あの日見た花を僕達は幽世(かくりよ)の果てまで探しに行く 作:すぷれっど
嵐のようなドタバタ劇が去り、宿海家の二階には再びシンとした静寂が訪れていた。
あなるには俺のTシャツとジャージを貸し、部屋のベッドを譲った。俺はというと、部屋の隅にある小さめのソファに横になり、手持ち無沙汰に天井を見上げていた。
暗闇の中、街灯の光がカーテンの隙間から細く差し込み、天井にぼんやりとした光の筋を作っている。
ベッドの方からは、シャンプーの甘い香りと、衣類が擦れるかすかな音が聞こえていた。
「……ねえ、じんたん」
闇を溶かすような小声が、ベッドの方から流れてきた。
「……なんだよ」
「……あたしね。なんか……ちょっとだけ分かった気がする」
「何がだよ」
「めんまの気持ち」
あなるは掛け布団を胸元まで引き上げ、同じように天井を見つめているようだった。
「こんなふうにさ……みんなでご飯食べて、バカなことして笑って、同じ部屋で夜を過ごして……。すごく暖かくて、楽しくて……。こんなに楽しいなら、ずっとずっと、このままでいたいって……あの子、そう思ってたんじゃないかなって」
彼女の声には、先ほどまでの照れくささは消え、静かな納得と、切ない愛おしさが籠もっていた。
「自分の身体が消えちゃいそうになりながら……それでもみんなの側にいたかった理由が、なんとなく分かった気がするんだ」
あなるの言葉が、じんわりと胸に染み込んでいく。
めんまはただ無邪気に遊んでいたわけじゃない。一刻一秒と迫る別れの恐怖と戦いながら、俺たちと過ごすこの「当たり前の温もり」を必死で胸に刻み込もうとしていたのだ。
「……そっか」
俺は苦笑交じりに、小さく息を吐き出した。
「まあ、でも……こっちは結構な心労だけどな。心臓止まるかと思ったぞ、さっきの」
「っ……! もうっ、じんたんのバカ! せっかくいい雰囲気で話してたのに!」
暗闇の中で、あなるがフクレっ面をして背を向ける気配がした。
けれど、その声には先ほどのような刺々しさはなかった。
めんまの痛みを少しだけ共有できたことで、俺たちの間の気まずい空気は、静かに解けていっていた。
同じ夜、同じ秩父の街の、少し離れた場所で。
高級住宅街の一角にある松雪家の自室で、ゆきあつは学習デスクの前に座り込んでいた。
目の前に広げられた難関校の模試問題集。だが、彼のペンは一向に動く気配を見せない。
「……くそっ」
ゆきあつはペンを叩きつけ、両手で顔を覆った。
脳裏にこびりついて離れないのは、あの秘密基地で仁太が吐き出した言葉だ。
めんまが本当は誰よりも寂しがっていたこと。自分たちが「成仏」だの「供養」だのと理屈を捏ねていた裏で、彼女がどれほど切なく「みんなとおゃべりしたい」と泣いていたか。
そして何より——自分には見えず、仁太にだけ見えていたという決定的な事実。
(俺は……何ひとつ、知らなかった)
あの日、女装をして森を駆け回っていた自分の滑稽さが、今さらながら胸を刺す。自分はめんまを救おうとしていたのではない。めんまに選ばれたかっただけだ。仁太の代わりに「めんまの理解者」になりたかっただけなのだ。
だが仁太は、めんまの痛みを一人で引き受け、最後の最後で彼女の「強がり」すらも見抜いていた。
(……勝ち目なんて、最初から無かったんじゃないか……)
プライドがズタズタに引き裂かれる感覚の中、ゆきあつは冷たいデスクに突っ伏した。
怒りと、敗北感と、そしてめんまを本当の意味で失ってしまった絶望が、彼を苛み続けていた。
そして、つるこの部屋。
静まり返った室内で、つるこはドレッサーの鏡の前に立っていた。
眼鏡を外し、机の上に置いた携帯の画面を見つめる。画面には、かつて超平和バスターズの全員で撮った、幼い頃の写真が表示されていた。
真ん中で弾けるような笑顔を見せる、めんま。
「……ずるいわね、めんま」
つるこは低く呟き、一本のヘアゴムを、指先で愛おしそうになぞる。
仁太の口から語られた『つるこのポニーテール、かわいいね』というめんまの言葉。
それは、ずっと「自分は選ばれない存在」「集の視線の先にいない女」だと諦めていたつるこの心に、あまりにも優しく、そして容赦なく突き刺さっていた。
めんまは気づいていたのだ。
つるこが密かに抱いていた孤独も、集への届かない想いも、全部知った上で、あの幼い言葉を遺していったのだ。
「そんな風に……綺麗に思い出を残されたら……私、どうすればいいのよ」
鏡に映る自分の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
集の前でも、鳴子の前でも、決して崩すことのなかった「冷静な観察者」の面が解けていく。
めんまの想いの深さを知れば知るほど、残された自分たちの「前進」がいかに不完全だったかを突きつけられる。
つるこは溢れる涙を拭うこともせず、暗い部屋の中で、静かに胸の痛みに耐えていた。
秩父の夜は深く沈んでいく。
それぞれの場所で、それぞれの想いを抱えたまま、かつての幼馴染たちは、あいつが遺していった熱から逃げられずにいた。