机の上に、昨日の俺が持ち帰ってきたものを並べた。並べたというより、見ないふりを続けられないように、自分で逃げ場をなくした。
ビニール袋とタオル、泥の付いた手袋、欠けたトレッキングポールの先端。小さな魔石らしきものがいくつかあり、その横には黒っぽい核片と、骨なのか石なのか今も判別できない欠片がある。そして、少し離れたところに置いたタオルの中には、赤黒い山刀が包まれていた。
直接見えていなくても分かる。こいつだけは、明らかに机の上へ置いていいものではなかった。
俺は椅子へ座り、両手で顔を覆った。
「……昨日の俺」
声に出したところで、何も変わらない。昨日の俺は確かに、大変なことは明日の俺に任せると言った。そして今、その明日の俺がここにいる。
ふざけるなと思ったが、ふざけたのも俺だ。昨日の俺と今日の俺は法的には同一人物なので、殴る相手も自分しかいない。こういう時、前世からの敵や悪の組織でもいれば、まだ気持ちの向け先があるのだろう。現実は大抵、自分の不始末だけでできている。
俺は指の隙間から机の上を見た。見たくはないが、見なければ何も片づかない。
赤錆の山刀は、タオル越しでも輪郭が分かる。短めの刀身と、妙に手へ馴染んだ細い柄。レッドキャップが使っていた刃であり、俺を何度も殺しかけた武器だ。それを、倒した後に自分の意思で持ち帰った。
正気だったのかと聞かれれば、たぶん違う。それでも、あの時は本気で、次に近接戦になれば死ぬと思った。こん棒は簡単に斬られ、トレッキングポールも万能ではなかった。投石は距離があれば使えるが、接近されれば、俺はただ石を握った三十歳無職になる。言葉にすると弱いというより、もう少し人生について真剣に考えた方がよさそうな姿だった。
俺はタオルの端を少しだけめくった。
赤黒い刃が、部屋の蛍光灯を鈍く拾う。刃物というだけなら台所にも包丁はあり、ホームセンターへ行けば鉈も売られている。だが、これは人間の生活へ混ざる気がない。台所にも山にも似合わず、黒い石の床と、首を飛ばす瞬間だけが妙に似合っていた。
俺はすぐにタオルを戻した。
「出せるわけねえだろ、こんなの」
誰に向けた言葉なのかは、自分でも分からなかった。
警察へ持っていくという選択肢も、一応はある。だが、窓口へ出した後のやり取りを想像するだけで詰んでいた。
ダンジョンで拾いました。どこのダンジョンですか。未確認の暗渠です。なぜ通報しなかったのですか。中で何をしましたか。どうしてモンスターの武器を持ち帰ったのですか。体に異常はありませんか。
最後の質問で終わる。いや、そこへたどり着く前に、すでにかなり終わっている。
机の右側にある小さな魔石を一つつまんだ。水門で拾ったものと、暗渠で拾ったものが混ざっている。袋は分けていたはずだが、帰宅後の自分はあまり信用できなかった。疲れすぎていたせいで、手元の記憶がところどころ曖昧になっている。
光へかざすと、小さな魔石の中がわずかに濁って見えた。これなら、まだ説明できるかもしれない。敵性生物を倒した後に拾い、危険物だと思って保管していた。制度が始まれば申告するつもりだった。それらは嘘ではない。ただ、すべてを話していないだけだ。
「全部じゃない嘘って、何なんだろうな」
独り言をこぼしても、静かな部屋から返事はなかった。
頭の中に声が響くことも、右手の爪の隙間から白い糸が出てくることもない。それでも、自分の体の奥に何かがいることだけは知っている。昨日、そいつは俺を助けるために、大柄なゴブリンの死体を動かした。その光景を思い出すたび、胃の辺りが冷える。
助かったことには、心から感謝している。だが、助けられたからといって、死体を動かされたことまで気持ちよく受け入れられるわけではなかった。
捨てるのは無理だ。魔石らしきものをゴミ袋へ入れ、収集車で運ばれた先で何か起きれば取り返しがつかない。赤錆の山刀に至っては、捨てた時点で事件になる。公園の池へ沈めるとか、山へ埋めるとか、そんな考えが浮かんだ時点で、自分がかなり駄目な方向へ進み始めていることも分かった。
売るのは論外だった。誰に、どこで売るのか。ネットへ「ダンジョン産らしい謎の山刀を売ります」と書き込めば、即座に通報されるか、それより悪い人間に見つかるかの二択だ。悪い意味で夢がある。
残るのは保管だが、それはすでにやっている。机へ並べて頭を抱えている以上、何一つ解決していなかった。
気づけば、窓の外はすっかり明るくなっていた。朝から長い間、同じ姿勢で考え込んでいたらしい。スマホを見ると、もう昼に近い。
腹が鳴った。
こんな状況でも腹は減る。昨日はレッドキャップに殺されかけ、今日は机へ危険物を並べて頭を抱えているのに、胃だけは平然と飯を要求してくる。人間の体は本当に空気を読まない。
俺は立ち上がって台所へ向かい、冷凍ご飯を温め、インスタントの味噌汁を作った。おかずは卵と、冷蔵庫の奥で少ししなびていた漬物だ。三十歳無職の昼飯としては、むしろまともな方だと思う。
机には戻りたくなかったため、ローテーブルで食べることにした。茶碗を持ったままスマホを開くと、ニュースの通知がいくつも並んでいた。
その一番上にある見出しを読んだところで、箸が止まる。
『異常空間民間調査員制度、暫定運用開始へ』
俺はしばらく画面を見つめた。味噌汁から上がる湯気が、目の前で薄く揺れている。
関連する見出しも次々に更新されていた。通称「探索者制度」の五級登録受付を本日から開始し、政府が民間協力者の受け入れを正式化する。死亡、重傷、行方不明の危険が明記され、武器は原則として現地管理、採取物は申告制とされている。
俺は茶碗を置いた。口の中の米を飲み込むまで、少し時間がかかった。
昨日まで掲示板で好き勝手に使われていた探索者制度という言葉が、突然、役所の制度名と一緒に現実へ出てきた。
ニュース記事を開き、発表内容を読み進める。正式名称は異常空間民間調査員制度で、通称が探索者制度。暫定運用として五級から登録を受け付け、成人であることを条件に、講習受講と同意書の提出、活動記録と帰還報告を義務づける。指定区域外への移動は禁止され、採取物はすべて申告し、危険物や武器、素材は現地で管理するか指定窓口へ提出する。
並んでいるのは乾いて冷たい役所の文章なのに、内容の大半は人が死ぬ可能性について書かれていた。
さらにスクロールすると、登録時の確認項目が表示された。本人確認と緊急連絡先、既往歴、服薬状況、簡易健康確認、採血、講習、誓約書。外傷確認や全身検査という文字はなく、精密検査や未知寄生体検査も当然ながら記載されていない。そもそも、今の日本にそんな検査が存在するのかも分からなかった。
「……採血」
俺は自分の左腕を見た。
傷はすでに、ほとんど普通に見える。白い膜が張っていた時の感触も、痛みが遠のいた時の気持ち悪さも、外から見ただけでは残っていない。あまりにも普通すぎるくらいだった。
血を抜かれたら何が分かるのかは知らない。少なくとも、採血だけで俺の中身がすべて明らかになるとは思えなかった。正確には、そう思いたかった。
政府もまだ手探りなのだろう。制度は暫定運用で、検査項目も現状へ追いついていない。未知の身体変化に注意するよう書かれてはいるが、それを確実に見つける方法があるなら、もっと大きく告知しているはずだ。
今なら、まだ間に合うかもしれない。
人間として受付を通るなら、今しかない。一か月後に同じ検査内容とは限らず、半年後にはさらに分からない。制度が固まれば、検査項目や採取物の追跡も細かくなる。異常感染、身体変化、寄生性生物といった項目が追加された時、俺はたぶん終わる。
制度の外側にいるまま見つかれば、ただの不審者だ。未確認のダンジョンへ出入りし、未申告の素材とダンジョン産らしい山刀を隠し、体内に正体不明の寄生体を抱えた三十歳無職。自分で並べてみると、悪い意味でかなり癖が強い。
だが、制度の内側へ入っていれば、少しだけ扱いが変わる。民間調査員として五級の講習を受け、活動記録を残し、採取物を申告している。危険を理解した上で国へ協力する人間という形を作れる。同じ異常を抱えていても、付いているラベルが違う。
ラベルは大事だ。会社員だった頃にも何度かそう思った。中身が同じでも、役職名や部署名が付くだけで、人は扱いを変える。嫌な話だが、現実はそういうものだった。
少し冷めた味噌汁を飲みながら、制度へ入った後のことを考える。採血で何かが出るかもしれず、問診で余計なことを言う危険もある。講習へ行けば顔を覚えられ、採取物を出せば出どころを聞かれる。活動記録を提出する以上、これまでのように自由には動けなくなる。
それでも、制度の外側に居続ける方が怖かった。
俺はスマホを握り直し、五級の説明を読み込んだ。低危険度区域に限定した短時間活動が認められ、単独活動も可能だが、複数人での行動が推奨される。現地受付と帰還報告が必要で、採取量には制限があり、使用できる武器も指定品に限られる。刃物類の持ち出しは禁止され、活動後には簡易報告書を提出する。
俺は机の方へ目を向けた。
タオルに包まれた赤錆の山刀は、ここからでは見えない。それでも、視界の端にずっと存在しているような感覚があった。
あれだけは出せない。出した瞬間、昨日の出来事をすべて説明することになる。どこのダンジョンで何を倒し、どうやって生き残ったのか。その途中で、俺は人間としての扱いを失うかもしれない。すでにやめかけている可能性はあっても、少なくとも書類上はまだ人間でいたかった。
「書類上は人間、か」
口に出してから嫌になった。かなり嫌な言葉だった。
残りの飯をかき込み、茶碗を流しへ置いて手を洗う。それから、もう一度机の前へ戻った。
机の上には、朝から変わらない昨日が並んでいる。
俺は深く息を吐いた。
「やるか」
誰に言ったわけでもない。返事もなかったが、それでよかった。返事があれば、たぶん叫んでいた。
まず、小さな魔石を右側へ寄せた。透明に近いものや灰色に濁ったもの、黒く小さいものの中から、一般的なダンジョン素材として説明できそうなものを選ぶ。制度が始まるのに合わせて申告する意思を示すなら、何も出さない新人よりも、少し危ないことをして素材を持ち帰った馬鹿の方が自然に見える。
魔石は提出する。
制度開始後に隠さず申告したという形を作れる。会社員時代に身につけた、嫌な意味での報告書感覚だった。
次に、核片らしきものを分ける。スライムの核片を手にしたところで、俺の指は止まった。これは水門とつながる可能性がある。亀山が通報した水門は、すでに自衛隊や警察の管理下にあり、そこから出たものを俺が持っていれば、過去の行動まで調べられるかもしれない。
暗渠で手に入れたものも出せない。あそこは俺の始まりに近すぎる。黒い石と祭壇、そこから出てきた白いもの。調査員や自衛隊が入った時に何を見つけるのか、俺自身にも分からない。自分にも理解できないものを、先に他人へ見つけられるのはもっと嫌だった。
そこで、新しい問題に気づいた。
提出するなら、出どころが必要になる。
魔石だけを窓口へ持ち込み、拾いましたと言って終わるはずがない。どこで、いつ拾ったのか。入口はどこにあり、内部はどんな構造で、何に遭遇したのか。制度の内側へ入る以上、そうした質問からは逃げられない。
水門は使えない。亀山がいて、警察も自衛隊もいる。俺がそこへ混ざれば、救助時の話まで掘り返される可能性がある。暗渠はもっと使えなかった。あの場所を申告すれば、いずれ俺の中にいるものまでつながる。
なら、もう一つ必要だ。
俺は机の上を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。
表向きに使える未発見ダンジョンを、別に見つけなければならない。
できれば小さく、浅く、魔石を拾っても不自然ではない場所がいい。五級申請者の俺が誤って入り、小型の敵性生物と遭遇して生還できる程度なら都合がいい。
そんな場所が現実に簡単に見つかるはずはない。それでも、必要になってしまった。
制度の中では、そこそこ活動する。その裏で暗渠へ戻り、死ぬほど頑張る。そう考えていたのに、制度へ入る前から、表向きに差し出せる道まで用意しなければならないらしい。
二足の草鞋という言葉では足りない。片方の足だけを酷使しながら、もう片方では役所の床を汚さないように歩くようなものだ。意味が分からない。俺の人生は、いつからこんな面倒な競技になったのだろう。
それでも、やるしかなかった。
提出するものと隠すもの、まだ出どころを用意できていないものへ、机の上を分けていく。そんな分類を始めている時点で、俺はもう善良な申請者ではない。それでも、生き残るためだと言い聞かせながら手を動かした。
生き残るためという言葉は便利だ。便利すぎて嫌になる。大抵の悪いことへ、それらしい理由を付けられてしまう。
黒い石室で拾った欠片は、提出しないものの側へ置いた。祭壇に関わる品は駄目だ。あれは俺の始まりに近すぎる。黒い石から白いものが出て、目を通して体へ入り込んだ。そこに触れられれば、隠しているものがすべてほどかれてしまう気がした。
レッドキャップが残した小さな欠片も、同じ側へ寄せた。出どころを説明できず、するつもりもない。
最後に、赤錆の山刀が残った。
しばらく包みを見つめる。刃は見えない。それでも確かに、この部屋の中にある。昨日の俺が、自分の手で持ち帰ったものだ。
「お前は駄目だ」
山刀が答えるはずもなかった。
俺はタオルの上からさらに新聞紙を巻き、ビニール袋を二重にして、外側を紐で縛った。見た目だけなら工具か、粗大ごみの一部に見えなくもない。あくまで、そう見えなくもないだけだ。
押し入れを開け、奥にしまってあった使っていない衣装ケースを引っ張り出す。季節外れの服をどかし、その下へ山刀を入れてから、もう一度服をかぶせ、ケースを元の位置へ戻した。
隠しただけで、なくなったわけではない。大事なものを地面へ埋める犬のようなことをしている気もしたが、他に置き場所が思いつかなかった。
机へ戻り、スマホで申請ページを開く。受付はまだ始まっていないものの、事前に入力内容を保存できるようになっていた。
氏名、住所、生年月日、緊急連絡先、既往歴、服薬状況と進んだところで、ダンジョン進入歴という項目が現れた。
指が止まる。
正直に書けるはずはなく、完全な嘘を書くのも危険だった。画面を見つめてしばらく考えた後、俺は短い文章を入力した。
未確認の異常空間と思われる場所に誤って進入し、小型敵性生物と遭遇。素材らしきものを回収したため、制度開始に伴い申告を希望する。
嘘ではない。
ただ、すべてではない。
またこれだ。
自分で入力した文章を眺めていると、乾いた笑いが漏れた。会社で報告書を書いていた頃と、やっていることはそれほど変わらない。都合の悪い部分をぼかし、必要な情報だけを出して、突っ込まれたら追加で説明する。
社会人として身につけた能力が、こんなところで役立っている。まったくうれしくなかった。
採血で異常が見つかるかもしれず、講習で失敗する可能性もある。提出した魔石の出どころを聞かれて詰まるかもしれないし、表向きに使える未発見ダンジョンを見つけられる保証もない。
それでも、今しかなかった。
制度が固まる前に中へ入る。登録は五級でよく、目立つ必要もない。むしろ、最初は目立たない方がいい。制度の中では、少し勘がよく、少し慎重で、少し運のいい人間として通す。
その裏では暗渠へ戻る。最初の場所と祭壇、黒い石、そして俺の中にいる白いものについて調べながら、必要なら死ぬほど頑張る。
二足の草鞋。ただし片方の足だけは、砕石の上を裸足で走らされ続けるようなものだった。
俺は申請内容を最後まで確認した。受付が始まれば送信できる状態になっている。
送れば、俺は制度の内側へ向かう。送らなければ、外側に残る。どちらが安全なのかは分からないが、外側でじっとしていれば助かる段階は、すでに過ぎている気がした。
俺は右手の指先を見る。
どこから見ても普通の指だ。その奥には、白いものがいる。
「頼むから、採血くらい大人しくしてろよ」
返事はなかった。
俺は入力内容を保存した。
あとは申請受付が始まるまでに、表向きに使えるダンジョンを死に物狂いで探すしかなかった。