あの日見た花を僕達は幽世(かくりよ)の果てまで探しに行く 作:すぷれっど
ゆきあつと約束した日は、冬の澄み切った空が広がる晴れた日だった。山から吹き下ろす風は冷たいが、差し込む日差しだけはやけに眩しい。
指定された時刻の三十分前。俺はゆきあつの家へ向かう途中にあるワクドナルドへと足を運んだ。
ガラス張りの店内に入ると、外の寒さとは対照的な暖房の熱気が肌を撫でた。
店内を見渡すと、窓際に一列に並ぶカウンター席の端に、聞き慣れた面影を見つけた。
鶴見知利子——つるこだ。
彼女は綺麗なノートにシャープペンを走らせながら、片手で湯気の立つホットのカフェラテのカップを包み込むように持っていた。指先を温めているらしい。
「……つるこ」
俺が声をかけると、彼女はペンを止め、眼鏡の奥の切れ長な目を静かにこちらに向けた。
「……早いのね、宿海」
「お前こそ。どんだけ前から来てたんだよ」
俺は言われるままに、彼女のすぐ隣のカウンター席の椅子を引き、腰を下ろした。二人で並んでガラス窓の外の街並みを眺める形になる。
「最近、どう?」
つるこはノートを閉じ、両手で温かいカップを抱え直しながら、何でもないことのように尋ねてきた。
「どう……って、まあ。相変わらずだよ。学校行って、家に帰って……普通だよ」
当たり障りのない返答しかできない俺を見て、つるこはフッと小さく口元を緩めた。その笑みには、ほんの少しの呆れと、深い諦念が混ざっているように見えた。
「めんまの事だけど……あなたには同情するわ。結構、振り回されていたみたいね」
その言葉に、俺は喉の奥が一瞬詰まるような感覚を覚えた。
「……そうかもな」
俺はポケットに手を突っ込み、ガラス越しに流れる冬の街並みを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……でも、悪い事ばかりじゃなかったよ。辛い事もたくさんあったけど……でも、めんまがいてくれたおかげで、止まってた時間が動き出したんだ。あいつがいなきゃ、俺は今でもずっと部屋に閉じこもったままだった。……だから、今度は俺達が何かしてやれるなら、してやりたいんだ」
隣で、つるこが静かにカフェラテを一口すする音がした。
冬の乾いた空気の中で、窓の外を通り過ぎていく風の音が微かに聞こえる。
「……ええ、そうね」
つるこは短く同意し、同じように窓の外へ視線を投げた。
少しの間を置いたあと——彼女はカップを握る手にぐっと力を込め、低く繊細な声で呟いた。
「……ねえ、宿海」
「ん?」
「もし……私が本当に困った時、助けを求めたら……あなたは、私を助けてくれる?」
唐突な問いだった。
正面ではなく、横顔のまま、ガラスに映る俺の姿を見つめるようにして発せられた小さな問いかけ。
俺は迷わず、隣のつるこを見つめて答えた。
「当たり前だ」
何の躊躇もない俺の即答に、つるこは一瞬だけ目を見張り、それから柔らかく、どこか切なげに目を細めた。
「……優しいのね」
「優しくなんかないよ。幼馴染だろ、俺たち」
俺が少し照れくさそうに首筋を掻くと、つるこは静かに目を伏せ、「そういうところよ」と心の中で呟くように小さな吐息を漏らした。
つるこは手元の腕時計に視線を落とすと、カフェラテを飲み干し、スッと立ち上がった。
「……そろそろ時間よ。ゆきあつが待ってるわ」
「あ、ああ」
俺も慌てて立ち上がり、コートを羽織る彼女の後ろについて店を出た。
冬の冷たい風が頬を刺す中、並んで歩くつるこの横顔は相変わらず凛としていたが、さっきの温かいカップを握りしめていた指先の白さが、どこか印象に残っていた。
俺たちは言葉を交わさぬまま、ゆきあつの待つ松雪家へと足を進めた。
整然と並ぶモダンな邸宅、手入れの行き届いた生垣。秩父の市街地を見下ろす高台にある住宅街は、俺たちの暮らすエリアとはどこか流れる空気の重みが違っていた。
「ここよ」
つるこに促され、俺は立派な門扉をくぐった。手入れされた芝生の庭の奥に佇む大きな二階建ての家。松雪家——ゆきあつの家だ。
子供の頃から何度もこの家の前を通ったことはあったが、敷地内に足を踏み入れるのはこれが初めてだった。どこか居心地の悪さを感じながら、つるこが押し慣れた手つきでインターホンを鳴らす。
「はい」
数秒後、重厚な玄関のドアが開き、グレーのカーディガンを羽織ったゆきあつが顔を出した。
「……入れ」
相変わらずの素っ気なさだったが、その瞳に一昨日のような険しさはない。俺とつるこは靴を脱ぎ、「お邪魔します」と静かに足を踏み入れた。
廊下を抜け、通されたリビングは、モデルハウスのように洗練された空間だった。余計な物が一切置かれていない清潔な室内。だが、何よりも俺の目を奪ったのは、壁際の一角を占領するように設置された、見たこともないほど巨大な薄型ディスプレイだった。
「そこで座って待ってろ。資料を持ってくる」
ゆきあつはそう言い残すと、二人をリビングに残して階段を上っていった。
中央のガラステーブルを挟み、俺とつるこは対角線上に腰を下ろした。革張りのソファは沈み込みが深く、どうにも落ち着かない。
「……すごい家だな」
「まあね。集のお父さんもお母さんも厳格な人だから。家の中もいつもこうよ」
つるこが静かに眼鏡のふちを直した、その時だった。
「あら、いらっしゃい」
奧のキッチンから、上品なエプロン姿の女性——ゆきあつのお母さんが、トレーに湯気の立つカップを乗せて現れた。
「あ、お邪魔してます……」
慌てて立ち上がろうとする俺を、お母さんは優しく制した。
「いいのよ、座ってて。はい、紅茶。鶴見さんも、いつも集がお世話になってるわね」
「ありがとうございます、おば様」
カップがテーブルに置かれると、お母さんは俺の顔をじっと見つめ、ふっと柔らかく目を細めた。
「あなたが、宿海くんね……集から話は聞いてるわ。……ねえ、ここだけの話なんだけど」
お母さんは少し声を潜め、階段の方を気にしながら笑みを浮かべた。
「あの子、この数日……なんだか少し雰囲気が変わったの。前はいつも肩に力が入っていて、お布団に入っても全然眠れていないみたいだったのに……最近は、なんだか少し晴れやかな顔をしていて。今日も朝からそわそわして、部屋を掃除したりしていたのよ」
「え……ゆきあつが?」
「あの子、昔から不器用だから。……これからも、うちの子と仲良くしてあげてね」
「あ……はい」
お母さんは温かい笑みを残して奥へ戻っていった。
俺がつるこに視線をやると、彼女は紅茶のカップに手を添えながら、どこか遠い目をして小さく呟いた。
「……ゆきあつも、ずっと苦しかったのよ。あなたに負けたくなくて、めんまを救えなかった自分を責めて……一人で空回りして。でも、一昨日のあなたの一言で、ようやく自分の『弱さ』と向き合えたのね」
「……俺の、一言……」
「そうよ。……あいつ、案外単純なんだから」
つるこの言葉に、胸の奥が少し熱くなる。ゆきあつもまた、俺とは違う場所で、同じように必死でもがいていたのだ。
「——おい、待たせたな」
階段を降りてくる足音とともに、ゆきあつが戻ってきた。その両手には、なんと2台のノートパソコンが抱えられていた。
ゆきあつはテーブルの上にそれらをトン、と置くと、画面を開いて俺たちの前に押し出した。
「これを使え。あらかじめフィルターを解除してある。検索機能を自由に使って構わない」
「う……パソコンか。俺、学校の授業でちょっと触ったくらいなんだけど……」
キーボードを前にして固まる俺に、つるこは呆れたように小さく息を吐いた。
「貸してもらうわね、ゆきあつ。宿海の分も私が調べてあげるわ」
「頼む……」
ゆきあつは俺たちの返事を見届けると、リモコンを手に取り、巨大ディスプレイの真ん前に立った。壁一面の画面が青白い光を放ち、リビングの雰囲気が一変する。
「さて……これより、『本間芽衣子の現状考察および今後の行動方針』についての作戦会議を始める」
ゆきあつの凛とした声が響くと同時に、画面上に図表やテキストがびっしりと書き込まれた、まるで大学の論文のようなスライドが表示された。
「……な、なんだこれ……」
あまりの本格的な資料に俺が絶句していると、ゆきあつは液晶画面を指し示した。
「これは俺が過去の文献、伝承、そしてお前から聞いた『あの夏のめんまの生前の行動パターン』を元に構築した予測モデルだ。めんまの成仏が真に完了していない可能性、そして彼女が今どこに位置しているのか……その論理的帰結を、今から証明する」
青白い光に照らされるゆきあつの横顔には、かつてのような刺々しさはなかった。ただ、幼馴染であるあいつを今度こそ救い出すという、静かで強い意志だけが宿っていた。