寄生虫と行く現代ダンジョン   作:脳タリン

132 / 145
第132話 用意された答え

 隔離区画から出られたのは、帰還から三日後だった。

 コールの脚には傷痕すら残っていない。血液検査、画像検査、神経反射、運動機能の測定を繰り返しても、今回の負傷による異常は見つからなかった。

 赤い液体を飲んだことによる副作用も、現時点では確認されていない。

 その結果を聞いたエレナは、安心するより先に医師へ尋ねた。

 

「現時点では、ですね」

 

「そうです。未知の物質ですから、長期的な影響については判断できません」

 

「経過観察は続けます」

 

 答えたのはコールだった。

 

 検査着のまま椅子へ座り、採血された腕を押さえている。三日間で抜かれた血の量を数え、途中から文句を言うのを諦めていた。

 

「次は何を取られる?」

 

「今日はもうありません」

 

「その言葉を昨日も聞いた」

 

「昨日の検査は追加で必要になったものです」

 

「今日は追加がないことを祈るよ」

 

 医師が退室すると、入れ替わるようにスーツ姿の男女が入ってきた。

 

 スポンサー企業の広報担当と法務担当だった。

 

 グラントは二人が持ってきた資料へ目を落とした。

 

「会見は午後一時から。予定どおり?」

 

「はい。主要な報道機関へは既に案内しています」

 

 広報担当が三人へ薄い冊子を配った。

 

 表紙には会見の進行予定、その下にはハウンド・スリー帰還報告と書かれている。

 

「先に、想定される質問と回答方針をご確認ください」

 

 グラントは最初のページを開いた。

 

 第四層の危険度について。

 

 黒い槍の性能について。

 

 赤い液体を使用した経緯について。

 

 コールの現在の体調について。

 

 質問ごとに、推奨される回答が記されている。

 

「これは誰が答える文章だ」

 

「皆さんです」

 

「俺たちの名前で、そっちが作った文章を読むのか」

 

「表現を統一するためです。情報が錯綜すれば、誤解や模倣行為につながります」

 

 エレナが冊子をめくる。

 

 赤い液体についての回答欄で手が止まった。

 

「緊急時対応手順に基づき、現場判断で使用した」

 

「何か問題がありますか」

 

「そんな手順はなかった」

 

 広報担当の表情は変わらなかった。

 

「生命に重大な危険がある場合、現場で使用できることは契約書にも記載されています」

 

「使用を認める条項があっただけです。何を確認して、誰が判断するかという手順は決まっていなかった」

 

「細部まで説明すれば、企業側が使用を妨害したと受け取られる可能性があります」

 

「実際、止めようとしたでしょう」

 

 法務担当が口を挟んだ。

 

「未知の物質を人体へ投与しようとしていたのです。地上側が慎重になるのは当然です」

 

「それは理解しています」

 

 エレナは冊子を閉じた。

 

「だから、起きたことをそのまま説明すればいい。地上は使用を保留するよう求め、私は救助まで持たないと判断して使った。どちらにも理由があった」

 

「短い会見で、その差異が正確に伝わる保証はありません」

 

「正確に伝える努力をするのが、今日の会見じゃないんですか」

 

 広報担当はすぐには答えなかった。

 

 コールが横から冊子を覗き込む。

 

「俺の状態は重度の脚部負傷となってる」

 

「医療情報を必要以上に公開しないためです」

 

「脚が千切れかけたって言わなくていいのか」

 

「千切れかけてはいません」

 

 エレナが訂正した。

 

「じゃあ、かなり裂けて骨もやられていた」

 

「それも推奨しません」

 

 広報担当が答えた。

 

「負傷の映像は刺激が強く、赤い液体の効果を過度に印象づけます。既に一部では万能治療薬という表現も使われています。会見では、負傷の詳細よりも、現在は健康であることを強調してください」

 

「それだと、少し怪我をして薬を飲んだら治ったみたいに聞こえる」

 

「映像は後日、適切な編集を行ったうえで公開します」

 

 グラントが顔を上げた。

 

「編集するのは誰だ」

 

「映像権は契約に基づき、共同管理となっています」

 

「共同なら、俺たちの同意なしには出せない」

 

「安全保障上の問題や、企業機密に該当する部分を除外したうえで――」

 

「第四層で起きたことが、いつから企業機密になった」

 

 室内が静かになった。

 

 グラントは冊子を机へ置いた。

 

「黒い槍も、赤い小瓶も、そっちが作ったものじゃない。俺たちが見つけて持ち帰った。今回はコールが死にかけ、エレナが使うと決めた。地上が止めようとしたことも含めて、全部が現場記録だ」

 

「皆さんの行動を否定しているわけではありません」

 

「なら、整えて別の話にするな」

 

 広報担当は法務担当と視線を交わした。

 

「会見そのものを延期することもできます」

 

「どうして」

 

「回答方針について合意できない状態で、公の場へ出すことはできません」

 

「もう記者は呼んでるんだろ」

 

 コールが尋ねた。

 

「延期は可能です」

 

「俺たちの体調を理由に?」

 

「必要であれば」

 

 コールは自分の脚を軽く叩いた。

 

「これはよく動く。会見を休む理由にはならないな」

 

 午後一時、三人は会見場の舞台裏にいた。

 

 壁の向こうから大勢の話し声が聞こえる。国内の報道機関だけでなく、海外メディアや動画配信事業者まで集まっていた。

 

 企業側との話し合いは、結局まとまらなかった。

 

 会見は予定どおり開く。

 

 ただし、赤い液体の詳細な使用映像は公開せず、三人は質問に自分の言葉で答える。企業側は、契約上開示できない情報に触れた場合のみ進行を止める。

 

 妥協と呼ぶには、互いに警戒が残りすぎていた。

 

「緊張してるか」

 

 グラントが尋ねる。

 

「ロデオの決勝よりカメラが多い」

 

 コールは新しいズボンの上から脚を撫でた。

 

「でも、牛はいない」

 

「記者の方が話は長い」

 

 エレナは腕時計を確認した。

 

「余計なことは言わないで」

 

「どこからが余計なんだ」

 

「今の質問も含む」

 

 会場へ出ると、一斉にフラッシュが光った。

 

 三人が席へ着く前から、記者たちは名前を呼び、質問を投げかけてくる。

 

 司会者が静粛を求め、企業側の説明が始まった。

 

 ハウンド・スリーは第四層で新たなモンスター二体と遭遇した。コール・マーサーが負傷したが、回収済みの赤色物質を使用して回復。三人は自力で帰還し、現在の健康状態に問題はない。

 

 説明が終わると、最初の記者が立った。

 

「マーサーさん、赤い液体を飲んだ直後、どのような感覚がありましたか」

 

「脚の中が熱くなった。その後、痛みが消えた」

 

「現在も体調に変化はありませんか」

 

「採血されすぎて、そっちで倒れそうだ」

 

 会場に小さな笑いが起きた。

 

 別の記者が手を上げる。

 

「ルイスさん。あの液体は、どのような怪我でも治せる万能薬と考えてよいのでしょうか」

 

「考えないでください」

 

 エレナは即座に答えた。

 

「確認できたのは、一本の赤い液体を一人へ使い、今回の負傷が回復したという事実だけです。別の怪我、別の人間、別の量で同じ結果になる保証はありません。安全性も確認中です」

 

「しかし、重傷が数分で治ったことは事実ですね」

 

「はい。だからこそ、勝手な使用を勧めるつもりはありません」

 

「重傷とは、具体的にどの程度だったのでしょうか」

 

 司会者が回答を制限しようとしたが、エレナが先に口を開いた。

 

「大腿部の深い裂創と大量出血があり、骨か関節にも損傷があると判断しました。止血を続けても、救助が到着するまで持たない可能性が高かった」

 

 会場の空気が変わった。

 

「地上の医療班も、使用を推奨したのですか」

 

 エレナは一度だけ企業側の席を見た。

 

「地上からは保留を求められました。未知の物質なので、慎重になる理由は理解できます。私は現場で、待てば死亡する可能性の方が高いと判断しました」

 

「命令に反して使用したということですか」

 

「現場の医療判断は私に任されていました」

 

 グラントが続ける。

 

「コールを生きて戻すために必要だと判断した。俺も同意した」

 

「通信を切ったという情報がありますが」

 

 会場の端で、企業関係者が動いた。

 

 司会者が次の質問へ移ろうとする。

 

「事実です」

 

 グラントが答えた。

 

「複数の人間が同時に話し始め、現場で必要な情報が聞き取れなくなった。判断を終えるまで送信を止めた」

 

「スポンサー企業との間に対立があったのでしょうか」

 

「地上は未知の物質を残したかった。俺たちは目の前の一人を残したかった。それだけだ」

 

 シャッター音が増えた。

 

「ヘイルさん。黒い槍についても、企業側と公開方針が一致していないと聞いています」

 

「聞いた相手に確認してくれ」

 

「黒い槍には、モンスターの防御を無効化する能力があるのですか」

 

「無効化という言葉は使わない。第四層の甲殻へ、通常の武器より深く刺さった。確認できたのはそこまでだ」

 

「次の探索でも使用しますか」

 

「使える状態なら使う」

 

「次の探索を行う予定があるのですか」

 

 グラントは左右を見た。

 

 エレナは表情を変えない。

 

 コールは机の下で両脚を動かし、怪我がないことを確かめていた。

 

「俺たちは第四層の入口を少し歩いただけだ」

 

 グラントは答えた。

 

「一人が死にかけ、持っていた赤い小瓶を一本失った。それで攻略したと言うつもりはない」

 

「では、再挑戦を?」

 

「条件が整えば戻る」

 

 企業側が準備していた回答にはなかった言葉だった。

 

 記者たちの声が重なる。

 

 次の契約は決まっているのか。黒い槍の所有権は誰にあるのか。赤い液体を再び発見した場合、誰が管理するのか。

 

 司会者が一度会見を止め、質問を一つに絞るよう求めた。

 

 コールがマイクへ顔を近づける。

 

「一つだけ言っておく」

 

 会場が静かになった。

 

「赤い薬を探しに第四層へ行こうと思ってる奴がいるなら、先に映像の最初から最後まで見ろ。俺は助かった。でも、あれを飲めるところまで持っていく仲間がいなければ、瓶を持っていても死んでいた」

 

 隣でエレナがわずかに目を細めた。

 

 グラントは止めなかった。

 

「薬だけ持って帰ってきた英雄みたいに書くな。あの二人が連れて帰ったんだ」

 

 短い沈黙の後、またフラッシュが光った。

 

 会見終了後、三人は舞台裏の廊下へ戻った。

 

 広報担当が待っていた。

 

「合意した回答範囲を超えています」

 

「どこが」

 

 グラントが尋ねる。

 

「通信の遮断、使用判断を巡る意見の相違、再探索の可能性。いずれも事前調整が必要な情報です」

 

「質問されたから答えた」

 

「契約には、企業価値を損なう発言を避ける義務があります」

 

 コールが自分の胸元を見下ろした。企業のロゴがいくつも並んでいる。

 

「今日、一番映ったのはこれだ。価値は上がったんじゃないか」

 

「冗談で済む問題ではありません」

 

「俺が生きてることも宣伝に使うんだろ」

 

 広報担当が言葉を止めた。

 

 エレナが間へ入る。

 

「検査には引き続き協力します。使用記録も渡す。ただし、あの時の判断を企業の手順どおりだったことにはしません」

 

「今後の契約にも影響します」

 

「それは契約の時に話しましょう」

 

 グラントが出口の扉を開けた。

 

 建物の外には、会見を終えた記者たちが回り込み、三人を待っていた。警備員が通路を作っているが、呼びかける声は途切れない。

 

 ハウンド・スリー。

 

 奇跡の生還者。

 

 第四層の英雄。

 

 次々に違う名前で呼ばれる。

 

 企業が用意した車へ乗り込むと、エレナはすぐに広報担当から渡された資料を開いた。次回契約の協議事項と、探索映像の公開範囲がまとめられている。

 

 車が動き出してからも、彼女は顔を上げなかった。

 

「次は、今の三人では行かない」

 

 グラントが声を落として言った。

 

 コールは隣へ顔を向けた。

 

「企業の監視役でも連れていくのか?」

 

「斥候だ」

 

 グラントは窓の外を見たまま続ける。

 

「前方の索敵、地形の記録、退路の確認。今回、俺たちは進行方向しか見ていなかった」

 

「俺が後ろを見てた」

 

「見つけられなかっただろ」

 

 コールは言い返さなかった。

 

 壁の亀裂から伸びた尾に気づいた時には、既に脚を貫かれていた。

 

「エレナが治療へ回れば、俺は周囲を守る。一人倒れただけで、前を見る人間も退路を確認する人間もいなくなる」

 

「四層は、三人じゃ足りないってことか」

 

「少なくとも、今の役割のままではな」

 

 コールは少し考えた後、口元を緩めた。

 

「それなら、やっとこのダサい名前から解放されるな」

 

「おい。それ、気に入ってる奴もいるから気をつけろよ」

 

「おいおい。まさかグラント、お前、意外とセンスがないのか?」

 

 グラントは首を横に振った。

 

 それから、前の座席で資料を読み続けているエレナへ目を向ける。彼女は二人の会話に気づかず、契約書の一文へ線を引いていた。

 

 コールもその視線を追った。

 

「まじで?」

 

「まじだ」

 

 声を抑えた二人の会話は、走行音に紛れた。

 

 エレナは振り返らない。

 

 コールはしばらく黙った後、窓へ身体を寄せた。

 

「四人目が入っても、名前はそのままか?」

 

「本人に聞け」

 

「聞けるわけないだろ」

 

 グラントは答えず、タブレットを取り出した。

 

「必要なのは、戦闘が得意な人間じゃない。俺たちより早く異常を見つけて、止まるべき時に止まれる人間だ」

 

「見つかるのか、そんな奴」

 

「探すところから始める」

 

 グラントが候補者資料の請求画面を開く。

 

 第四層へ戻る意思は、三人とも変わっていなかった。

 

 次に必要なのは、新しい武器でも追加の報酬でもない。

 

 三人より先に危険を見つけられる、もう一人の探索者だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。