寄生虫と行く現代ダンジョン   作:脳タリン

186 / 301
第186話 中国の焦燥

 北京の地下にある異常空間総合指揮センターでは、アメリカの民間探索者チームに関する映像が無音で流されていた。

 ハウンド・スリー。

 名称は三を示しているが、現在は四人体制。

 グラント・ヘイル。

 コール・マーサー。

 エレナ・ルイス。

 ケイレブ・ローク。

 画面の中で、彼らは四層攻略完了後の記者対応に臨んでいた。赤い小瓶三本。鉱石状物体。大楯。黒い槍。公開された情報だけでも、深層からの回収品であることは疑いようがない。

 その事実が、会議室にいる者たちの表情を硬くしていた。

 長机の正面に座る周立言は、映像から視線を外さない。

 国家異常空間管理委員会の主任。

 国内の主要な異常空間対策を束ねる立場にあり、軍、公安、地方政府、研究機関、宣伝部門との調整を任されている。

 彼の前には、国内各地の攻略進度、人員投入数、負傷者数、死亡者数、回収物一覧、訓練施設の稼働状況、研究成果報告が積み上がっていた。

 数字だけなら、負けていない。

 投入人員。

 予算。

 封鎖区域の数。

 研究者の数。

 訓練施設の数。

 回収された低層素材の量。

 負傷者の治療データ。

 どれも、アメリカの民間チーム一つとは比較にならない。

 それなのに、深層攻略で世界に名を示したのは、中国ではなかった。

 

「もう一度、回収品の箇所を」

 

 周が言った。

 操作員が映像を戻す。

 赤い小瓶。

 黒に近い鉱石状の物体。

 人の背丈に近い大楯。

 黒い槍。

 ハウンド・スリーの四人は疲労している。誇示するような笑みは少ない。だが、持ち帰った物が語っていた。

 彼らは深い場所へ行き、生きて戻った。

 

「民間人四名で四層攻略」

 

 軍側代表の陳国梁が、低い声で言った。

 

「我々は国家計画として動いている」

 

「その通りです」

 

 分析局の梁雪梅が答えた。

 彼女は周より一回り若い。眼鏡の奥の目には疲労があるが、声は乱れていない。

 

「国家計画として、広い範囲を押さえています。入口封鎖、低層の安定化、回収物分類、負傷者治療、地方別の進入訓練。一部の区域では四層接触も確認されています。規模で見れば、成果はあります」

 

「規模の話をしているのではない」

 

 陳が言った。

 

「世界は規模を見ない。深さを見る」

 

 誰も反論しなかった。

 その通りだった。

 低層を安全化すること。

 地方の封鎖を維持すること。

 研究素材を蓄積すること。

 訓練体系を整えること。

 それらは国家として必要な仕事だ。だが、国際的な評価では、より深い階層へ到達した者が注目される。

 今、その位置にいるのは中国ではない。

 アメリカだった。

 しかも、軍ではなく民間探索者だった。

 

「国内の四層到達班は」

 

 周が聞いた。

 

「公式確認済みは三班。いずれも短時間滞在です。戦闘継続能力と撤退経路の安定性に不安があります」

 

 梁が答える。

 

「非公式報告は」

 

「あります。ただし、映像、位置記録、同行ログ、回収物が揃っていません。地方側の報告には、階層表示の誤認、撤退地点の曖昧化、損耗報告の遅れが混じっています」

 

「要するに、使えない」

 

 陳が言った。

 

「そのまま政策判断に使うには危険です」

 

 梁は言い換えた。

 周は、机の上の報告書を一冊だけ開いた。

 ある地方異常空間での四層接触報告。

 表紙には「安定進展」とある。

 中身を読めば、三名の重傷者と一名の行方不明者が出ていた。

 

「安定進展」

 

 周が、表紙の文字を読み上げた。

 

「これを書いた者は、何を安定と呼んでいる」

 

 会議室の誰も答えなかった。

 答える必要はなかった。

 失敗と書けば責任になる。

 後退と書けば指導力を問われる。

 未確認と書けば予算を削られる。

 だから、報告書は柔らかい言葉になる。

 柔らかい言葉は上へ届く頃にはさらに丸くなり、現場の血の匂いを消す。

 

「アメリカの民間探索者は、四層攻略を映像と回収品で証明しました」

 

 梁が言った。

 

「我々の報告より、彼らの配信映像の方が世界には強く見えます」

 

「宣伝の問題だ」

 

 宣伝部門の連絡官が言った。

 

「見せ方の差があります。我々は慎重に管理している。彼らは民間の熱狂を利用している」

 

「見せ方だけならよかった」

 

 周が静かに言った。

 連絡官は口を閉じた。

 

「問題は、彼らが本当に持ち帰っていることだ。赤い小瓶、鉱石状物体、大楯、黒い槍。これらは映像だけの宣伝ではない」

 

 会議室の空気が重くなる。

 アメリカの勝利は、完全な国家主導ではない。

 だからこそ、扱いづらい。

 軍の成果なら、軍事費の差、作戦思想の差、同盟網の差として説明できる。

 だが、民間探索者が深層から回収品を持ち帰ったとなれば、別の屈辱になる。

 国家の巨大な装置が、四人の民間人に深さで遅れている。

 そう見える。

 

「我々は力を入れている」

 

 陳が言った。

 

「人も出している。金も出している。施設も作っている。研究者も動員している。それで、なぜ負ける」

 

「負けている範囲を限定するべきです」

 

 梁が答えた。

 

「全体の管理、安全化、低層素材の蓄積、医療データでは劣っていません。遅れているのは、深層への到達と生還の実績です」

 

「それが見える場所だ」

 

 陳の声は硬い。

 

「国民も、外国も、そこを見る」

 

 梁は反論しなかった。

 深さは分かりやすい。

 数字として伝わる。

 何層まで行ったか。

 何を持ち帰ったか。

 誰が生きて戻ったか。

 それだけで、複雑な制度整備や低層管理の価値はかすむ。

 

「原因は」

 

 周が言った。

 

「複数あります」

 

 梁は資料を切り替えた。

 

「第一に、こちらは入口数が多く、地方差も大きい。戦力が分散しています。第二に、民間探索者の扱いが違います。アメリカはハウンド・スリーを民間英雄として維持しながら、契約や研究協力で囲い込んでいる。こちらは深層情報を持つ民間人を自由な英雄として扱いづらい」

 

「当然だ」

 

 陳が言った。

 

「未知の武器や薬を持つ民間人を放置できるか」

 

「その通りです。ただ、取り上げれば次の情報が止まります。自由にさせれば統制が揺らぎます。そこに差が出ています」

 

 周は画面の中のハウンド・スリーを見た。

 彼らは自由に見える。

 だが、本当に自由かは別だ。

 スポンサー、契約、世論、研究機関、政府の接触。

 アメリカは命令ではなく、称賛と利益で囲む。

 それは中国にとって不快なやり方だった。

 だが、不快であることと、機能していないことは違う。

 

「資本主義のやり方だ」

 

 陳が吐き捨てるように言った。

 

「機能しています」

 

 梁は静かに答えた。

 陳の視線が鋭くなる。

 だが、周が片手を上げたことで、それ以上の言葉は止まった。

 

「感情はよい。機能しているかどうかだけを見ろ」

 

 周の声は低い。

 怒鳴らない。

 その分だけ、会議室は静かになった。

 

「第三の原因は」

 

 周が聞いた。

 

「報告と評価です」

 

 梁は、先ほどの「安定進展」と書かれた報告書を見た。

 

「現場は失敗と書きたがりません。地方政府は損耗を小さく見せたがる。研究機関は成果を強調する。軍は撤退を慎重な判断ではなく未達成として扱いやすい。その結果、危険な情報ほど丸められて上がってきます」

 

「改善しろ」

 

 陳が言った。

 

「改善できます。ただし、報告書の言葉から変える必要があります」

 

 梁は淡々と続ける。

 

「撤退を後退とだけ書かない。未攻略を不達成とだけ書かない。負傷者数だけでなく、撤退判断の時点、情報伝達の遅れ、隊列停止時間、目印喪失、回収品を捨てた判断も記録する。現場が生きて戻ったことを評価しなければ、深層では報告が歪みます」

 

「撤退を評価すれば、現場は戻ることを選びやすくなる」

 

 宣伝部門の連絡官が言った。

 

「国民がそれをどう見るか」

 

「国民に見せる前に、現場を死なせない必要があります」

 

 梁の言葉は鋭くなかった。

 だが、会議室の何人かは目を伏せた。

 

「アメリカの民間探索者は、撤退を失敗と扱われにくい。英雄だからです。彼らが慎重に戻れば、慎重な判断とされる。こちらの部隊が同じことをすれば、成果不足と見られる。その差は、深層で判断の差になります」

 

 周は指先で机を軽く叩いた。

 一度だけ。

 その音で、部屋の空気が締まる。

 

「我々は力を入れている。人も出している。金も出している。施設も作っている。地方も軍も研究機関も動かしている。それでも、深さでアメリカに負けている」

 

 彼は一度、机の資料に視線を落とした。

 

「これは、許しがたいことだ」

 

 その言葉で、全員が姿勢を正した。

 許しがたい。

 それは怒りではない。

 命令の前に置かれる言葉だった。

 

「ただし、焦って人を入れれば、数字だけが増える」

 

 周は続ける。

 

「我々が欲しいのは死体の数ではない。使える情報だ」

 

 梁が頷いた。

 

「深層特別進入班の再編を提案します。人員数を絞り、隊列を短くします。現場撤退権限を明文化します。撤退を失敗評価から外し、情報回収を成果として扱う。民間探索者については、完全な自由ではなく、国家契約探索者として別枠化する案があります」

 

「国家契約探索者」

 

 周が繰り返した。

 

「はい。表向きは民間の意欲を活用する制度です。実際には、装備、医療、保険、報酬、家族保護を国家側が握ります。自由に見える範囲を残しながら、深層情報を国家へ戻す」

 

「アメリカの真似か」

 

 陳が言った。

 

「形を変えれば、中国式です」

 

 梁はすぐに答えた。

 その返しに、周の口元がわずかに動いた。

 

「宣伝はどうする」

 

 宣伝部門の連絡官が身を乗り出した。

 

「国民は成果を求めています。ハウンド・スリーの情報は、翻訳されて流れています。削除はしていますが、完全には止まりません。こちらも四層到達を強く打ち出す必要があります」

 

「映像は」

 

「選別します。損耗や撤退部分は出せません」

 

 梁が口を開く。

 

「出す映像を選ぶのは当然です。ただし、内部用の記録は削らないでください。公開用に整えた映像だけが上へ回ると、判断を誤ります」

 

「分かっている」

 

 連絡官は少し不快そうに答えた。

 

「分かっていない部署が多いから、言っています」

 

 その場に、短い沈黙が落ちた。

 陳が息を吐く。

 周は止めなかった。

 必要な衝突だった。

 

「四層到達を発表する場合、どの班を使う」

 

 周が聞いた。

 

「第三西部区の進入班が候補です。映像は比較的安定しています。負傷者は出ていますが、死亡者はありません。回収品は低価値ですが、階層表示は確認できます」

 

「低価値の回収品では、アメリカの赤い小瓶と大楯に負ける」

 

 宣伝部門の連絡官が言う。

 

「ならば、回収品ではなく、国家管理の正確さを出します」

 

 梁が答えた。

 

「整列した部隊、医療班、研究施設、封鎖区域、回収物の検査、負傷者の治療。アメリカは民間英雄を出している。我々は国家体系を出す」

 

「深さで負けている時に、体系を見せるのか」

 

「深さだけで勝てないなら、安定性を見せるしかありません」

 

 周はしばらく黙った。

 その判断は正しい。

 正しいが、弱い。

 世界は安定性より英雄を見る。

 国民も、英雄を見る。

 だからこそ焦る。

 焦れば、深く入れたくなる。

 深く入れれば、現場が死ぬ。

 その循環をどう断つか。

 それが、この会議の本題だった。

 

「深層特別進入班を再編しろ」

 

 周が言った。

 

「候補者は軍だけに限らない。公安、消防、鉱山救助、洞窟調査、医療、通信、民間探索経験者も含める。政治的忠誠は必要だ。だが、それだけで選ぶな」

 

 陳の顔がわずかに動いた。

 

「軍の統制外に置くのですか」

 

「軍を外すとは言っていない。軍だけに任せるなと言っている」

 

 周は陳を見る。

 

「アメリカの四人組に、我々は深さで負けている。ならば、彼らがなぜ戻れたかを見ろ。全員が同じ訓練を受けた兵士だからではない。役割が違う。判断が違う。互いを補っている」

 

「民間人を信じるのですか」

 

「信じるのではない。使う」

 

 周の答えは短かった。

 その冷たさに、会議室の数人がわずかに反応した。

 

「国家契約探索者制度を検討する。報酬を高くしろ。家族保護を付けろ。医療を保証しろ。だが、回収物と情報は国家へ入れる。英雄にするかどうかはこちらで決める」

 

「急ぎますか」

 

 梁が聞いた。

 

「急ぐ」

 

 周は言った。

 

「だが、雑に進めるな」

 

 それが難しい。

 急ぐことと、雑にしないこと。

 深層攻略では、その二つが何度もぶつかる。

 アメリカに負けているという焦燥がある。

 だが、その焦燥をそのまま現場へ流せば、現場は無理をする。

 無理をすれば、深層は人を食う。

 

「次の四層進入計画は」

 

 陳が聞いた。

 

「予定より前倒しする」

 

 周が答えた。

 

「ただし、映像と位置記録を必須にする。撤退した場合も、成果として報告させろ。回収物がなくても、通路構造、敵の反応、負傷原因、撤退時間を評価する」

 

「成果不足と見られます」

 

「見られないように、評価基準を変えろ」

 

 周は資料を閉じた。

 

「我々は、アメリカの民間人に負けたままではいられない」

 

 その言葉は、会議室の全員が聞きたかった言葉だった。

 同時に、誰もが恐れていた言葉でもあった。

 勝つためには進まなければならない。

 進めば、死ぬ。

 死なずに進むためには、失敗を失敗として上げなければならない。

 だが、この国で失敗は、しばしば人より先に処分される。

 周はその矛盾を理解していた。

 理解していてなお、進めるしかなかった。

 

「梁」

 

「はい」

 

「報告書の形式を変えろ。地方からの美化された報告は、次から別枠で扱う。映像、位置記録、損耗、撤退判断、回収物を揃えない報告は、成果として認めない」

 

「了解しました」

 

「陳」

 

「はい」

 

「深層特別進入班の候補を出せ。軍歴だけで選ぶな。戻れる者を選べ」

 

 陳は一瞬だけ黙った。

 

「戻れる者、ですか」

 

「そうだ」

 

 周は画面のハウンド・スリーを見た。

 

「深く入る者ではない。生きて戻り、使える情報を持ち帰る者だ」

 

 会議室の画面では、アメリカの民間探索者たちが赤い小瓶を前にしていた。

 中国側の誰も、それを羨望とは呼ばなかった。

 屈辱。

 焦燥。

 警戒。

 必要なら、そのすべてを別の言葉に置き換えることはできる。

 だが、胸の奥にあるものは変わらない。

 これだけ力を入れている。

 これだけ人を動かしている。

 これだけ国家が本気になっている。

 それなのに、世界が見ている深さでは、アメリカが先にいる。

 周立言は、映像の中の四人を見つめたまま、静かに言った。

 

「追いつくぞ」

 

 命令ではなく、宣言だった。

 その場にいた全員が頷く。

 誰も、そこで何人が傷つくかを口にしなかった。

 口にすれば、進む速度が落ちるからだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。