二週目の木曜日、格納庫に集まった僕らを待っていたのは、シーマだった。
「――今日は、より高度な訓練だ」
シーマは、そう切り出すと、宙域図の一点を指し示した。
「艦は、先週と同じくムサイ級。だが、今日は、敵役の規模を上げる」
シーマは、そう言うと、宙域図に、三つの光点を追加した。
「――ガイア、オルテガ、マッシュ。三個小隊、まとめて敵役だ」
「――三個、小隊……!?」
思わず、声が裏返った。三つの小隊――つまり、黒い三連星とその部下たち、合わせて九機近い機影が、今日は"敵"として僕らの前に立ち塞がることになる。
「私の小隊は、私、グレン、リオン。この三機で、ムサイを守り切る」
「――三機で、九機を相手に、ですか……!?」
「数の不利は、覆せない。だから、これは、数の不利をどう"凌ぐか"を学ぶための演習だ」
シーマの声は、これまでにないほど、静かで、それでいて重かった。
「詳しくは言わない。想定通りに進むとは、思わない方がいい」
その言葉には、これまでにない緊張感が滲んでいた。
午前、僕らは、これまでとは比較にならない密度の攻撃に晒された。
「――複数方向から、同時に来るぞ」
グレンの声が、鋭く飛んでくる。前方からガイア小隊、側面からオルテガ小隊、後方からマッシュ小隊――三方向から、寸分のズレもなく、攻撃が押し寄せてきた。
「――グレンさん、右!」
「見えてる! お前は左を頼む!」
今までの訓練で培った"間"の感覚が、ここで生きた。声を掛け合わずとも、互いの意識がどちらに向いているかを、機体の動きだけで察知できる場面が、少しずつ増えていた。それでも、九機という物量の前では、その連携だけで凌ぎ切れる保証はどこにもなかった。
「――くっ……!」
一機を弾いた瞬間、別の二機が、同時に間合いを詰めてくる。判定装置が、立て続けに鈍い音を鳴らす。被弾判定は、あっという間に積み重なっていった。
「――このままじゃ、保たない……!」
視界の端で、シーマがガイアと切り結んでいるのが見えた。だが、こちらに割く余力はない――そのことは、言われるまでもなく分かっていた。
「――リオン、右も来るぞ!」
グレンの声が、飛んでくる。僕は、それに応えるように機体を捻った。
「――リオン、聞いてるか! 右だ、右!」
もう一度、グレンの声。だが、さっきよりも、心なしか輪郭がぼやけている気がした。それでも、目の前の機影に対応することで頭がいっぱいで、僕はその違和感に、まともに気を留めなかった。
「――リオ、ン……!」
三度目の呼びかけは、ほとんど言葉になっていなかった。まるで、水の中から聞こえてくるような、くぐもった響きだった。
警告音も、判定装置の電子音も、いつの間にか、同じように遠くなっていた。鳴っているはずなのに、鳴っていないような、妙な感覚だった。
それでも、ただ一つだけ、消えない音があった。
――すう、はあ。
自分の呼吸だけが、やけにはっきりと、耳の奥に響いていた。息を吸う音、吐く音――その規則正しいリズムだけが、静けさの中心に、確かな輪郭を保っていた。
視界だけは、逆に、限界まで冴えていった。九機分の機影が、まるで静止画を繋いだように、一コマずつ、ゆっくりと動いているのが見える。オルテガ機の踏み込みの初動。マッシュ小隊の一機が、機体の向きを変える、その僅かな傾き。まだ誰も動いていないはずの、次の一手までもが、既に見えているような感覚だった。
――ああ、そうか。
ここで、こう動けば。この角度に、この速度で機体を入れれば――狙った通りの場所に、狙った通りの結果が、待っている。
考える、というより、答えを先に知っているような感覚だった。身体は、まるで、あらかじめ用意されていた動きをなぞるように、次々と機体を進めていった。
――後で聞いた話だが、その時、グレンの目に映っていた僕の機動は、傍から見ていて、異様としか言いようのないものだったらしい。
迫る一機――マッシュ小隊の一人の機影に対し、僕の機体は、最小限の動作で滑り込み、型を崩した軌道のまま、相手の懐へと入り込んでいった。
「――なっ、当た――!?」
通信越しに、リンの声が、上ずった悲鳴を上げた。
「判定、接触」
だが、僕の機体は、それを確認する素振りすら見せず、既に、次の敵機へと軌道を変えていた。グレンには、それが、まるで最初から二手先、三手先まで見えているかのように映ったという。
「――は!?」
オルテガの声が、通信越しに、珍しく上ずった。
僕の機体は、迫る複数の攻撃を、紙一重で、しかも最小限の動作だけで、次々と受け流していった。躱す。逸らす。時に、僅かな隙を突いて、判定を返す。無駄な動きが、一切なかった。グレンの目には、それが、型を崩すというより、あらゆる状況に対して、その都度、最も無駄のない一手だけを選び続けているように見えたそうだ。
「――ぐっ、また……!」
二機目――今度は、ダンの声が、驚きと共に響く。
「――お、おい、あれ……」
ガイアの声が、通信越しに、僅かに動揺していた。
「坊主、今、何かおかしくないか……!?」
グレンでさえ、隣で戦いながら、思わず息を呑んだという。まるで、最初からその答えを知っていたかのような的確さで、僕の機体は、次々と敵機を無力化し続けていた。
どれくらいの時間が経ったのか、僕自身には、まるで分からなかった。周囲を囲んでいたはずの機影の密度が、いつの間にか薄くなっていることにすら、気づいていなかった。
「――時間だ! 前半、終了!」
オルテガの声が、通信越しに響いた。だが、僕の機体は、止まらなかった。
次の敵機影を捉え、機体を進めようとした、その瞬間だった。
――目の前に、シーマの機体が、割り込んできた。
「――リオン!」
その一喝と共に、シーマの機体が、僕の機体の進路を、真正面から塞いだ。物理的な接触寸前まで距離を詰められ、ようやく、僕の意識は、現実へと引き戻された。
「――え……」
ふいに、音が、一気に戻ってくる。仲間の呼吸、機体の駆動音、格納庫からの通信――これまで消えていたはずの音のすべてが、雪崩のように押し寄せてきた。
同時に、これまで感じていなかったはずの疲労が、堰を切ったように全身へと押し寄せてきた。
両腕が、鉛のように重い。指先は、細かく震えていた。全身から、どっと汗が噴き出し、シートに背中を預けただけで、視界が一瞬、白く霞んだ。息が、まったく整わない。肺がどれだけ空気を取り込んでも、酸素が足りていない気がした。
「――は、はぁ、はぁ……」
肩を大きく上下させながら、僕は、しばらくの間、指一本動かすこともできなかった。今、何機を捌いたのか、正確な数すら思い出せなかった。それどころか、直前の数分間の記憶そのものが、酷く曖昧だった。
「――今の、何だったんだ、坊主」
ガイアの声が、通信越しに、真剣な響きで飛んでくる。
「――正直、僕にも、よく分からないです。気づいたら、音が消えて……自分の息の音しか、聞こえなくなってました」
「シーマ中佐」
オルテガの声が、僅かに硬い。
「――見ての通りだよ」
シーマの声には、これまでにない、驚きと、それを上回る興味の色があった。
「一つのことに、極限まで集中する――それだけのことが、突き詰めれば、あそこまでの領域に辿り着く。あんたの持ち味、型を崩して経験則だけで戦うそのやり方が、その集中の果てで、極限まで研ぎ澄まされたんだろう。……初めて見たよ、あそこまでのは」
「――集中しすぎて、周りの音が、全部消えてました。それだけです」
「それだけ、で片付けられる代物じゃないけどね」
シーマは、そう零すと、小さく笑った。
「――ま、今はまだ、そう何度も使える手札じゃないだろう。だが、覚えておくといい。"一つに集中する"ということの、本当の極限が、今、あんたの中で顔を出した。あんた自身も知らなかった、あんたの引き出しだ」
その言葉に、僕は、荒い息を整えながら、小さく頷いた。
午前の護衛任務を終える頃には、僕とグレンの連携は、そしてリオン自身の限界の輪郭は、これまでとはまったく違う場所まで押し広げられていた。
「――満足するのは、まだ早い」
午後、立場を変え、攻撃演習が始まった。
「――今度は、私たち三人だけで、模擬敵艦への攻撃を仕掛ける」
シーマが、そう説明する。
「艦隊の護衛はつかない。実戦じゃ、都合よく艦隊の援護が受けられるとは限らない。……今日は、その前提でやる」
「――僕らだけ、ですか」
「ああ。しかも、模擬敵艦には、護衛がついてる」
シーマは、そう言うと、宙域図の一点を示した。
「――オルテガ小隊だ。あいつらの防御網を突破しない限り、艦への攻撃は成立しない」
その言葉に、僕は、思わず唾を飲み込んだ。午前の護衛戦で、既に体力の大半を使い果たしている。それなのに、今度は、援護のない状態で、敵の防御陣地を突破しなければならない。
「――正直、キツいです」
僕は、素直にそう零した。両腕には、まだ痺れが残っている。
「キツいのは、当たり前だ。実戦は、都合よく体力が万全な時にだけ来るわけじゃない」
シーマの声は、素っ気なかったが、そこに冷たさはなかった。
「――行くぞ」
カタパルトを出た瞬間、既に、模擬敵艦の周囲には、オルテガ小隊の三機が展開していた。カイ、ベラ、そしてオルテガ自身が、それぞれの持ち場で、迎撃態勢を整えている。
「――今日は、容赦しないぞ、坊主」
通信越しに、カイの抑揚のない声が飛んできた。
「――望むところです」
そう返しながらも、内心では、これまでにない不安があった。腕は重く、指先の感覚も、いつもより鈍い。それでも、動かすしかなかった。
「――右から、私が仕掛ける」
シーマの合図と共に、三機は散開した。シーマが正面から圧をかけ、グレンが側面から回り込む。僕は、その隙を突いて、艦への直接攻撃を狙う役割だった。
だが、いざ機体を加速させると、思うように速度が乗らなかった。踏み込みが、いつもより一拍遅い。
「――くっ……!」
オルテガ小隊の防御網は、堅牢だった。カイが近接で僕の進路を塞ぎ、ベラの精密な射撃が、僕の機動を狭い範囲へと押し込めていく。オルテガ自身は、艦の直前で、最後の壁のように立ち塞がっていた。
「――浅いぞ、坊主」
カイの声が、容赦なく飛んでくる。一撃離脱を仕掛けようとした僕の動きは、疲労で精度を欠き、あっさりと見切られた。
「判定、接触」
「くっ……!」
被弾判定を受けながらも、僕は、なんとか機体を立て直した。全身が、悲鳴を上げていた。午前のあの状態から、まだ本調子には程遠い。それでも、止まるわけにはいかなかった。
「――リオン、こっちに引きつける! 今のうちに詰めろ!」
グレンの声が飛んでくる。彼が、ベラの射撃線を強引に引き受け、僕のための隙を作ってくれていた。
「――ありがとう、ございます……!」
その隙を突いて、僕は、残った力を振り絞り、艦への最短距離へと機体を進めた。腕が痺れ、視界の端が、時折、白く滲む。それでも、目の前の"逸らす"という選択肢――カイに教わったばかりのその動きだけは、頭の芯に、しっかりと刻み込まれていた。
「――そこか!」
最後の壁、オルテガの機体が、正面に立ち塞がる。僕は、真正面からぶつかる代わりに、教わったばかりの動きで、オルテガの得物を軽く逸らした。僅かに崩れた体勢――その一瞬の隙に、機体を滑り込ませる。
「――ほう」
オルテガの声に、驚きが混じった。
「判定、突破」
艦への直接攻撃までは、あと僅かだった。だが、その僅かな距離を詰める力すら、もう、ほとんど残っていなかった。
「――ここまで、来て……!」
震える指先で、僕は、最後のスロットルを踏み込んだ。型を崩した軌道――もはや、綺麗な形とは程遠い、ただがむしゃらなだけの一撃だった。それでも、その一撃は、確かに、艦橋のポイントへと届いた。
「判定、命中」
「――やった……!」
声を上げた瞬間、緊張の糸が切れたように、視界が大きく揺らいだ。
「――離脱するぞ、リオン!」
グレンの声に、僕は、朦朧としながらも、必死に機体を後退させた。全身が、限界を訴えていた。指一本動かすだけでも、意識を総動員する必要があった。
「――時間だ。演習、終了」
シーマの声が、通信越しに響いた瞬間、僕は、全身から力が抜けるのを感じた。目の前が、一瞬、真っ暗になる。それでも、意識だけは、辛うじて繋ぎ止めた。
「――よくやったね」
着陸した僕らを、シーマがそう出迎えた。
「艦隊の援護なしで、あそこまで持ち込むとは、正直、思ってなかったよ」
「――ぎりぎりでしたけどね」
グレンが、肩で息をしながら、そう零す。
「――俺たちの防御網、あっさり抜かれたのは、正直、悔しいがな」
カイが、そう付け加えた。珍しく、その声には、悔しさと同時に、どこか満足げな響きも混じっていた。
「ぎりぎりでも、艦への攻撃を成功させた。それが、全てだ」
シーマの声には、これまでにない、確かな満足の色があった。
「――ただ、一つ、言っておく」
その声のトーンが、ふと、真剣なものに変わった。
「リオン。今日のあんたを見て、はっきりした。……あんたには、体力の底上げが、絶対に必要だ」
「――体力、ですか」
「ああ。あのゾーンってやつは、自分の意志で入れるものじゃないだろう」
「――はい。気づいたら、なってた、としか」
「だったら、対策は一つしかない」
シーマは、そう言うと、僕の目を真っ直ぐに見据えた。
「いつ、どのタイミングで、あの状態に入るかは、あんた自身にも制御できない。……なら、あの状態に入った"後"、どれだけ長く戦い続けられるかは、純粋に、体力の問題だ」
「――今日みたいに、動けなくなる前に……」
「その通り。今日は、演習だから、途中で止めれば済んだ。だが、実戦じゃ、そうはいかない。ゾーンが解けた瞬間に、指一本動かせないほど消耗してたら――そこで、終わりだ」
その言葉の重みに、僕は、思わず息を呑んだ。
「明日からの訓練メニューに、体力面の強化を組み込む。……覚悟しておきな」
「――はい」
「――今日の出来なら、来週はもう一段階、内容を上げてもいいかもしれないね」
「――勘弁してください」
グレンが、思わずそう零すと、シーマは、悪戯っぽく笑った。
夕食の席で、レナとダンが、まだ興奮の冷めやらない様子で話し込んでいた。二人とも、午前、ガイア小隊の一員として、あの九機がかりの護衛演習に加わっていた。
「――なあ、今朝の、あれ」
ダンが、フォークを持つ手を止めたまま、そう切り出した。
「正直、俺、まだ夢だったんじゃないかって思ってる」
「――あたしも」
レナの声にも、いつもの快活さはなく、どこか青ざめたような響きがあった。
「あんた、あの時、リオンの後ろにつけてたよね。近くで、見てたんでしょ」
「見てた。……見てたからこそ、正直、ゾッとしてる」
ダンは、そう言うと、声を落とした。
「最初は、九機がかりなんだから、そのうち押し切れるだろうって、余裕あったんだよ。でも、途中から、明らかに様子がおかしくなった」
「――どんな風に?」
「読めなくなったんだ。あいつの動きが」
ダンは、思い出すように、宙を睨んだ。
「それまでは、型を崩してるとはいえ、多少は先が読めた。だが、あの瞬間からは、こっちが仕掛けるより先に、もう避けられてる。躱すんじゃなくて、最初から、そこにいないみたいな」
「――あたしも、似たようなの感じた」
レナが、そう続ける。
「マッシュ小隊の子が、一瞬でやられてたでしょ。あれ、こっちからは、何が起きたか、正直、ほとんど分からなかった。気づいたら、判定音が鳴ってた」
「あいつ自身は、周りが見えなくなってたらしいけどな」
ダンは、そう零すと、小さく首を振った。
「――怖かったのは、それだけじゃない」
「――どういうこと?」
「あの状態の時、あいつの機体、C型なんだよ」
ダンの声に、はっきりとした緊張が滲んだ。
「隊長格が乗ってる機体、俺らのC型とは、性能が段違いだって話、聞いたことあるだろ」
「――うん、なんか、最新鋭のがどうとか」
「その性能差がありながら、互角どころか、一瞬とはいえ、隊長格を振り回してたんだ。……あれが、あいつの素の実力じゃなく、"追い詰められた末に出た何か"だってのが、余計に怖い」
ダンの声には、呆れよりも、はっきりとした危機感が滲んでいた。
「――もし、あれが、実戦で起きたら」
ダンは、そこで一度言葉を切った。
「あいつ一人だけの話じゃ、済まない気がする。俺らも、いつ、あんな化け物じみた敵と当たるか分からない。……その時、今の俺らじゃ、何もできずに終わる」
その一言に、レナも、黙って頷いた。
「――今までのやり方じゃ、追いつくどころか、置いていかれる」
ダンが、静かに、けれどはっきりとそう言った。
「もっと、自分から追い込まないと駄目だな」
「――そうだね」
二人のそんなやり取りを、僕は、少し離れた席で、聞くともなしに聞いていた。今朝の自分の記憶は、未だに、酷く曖昧なままだった。だが、二人のあの表情を見る限り、それが、決して大袈裟な反応ではないのだと、僕は改めて実感していた。
――みんな、それぞれの戦場で、必死に足掻いてる。
昨日感じたその実感が、この日、さらに強くなっていくのを、僕は感じていた。
二週目の木曜日は、こうして、これまでで最も苛烈な、けれど確かな手応えを伴う一日として、幕を閉じた。