――照準を合わせる意識と、機体を動かす意識を、完全に分けようとしてたから、遅れた。
旧ザクの頃、僕はいつも、身体で覚えた動きの上に、必要な操作を"乗せる"ようにして戦ってきた。今回も、同じ発想でいけるはずだった。
「――もう一本、お願いします」
補給を終えるなり、僕はそう申し出た。
「気が早いな」
オルテガが、意外そうな声を漏らす。
二本目。今度は、急制動と照準を、別々の作業としてではなく、一つの流れとして捉え直してみた。制動をかける瞬間の姿勢そのものを、照準の微調整に利用する――そんな発想だった。
「――お」
オルテガの声に、初めて驚きが混じった。
完全に噛み合ったとは言えない。それでも、一本目とは明らかに違う精度で、僕は制動と照準を両立させていた。
「判定、接触」――それでも、結果は変わらなかった。だが、判定までにかかった時間は、一本目よりも明らかに長くなっていた。
「――たった一本で、それか」
オルテガの声には、隠しきれない驚きがあった。
インターバルでのデブリーフィングでも、オルテガは、珍しく長く僕のデータを見つめていた。
「――お前、指摘したことを、次の一本ですぐ試すよな」
「――駄目ですか?」
「いや。……普通は、頭で理解してから、身体に落とし込むまでに、もっと時間がかかる。お前は、その工程を、ほとんど省略してる」
オルテガは、そう言うと、僅かに眉を寄せた。
「――まるで、乾いたスポンジみたいだな。放り込んだものを、片っ端から吸い込んでいく」
その例えに、僕は思わず笑ってしまった。
「スポンジって、なんか可愛くていいですね。気に入りました」
「――お前、そういうところ、つくづく調子いいよな」
オルテガは、そう言って呆れたように鼻を鳴らすと、ふと真顔に戻った。
「――ただ、あんまり調子に乗るなよ。吸い込みすぎたスポンジは、いずれ形を保てなくなる」
その忠告には、これまでにない重みがあった。僕は、素直に頷いた。
午後、格納庫に整備班の一人がやってきて、レナとダンに何やら話し込んでいるのが見えた。
「――なあ、聞いたか。リオンのやつ、午前の二本目で、もうオルテガ小隊長の指摘、修正してきたらしいぞ」
「――マジで? あたしなんて、同じこと三日は言われ続けたのに」
レナの声には、驚きと、僅かな悔しさが滲んでいた。
「――あいつ、ヤベェな」
ダンが、ぽつりとそう零す。
「褒めてんの? それとも僻んでる?」
「両方だよ」
二人のそんなやり取りを、僕は聞くともなしに聞いていた。決して悪意のある言葉ではなかった。それでも、自分が思っている以上に、周囲からの見え方が変わりつつあることを、僕はこの時、初めて実感した。
夕方、シミュレーター室に向かう途中、僕はグレンに呼び止められた。
「――お前、今日、随分と速かったな」
「――自分では、あんまりそんな感じしないんですけど」
「オルテガの野郎が、驚いてる顔、初めて見たぞ。あいつ、滅多なことじゃ表に出さないのに」
グレンの口調は、いつも通り軽かった。だが、その目の奥には、これまで見たことのない、鋭い光があった。
「――お前さ」
「はい?」
「俺のこと、抜くつもりで来てるだろ」
唐突なその言葉に、僕は思わず面食らった。
「そんな、つもりは……」
「別に、責めてるわけじゃない。ただ……木曜の連携訓練、覚えてるか。あの時、俺の"間"を、お前はもう半分以上読んでた」
「――グレンさんの、おかげですよ。丁寧に教えてくれたから」
「教えたのは事実だが……教えたことを、こんな速さで自分のものにされるとはな」
グレンは、そう言うと、珍しく真剣な顔で、僕を見据えた。
「――俺は、シーマ中佐の小隊で、一番長く型崩しの戦い方をやってきた自負がある。それを、着任二週目のお前に、あっさり並ばれるのは……正直、面白くない」
「――グレンさん……」
「だから、俺も、負けてられない」
その一言には、これまでの飄々とした態度からは想像できないほどの、強い意志が滲んでいた。
「勘違いするなよ。お前を蹴落としたいわけじゃない。……ただ、隣で吸収されっぱなしってのは、性に合わないんだよ」
グレンは、そう言うと、いつもの軽い調子に戻って、僕の肩を叩いた。
「――明日からも、よろしく頼むぜ、相棒」
「――はい。こちらこそ」
その足で、僕らは連れ立ってシミュレーター室へと向かった。
「――お前も、今日はシミュレーターか」
「はい。木曜の連携、もう少し詰めておきたくて」
「――奇遇だな。俺も、同じこと考えてた」
グレンは、そう言うと、隣の座席に腰を下ろした。二機分のシミュレーターが、連動した想定戦闘データを映し出す。
「――さっきの話の続きだが」
起動シークエンスを待つ間、グレンがふと口を開いた。
「悔しいから、って理由だけで終わらせるつもりはない。せっかく張り合えるやつが隣にいるんだ。……これを、ちゃんと連携の精度に還元する」
「――望むところです」
僕がそう答えると、グレンは、満足そうに笑った。
シミュレーター上での想定戦闘は、これまでのどの訓練よりも、密度の濃いものだった。実機とは違う、余計な負荷のかからない環境だからこそ、二人は何度も同じ局面を繰り返し、擦れ違いのタイミングを、コンマ秒単位で詰めていった。
「――今の、俺の"間"、完全に読んでたな」
「木曜より、ちょっとだけ、分かってきた気がします」
「ちょっとだけ、で片付けるなよ。……悔しいが、正直、大したもんだと思うぜ」
何度目かの想定戦闘を終える頃には、画面に表示される連携の成功率は、木曜の実戦訓練の時よりも、確実に高い数値を示していた。
「――このペースなら、今週の演習、期待できそうだな」
グレンが、そう零す。その声には、悔しさよりも、確かな手応えの方が、色濃く滲んでいた。
「――はい。僕も、そう思います」
僕がそう答えると、グレンは、軽く肩をぶつけてきた。
「――負けねえからな」
「――僕も、負けません」
二人で交わした、ただそれだけの軽口だったが、そこには、これまでにない、確かな絆のようなものが芽生えていた。
その日の夜、僕は、シミュレーターでの訓練を終えた後も、しばらく、グレンの言葉を反芻していた。
これまで、自分の成長は、自分自身の課題としてしか捉えていなかった。だが、その成長が、隣に立つ誰かにとっての焦りや、時に脅威にすらなり得るのだと、僕はこの日、初めて気づかされた。
――それでも、止まるわけにはいかない。
グレンが、僕に対して抱いた「負けてられない」という思いと、まったく同じものが、僕自身の中にも、確かに芽生え始めていた。
二週目の月曜日は、こうして、これまでとは違う種類の手応えと、そして、周囲との関係性の変化を伴いながら、幕を閉じた。
火曜日――複合射撃
朝の格納庫で、マッシュが、機体の前で待っていた。
「先週は、静止したダミーバルーンを狙う訓練だった。今日は、複数の目標を、同時に処理する」
「――複数、ですか」
「ああ。しかも、ただ多いだけじゃない。動きの速いものと、遅いもの、囮と本命……見た目じゃ判別しにくいものを混ぜる」
マッシュの言葉に、僕は思わず唾を飲み込んだ。
「実戦じゃ、敵は都合よく一体ずつ出てきちゃくれない。複数の脅威を同時に捌く力は、遅かれ早かれ、必要になる」
一本目、二十分。カタパルトの先に展開されていたのは、これまでとは比較にならない数のダミーバルーンだった。しかも、その動きは統一されておらず、ある個体は緩やかに、ある個体は鋭く、不規則に加速する。
「――どれが、本命なんだ……!」
思わず、声が漏れる。狙いを定めようとした瞬間、視界の端で、別の個体が急加速する。慌てて照準を切り替えると、今度は最初の個体を見失う。
「浅い。判断が遅い」
マッシュの声が、容赦なく飛んでくる。
「本命を先に決めるな。まず、脅威度の高い順に、優先順位をつけろ」
「――優先順位、って、どうやって……」
「速度、距離、軌道の予測しやすさ。それを、瞬時に見極めろ」
一本目は、結局、命中率にして三割にも届かなかった。頭の中が、次々と現れる情報に追いつかず、混乱したまま二十分が終わった。
「――時間だ」
肩を落としながら、僕は機体を格納庫へと戻した。
インターバルでのデブリーフィングで、マッシュは、僕の機動データを前に、静かにこう言った。
「――お前の悪い癖が、また出てる」
「――悪い癖?」
「一つの目標に気を取られると、他が疎かになる。……これは、木曜の艦隊戦訓練でも指摘されたことだろう」
その言葉に、僕は思わず言葉を飲んだ。確かに、同じ課題が、形を変えて何度も僕の前に立ち塞がっている。
「――視野の広さは、一朝一夕には身につかない、ってことですかね」
「そうだ。だが……」
マッシュは、そこで、僅かに口の端を緩めた。
「お前は、同じ課題でも、毎回違うアプローチで挑んでくる。それは、悪くない資質だ」
その一言に、僕は素直に頷いた。
昼食を終え、午後の二本目に臨む。午前の反省を踏まえ、僕は、目標を"個別に処理する"のではなく、"全体を俯瞰してから、優先順位に沿って処理する"という発想に切り替えてみた。
「――お」
最初の数秒で、マッシュの声に、驚きの色が滲む。
全ての目標を一度に把握しようとするのではなく、まず、視界全体をぼんやりと捉え、その中で"動きの異質なもの"を拾い上げる――そんな感覚だった。旧ザクの頃、複数の敵を同時に相手取った時の記憶が、ふと蘇っていた。
「――本命、これだ!」
僕は、明らかに軌道の異なる一体へと、迷わず照準を合わせた。
「判定、命中」
電子音が、これまでとは違う響きで鳴った。続けて、二体目、三体目――完璧とは言えないまでも、午前とは比較にならない速さで、僕は次々と目標を処理していった。
「――たった数時間で、そこまで変えてくるか」
マッシュの声には、隠しきれない驚きがあった。
夕食の席で、リンとフィンが、また隣に座った。
「――お前、午後の射撃、えげつなかったな」
リンが、そう零す。
「マッシュ小隊長が、珍しく声を上げて驚いてたぞ」
「――え、そんなに驚くようなことでした?」
「フィンなんて、一ヶ月かけてようやくできるようになったことを、お前、一日でやってのけたからな」
その言葉に、隣のフィンが、僅かに眉を動かした。
「――悔しい?」
リンが、からかうようにそう尋ねると、フィンは、小さく、けれどはっきりと頷いた。
「――負けない」
それだけを、フィンは静かに呟いた。口数の少ない彼女らしい、短い、けれど確かな決意の言葉だった。
「――僕も、まだまだこれからです。二人には、教わることの方が多いので」
僕がそう返すと、フィンは、少しだけ、表情を和らげた。
二週目の火曜日もまた、新しい課題と、新しい手応え、そして、周囲との静かな火花を伴いながら、暮れていった。
水曜日――加速する反省会
非飛行日の朝は、先週と変わらず、どこか拍子抜けするような静けさがあった。だが、会議室に集まった顔ぶれの空気は、先週とは明らかに違っていた。
「――今週の反省会は、少し形式を変える」
シーマが、そう切り出した。
「先週までは、一律の指摘だった。今週からは、成長の速さに応じて、課題の粒度を変える」
「――粒度、ですか」
「基礎がまだ固まってない者には、基礎の指摘を。基礎が固まった者には、その先の課題を。……あんたは、後者だ」
その一言に、僕は思わず背筋を伸ばした。
「月曜の複合機動、火曜の複数目標処理――どちらも、この二日で急速に精度を上げてきた。だが、その分、粗さも残ってる」
シーマは、モニターに映し出された機動データの一点を、指で示した。
「――ここ。複数の課題を同時にこなせるようになった代わりに、一つ一つの精度が、僅かに落ちてる。速さと引き換えに、丁寧さを犠牲にしてないか?」
「――言われてみれば……」
「悪いことじゃない。だが、この先、伸び代がなくなった時、その粗さがそのまま弱点になる。……覚えておけ」
オルテガとマッシュも、それぞれの視点から、より高度な指摘を重ねていった。以前のような、基礎の反復を促す言葉ではなく、既に出来ていることを前提にした、一段階先の要求だった。
「――お前、指摘のレベルが、明らかに上がってるの、自覚あるか?」
反省会の後、隣の席にいたダンが、そう声をかけてきた。
「――指摘の内容が、前よりずっと難しく感じるので、たぶんそうなんだと思います」
「難しく感じてる時点で、レベルが上がってる証拠だよ。俺なんて、いまだに基礎の指摘ばっかりだぜ」
ダンの声には、自嘲めいた響きが混じっていた。
「――ダンさんは、ダンさんのペースがあると思いますけど」
「気ぃ遣うなよ。……ただ、俺も、いつまでもこのままってわけにはいかねえ。今週は、俺なりに、頑張ってみるさ」
その一言には、これまでのダンにはなかった、静かな決意が滲んでいた。
午後の通信訓練は、先週の発光信号・接触信号の型を踏まえた、より実践的な応用編だった。
「――今日は、複数人での連携通信だ」
ベラが、そう説明する。
「一対一の型はもう身についてるはずだ。今日は、三人以上での情報伝達を想定する」
「――僕、まだ一対一の型も、完璧とは言えないんですけど……」
「知ってる。それでも、実戦じゃ待ってくれない」
ベラの言葉は、先週よりも、幾分か手厳しかった。それでも、その奥には、一週間前とは違う、対等な相手として接してくれているような響きがあった。
三人一組での伝達訓練は、想像以上に難易度が高かった。一人が発信した情報を、次の一人が正確に中継し、さらに次へと繋げていく――伝言ゲームにも似たその作業は、僅かな誤読が、瞬く間に情報全体を歪めてしまう。
「――あなた、中継の精度、先週よりずっと上がってるわね」
何度目かの訓練の後、ベラが、そう零した。
「――本当ですか?」
「ええ。……正直、少し悔しいくらいに」
ベラは、そう言うと、僅かに目を細めた。
「私は、地道な積み重ねでしか、成長できないタイプなの。……あなたみたいに、短期間で吸収できる人を見ると、正直、複雑な気持ちにもなる」
「――ベラさんの積み重ね方も、僕には真似できないものだと思いますけど」
「気を遣わなくていいわ。……ただ、負けるつもりはない、ってだけ」
ベラの声には、静かだが、確かな芯の強さがあった。
夕方の座学講義では、来る木曜の演習に向けた、艦隊運用のより踏み込んだ内容が扱われた。先週の基礎に加え、複数の艦を同時に運用する場合の連携パターンや、旗艦を失った際の指揮系統の移行についてまで、講義の内容は一段深いものになっていた。
夕食を終えた後も、僕はどうにも落ち着かなかった。今日一日の反省会で指摘された粗さが、頭の中に引っかかったままだった。
――今日は、一度も機体に触れてない。
考えてみれば、月曜からずっと当たり前のように感じていた、あの機体との一体感が、丸一日空いただけで、少し遠のいているような気がした。このまま何もせず眠るのは、なんだか落ち着かなかった。
そう思い立ち、僕は一人、シミュレーター室へと足を向けた。
「――お前も、来たのか」
扉を開けると、既に、カイが座席に着いていた。
「カイさんも、自主練ですか」
「ああ。……お前が来るとは、思わなかったがな」
「機体に乗れない日だからこそ、感覚を鈍らせたくなくて。相手、してもらえますか」
「――望むところだ」
カイは、そう言うと、抑揚のない声のまま、僅かに口の端を緩めた。誰に言われたわけでもなく、それぞれが、それぞれの意志で、この場に足を運んでいた。
シミュレーター上での模擬戦は、実機とは違う独特の緊張感があった。衝撃も疲労もない代わりに、判定は驚くほど厳密で、僅かな操作の遅れも、シビアに結果へと反映される。
開始直後、僕は、ミドルレンジからの間合い調整で、僅かにカイをリードした。射撃の駆け引きでは、火曜に磨いたばかりの複数目標処理の感覚が活きた。
「――お、悪くない位置取りだ」
カイの声に、感心したような響きが混じる。だが、間合いが一定以上詰まった瞬間、状況は一変した。
「――くっ……」
持続的な近接の応酬に持ち込まれると、途端に、カイの手数が僕を上回り始める。二の手、三の手――磨いてきたつもりの技術も、専門にしてきた相手の前では、まだ拙さが目立った。
「判定、カイの勝利」
結果を告げる無機質な音声に、僕は思わず肩を落とした。
「――僕の負けです。近接に持ち込まれると、まだ全然……」
「射撃と位置取りは、お前の方が上だった」
カイが、意外にも、そう零した。
「だが、近接は、俺の領分だ。……そう簡単に、明け渡すつもりはない」
その一言には、静かだが、確かな矜持があった。
「――次は、勝ちます」
「言うのは、簡単だがな」
カイは、そう言って、僅かに口の端を緩めた。
総合的な判定は、僅差で僕の優勢だった。それでも、カイの得意分野である近接戦では、完敗に近い結果だった。得意なもの、まだ足りないもの――その輪郭が、この一戦で、これまでよりもくっきりと見えた気がした。
「――ちなみに、な」
シミュレーターを降りかけていたカイが、ふと足を止めた。
「近接、完全に駄目ってわけじゃない。……お前の一撃離脱、あれ自体は悪くない」
「――でも、二の手が続かないんですよね」
「二の手を、"斬る"ことだけに使おうとするからだ」
カイは、そう言うと、宙に指で簡単な軌道を描いてみせた。
「一撃目を外されたら、そのまま二撃目に繋げるんじゃなく、一度、相手の得物を"殺す"動きを挟め。斬るんじゃなく、逸らす。……それだけで、間合いを立て直す時間が稼げる」
「――逸らす、ですか」
その一言に、僕は、何かが繋がるような感覚を覚えた。旧ザクの頃、隕石を蹴って軌道を変えていたあの発想――攻めることだけでなく、"逸らす"という選択肢も、型を崩す動きの一部として組み込めるかもしれない。
「――もう一戦、お願いします」
「――望むところだ」
二戦目、僕は、教わったばかりの"逸らし"を、意識的に取り入れてみた。一撃目が決まらなかった直後、斬り返す代わりに、カイの得物を軽く逸らし、僅かに体勢を崩させる。その隙に、体勢を立て直す。
「――ほう」
カイの声に、明確な驚きが混じった。完全に互角とは言えないまでも、一戦目よりも、遥かに粘りのある斬り合いになっていた。
「判定、カイの勝利」
それでも、結果は変わらなかった。だが、僅差だった。
「――くっ、あと少しだったのに……!」
「あと少し、で片付けるな。今の変化は、教わったことを、たった一戦で試してくるだけの度胸があるって証拠だ」
カイの言葉には、これまでにない、素直な評価の色があった。
「――お前ら、まだやってたのか」
不意に、扉の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。振り返ると、ガイアが、面白そうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「ガイア少尉……!」
「非飛行日の夜まで、二人揃ってシミュレーターとはな。……随分と、やる気があるじゃないか」
その言葉に、僕とカイは、思わず顔を見合わせた。
「――やる気があるなら、俺が扱いてやる。二人まとめて、かかってこい」
「――に、二人まとめて、ですか?」
「不服か?」
「い、いえ……!」
断る、という選択肢は、最初からなかった。僕とカイは、頷き合うと、それぞれの座席に着き直した。
――結果は、話にならなかった。
二人がかりで挑んだにもかかわらず、ガイアの機体には、指一本触れることさえできなかった。一撃離脱を仕掛ければ、まるで最初から見えていたかのように躱され、カイが近接に持ち込もうとすれば、その間合いに入る前に、既に距離を切られている。
「判定、ガイアの勝利」
何度やり直しても、結果は同じだった。
「――何も、できなかった……」
肩を落とす僕の隣で、カイもまた、珍しく悔しさを隠しきれない表情を浮かべていた。
「シミュレーターだからって、手加減はしない主義でな」
ガイアは、そう言うと、悪びれもせずに笑った。
「実機じゃ、機体の性能差やら燃料の制約やらで、ある程度は誤魔化しが効く。だが、ここじゃそうはいかない。純粋に、腕の差だけが出る」
その言葉に、僕は、思わず息を呑んだ。これまで見てきたガイアの実力は、あくまで実機での、余力を残した動きに過ぎなかったのだと、今更ながらに思い知らされた。
「――何本か、見せてやる。よく見ておけ」
ガイアは、そう言うと、僕らの目の前で、いくつかの想定戦闘データを再生してみせた。一切の無駄がなく、それでいて、これまでのどんな型にも当てはまらない、自由な軌道――それは、僕が目指してきた"型を崩す"という発想の、遥か先にあるものだった。
「――カイ、お前も見てみろ。近接だけに拘ってると、いずれ頭打ちになるぞ」
「――肝に、銘じます」
カイが、素直にそう頷いた。
その日の残り時間、僕とカイは、ガイアの動きを、食い入るように見つめ続けた。手加減のない本気を目の当たりにしたことで、これまで漠然としていた"隊長格との差"というものが、初めて、具体的な輪郭を持って迫ってきた。
「――お前ら、いい目してるな」
ガイアが、満足そうにそう零す。
「――せっかくだ。二人とも、もう少し具体的な話もしてやる」
ガイアは、そう言うと、まず僕の方を見た。
「リオン、お前の一撃離脱は、直線的すぎる。間合いを詰める前に、一度、機体を斜めに逃がすような機動を挟んでみろ。ちょうど、隕石を蹴った後の、あの動き方だ。相手の照準が完全に合う前に軌道をずらせば、初撃の不意を突ける確率が、もっと上がる」
「――斜めに、逃がす……」
僕は、思わずその言葉を反芻した。旧ザクの頃の感覚と、また一つ、新しい発想が繋がっていく気がした。
「――カイ、お前は」
ガイアは、続けてカイに視線を移した。
「近接に持ち込む前の、間合いの詰め方が硬い。まっすぐ突っ込みすぎだ。少し弧を描くように接近すれば、相手の射撃の照準を乱しながら、得意な距離まで踏み込める」
「――弧を描く、接近……」
「それと」
ガイアの声が、少し鋭くなった。
「お前、射撃を苦手だからって、完全に切り捨ててるだろう。それじゃ、いつか足元を掬われるぞ。得意なことを伸ばすのは大事だが、苦手を放置していい理由にはならない。……多少は、そっちも磨いておけ」
「――……はい」
カイが、僅かに視線を落としながら、そう答えた。図星を突かれたような、その反応だった。
「今日見たものを、明日からの訓練で、少しずつでいい、自分のものにしていけ」
「――はい」
僕とカイは、揃ってそう答えた。悔しさと、それ以上の手応えを胸に抱きながら。
夕食の席で、僕は、この二日間で感じた、周囲の空気の変化について、ふと考えていた。
――みんな、それぞれのペースで、必死に足掻いてる。
自分の成長だけを見ていた先週までとは違う視点が、少しずつ、自分の中に芽生え始めていることに、僕は気づいていた。誰か一人が抜きん出ることは、決して、他の誰かを置き去りにすることではない。それぞれが、それぞれの形で、前に進もうとしている――そのことを、僕はこの日、実感として理解し始めていた。
二週目の水曜日は、こうして、静かな、けれど確かな緊張感を伴いながら、暮れていった。