殉教者共へ鎮魂歌を 作:与ル太族
8月31日。
レスターの突然の訪問で肝を冷やしたアイラは深く眠りにつくことが出来ず、浅い眠りと覚醒を繰り返しながら朝を迎えていた。
レンズの部屋を飛び出してから数刻後、彼から送られてきたメールにはレスターをなんとか懐柔したこと、そして警察官を操っていた念能力が解除され、意識を取り戻したことが書かれていた。だがそのメールが送られてきた時刻は既に二時を回っていた為、詳しい話は朝になってから、というやり取りで終わっている。
自室で顔を洗い、ルームサービスで注文した朝食のパンを口に運ぶ。今日一日はゼンジも大きな外出の予定が無いと聞いている為、多少の自由時間も与えられるだろう──レンズを含む末端の構成員達は明日の地下競売の会場となるセメタリービルへ足を運ばなければならないらしい為、レンズとやり取りが出来る時間は限られているだろうが。
その為、昨日の夜にレンズの部屋で行われたレスターとの会話、そしてその後に起きたであろう警察官との会話の内容の共有は朝のうちに行われることとなった。丁度アイラが朝食を食べ終えた頃を見計らったかのように、ドアがノックされた。ドアを開けるとそこにいたのはアイラと同じように熟睡出来たようにはとても見えない、少し疲れた顔のレンズだった。
「おはよう……大丈夫? 結構ヤバい顔してるわよ」
「ご心配どうも。あの警察官を夜中にバレないようにホテルから逃がすのにも神経を使ったからな……上がっていいか?」
「勿論。朝ご飯食べた?」
「軽く食べてきた」
レンズは頭を掻きながらアイラの部屋に入り──ベッドの大きさと部屋の綺麗さに一瞬言葉を失った。
「ボスのボディーガードと、下っ端マフィアでこうも部屋に差があるのかよ……」
「ちなみにルームサービスもゼンジが支払ってくれるわよ」
「おまっ……クソ、初めてあんたのことを嫌いになりそうだ」
実際アイラの待遇はかなり良く、昨日レンズの部屋に入った際に自身が特別扱いされていることを実感していた。正直この部屋の格差で、更に昨日は成人男性一人を拘束していたせいでスペースを圧迫されていたと考えると、多少なりとも彼に同情は出来る。
「……まあ、俺達の待遇に文句を言うのは後回しにして。昨日の話だ、まずレスターさんのことだが……あの状況であの人を、延いてはゼンジ
「アイツが来たタイミングが悪すぎたわね……仕方無いとしか言えないわ」
「だが、あの人に念をレクチャーするのは俺の仕事になった。あの人がどれだけ才能に溢れているのかは解らないが……少なくともこのヨークシンにいる間に念を使えるようにはしないさ」
最低限、転んでもただでは起きないように相手の動きを制限する一手を打っているのがなんともレンズらしい。ただでさえ謎の操作系能力も目の上のたんこぶであるのに、その上レスターが厄介な能力でも身に付けたら最悪だと思っていたが、その可能性は排除された。
「ただ、俺は少し動きづらくなるだろうな……警察官を拘束しているのも当然見られている、俺はレスターさんからあの能力を発動している本人──多分ミコトだろうが──の抹消を命令された。雑務から解放されるのはラッキーではあるが、危険は増した……かもな」
「状況によってはミコトとは協力出来るかもって昨日は言ってたけど……その線は完全に消えたってことね」
「ああ。流石にマフィアンコミュニティーを敵に回してまで、一人の能力者と組むメリットは薄い」
レンズの話を聞き、アイラは一抹の不安を抱えていた。今の話はかなり要約されているだろうが、つまるところレンズは一人でまだ能力の全貌も明らかになっていない操作系能力者と戦いに向かう、ということだ。
操作系の能力の強みは発動=即詰みという点にある。考察力や思考力に優れているレンズだが、彼の能力は戦闘には向いていない──無論、隠している他の能力があるなら話は別ではあるが。だが一対一で人間を操る強制型の能力を持った念能力者を相手に、レンズが勝てる見込みは──そう高く見積もることは出来ない。
レスターが何処まで理解しているのかは解らないが……アイラはレンズの話を聞いて最初に「完全に信用出来ない下っ端と、顔も見えない組への襲撃者を戦わせ、下っ端を合法的に粛清し、そして襲撃者の情報を手に入れればいい」とレスターが考えているのでは、と感じた──そして自身でもその結論に至るということは、レンズがそこまで思い至っていないはずが無い、とも考えている。
あくまでもお互いの目的の為に邪魔をしない協力関係を結んでいる二人だったが、少なくともアイラはレンズの能力や考察力を非常に信用している。ここで失うことは避けたい──それが既にレンズに心を許していることの証左であることに、アイラ自身は気付いていないが。
「さて、もう一つの情報についても共有しておくぞ。目を覚ました警察官についてだ」
そんなアイラの逡巡を知ってか知らずか、レンズは何も気にしていないというような声色で淡々と話を続ける。
「目を覚ましてからまず最初に「操作されている間の記憶があるかどうか」の確認をした──結果、このホテルまで来たことも、俺と戦ったことも覚えていなかった。この時点で俺達の想像通り、敵の能力は強制型の操作系能力であることが確定した」
レンズは昨日の夜、警察官が目覚めた瞬間のことを思い出す──彼は何故今自分がここにいるのか、そして何故拘束されているのか、それら全てを一切理解出来ず、パニックに陥っていた。もし部屋の近くを他のマフィアが通っていれば、不審がられるくらいにはもの音も鳴っていただろう。
「落ち着かせるのに時間がかかったが、記憶が残っている限りでの情報は聞き出した。やはりというかなんというか……ミコトの路上ライブに出くわし、歌声を聴いたところで記憶は途切れているらしい」
「つまり、操作系能力者の正体はやっぱり──」
「ああ、ミコトで間違いない。能力発動の条件もほぼ間違いなく「歌声を一定時間以上聴いた時」のようなものだろう。前回俺が操作されなかったのはギリギリセーフだったってとこか」
「歌声を聴いた時間は累計で計算されてる可能性も高いわね……その警察官はレンズと一緒に聴いていた時間と、2回目に聴いた時間を合わせて能力発動の条件を達成したとも考えられる」
「というか、ほぼそうだろうな。「声を聴いた瞬間からもう記憶が無い」と言っていたから……」
もしあの場にもう少し留まっていたら、能力の条件を達成してしまい意識を奪われたままマフィアに攻撃を始めていた可能性があったことを考えると、レンズは背筋が冷えた。レンズ自身は姉を見つける為にマフィアに潜り込んでいる身だ、情報源をみすみす逃すことになっていた──否、それどころでは終わっていなかっただろう。
「……でもレンズ、アンタそれじゃミコトに絶対勝てないんじゃないの? いくらレスターに言われて抹消しに行くって言ったって、その場で歌われたら多分その時点でアンタの負け確定よ」
「そもそも俺の能力は戦闘向きじゃないしな……現状歌を一切聴かずにミコトを無力化する方法は実際思いついてないってのが事実だ。まあなんとかするしかないんだが」
アイラには隠しているレンズのもう一つの能力「
思案顔で何か対策を練ろうとしているレンズの様子を見て、アイラは大きく溜息を吐いてみせた。
「アンタねぇ……一応協力者でしょ。私を頼ろうとか思わないワケ?」
──そのアイラの言葉を一切予想していなかったレンズは驚き、思わず口を開けて顔を上げた。
「……マジで言ってんのか? 多分だけど、あんたの目的にはマジで関係の無い話だぞ、これ」
「そうかもしれないけど、アンタを失うことは私の目的に関わるかもしれないでしょ。乗りかかった船……というか、協力関係を結んじゃったんだから。結構アンタのことは信用してるのよ。それに、お互いの目的の為にならないこんな仕事、さっさと片付けた方が安心じゃない」
「それは……そうだが……」
レンズはアイラの言葉の真意を測り損ねていた。レンズから見た彼女はある程度頭も回る武闘派の能力者であり、ある程度の修羅場も抜けてきたようなオーラの安定感と普段の口調、そして頑なに自身の目的を話さないことからかなり徹底した秘密主義と個人主義者である……という評価だった。少なくとも自分が危険に晒された時、自身に損が回る前に協力関係は打ち切られるものだと考えていたのだ。
それが、今は進んで危険に共に飛び込もうとしてくれている──目的とは恐らく関係ないのに。この言葉の裏にどんな打算があり、どんな目的が隠れているのか、それを読み取る必要がある。レンズは必死に思考を巡らせる。
「…………レンズ、アンタ幻影旅団って知ってるわよね?」
「んあ? ああ……名前くらいは流石に知ってるが、それがどうした?」
「そいつらが、今ヨークシンにいる。目的は恐らくドリームオークション、または
「──ちょちょちょちょ、ちょっと待て。いやっ……おい、まず幻影旅団がヨークシンにいるって本当か!?」
突然のアイラのカミングアウトに、レンズの思考は完全に遮られた。驚きの情報が滝のように押し寄せ、レンズは舌すら満足に動かすことも出来ず素っ頓狂な声をあげる。
「プロハンターで情報のハントを専門にしている知り合いがいるの、彼から買った情報だからほぼ間違い無いわ。元々は一人で目的を達成するつもりだったけど……A級首をターゲットにするのに、協力関係を結べる念能力者がいるのは私も心強いの。だからアンタをみすみす逃したくない」
「……表舞台のオークションよりも、地下競売の方がイカれた品が競りに出される。確かに幻影旅団のようなイカれた輩は、地下競売を狙う確率の方が高そうだ──だから、あんたはマフィアに近付きたかったのか」
勿論アイラのこの発言が嘘か真実か、レンズには判断がつかないが──何故か、レンズはアイラのこのカミングアウトは全て真実である気がした。そして彼女の告白が真実であるなら、アイラはレンズのことを信用して目的を話してくれたということになり……そしてそれは、レンズを失いたくないから、ミコトを抹消するという任務に協力するという言葉も真実であることを裏付ける。
「……とんでもない女と組んでしまったな。ただでさえミコト相手でも勝算は薄そうだってのに、それを切り抜けても
「でも協力を持ち掛けたのはレンズ、アンタの方でしょ? ……知り合いの
「……ああ、助かる。俺も今日の昼間は外に出て色々情報収集を行う予定だった、俺の目的もそうだが──幻影旅団の足取りももし掴めそうなら、探しておくよ」
──レンズはアイラを歴戦の念能力者だと判断し、その精神性を無意識に高く見積もっているが、その認識と彼女の実際の精神性には大きな乖離がある。事実として彼女はアイラは念能力者同士の戦闘も幾度か経験しており、そして五体満足で生き残ってきたが故の実力と安定感は備えている。だが、同時にこれもまた事実として、まだ齢十六の少女でもあるのだ。住んでいた村は滅ぼされ、年相応の経験を殆ど積むことなく念能力者として戦い続けた彼女にとって、レンズは協力者としてだけでなく、歳の近い念能力者としての親近感も感じている。レンズは彼女の思わぬカミングアウトや協力の申し出に何かの裏がないか懸念しているが、その真実はただアイラが彼を信用し、或いは信頼しているからに過ぎなかった。
「じゃあ、一旦話はこれで終わりにしとくか。夜にまた情報交換をしよう」
「ええ。何かわかったら連絡する」
しれっとルームサービスのパンを一つ手に取りながら部屋を出て行ったレンズ。彼を見送ってすぐ、アイラは携帯電話を取り出し、贔屓の情報屋──スモークの番号を呼び出して通話のボタンを押した。数回のコール音の後、スモークは軽い調子で電話に出た。
『もしもし。無事ヨークシンには到着したのか?』
「ええ、アンタの情報のおかげで地下競売にも近付けそうよ──だけど今はちょっと別の情報が欲しい」
『へぇ、おたくが
「今ヨークシンに滞在しているアイドル、ミコトについての情報。何でもいいわ、とにかくすぐに沢山欲しい」
『んあ? なんだってまた……いや、まあそりゃミーハー相手に売れる情報だからある程度は仕入れているが……』
アイラが求めている情報がかなり予想外だったらしく、珍しく電話越しに困惑したような声色を見せるスモーク。彼なら突然アイラがそんな情報を欲しがるとなると、何か事情があることは察するだろうが、今回ばかりはすぐに結論に辿り着くことは出来ていないらしい。アイラはこの電話のやり取りで余計な駆け引きをするつもりは無かった為、早々に情報を欲しがる理由を明かすことにした。
「そのミコトってアイドルが念能力者である可能性が非常に高いの。アンタから貰う情報の代価は彼女が持っていると予想される念能力の詳細……でどう? 確かヨークシンに来てるのよね、今から会えない?」
『──ちょっと待て、今の話本当か? というかそんな話を盗聴されるかもしれねえ普通の電波に乗せやがって……』
「アンタが変に邪推して交渉のタイミングを引き延ばすのが厄介だったのよ、電話で言っちゃって悪かったわね! で、どうなの!? 会えるの?」
『……解った。情報を渡すかどうかはおたくの話を聞いて、彼女が念能力者であるという情報の信憑性を確かめてからになるが、構わないな?』
「勿論」
『場所をメールで送る。良い取引を期待してるよ』
電波を傍受される可能性を嫌ったのか、或いは念能力者による盗聴を嫌ったのか──スモークは手短に最低限のやり取りを済ませ、即座に電話を切った。少ししてすぐにアイラの元へメールが届き、彼との待ち合わせ場所が決定される。ゼンジが気まぐれを起こして突然外出すると言い出した場合、問答無用でボディーガードの仕事を全うしなければならない為、なるべく早く外出してしまいたい──アイラは大急ぎで準備を済ませ、扉を開けてホテルの入口へと向かった。他の組の構成員達は昨日までの雑務の疲れを部屋でゆっくり癒したいのか、フロントに到着するまで誰一人とすれ違うことは無い。
そしてホテルの入口のドアを開け、外へ出た途端──アイラは小さな視線を感じた。
(……何処かから見られている?)
気配は感じられない。だが確かに、自分自身に向かって……或いは、このホテルを出入りしている人間に向かってだろうか。監視されているような、そんな雰囲気を感じ取った。それは或いは、念能力者だからこそ気付けたもの……ではなく、
(絶を使えるということはほぼ間違いなく念能力者……! 私に向けての視線というより、恐らくはこのホテルを使用している人間を監視していると考えた方が自然かしら)
ホテル自体は貸切になっているが、当然このホテルをマフィアが貸し切っていることは一般的には知られていない。このホテルを監視する者がいるとしたら、ゼンジに恨みを持った他のマフィア
(警察の線はほぼ無いでしょうけど……どの可能性だとしても私が出払った瞬間にホテル内を襲撃されて、ゼンジの身に危険が降り注いだら面倒ね。ボディーガードとしての役目も果たしておかないと、明日からの地下競売に近付くチャンスが失われる可能性もある……ただ、この監視者が何処にいるのか把握ができない)
入口でただ突っ立っているだけの時間が伸びれば伸びる程、監視者に気付いていることを知らせかねない。アイラは即座に思考を纏め──右手でホテルの入口のドアに触れ、「
(一旦このまま気付いていないフリをしてスモークとの待ち合わせ場所へ向かう……! もし視線がそのまま私についてくるなら、そのまま私の後を尾けさせていればいい! 尻尾を出した瞬間を捕らえ、目的を吐かせることが出来れば、場合によってはそれもスモークとの交渉材料に使えるかもしれない! もしこのまま視線が切れたなら、すぐにレンズに連絡し、ホテル内の状況を伺う! 仮に相手が乗り込んでくるようなら即座に「
アイラの能力、「
アイラは視線にはさも気付いていないかのように振舞い──そのまま本来の目的地に向かって歩き出した。
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(……一瞬立ち止まったが、特に違和感もなく歩き出した。だがあの様子はどう考えても念能力者! あの一瞬の静止が俺の視線に気付いたからなのか、はたまたただ単に止まっただけなのか──少なくとも場所までは気付かれていないのは間違いない、とみていいだろう)
少し遠くの雑居ビルの屋上から、絶を使ってホテルを監視していた男──稀代のアイドル、ミコトのボディーガードを務める男、ウシワカ=ゲンリュウ。8月31日午前、ホテルから出てきた少女がまるでウシワカの視線に気付いたかのように立ち止まったのを見て、思わず腰に提げた刀の柄を握りしめそうになった。
(ミコトからの指令は「ホテルの監視」と、「昨日の刺客を無力化した念能力者の抹消」だが……昨日の念能力者は俺の視線に気付かなかったが、今の少女がもし俺の視線に気付いているとしたら脅威度は今の少女の方が上! 指令には無いが、最低限あの少女の能力を見るくらいはしておいた方がいいか……?)
彼女が一瞬の静止の際に視線に気づいており、警戒度を上げて何か念で細工をしているかどうか、凝を使って彼女を観察したい気持ちに駆られるが、仮に視線に気付かれていたとするならここで絶を解けば確実に位置がバレる。昨日の念能力者も戦闘経験が多いとは言えないような雰囲気ではあったが、武装した警察官を相手に迷いなく無力化に成功していた。能力も把握せず、今自分の位置をむざむざ知らせるのは愚者の選択だろう──幾ら、ウシワカの能力が戦闘向きであったとしても、搦め手の具現化系能力者等が相手なら相性によっては簡単に敗北し得るのが念能力者同士の戦いなのだから。
(……いや、脅威度は間違いなくあの少女が上! 俺が取るべき選択はあの女を追うこと!)
──既に、能力者同士の戦いは始まっている。