あの日見た花を僕達は幽世(かくりよ)の果てまで探しに行く 作:すぷれっど
図書館を出ると、秩父の街はすっかり茜色から群青色へと移り変わっていた。
夕日の名残が、うっすらと雲を赤く染めている。
駅へ向かう帰り道、俺とあなるは街灯の下を並んで歩いた。アスファルトの上に伸びる二つの影が、揺れながら重なっては離れていく。
「……ねえ、じんたん」
沈黙を破ったのはあなるだった。鞄の紐をギュッと握り締めながら、前を向いたままポツリと漏らす。
「……あたしね、さっき図書館で本見ながら、ちょっとだけ思っちゃったんだ。……もし、生まれ変わりなんて本当に無くって、めんまがどこにも行けてなかったらどうしようって」
「……」
「でもさ……めんまの『お願い』とか、じんたんが言ってたあの子の姿を思い出すと……やっぱり、めんまは嘘なんてついてないと思うの。」
「……ああ」
俺はポケットの中で拳を握りしめた。
あなるの言う通りだ。本に根拠がないからといって、あいつが生まれ変わっていないとは限らない。けれど、根拠がないということは、あいつが今どこでどうなっているのかを確かめる術も無いということだ。その圧倒的な不条理が、胸を締め付けて離さない。
気づけば、俺の家の前に辿り着いていた。
「じゃあな、あなる。……」
「あ、あたしも入るから」
「……は?」
あなるは当然のような顔で俺の横を通り過ぎ、インターホンを押そうとしていた。
「ちょっと待て、なんでうちに入るんだよ!」
「なんでって……あたし、今夜じんたんちに泊まるから」
「はあぁ!? お前、バカ言え! なんで急にそんな——」
「いいの! 今日はそういう気分なの!」
俺の制止を聞く耳も持たず、ガチャリとドアが開いた。
「おや、おかえり仁太くん。……おや、鳴子ちゃん?」
「こんばんは、おじさん!」
「おい、あなる!」
親父は驚きつつも、すぐに破顔して「いらっしゃい、賑やかになって嬉しいよ」とあなるを迎え入れてしまった。
それからの時間は、どこか拍子抜けするほど賑やかで、そしてどこか切ないものだった。
あなるは「夕飯の手伝いしますね!」と台所に立ち、親父と一緒に仲良く料理を作り始めた。包丁のトントンというリズム良い音と、親父の楽しげな声。
出来上がった野菜炒めと生姜焼きを囲み、三人で食卓につく。
「へえ、仁太くんと鳴子ちゃんで図書館に行ってきたのかい? 仲が良いねぇ」
「も、もうっ、おじさん変な言い方しないでよ! じんたんが怪しい本ばっかり読むから見張りに行ってただけなんだから!」
頬を赤くしながらご飯を口に運ぶあなる。その姿は、一見すると子供の頃の日常が戻ってきたかのようだった。だが、ふとした瞬間にあなるの思い悩むような顔を見逃さなかった。
賑やかに振る舞えば振る舞うほど、めんまがこの家で楽しく過ごしていた時を想像してしまうのだろう。
「ごちそうさまでした! お風呂、借りちゃいますね!」
食事の後片付けを済ませると、あなるはさっさと脱衣所へ向かってしまった。着替えなんて持ってきていないはずなのにどうするつもりだ、と呆れる間もなく、お湯の湧く音が聞こえてくる。
「……はぁ」
俺は自分の部屋に戻り、絨毯の上で力なくため息をついた。
電気を点けず、薄暗い部屋の中で携帯ゲーム機を取り出す。画面の中でピコピコと動くドット絵のキャラクターに意識を没入させようとしたが、頭の中はめんまのこと、そして図書館での空しい調査のことでいっぱいだった。
カチャリ、とドアが開く音がした。
振り返りかけた俺の言葉が、喉の奥で凍りついた。
「……あなる……?」
湯気の気配を纏って立っていたのは、あなるだった。……いや、ただのあなるではない。
濡れた髪を肩に垂らし、体に巻きつけているのはバスタオル一枚。
白く滑らかな肩から胸元、そして短いタオルの裾から伸びる太ももが、薄暗い部屋の中で眩しいほどに浮き上がっていた。
「っっ〜〜〜〜!??!?!?!」
俺の心臓が跳ね上がった。一瞬で顔に血が上り、頭が真っ白になる。
「お、お前……っ! 何やってんだよバカ! なんでそんな格好で人の部屋に上がってきてんだよ!!」
「……着替え、ないんだもん。おじさんに『仁太のTシャツでも借りなさい』って言われたけど……見当たらなかったから」
あなるは頬を真っ赤に染めながらも、目を逸らさずにじっと俺を見つめていた。その瞳は揺れていて、どこか必死で、そして痛々しいほどに真剣だった。
「だからって……っ! 背中向けろ! 今すぐTシャツ持ってきてやるから——」
俺が慌てて立ち上がろうとした、その時だった。
ふわりと、シャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「うわっ……!?」
あなるが、床に座っていた俺の背後に回り込み、そのまま背中からギュッと抱きついてきたのだ。
柔らかい感触と、風呂上がりの温かい体温が、薄いシャツ越しにダイレクトに背中に伝わってくる。バスタオル一枚の彼女が、全重量を預けるように俺の背中にしがみついていた。
「あ、あなる……!?」
「……静かにしてよ」
あなるの声は微かに震えていた。俺の背中に顔をうずめ、耳元で吐息が漏れる。
「……寂しいんでしょ、じんたん」
「っ……」
「めんまがいなくなって……あの子の想いが強すぎて……じんたん、今にもどっか消えちゃいそうなんだもん。……辛いんでしょ?」
あなるの腕に、ぎゅっと力が込められた。
「……あたしじゃダメかな」
「あなる……お前……」
「めんまの代わりになんてなれないのは分かってる! でも……じんたんが寂しいなら、苦しいなら……その分、あたしが埋めてあげる。あたしが……じんたんの側にいるから……っ」
それは、彼女なりの切実な想いだった。
めんまへの嫉妬、じんたんへの想い、そして超平和バスターズがバラバラになっていく恐怖。それら全てを抱えきれなくなったあなるが、自分を投げ打ってでも俺を繋ぎ止めようとしているのだ。
背中に伝わるあなるの体温と、切ない鼓動。
俺の心が揺れかけた、その瞬間——
ピコ、ピコ、ピコ、ピコ——!!
静寂に包まれた部屋に、耳障りな甲高い電子音が響き渡った。
俺の膝元に転がっていた携帯ゲーム機が、バッテリー残量限界を示す警告音(アラート)を激しく鳴らし始めたのだ。ランプが点滅し、今にも電源が落ちようとしている。
「……あ」
その無機質な電子音が、俺の麻痺しかけていた思考を一瞬で現実へと引き戻した。
「そ、そうだ! 充電……充電しないとデータが消える……!」
「えっ……? ちょっと、じんたん!?」
パニックになった俺は、あなるが背中にしがみついていることを完全に失念し、勢いよくガバッと起き上がってしまった。
「きゃっ……!?」
突然の支えを失ったあなるの身体が体勢を崩す。
そして、彼女の身体を覆っていただけのバスタオルが——摩擦と遠心力によって、ハラリと滑り落ちた。
「あっ——」
部屋のコンセントへ向かおうと振り返った俺の視界に、完璧な照明もない薄暗がりの中、あなるの無防備な全身が飛び込んできた。
「………………」
「………………」
数秒間の、死のような静寂。
「……あ」
俺とあなるの目が合った。
あなるはポカンと口を開け、自分の足元に落ちたバスタオルと、自分の姿を交互に見下ろし——
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!」
部屋の壁が揺れるほどの、超高音の悲鳴が炸裂した。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!!」
「うわぁぁぁぁっ! すまん! 見てない! 俺は何も見てない!!」
俺は即座に両手で目を覆い、壁に向かって脱兎のごとく土下座した。あなるは涙目になりながら猛スピードでバスタオルを拾い上げ、胸元に巻き直して部屋の隅へ縮こまる。
その時、下の階の居間からドタドタと慌ただしい足音が響き、階段の下から親父の大声が飛んできた。
『おいおいどうしたーっ!? 仁太、鳴子ちゃん!? なんかすごい悲鳴が聞こえたぞ!?』
俺とあなるは弾かれたように顔を見合わせ、引きつった表情で声の限り叫び返した。
「「大、大丈夫です!!! なんでもありません!!!!」」
『……そうかい? サワガニでも出たのかな。仲良くしなさいよー』
親父ののんきな足音が遠ざかっていくのを確認し、俺たちは同時にハァッと大きなため息をついて、床に崩れ落ちた。
充電器のプラグをコンセントに差し込み、赤く点滅していたゲーム機のランプが青く変わるのを見つめながら、俺は汗だくになっていた。
「……バカ……じんたんの、大バカ……っ」
部屋の隅で膝を抱え、バスタオルを頭まで被ったあなるが、消え入りそうな声でぶつぶつと呪いのように呟いている。
さっきまでの切なく甘やかな空気は、完全に吹き飛んでいた。
けれど、冷え切っていた俺の胸の奥に、少しだけ温かい熱が戻ってきたような気がしていた。