機動戦士ガンダム ランダムウォーカー   作:うーまろー

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第八話 改訂

 二週目の木曜日、格納庫に集まった僕らを待っていたのは、シーマだった。

「――今日は、より高度な訓練だ」

 シーマは、そう切り出すと、宙域図の一点を指し示した。

「艦は、先週と同じくムサイ級。だが、今日は、敵役の規模を上げる」

 シーマは、そう言うと、宙域図に、三つの光点を追加した。

「――ガイア、オルテガ、マッシュ。三個小隊、まとめて敵役だ」

「――三個、小隊……!?」

 思わず、声が裏返った。三つの小隊――つまり、黒い三連星とその部下たち、合わせて九機近い機影が、今日は"敵"として僕らの前に立ち塞がることになる。

「私の小隊は、私、グレン、リオン。この三機で、ムサイを守り切る」

「――三機で、九機を相手に、ですか……!?」

「数の不利は、覆せない。だから、これは、数の不利をどう"凌ぐか"を学ぶための演習だ」

 シーマの声は、これまでにないほど、静かで、それでいて重かった。

「詳しくは言わない。想定通りに進むとは、思わない方がいい」

 その言葉には、これまでにない緊張感が滲んでいた。

 午前、僕らは、これまでとは比較にならない密度の攻撃に晒された。

「――複数方向から、同時に来るぞ」

 グレンの声が、鋭く飛んでくる。前方からガイア小隊、側面からオルテガ小隊、後方からマッシュ小隊――三方向から、寸分のズレもなく、攻撃が押し寄せてきた。

「――グレンさん、右!」

「見えてる! お前は左を頼む!」

 今までの訓練で培った"間"の感覚が、ここで生きた。声を掛け合わずとも、互いの意識がどちらに向いているかを、機体の動きだけで察知できる場面が、少しずつ増えていた。それでも、九機という物量の前では、その連携だけで凌ぎ切れる保証はどこにもなかった。

「――くっ……!」

 一機を弾いた瞬間、別の二機が、同時に間合いを詰めてくる。判定装置が、立て続けに鈍い音を鳴らす。被弾判定は、あっという間に積み重なっていった。

「――このままじゃ、保たない……!」

 視界の端で、シーマがガイアと切り結んでいるのが見えた。だが、こちらに割く余力はない――そのことは、言われるまでもなく分かっていた。

「――リオン、右も来るぞ!」

 グレンの声が、飛んでくる。僕は、それに応えるように機体を捻った。

「――リオン、聞いてるか! 右だ、右!」

 もう一度、グレンの声。だが、さっきよりも、心なしか輪郭がぼやけている気がした。それでも、目の前の機影に対応することで頭がいっぱいで、僕はその違和感に、まともに気を留めなかった。

「――リオ、ン……!」

 三度目の呼びかけは、ほとんど言葉になっていなかった。まるで、水の中から聞こえてくるような、くぐもった響きだった。

 警告音も、判定装置の電子音も、いつの間にか、同じように遠くなっていた。鳴っているはずなのに、鳴っていないような、妙な感覚だった。

 それでも、ただ一つだけ、消えない音があった。

 ――すう、はあ。

 自分の呼吸だけが、やけにはっきりと、耳の奥に響いていた。息を吸う音、吐く音――その規則正しいリズムだけが、静けさの中心に、確かな輪郭を保っていた。

 視界だけは、逆に、限界まで冴えていった。九機分の機影が、まるで静止画を繋いだように、一コマずつ、ゆっくりと動いているのが見える。オルテガ機の踏み込みの初動。マッシュ小隊の一機が、機体の向きを変える、その僅かな傾き。まだ誰も動いていないはずの、次の一手までもが、既に見えているような感覚だった。

 ――ああ、そうか。

 ここで、こう動けば。この角度に、この速度で機体を入れれば――狙った通りの場所に、狙った通りの結果が、待っている。

 考える、というより、答えを先に知っているような感覚だった。身体は、まるで、あらかじめ用意されていた動きをなぞるように、次々と機体を進めていった。

 

 ――後で聞いた話だが、その時、グレンの目に映っていた僕の機動は、傍から見ていて、異様としか言いようのないものだったらしい。

 迫る一機――マッシュ小隊の一人の機影に対し、僕の機体は、最小限の動作で滑り込み、型を崩した軌道のまま、相手の懐へと入り込んでいった。

「――なっ、当た――!?」

 通信越しに、リンの声が、上ずった悲鳴を上げた。

「判定、接触」

 だが、僕の機体は、それを確認する素振りすら見せず、既に、次の敵機へと軌道を変えていた。グレンには、それが、まるで最初から二手先、三手先まで見えているかのように映ったという。

「――は!?」

 オルテガの声が、通信越しに、珍しく上ずった。

 僕の機体は、迫る複数の攻撃を、紙一重で、しかも最小限の動作だけで、次々と受け流していった。躱す。逸らす。時に、僅かな隙を突いて、判定を返す。無駄な動きが、一切なかった。グレンの目には、それが、型を崩すというより、あらゆる状況に対して、その都度、最も無駄のない一手だけを選び続けているように見えたそうだ。

「――ぐっ、また……!」

 二機目――今度は、ダンの声が、驚きと共に響く。

「――お、おい、あれ……」

 ガイアの声が、通信越しに、僅かに動揺していた。

「坊主、今、何かおかしくないか……!?」

 グレンでさえ、隣で戦いながら、思わず息を呑んだという。まるで、最初からその答えを知っていたかのような的確さで、僕の機体は、次々と敵機を無力化し続けていた。

 どれくらいの時間が経ったのか、僕自身には、まるで分からなかった。周囲を囲んでいたはずの機影の密度が、いつの間にか薄くなっていることにすら、気づいていなかった。

「――時間だ! 前半、終了!」

 オルテガの声が、通信越しに響いた。だが、僕の機体は、止まらなかった。

 次の敵機影を捉え、機体を進めようとした、その瞬間だった。

 ――目の前に、シーマの機体が、割り込んできた。

「――リオン!」

 その一喝と共に、シーマの機体が、僕の機体の進路を、真正面から塞いだ。物理的な接触寸前まで距離を詰められ、ようやく、僕の意識は、現実へと引き戻された。

「――え……」

 ふいに、音が、一気に戻ってくる。仲間の呼吸、機体の駆動音、格納庫からの通信――これまで消えていたはずの音のすべてが、雪崩のように押し寄せてきた。

 同時に、これまで感じていなかったはずの疲労が、堰を切ったように全身へと押し寄せてきた。

 両腕が、鉛のように重い。指先は、細かく震えていた。全身から、どっと汗が噴き出し、シートに背中を預けただけで、視界が一瞬、白く霞んだ。息が、まったく整わない。肺がどれだけ空気を取り込んでも、酸素が足りていない気がした。

「――は、はぁ、はぁ……」

 肩を大きく上下させながら、僕は、しばらくの間、指一本動かすこともできなかった。今、何機を捌いたのか、正確な数すら思い出せなかった。それどころか、直前の数分間の記憶そのものが、酷く曖昧だった。

「――今の、何だったんだ、坊主」

 ガイアの声が、通信越しに、真剣な響きで飛んでくる。

「――正直、僕にも、よく分からないです。気づいたら、音が消えて……自分の息の音しか、聞こえなくなってました」

「シーマ中佐」

 オルテガの声が、僅かに硬い。

「――見ての通りだよ」

 シーマの声には、これまでにない、驚きと、それを上回る興味の色があった。

「一つのことに、極限まで集中する――それだけのことが、突き詰めれば、あそこまでの領域に辿り着く。あんたの持ち味、型を崩して経験則だけで戦うそのやり方が、その集中の果てで、極限まで研ぎ澄まされたんだろう。……初めて見たよ、あそこまでのは」

「――集中しすぎて、周りの音が、全部消えてました。それだけです」

「それだけ、で片付けられる代物じゃないけどね」

 シーマは、そう零すと、小さく笑った。

「――ま、今はまだ、そう何度も使える手札じゃないだろう。だが、覚えておくといい。"一つに集中する"ということの、本当の極限が、今、あんたの中で顔を出した。あんた自身も知らなかった、あんたの引き出しだ」

 その言葉に、僕は、荒い息を整えながら、小さく頷いた。

 午前の護衛任務を終える頃には、僕とグレンの連携は、そしてリオン自身の限界の輪郭は、これまでとはまったく違う場所まで押し広げられていた。

「――満足するのは、まだ早い」

 午後、立場を変え、攻撃演習が始まった。

「――今度は、私たち三人だけで、模擬敵艦への攻撃を仕掛ける」

 シーマが、そう説明する。

「艦隊の護衛はつかない。実戦じゃ、都合よく艦隊の援護が受けられるとは限らない。……今日は、その前提でやる」

「――僕らだけ、ですか」

「ああ。しかも、模擬敵艦には、護衛がついてる」

 シーマは、そう言うと、宙域図の一点を示した。

「――オルテガ小隊だ。あいつらの防御網を突破しない限り、艦への攻撃は成立しない」

 その言葉に、僕は、思わず唾を飲み込んだ。午前の護衛戦で、既に体力の大半を使い果たしている。それなのに、今度は、援護のない状態で、敵の防御陣地を突破しなければならない。

「――正直、キツいです」

 僕は、素直にそう零した。両腕には、まだ痺れが残っている。

「キツいのは、当たり前だ。実戦は、都合よく体力が万全な時にだけ来るわけじゃない」

 シーマの声は、素っ気なかったが、そこに冷たさはなかった。

「――行くぞ」

 カタパルトを出た瞬間、既に、模擬敵艦の周囲には、オルテガ小隊の三機が展開していた。カイ、ベラ、そしてオルテガ自身が、それぞれの持ち場で、迎撃態勢を整えている。

「――今日は、容赦しないぞ、坊主」

 通信越しに、カイの抑揚のない声が飛んできた。

「――望むところです」

 そう返しながらも、内心では、これまでにない不安があった。腕は重く、指先の感覚も、いつもより鈍い。それでも、動かすしかなかった。

「――右から、私が仕掛ける」

 シーマの合図と共に、三機は散開した。シーマが正面から圧をかけ、グレンが側面から回り込む。僕は、その隙を突いて、艦への直接攻撃を狙う役割だった。

 だが、いざ機体を加速させると、思うように速度が乗らなかった。踏み込みが、いつもより一拍遅い。

「――くっ……!」

 オルテガ小隊の防御網は、堅牢だった。カイが近接で僕の進路を塞ぎ、ベラの精密な射撃が、僕の機動を狭い範囲へと押し込めていく。オルテガ自身は、艦の直前で、最後の壁のように立ち塞がっていた。

「――浅いぞ、坊主」

 カイの声が、容赦なく飛んでくる。一撃離脱を仕掛けようとした僕の動きは、疲労で精度を欠き、あっさりと見切られた。

「判定、接触」

「くっ……!」

 被弾判定を受けながらも、僕は、なんとか機体を立て直した。全身が、悲鳴を上げていた。午前のあの状態から、まだ本調子には程遠い。それでも、止まるわけにはいかなかった。

「――リオン、こっちに引きつける! 今のうちに詰めろ!」

 グレンの声が飛んでくる。彼が、ベラの射撃線を強引に引き受け、僕のための隙を作ってくれていた。

「――ありがとう、ございます……!」

 その隙を突いて、僕は、残った力を振り絞り、艦への最短距離へと機体を進めた。腕が痺れ、視界の端が、時折、白く滲む。それでも、目の前の"逸らす"という選択肢――カイに教わったばかりのその動きだけは、頭の芯に、しっかりと刻み込まれていた。

「――そこか!」

 最後の壁、オルテガの機体が、正面に立ち塞がる。僕は、真正面からぶつかる代わりに、教わったばかりの動きで、オルテガの得物を軽く逸らした。僅かに崩れた体勢――その一瞬の隙に、機体を滑り込ませる。

「――ほう」

 オルテガの声に、驚きが混じった。

「判定、突破」

 艦への直接攻撃までは、あと僅かだった。だが、その僅かな距離を詰める力すら、もう、ほとんど残っていなかった。

「――ここまで、来て……!」

 震える指先で、僕は、最後のスロットルを踏み込んだ。型を崩した軌道――もはや、綺麗な形とは程遠い、ただがむしゃらなだけの一撃だった。それでも、その一撃は、確かに、艦橋のポイントへと届いた。

「判定、命中」

「――やった……!」

 声を上げた瞬間、緊張の糸が切れたように、視界が大きく揺らいだ。

「――離脱するぞ、リオン!」

 グレンの声に、僕は、朦朧としながらも、必死に機体を後退させた。全身が、限界を訴えていた。指一本動かすだけでも、意識を総動員する必要があった。

「――時間だ。演習、終了」

 シーマの声が、通信越しに響いた瞬間、僕は、全身から力が抜けるのを感じた。目の前が、一瞬、真っ暗になる。それでも、意識だけは、辛うじて繋ぎ止めた。

「――よくやったね」

 着陸した僕らを、シーマがそう出迎えた。

「艦隊の援護なしで、あそこまで持ち込むとは、正直、思ってなかったよ」

「――ぎりぎりでしたけどね」

 グレンが、肩で息をしながら、そう零す。

「――俺たちの防御網、あっさり抜かれたのは、正直、悔しいがな」

 カイが、そう付け加えた。珍しく、その声には、悔しさと同時に、どこか満足げな響きも混じっていた。

「ぎりぎりでも、艦への攻撃を成功させた。それが、全てだ」

 シーマの声には、これまでにない、確かな満足の色があった。

「――ただ、一つ、言っておく」

 その声のトーンが、ふと、真剣なものに変わった。

「リオン。今日のあんたを見て、はっきりした。……あんたには、体力の底上げが、絶対に必要だ」

「――体力、ですか」

「ああ。あのゾーンってやつは、自分の意志で入れるものじゃないだろう」

「――はい。気づいたら、なってた、としか」

「だったら、対策は一つしかない」

 シーマは、そう言うと、僕の目を真っ直ぐに見据えた。

「いつ、どのタイミングで、あの状態に入るかは、あんた自身にも制御できない。……なら、あの状態に入った"後"、どれだけ長く戦い続けられるかは、純粋に、体力の問題だ」

「――今日みたいに、動けなくなる前に……」

「その通り。今日は、演習だから、途中で止めれば済んだ。だが、実戦じゃ、そうはいかない。ゾーンが解けた瞬間に、指一本動かせないほど消耗してたら――そこで、終わりだ」

 その言葉の重みに、僕は、思わず息を呑んだ。

「明日からの訓練メニューに、体力面の強化を組み込む。……覚悟しておきな」

「――はい」

「――今日の出来なら、来週はもう一段階、内容を上げてもいいかもしれないね」

「――勘弁してください」

 グレンが、思わずそう零すと、シーマは、悪戯っぽく笑った。

 夕食の席で、レナとダンが、まだ興奮の冷めやらない様子で話し込んでいた。二人とも、午前、ガイア小隊の一員として、あの九機がかりの護衛演習に加わっていた。

「――なあ、今朝の、あれ」

 ダンが、フォークを持つ手を止めたまま、そう切り出した。

「正直、俺、まだ夢だったんじゃないかって思ってる」

「――あたしも」

 レナの声にも、いつもの快活さはなく、どこか青ざめたような響きがあった。

「あんた、あの時、リオンの後ろにつけてたよね。近くで、見てたんでしょ」

「見てた。……見てたからこそ、正直、ゾッとしてる」

 ダンは、そう言うと、声を落とした。

「最初は、九機がかりなんだから、そのうち押し切れるだろうって、余裕あったんだよ。でも、途中から、明らかに様子がおかしくなった」

「――どんな風に?」

「読めなくなったんだ。あいつの動きが」

 ダンは、思い出すように、宙を睨んだ。

「それまでは、型を崩してるとはいえ、多少は先が読めた。だが、あの瞬間からは、こっちが仕掛けるより先に、もう避けられてる。躱すんじゃなくて、最初から、そこにいないみたいな」

「――あたしも、似たようなの感じた」

 レナが、そう続ける。

「マッシュ小隊の子が、一瞬でやられてたでしょ。あれ、こっちからは、何が起きたか、正直、ほとんど分からなかった。気づいたら、判定音が鳴ってた」

「あいつ自身は、周りが見えなくなってたらしいけどな」

 ダンは、そう零すと、小さく首を振った。

「――怖かったのは、それだけじゃない」

「――どういうこと?」

「あの状態の時、あいつの機体、C型なんだよ」

 ダンの声に、はっきりとした緊張が滲んだ。

「隊長格が乗ってる機体、俺らのC型とは、性能が段違いだって話、聞いたことあるだろ」

「――うん、なんか、最新鋭のがどうとか」

「その性能差がありながら、互角どころか、一瞬とはいえ、隊長格を振り回してたんだ。……あれが、あいつの素の実力じゃなく、"追い詰められた末に出た何か"だってのが、余計に怖い」

 ダンの声には、呆れよりも、はっきりとした危機感が滲んでいた。

「――もし、あれが、実戦で起きたら」

 ダンは、そこで一度言葉を切った。

「あいつ一人だけの話じゃ、済まない気がする。俺らも、いつ、あんな化け物じみた敵と当たるか分からない。……その時、今の俺らじゃ、何もできずに終わる」

 その一言に、レナも、黙って頷いた。

「――今までのやり方じゃ、追いつくどころか、置いていかれる」

 ダンが、静かに、けれどはっきりとそう言った。

「もっと、自分から追い込まないと駄目だな」

「――そうだね」

 二人のそんなやり取りを、僕は、少し離れた席で、聞くともなしに聞いていた。今朝の自分の記憶は、未だに、酷く曖昧なままだった。だが、二人のあの表情を見る限り、それが、決して大袈裟な反応ではないのだと、僕は改めて実感していた。

 ――みんな、それぞれの戦場で、必死に足掻いてる。

 昨日感じたその実感が、この日、さらに強くなっていくのを、僕は感じていた。

 二週目の木曜日は、こうして、これまでで最も苛烈な、けれど確かな手応えを伴う一日として、幕を閉じた。

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