あの日見た花を僕達は幽世(かくりよ)の果てまで探しに行く 作:すぷれっど
翌日の放課後。教室からはあっという間に生徒たちの姿が消え、夕日を浴びたオレンジ色の四角い空間に、俺は一人でうなだれていた。
机に突っ伏したまま、自分の頭の悪さに心底嫌気がさしていた。
どんなに考えても、分からないことだらけなのだ。
めんまの言う『成仏』とはなんなのか。あの夜に見た『白い狼』はただの野犬なのか、それとも何か意味があるのか。図書館で読み漁った本にはなんのヒントもなかったし、ネットで検索してもオカルトじみた都市伝説がヒットするだけ。
(このままじゃ、何も進まない……)
ぐるぐると堂々巡りをする思考に吐き気すら覚え始めた時、「……はぁーあ」と呆れたようなため息が頭上から降ってきた。
「いつまでそうやって机と睨めっこしてるつもり?」
顔を上げると、鞄を肩にかけたあなるが立っていた。昨夜のバスタオルの一件があったというのに、彼女はケロッとした顔をして俺を見下ろしている。……いや、よく見ると耳の先がほんのり赤いが、強がっているらしい。
「別に……。考えてただけだよ。色々、分かんねえことばっかでさ」
「一人で抱え込んでても答え出ないじゃん。……ねえ、ゆきあつ達に頼ってみたら?」
「は……?」
予想外すぎる名前が出てきて、俺は間抜けな声を漏らした。
「バカ言え。一昨日のあの状況、忘れたのかよ。あいつ、俺のこと殺したいぐらい恨んでるぞ。今さら頼れるわけねえだろ」
「バカはじんたん! 恨んでないとは言わないけどさ……」
あなるは少し語気を強め、隣の席に手をついて俺の顔を覗き込んだ。
「あいつ、頭いいんだからバカじゃないの。秘密基地でのめんまとの生活を聞いて……ゆきあつは、死ぬほど羨ましかったと思う。だけど、めんまが本当はみんなともっとおしゃべりしたいって……ゆきあつにだって、相当刺さるものがあったはずだよ」
「……」
「表面ではあんな風にキレてたけどさ……じんたんの話を聞いて、じんたんがどれだけ辛いか、本当はどうしたいのか、きっとゆきあつなら理解してくれてるって。……信じてみたら?」
あなるの言葉には、不思議な説得力があった。
俺とゆきあつは、ことあるごとに衝突してきた。でも、だからといってあいつが「めんまのこと」を蔑ろにするような奴じゃないことは、俺だってよく分かっている。
「……じゃ、あたし春菜と亜紀に呼ばれてるから、今日は遊んでくるね。あんまり無理しないでね!」
それだけ言い残すと、あなるはスカートを翻して教室を出て行った。
取り残された俺は、再び静まり返った教室で一人、小さく息を吐いた。
(……ゆきあつ、か)
気が進むかと言われれば、全く気が進まない。あの冷たい目で「お前が泣いたから」と糾弾された時の痛みが、まだ胸の奥で燻っている。
だが——悔しいが、ゆきあつの頭の回転の速さと洞察力は、昔から俺たちの間で随一だった。
昔、ゲームでどうしても解けない謎解きや迷宮で行き詰まった時、「お前は本当に単純だな」と鼻で笑いながら、的確な指摘をしてくれたのはいつもゆきあつだった。俺の見落としている何かを、あいつなら見つけ出せるかもしれない。
(それに……めんまが本当に成仏できる方法があるなら、あいつも……本望だよな)
腹を括るしかない。一人でウジウジ悩んでいても、あいつの想いは宙に浮いたままだ。
家に帰り、俺は二階の自室で携帯をポケットから取り出した。
時刻は夜の八時。進学校に通うゆきあつなら、夕飯を終えて自室で勉強机に向かっているであろう時間帯だ。
画面のバックライトが暗い部屋を白く照らす。登録名の一覧から「松雪集」の名前を探し出し、決定ボタンの上に親指を乗せた。
ボタンを押し込む指先が、わずかに震えていた。
(……出なかったら、出なかったでいい。その時は俺一人でやる)
自分にそう言い聞かせ、俺は深く息を吐いて決定ボタンを強く押し込んだ。
液晶画面に「発信中」の文字が点滅する。
耳元に当てたスピーカーから、『プルルルルル……』と無機質なコール音が鳴り響く。
一回、二回、三回。
心臓の音がうるさい。額から嫌な汗が滲んでくる。やはり無視されるだろうか。それとも着信拒否か。
五回目のコール音が鳴り終わろうとした、その時だった。
『……なんだ』
静寂を切り裂いて耳元に届いたゆきあつの声。
だが——それは俺が身構えていたような、冷徹で鋭いナイフのような響きではなかった。どこか低く、波立ちのない、不気味なほどに静かなトーンだった。
「あ……いや……その……」
『どうした、宿海。……言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ』
いつもの刺すような嫌味も、こちらを見下すような威圧感もない。ただ静かに俺の言葉を待つ態度に、拍子抜けすると同時に余計に緊張が高まる。俺はガラケーを両手で強く握りしめた。
「……あー、ちょっと……お前に、頼りたいことがあってさ」
『……俺に、頼み事か』
電話の向こうで、かすかに布が擦れる音が聞こえた。勉強机の椅子に深く座り直したのかもしれない。
『あの宿海が頭を下げるくらいだ。相当困ったことにでもなっているのか?』
「……まあな」
俺は腹を括り、昨日あなると一緒に市立図書館へ行ったことを話した。
めんまが言っていた『成仏』や『生まれ変わり』とはどういうことなのか、本で色々調べたこと。けれど難解な宗教書や都市伝説のようなオカルト本ばかりで、事実と呼べる根拠なんて何も見つからなかったこと。
「……めんまが今どうなっているのか、あの言葉にどんな意味があったのか……真実を知って、安心したいんだ。でも、俺の頭じゃこれ以上どうにもならなくてさ」
一息に吐き出すと、電話の向こうはしばし沈黙に包まれた。ゆきあつが思考を巡らせている気配だけが伝わってくる。
『……無理もない』
やがて、静かな納得を含んだ声が聞こえた。
『魂というものがこの世に存在すること自体、あの夏に俺たちの目の前で立証されたんだ。今さら一般的な本や論文を当たったところで、答えがあるはずもない。……それに、俺だって気になる。めんまのためなら、俺にできることなら何だってしてやりたい』
ゆきあつは、あまりにもあっさりと、そして珍しいほど素直にそう言った。
秘密基地で俺に嫉妬をぶつけ、怒りを露わにしていた男と同一人物とは思えない言葉。呆気にとられていると、さらに決定的な追撃が飛んできた。
『……それと、前はすまなかった。……お前に八つ当たりをした』
「………………は?」
思考が、完全にフリーズした。
耳を疑うとはまさにこのことだ。あのプライドの塊のような松雪集が、俺に向かって……「すまなかった」と謝った……?
目玉が飛び出るどころか、顎が外れて床に落ちそうなほどの衝撃だった。
『……おい。何か言ったらどうだ』
「あ……いや……あの……っ」
『なんだその反応は』
「いや、だって……あまりに聞き慣れない言葉だったから放心したっていうか……ちびっちまうかと思ったぞ、マジで」
正直すぎる俺の感想に、電話の向こうで一瞬の間があった。
そして——
『……フッ』
ガラケーのスピーカー越しに、低い笑い声が漏れた。
『そうかもな。……パンツなら今のうちに履き替えておけよ、宿海』
「……おい! 冗談だよ!」
俺が慌てて突っ込むと、ゆきあつはくっくっと声を殺して笑った。俺も思わず苦笑いが漏れる。
こんな風にゆきあつと笑い合うなんて、一体いつ以来だろうか。あの事故以来、棘と壁ばかりだった二人の間に、ほんの少しだけ昔の風が吹き抜けた気がした。
『……とにかく、一度うちに来い。これについて、ちゃんと膝を突き合わせて話し合おう』
「……『これ』って、めんまのことでいいんだよな?」
『当たり前だ。他に何がある』
迷いのない声だった。ゆきあつの言葉には、いつだって確かな説得力がある。
「……わかった。助かる」
『じゃあ、後でメールで日程を送る。都合を合わせろ』
「了解。……じゃあな、ゆきあつ」
『ああ』
プツリと通話が切れ、ガラケーの画面が暗転した。
俺はパタンと携帯を閉じ、それを胸元に抱えたまま、ゆっくりと部屋の天井を見上げた。
ゆきあつに頼るのは悔しいはずなのに、胸のつかえが少しだけ下りたような感覚があった。一人では絶対に解けない謎も、あいつとなら……いや、超平和バスターズの頭脳であるゆきあつとなら、何かが見えてくるかもしれない。
「……ありがとな、ゆきあつ」
誰もいない静かな自室で、俺はぽつりと呟いた。