寄生虫と行く現代ダンジョン   作:脳タリン

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第279話 声を掛けてやった

 日本側との非公式協議を終えた報告書は、その日のうちに本国へ送られた。

 

 内容は簡潔だった。

 

 日本政府は、中国側からの異常空間由来物品の提供要請を全面的に拒否した。高階層素材、回復薬、装備品のいずれについても協議へ応じず、民間探索者が所有する物品の仲介も行わない。今後、同様の申し入れがあった場合も、基本的に同じ回答を返す方針だという。

 

 その報告を受けた会議は、翌朝から始まった。

 

 長机の中央には日本側の回答書が置かれ、その両側へ関係部門の責任者が並んでいる。外交、情報、異常空間対策、軍、研究機関。出席者は多かったが、最初に口を開いた男は、回答書を一度も手に取らなかった。

 

「つまり、日本は我々との交渉を拒否したのか」

 

「はい」

 

「理由は」

 

「公式には、所有権、安全保障上の懸念、研究継続の必要性を挙げています。ただし、先日の事案が影響している可能性は否定できません」

 

「一人の日本人探索者に、国家がそこまで付き合う必要はない」

 

 男は机へ肘を置いた。

 

「我々は条件を示した。必要な待遇も、安全も用意した。それを聞くことすら拒み、日本政府まで同じ態度を取る。随分な話だ」

 

 外交部門の責任者は一拍置いてから口を開いた。

 

「我が国が提示した条件は、他国には容易に用意できない内容でした。それでも受け入れられなかったこと自体は、重く受け止める必要があります」

 

 男は何も言わない。

 

「ただ、その状況で改めて接触を試みれば、日本側は『中国はなお一人の民間探索者を追い続けている』と受け取るでしょう。それは、我が国の立場としても得策ではありません」

 

「こちらが引いたように見える」

 

「その印象を与えないためにも、今はこちらから動かない方がよろしいかと考えます」

 

 正面から反論することはなかった。

 

 国家の威信を傷つけると言われれば、その前提は受け入れた上で、さらに面子を失う可能性を避ける方向へ話を導く。それが外交部門の役目だった。

 

「現地担当者の件はどう整理する」

 

 異常空間対策部門の責任者が資料を開いた。

 

「家族への言及、ならびに襲撃指示は独断です。上司は本人を傷つけず、供給経路を失う行動を避けるよう命じていました」

 

「命令を守らせられなかった」

 

「その責任は残ります」

 

「処分して、日本が態度を変えるのか」

 

「そこは期待しておりません」

 

 責任者は資料から目を上げた。

 

「処分は、日本へ示すためではありません。同じことを繰り返さないためです」

 

 その説明には反論が出なかった。

 

 命令を無視した担当者が、個人的な判断で外国における工作を暴走させた。その結果、日本との交渉窓口まで閉じた。

 

 組織として見れば、それだけで十分な失態だった。

 

「戸張透への対応は」

 

 議長役の男が尋ねる。

 

 外交部門の責任者が静かに答えた。

 

「当面、直接・間接を問わず接触を停止します。日本政府を通さない働きかけも認めません」

 

「理由は」

 

「同じ条件を繰り返し提示しても、日本側へ再び拒絶の機会を与えるだけです。現時点では利益より不利益が大きいと判断します」

 

「……」

 

「我が国には、他に進めるべき課題があります。国内探索者の育成と高階層到達部隊の再編を進めながら、既存回収品の研究や別経路での情報収集へ資源を回すべきです」

 

 戸張一人を追い続けることより、優先すべき案件はいくらでもあった。

 

「記録には残せ」

 

 最初の男が言った。

 

「我々は条件を提示した。それでも相手は拒否した。事実として残しておけ」

 

「承知しました」

 

 担当者は短く答えた。

 

 会議は次の議題へ移ろうとした。

 

 その時、扉が叩かれ、一人の職員が入室する。

 

「失礼します。現地担当者の検死について、中間報告です」

 

 議長へ一枚の資料が渡された。

 

「死因は」

 

「現在も調査中です」

 

「脳血管障害ではなかったのか」

 

「その所見はあります。ただ、閉塞の原因が特定できていません」

 

 資料を受け取った男が頁をめくる。

 

「毒物」

 

「既知の毒物、薬物とも検出されていません」

 

「外傷は」

 

「ありません。争った形跡も確認されていません」

 

「飲酒は」

 

「相当量です。ただし、それだけで死亡原因を説明できるかについては、担当医が判断を保留しています」

 

 室内が静まる。

 

 男は健康状態に大きな問題を抱えておらず、自室で就寝したまま死亡した。外傷も既知の毒物も検出されず、第三者が室内へ入った形跡もない一方で、脳血管の閉塞を引き起こした原因だけが見つかっていなかった。

 

「結論は」

 

 議長が尋ねた。

 

「現段階では、不明です」

 

 職員は資料へ目を落とした。

 

「追加検査を継続します」

 

 それだけ言って、一歩下がる。

 

 議長は資料を閉じた。

 

「原因が判明するまで、結論は出すな」

 

「承知しました」

 

 職員が退出すると、議長は検死報告を次の資料の下へ入れようとした。だが、紙の端が揃わず、二度ほど指で押してから、結局は机の脇へ置いた。

 

 会議は予定どおり、国内の異常空間管理に関する次の議題へ移った。

 

 白い紙の一枚だけが、閉じられないまま残っていた。

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