寄生虫と行く現代ダンジョン   作:脳タリン

299 / 301
第299話 境界の内側

 グアヤキルでスタンピードが発生してから三十六時間が経っても、政府が発表できるのは、被害地域がそれ以上広がっていないということだけだった。

 

 軍と国家警察が設けた封鎖線の内側には、港湾倉庫と住宅街の一部が残っている。

 

 無人機の映像では、倉庫周辺を大型の甲殻型が徘徊し、住宅街の路地や建物には小型個体が散在していた。入口から離れた区域では動きが鈍り、同じ通りを何度も往復する個体や、民家の陰で長時間停止する個体も確認されている。

 

 流出の勢いは落ちていた。

 

 それでも、占拠区域が消えたわけではない。

 

 グアヤキル市内に設置された政府の合同対策本部では、壁面の大型画面に被災地域の地図が表示されていた。赤く塗られた範囲の中へ、確認済みのモンスター、救助要請、通信途絶、遺体、未確認建物を示す印が重ねられている。

 

 現場から新しい報告が届くたび、印は増えた。

 

「午前の救出作戦で、南東区画から二十一名を救助。軍人二名、探索者一名が負傷しています」

 

 国家警察の担当者が報告を読み上げる。

 

「残存者の推定は」

 

 会議を主宰する政府側の責任者が尋ねた。

 

「確実に生存を確認できているのは五十八名です。携帯電話や建物内カメラで位置を確認しています。そのほか、避難所で所在を確認できていない住民が百七十六名。ただし、全員が占拠区域内にいるとは限りません」

 

「死亡確認は」

 

「現場で確認できた数は百四十一名。回収できていない遺体があります」

 

 数字を読み上げた担当者は、そこで資料から目を離した。

 

「建物内の確認が進めば、増えます」

 

 責任者は返事をせず、地図を拡大した。

 

 救助要請の印は、封鎖線に近い場所だけではなかった。倉庫へ近い住宅街にも残っており、その周囲には大型個体の反応が複数ある。

 

「この家の家族は」

 

「二階に大人三名、子ども二名。水はあります。食料は今日までは持つとのことです」

 

「救助経路は」

 

 軍の現場責任者が画面へ経路を出した。

 

「東側から入れば約三百メートルです。ただし、途中に甲殻型が二体。周囲の建物内にも未確認反応があります。南側から回る経路は長くなりますが、大型個体は確認されていません」

 

「小型は」

 

「数を出せません」

 

 その答えで、南側から入る案も安全ではなくなった。

 

 無人機は屋根や路上を確認できても、民家の中、車の下、排水路までは見通せない。動かない個体は熱反応も弱く、死体なのか、活動を止めているだけなのか判別できなかった。

 

 軍の責任者は救助案を消さずに残した。

 

「正午までに周囲の家を追加確認します。救助対象の体力が残っているうちに、一度は入るべきです」

 

「成功率は」

 

「出せません」

 

「損失の見込みは」

 

「それも出せません」

 

 政府側の責任者は手元のペンを置いた。

 

「それでも入ると言うのですか」

 

「中に子どもがいると分かっている場所を、数字が出ないから放置するとは言えません」

 

 軍の責任者は声を荒らげなかった。怒鳴る代わりに、画面上の家を指で示したまま動かなかった。

 

「ただし、全てを救えるとは申し上げません。部隊を一つの家へ送れば、その間、別の区画には入れない。救助要請は今も増えています」

 

 会議室の誰も、救助を継続するべきかとは聞かなかった。

 

 問題は順番だった。

 

 呼びかけへ返事がある家を先にするのか、子どもや負傷者がいる場所を優先するのか、封鎖線に近く成功率の高い区画から片づけるのか。倉庫近くに取り残された者を後回しにすれば、その間に死ぬ可能性がある。奥へ人員を集中させれば、救えるはずだった手前の住民まで失うかもしれない。

 

「中国よりはましだという言い方を、外ではしないようにしてください」

 

 保健当局の担当者が言った。

 

「被害区域も流出数も比較にならない。それは事実です。しかし、家族が取り残されている住民へ、中国より小さい被害だと説明しても意味がありません」

 

「広報資料には使っていません」

 

「政府内部では使われています」

 

 政府側の責任者は否定しなかった。

 

 中国では、占拠区域へ有人部隊を入れること自体が停止された。グアヤキルでは救助部隊を送り込み、少人数ずつではあるが生存者を連れ出せている。

 

 その違いは大きい。

 

 救い切れる見通しが立たないことまで変わるわけではなかった。

 

「入口周辺の状況を」

 

 画面が倉庫上空の映像へ切り替わる。

 

 鉄扉の前には大型個体が残っていたが、新たな流出は確認されていない。奥で個体同士が押し合っていた昨日の状態から、入口付近の動きは明らかに減っている。

 

「今の所は落ち着いています」

 

 異常空間対策部門の研究者が言った。

 

「スタンピードによって個体数が減ったか、内部で新たな生成が止まったか、別の階層へ移動したのかは分かりません。現時点では、入口へ近づく根拠にはできません」

 

「いつなら入れる」

 

「内部の観測手段がありません」

 

「入口が目の前にあるのに、何も見られないのか」

 

「見に行く人間が必要です」

 

 軍の責任者が小さく鼻から息を吐いた。

 

 倉庫まで辿り着ける部隊があるなら、先に住宅街へ回せという話になる。入口を制圧して流出の再発を防ぐ必要はあるが、そのために現在生きている住民を後回しにはできない。

 

「例の関係者から得られた情報は」

 

 国家警察の担当者が別の資料を開いた。

 

 入口を管理していた組織の構成員十七名が拘束または保護され、そのうち六名が事情聴取へ応じている。負傷して病院にいる者もおり、供述内容には食い違いが多かった。

 

「ダンジョンの存在を把握したのは、およそ七か月前。組織として遺体処理に使い始めた時期はほぼ初期から。最初の数回は、抗争で出た遺体を偶発的に運び込んだと供述しています」

 

「偶発的に七か月も続けたとは言うまいな」

 

 内務当局の人間が吐き捨てた。

 

「連中の言葉をそのまま使っているだけです」

 

 警察担当者は資料を送った。

 

 遺体は入口から近い一層通路へ置かれ、数時間から数日で消失した。モンスターが接触する様子はなく、死体はダンジョン内で倒されたモンスターと似た崩れ方をしたという。

 

 初期には遺体が消えるまで時間がかかっていた。

 

 最近になるほど消失が早まり、最後の搬入では十分程度で崩れ始めた。

 

「投入人数は」

 

「不明です。供述を総合すると、最低でも六十人を超えます」

 

「最低で?」

 

「運搬担当ごとに記録が分かれています。帳簿があるという証言も出ましたが、倉庫内です」

 

 画面上の倉庫は、今も大型個体に囲まれていた。

 

「人間を入れた結果、モンスターが増えたということか」

 

「因果関係は証明できません」

 

 研究者が答える。

 

「ただし、遺体の消失時間が短くなった時期と、浅層個体の出現頻度が上がった時期は重なっています。生存者の一人は、一層通路を掃討しても、帰路には別の個体が出ていたと証言しています」

 

「なぜ止めなかった」

 

「回収できる魔石と素材が増えたからです」

 

 警察担当者の声に、感情はほとんどなかった。

 

「死体を処理できる。モンスターも増える。倒せば売れる。組織側は利益が二重になったと考えたようです」

 

 会議室で誰かが椅子を動かした。

 

「それを収穫と呼ぶつもりなら、もっとましな報告もあります」

 

 軍医療部門の担当者が、別の検査結果を画面へ出した。

 

 スタンピード対応へ参加した探索経験者三十二名の身体データだった。軍人、警察官、民間探索者のほか、入口を管理していたギャング構成員も含まれている。

 

「モンスターの活動区域へ入った探索経験者に、異常空間内と同種の身体能力上昇が確認されました」

 

 会議室の空気が変わった。

 

「地上で?」

 

「地上です。入口の外でも、モンスターが活動している区域内では反応速度、走力、筋出力、疲労耐性が上昇しています。全員が同じ程度ではありませんが、本人のダンジョン内測定値に近い」

 

「興奮や薬物の影響では」

 

「血液検査で説明できる範囲を超えています。比較対象になった警察官と軍人には同じ変化が見られませんでした」

 

 映像が再生された。

 

 負傷者を背負った探索者が、倒れた車を乗り越えて走っている。別の映像では、民間探索者が一人で鉄製の門を持ち上げ、その下から住民を引き出していた。

 

 本人たちは、必死だったからできたと話している。

 

 封鎖線の外で再現させると、同じ動きはできなかった。

 

「境界は特定できるのか」

 

「おおよそは。モンスターの活動限界と重なっています。ただし完全な円ではありません。通り一本を挟んで数値が変わる場所もあれば、建物内だけ上昇が残る場所もある」

 

「モンスターがいるから身体能力が上がるのか、ダンジョンの影響が広がったからモンスターが活動できるのか」

 

「分かりません」

 

 研究者はそこで言葉を切った。

 

「ただ、今回の占拠区域は、地理的には市街地でも、人体への作用ではダンジョン内に近い状態です」

 

 軍の責任者が救助計画へ視線を戻した。

 

「なら、次の救助には探索者を増やせます」

 

「待ってください」

 

 保健当局の担当者が止めた。

 

「能力が上がるから投入する、という結論へ急がないでください。活動区域が身体へ何をしているか分かっていません。被曝量に相当するものがあるのか、外へ出た後に残る影響が増えるのかも不明です」

 

「中にいる住民には、今日までしか水がない」

 

「承知しています」

 

「こちらにも、調べ終わるまで待てる時間はありません」

 

 議論の間にも、現場から救助要請が届いた。

 

 北東区画の民家で、一名が意識を失った。別の建物では、屋根裏に個体が入り、住民が浴室へ避難している。倉庫寄りの集合住宅では、携帯電話の電池が切れ始めていた。

 

 政府側の責任者は、画面に並ぶ要請を一度見渡した。

 

「探索経験者を救助班へ追加します。ただし、本人の同意を取ること。活動区域への出入り前後で検査し、連続投入はしない。ギャング関係者であっても、救助活動への参加を希望し、現場が能力を確認した者は使ってください」

 

 国家警察の担当者が顔を上げる。

 

「拘束対象です」

 

「逃亡防止措置を取った上で使います。自分たちが作った事態だという話は、救助が終わってから聞けばいい」

 

「終わりますか」

 

 誰が口にしたのか、すぐには分からなかった。画面上では救助要請の印が一つ消え、救出済みの色へ変わることなく、通信途絶を示す灰色へ移された。

 

 責任者はその印を見たあと、次の救助班の進入経路を表示させた。

 

「終わらせるしかありません。ただし、全員を救えるとは発表しないでください」

 

 政府広報の担当者が、膝の上に置いていた端末へ入力する。

 

「では、国民向けにはどう説明しますか」

 

「救助活動は継続している。占拠区域への無断進入を禁止する。停止している個体へ近づかない。これまでと同じです」

 

「取り残された人数は」

 

「確認できた人数だけを出してください。推定を確定数のように扱わないように」

 

「ダンジョンの使用目的については」

 

 責任者の視線が、遺体の投入人数を示す資料へ向いた。

 

「公表します。遺体処理に使われていたことも、政府が把握していなかったことも隠さない」

 

「捜査への影響が出ます」

 

「もう住宅街が占拠されています。今さら政府の体面を保全するために伏せたと思われる方が悪い」

 

 会議が終わる前に、探索経験者を加えた救助班が封鎖線を越えた。

 

 境界へ入った者たちは、数歩進んだところで互いに顔を見合わせたという。身体が軽くなり、背負った装備の重さが変わった。

 

 その先には、まだ住民の残る住宅街があった。

 

 身体能力が上がったところで、壁の向こうに何体いるかは分からない。撃てない位置に潜む個体が消えるわけでも、救助を待つ人間の時間が増えるわけでもなかった。

 

 それでも救助班は、先ほどまで運べなかった追加の盾と担架を持って、赤い印の増えた通りへ入っていった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。