は?
あのあと、「満たす煤者達」によって治療されたらしい俺は、観戦していた残りの幹部達とも模擬戦を行った。
女神フレイヤと、彼らの厚意によってフレイヤ・ファミリアの鍛錬に混ぜてもらっているのだ。彼らに対して、少しでも有意義なものを提供する義務が俺にはある。
アレンと速さを比べ合い、ヘグニと剣を競い合い、ヘディンの雷光をくぐり抜け、ガリバー4兄弟の連携を凌いだ。
何も気にすることなく、ただ全力で力を振るった。
全力で戦える相手というのは得難いものである。
特にレベル4になってくると格上というのはもう数えるほどしかいない。
だからこそ、彼らには感謝している。
そしてこの戦いが俺にとってはもちろん、彼らにとってもこれが有意義な時間であればよいと思う。
桃髪を二つ結んだ少女には、さんざ怒られてしまったが。
きっと近いうちにまた顔を出すから、その時も治療をお願いしたい。
とはいえ、今日はすでに日が落ちようとしている。
いくらなんでもこれ以上はだめだ。
なにせ俺の所属はアストレア・ファミリアで、俺の本分は民衆を守ることなのだから。
ここから先は、正義の眷属としての時間である。
■■■■■
「レオン!あなたには自覚が足りていない!」
翠緑のエルフが叫んだ。
巡回中の彼女らの元へと合流したと同時にである。
言わんとすることはなんとなくわかる。だがそれはそれとして、開口一番の言葉としてはどうかと思うし、明らかに言葉が足りていないと思う。
「自覚って、なんのだ?」
「言うまでもないだろう!あなたはアストレア・ファミリアだ!アリーゼよりも長くアストレア様に仕えているというのに、あなたは役目をおざなりにしている!」
エルフの彼女、リュー・リオンは正義の使徒である。本人に自覚があるかは怪しいが、団員のなかでも最も頑固で、単純で、無垢で、清廉な。
ある意味でアリーゼに並ぶファミリアの象徴である。
そんな彼女には、レオナードのことが看過できない。ファミリアの誰よりも実力を持ち、その名声も都市に知れ渡っている彼が、ファミリアの活動に積極的でない。
腹立たしかった。認めているからこそ、憧れているからこそ、リューはその怠慢が許せなかった。
「俺は既に団長の座を退いた身だ。無論、望まれたのなら幾らでも協力するが、アリーゼを差し置いてあまりしゃしゃり出ても、皆を混乱させてしまうだろう。許してくれないか?」
「あなたには向上心がないのですか!毎朝毎昼毎夜、どこで何をしているのかは知りませんが、我々は少しでも街を平和にしなければいけない。ならば少しでも、街のために動くべきでしょう!」
「リュー。俺は」
「いい加減、聞き飽きましたねぇ。なあ、青二才」
輝夜が口を挟む。
不機嫌であることがはっきりと伺い知れる切れ長の目で、じろりとリューを睨めつけた。
「輝夜!聞き飽きたとはどういうことだ!」
「言葉の通りだ、たわけ!的外れなことばかりを毎度毎度ごちゃごちゃと、いい加減鬱陶しいわ!ぶわぁあああああああああああああああああかめ!!」
不機嫌。
最近の輝夜は不機嫌であった。
原因はいくつかある。
頻発する闇派閥による事件の対処に、情報をすり合わせるための上位派閥との会議。傲慢と叱責ばかりのギルドの豚妖精。青臭く理想を掲げ続けるこのエルフ。そして、かつては団長として皆を背負った男が、新参者になじられていること。
輝夜は無性に腹を立てていた。
「「何をしているかは知りませんが」、だと?本当に知りもせず言葉を吐くやつがあるか、たわけ!此奴がなぜ朝に誰よりも早く本拠地を出るかも!なぜ夜更けに一人オラリオの街へと赴くかも知らんのか!?理想とやらに小五月蠅いだけならばまだしも、目の前の事実さえ見えんのか!?愚か極まれりだ、馬鹿め!」
「なっ─────────!?!?」
輝夜が見せるあまりにも激しい剣幕に、リューは完全にうろたえる。
とはいえ、頭ごなしに怒鳴られて黙っていられる性質でもなく、反論の言葉を頭のなかで組み立てる。
輝夜も好戦的な様子を見せており、どうも穏便には済まないような。
巡回のさなかであるのにあわや乱闘、といった空気。
それを収めるのは、他ならぬレオナード自身───ではなく、頼れる我らが団長である。
「はいはい!二人とも、今は巡回中よ!この話は終わってからにしましょ!レオンを正座させながらね!」
「待ってくれ!あれは困る!足が痺れて立てなくなるんだ!」
「こういうのはどうせレオンが悪いのよ!私にはわかるんだから!フフーン!」
「ああ。…貴様も貴様だ、たわけ。何を下手に出ている。つけ上がらせるな」
「いや、リューは間違っていない。俺は確かに、無責任なんだろうな。でも、おりがとう。輝夜」
「………ふん」
リューが何かを言う前に、俺は彼女のことを庇う。
だってそうだろう。彼女は俺よりも正しいのだ。
役目を果たせ。
リューはそう言った。
ならば役目とはなんだ。
街の平穏を守ることか。闇派閥を退治することか。ダンジョンの攻略を進めることか。
その全てが、俺の果たすべきものとは思えない。
街の平穏を守るために、強くあろうとした。
誰もが寝静まる夜を守るため、一人夜のオラリオを見守った。
親を求めてぐずる子を慰めるため、朝も早くに孤児院へ赴いた。
しかし何をしようと、充足感は得られない。
意味があるように思えない。
「英雄になりなさい」
かつて母上より賜った言葉は、確かに俺にとって人生の指針となった。
英雄になるために、正義の味方を志した。
生命活動の全ては常に、そうあるためにと費やされていた。
故にその言葉は、呪いであった。
だから団長の位をアリーゼに譲った。
救うべくして救おうとすること。
守るべくして守ろうとすること。
彼女にはあって、俺にはない。
彼女を見ているとそれがはっきり理解できた。
当然のことだ。
人の心がないのだから。
正義の心がないのだから。
ずっとずっと、そうだった。
きっとこれからも、そうなのだ。
正義の味方に、俺はつくづく向いていない。
自覚はあった。ずっと前から。
だから俺には、俺の役目がわからない。
俺にできるのは所詮、かつて母上に聞かされた寝物語の、高潔で叡明で勇猛な英雄の姿を。その上辺の部分をなぞることだけなのだから。
「リューも、ありがとう。おかげで自分の不出来を知れた。これからは改めよう」
理想の英雄ならばこうするだろう。
指針に従って、俺はリューへと謝罪する。
腹立たしい、などとは全くもって思わなかった。
俺が他のファミリアと懇意にしているのも、その結果として日中の巡回を行っていないのも紛れもない事実だ。
それに、言葉を選ばずに言うと俺はリューのことを気に入っている。
彼女は未熟だ。だが、純粋だ。俺にはそれがとても得難く、心地よい。この空虚な魂に、春風のような緑がよく染みるのだ。
彼女のためなら死んでもいいし、彼女にならば殺されてもいい。
そのようなことを思っている。
彼女に殺されるというのなら、きっとその時、俺は人ではないのだろうから。
■■■■■
深夜。
《星屑の庭》が静まり返り、アストレア・ファミリアの誰もが寝静まったであろう時間。
二振りの剣を帯びて、戦闘衣に身を包む。
「どこへ行こうというのですか」
「リューか」
間が悪い。
昼間の話があって、よりにもよってその日の夜にこれだ。俺は己の間抜けを罵倒した。
だが答えないわけにもいかない。渋々と口を開く。
「巡回だ。昼と比べて手薄になる分、誰かがやらなければいけないからな」
「輝夜が言っていたのはこういうことだったのですね」
何かを言う気にもなれなくて押し黙る。
自分からひけらかすことではない。
「なぜ言ってくれなかったのですか。これでは私が性悪のようではないですか」
「ハハ、リューが性悪であるもんか。昼のことなら気にする必要はない。だから、輝夜とはちゃんと仲直りをしてくれよ?」
「ええ。彼女の物言いに思うところがないわけではありませんが、それはもちろん。ですが先に、あなたに謝罪しなければならない」
「真面目なんだな」
居心地が悪い。
誰が悪いという話でもない。いや、強いて言うのなら俺が悪いのだが、かといってここで俺が謝罪しても、リューはきっと納得しない。
俺は苦し紛れに話を逸らした。
「リューはなんで、アストレア・ファミリアを選んだんだ?」
「いきなりですね。別に構いませんが」
「知りたくなったんだ。答えてくれると嬉しい」
リューは少しためらったが、それでも話し始めてくれた。
「…私は、エルフが嫌いです。他種族を見下し、拒絶する。容姿とかけ離れた心根の醜さが、嫌いです。しかしそう思う私自身も、私が嫌うエルフそのものでした。だから、里を飛び出したんです」
思えば、こんなふうにリューと二人で話したことはなかった。
たった二人で、遮るものが何もない空の下で。
星が流れる音を聞きながら話すなんて、この先同じことがあるのかもわからない。
きっと、だからなのだろう。
彼女の言葉がやけにはっきりと、透き通るような鮮明さで聞こえる。
「オラリオでなら変われると思っていました。でも、同じだったんです。私はここでも、頑固で高慢なエルフのままだ」
リューの吐露はまるで懺悔のようだった。
薄曇りの空に向けられた瞳が何をとらえているのかは、夜の暗がりで分からない。
「ですが、こんな私の手をアリーゼが握ってくれた。こんな私のことをアストレア様は受け入れてくれた」
そう語りながら、リューはこちらを見る。
その目に写っている俺は、一体何なのだろう。
人間なのか、英雄なのか。あるいは怪物なのかもしれない。はたまた、そのすべてが継ぎ接ぎされた、見るに堪えない醜悪かもしれない。
俺は目を伏せた。
いっそ俺の目が、空を覆う灰の雲で塗りつぶされてしまえばいいのにと。そうすれば、リューの翠緑の瞳を恐れる必要なんてないのにと。
そんなことを、考えた。
「そんな彼女たちが、正義のために戦っている。このオラリオに、正義を求める人たちがいる。それが、私がここにいる理由です」
彼女らしい。
純粋だ。高潔だ。無垢ですらある。
その美しさに、目が眩みそうになる。
俺は彼女の正義を羨ましいと感じた。
それに比べて、俺は何だ。
「あなたは、なぜアストレア・ファミリアを選んだのですか?」
「…さあ、なんでだろうな」
来るのが分かっていた問い。
それなのに俺は、答えあぐねている。
「優しくなりたかったから、じゃ駄目かな」
「駄目なんてことはありません。むしろ、とても素敵な願いだと思います」
リューは頷いてくれた。
ありがたい。
けれど、違うのだ。
優しさなんて、そんな心にもない欺瞞。
そんな生易しいものではない。
俺がアストレア・ファミリアにいるのは。
誰かに殺してもらうためなのだ。
■■■■■
「ふぃー、いい夜だあ」
夜のオラリオ。
静かで、涼しくて、暗い。
昼の喧騒とは大違いだ。
こういう夜は煙草がうまい。
燐寸に顔を照らされながら、肺を煙で満たしていく。
安物だが、味が濃い。
たまにはイシュタル・ファミリアの最上級娼婦が吸っているような最高級の煙管でも吸いたい。
が、貧乏人にとってはこの程度の安物も味わい深いものだ。
そんなことを考えながら空に煙を吐き出していると、耳が何かをとらえた。
ぴちゃ、ぴちゃと水が滴るような音。
雨は降っていない。
ここ数日は晴れ続きであり、音の発生理由が人であることは明白だ。
よもや酒を飲みすぎて嘔吐でもしているのか?
それとも催した酔っ払いが小便でもしているのか?
前者なら助けてやらねばならないし、後者なら説教の一つくらいはくれてやらねばならない。
そう思い、暗い路地裏へ踏み入った。
地獄。
地獄。
真っ暗闇の路地裏は、赤かった。
暗黒にあってなお真紅の主張をする鉄臭い液体が、三次元の空間すべてに区別なく塗りつけられていた。
「ゔっ、お゛ぉえぇ」
甘ったるい煙と血潮の匂いが混ざり合う。
あまりの惨状に堪えきれず、喉の奥から吐瀉物がせり上がる。
赤一色の路地に黄土色が混ざった。
鉄臭さに鼻を突かれ、吐瀉物の酸性に喉を焼かれながら、麻痺した脳で思考する。
誰かが、ここで死んでいる。
それも尋常ならざる方法で。
人体に収まるとは到底思えないほどの血液を撒き散らして、死んでいる。
気が遠くなりそうになり、たたらを踏む。
ぐちゅり。
柔らかくて生温かい何かを踏んだ。
「ひ、あぁっ」
恐怖で身体がガタガタと震える。
それに反比例するように、下腹部から足にかけてじんわりとしびれるような温かさが広がる。
「おやおやおや、いけませんねぇ。公共の場で」
その声を聞いた途端、頭が追いつかないほどに速く、身体が勝手に駆け出していた。
姿は見ていない。それなのに、一秒でもあそこにとどまれば死ぬと確信していた。
「ああっ」
足がもつれる。肺が張り裂けそうだ。骨が軋みを上げている。
長く経験していない全力疾走は、飲酒後の体から容易く体力を奪い去った。
「足、お速いのですね」
声は再び、背後から。
既に空になったはずの膀胱から、なおも温かいものがちょろちょろと流れる。
「こ、子どもと女房が、いるんです。お願いします、神様」
「おやおや、それはそれは。お子さん、今はおいくつなのでしょう?」
「な、ななつなんだ。まだ、小せえ子どもなんだ」
「7つ!素晴らしいですね、可愛い盛りでしょう!」
「あ、ああ、だから助けてください」
「どうぞ、どうぞ、お通りください」
その声を聞いて、ゆっくりと振り返る。そこにいたのは低い声と違わぬ男の姿。ベタ塗りのような笑顔。目を離すと一秒後には忘れていそうな特徴のない顔。それなのに、その目は爛々と輝いている。
男は道の端により、右手でこちらを通るように促していた。反対の手には、逆さまの棘がいくつも生えた剣を握っている。
今にも走り出したくなる衝動をこらえて、警戒心を露わにゆっくりと男の前を通る。
緊張が最高潮に達した。
「お子さんに会えるとよいですね」
ギュッと固く目を瞑る。
ヒュンッ、という風切り音。
何もかもが真っ暗で見えないが、頭を押さえて縮こまった。
しかし、それが功を奏することはない。
何故なら。
「会えるとも!」
闖入者の声。
続くのは耳を劈く剣戟の音。
あの恐ろしい男を、夏の青空のような声が阻んでくれた。
緊張は解けないままだが、固まった体は実に素早くことをなす。
見えない手に背を押されるように、暗い路地から家へと走る。
汗と涙と小便を撒き散らしながら、地獄の路地裏から逃げ出した。
最後に見えた獅子のような少年に無類の感謝を捧げながら。
いつもありがとうございます。
感想や評価、UA嬉しいです。
なっ!ボンボルボ!