寄生虫と行く現代ダンジョン   作:脳タリン

63 / 112
第63話 暗渠ダンジョン 8

 

 

植物の気配が薄れていくボス部屋の中で、俺はしばらくその場に立っていた。

 

 すぐに階段を下りる気にはなれない。怖いから、というのもある。疲れているから、というのもある。だが、それ以上に、今の状態で次へ行くのは雑すぎる気がした。

 

 

 

 ボス部屋の中央では、さっきの植物の怪物が崩れている。口だったものは横倒しになり、蔓は力を失って床に落ち、赤黒い実の中身は黒い汁になって根の間に染み込んでいた。部屋に漂っていた灰色の粉も、少しずつ床へ落ちている。

 

 俺は赤錆の山刀を軽く振り、刃に残った汁を落とした。

 

 

 

「さて、と」

 

 

 

 言っても、返事はない。

 

 左右の寄生ゴブリン二体は、何も言わずに立っている。今回の戦闘で大きく壊れてはいない。片方の腕に黒い汁が付いている程度で、もう片方も足に絡んでいた根を払った後は、普通に立てている。

 

 

 

 普通に。

 

 その言い方が、また少し嫌だった。

 

 

 

 俺は頭を振って、考えを切った。今は確認だ。次に降りるかどうかを決める前に、見るものを見ておく。

 

 ボス部屋の中央を占めていた根の塊は、かなり崩れていた。床の黒い石が少しずつ見え始めている。根が縮み、菌糸が乾き、さっきまでは見えなかった場所が露出していた。

 

 

 

 その根の下から、四角いものが覗いている。

 

 箱だった。

 

 黒い石でできた、小さな箱だ。宝箱、と呼ぶには飾り気がなさすぎる。金具もない。派手な装飾もない。ただ、黒い石を四角く削り出したような、無骨な箱がそこにあった。

 

 

 

「……やっぱりあるんだな、こういうの」

 

 

 

 政府発表でも、ネットでも、ダンジョン産アイテムの話は出ていた。けれど、こうしてボス部屋の中央に箱が残っているのを見ると、急に創作物じみてくる。創作物じみているくせに、床の血と臭いだけは現実のままだ。

 

 

 

 俺は近づきすぎる前に、足元を確認した。黒ずんだ根はほとんど力を失っている。噛みつき花みたいな蕾も動かない。寄生体も騒がない。

 

 それでも、山刀の切っ先で箱の蓋を軽く押す。

 

 

 

 何も起きない。

 

 もう少し強く押す。蓋が少しずれた。

 

 

 

「罠は、なさそうか」

 

 

 

 罠がないと判断できる根拠なんて、ほとんどない。それでも、ここで永遠に警戒していても仕方がない。俺は片膝をつき、蓋を開けた。

 

 中には、小瓶が二本と、黒い布のようなものが一対入っていた。

 

 

 

 まず小瓶を手に取る。中身は赤みのある液体だ。形も大きさも、水門ダンジョンで見たポーションに近い。たぶん、回復系でいいと思う。だが、同じものだと決めつけるには早い。

 

 水門で手に入れたものは、透明な液体だった。これは赤みがある。

 

 

 

 形は似ている。瓶の雰囲気も近い。けれど、中身の色が違う以上、同じ効果だと考えるのは危ない。

 

 

 

「飲んで試す気にはならないな」

 

 

 

 今の俺に傷はある。服も裂けている。失血の重さもまだ残っている。だから、使いたい気持ちがないわけではない。

 

 けれど、効果不明の液体を、暗渠の深いところでいきなり飲むほど追い詰められてはいない。使うなら、もっと安全な場所で確認してからだ。

 

 

 

 俺は小瓶を二本とも、いったん箱の縁に置いた。

 

 次に黒い布のようなものを持ち上げる。

 

 布ではなかった。

 

 

 

 黒い革に似た素材の脚絆だ。膝下から足首までを覆う形で、表面には木目のような筋が走っている。触ると硬い。だが、曲げると少しだけしなる。金属ではない。革でもない。植物の繊維を固めたようにも見える。

 

 

 

「足か」

 

 

 

 思わず呟いた。

 

 この階層で散々足を取られた後に出てくるあたり、性格が悪い。いや、報酬としてはありがたいのかもしれないが。

 

 

 

 俺は自分の足元を見た。登山靴は泥と灰色の粉で汚れている。ズボンの裾も裂けている。足を守れる装備は、普通に欲しい。

 

 だが、次に寄生ゴブリンの脚を見た。

 

 

 

 こいつらは痛がらない。根に絡まれても、花に噛まれても、無理に進もうとする。俺が止めなければ、そのまま壊れるまで動く。

 

 俺が着けるより、こいつらに着けた方がいい。

 

 そう思った。

 

 

 

「……こっちだな」

 

 

 

 試しに、一体の寄生ゴブリンへ脚絆を当てる。見た目には少し大きい。ゴブリンの細い脚には余るように見えた。膝下から足首まで覆うどころか、下手をすれば膝の上までかかりそうだ。

 

 それでも巻いてみる。

 

 

 

 黒い素材が、ゆっくり縮んだ。

 

 

 

「うわ」

 

 

 

 思わず声が出た。

 

 紐も留め具もない。なのに、脚絆は勝手に締まり具合を合わせていく。余っていた幅が縮み、長さも詰まり、数秒後には寄生ゴブリンの脛にぴたりと収まっていた。

 

 

 

 もう片方も同じように巻く。こちらも勝手に形を変えた。

 

 

 

「サイズ調整つきかよ」

 

 

 

 便利だ。

 

 便利すぎて、少し気持ち悪い。

 

 

 

 寄生ゴブリンは何も言わない。ただ、脚絆を着けたまま立っている。歩かせてみると、特に動きは悪くなさそうだった。膝も足首も動く。素材は硬いが、曲がる場所ではちゃんとしなる。

 

 噛みつき花や根にどれだけ効くかは分からない。だが、むき出しの脚よりはましだろう。

 

 

 

 そういう、ましを積むしかない。

 

 

 

 俺は残りの小瓶二本を見た。

 

 自分のリュックに入れることもできる。だが、今の俺の荷物はそこそこ多い。動く時に邪魔になるものは減らしたい。

 

 

 

 それに、寄生ゴブリンに預けるという選択肢がある。

 

 落とさないかは少し不安だったが、こいつらは余計なことをしない。人間の荷物持ちより安全かもしれない、と思いかけて、それはそれで嫌な考えだなと思った。

 

 

 

 俺は小瓶二本を、脚絆を着けていない方の寄生ゴブリンに持たせることにした。

 

 腰に巻かれた赤黒い布の隙間へ、小瓶を差し込む。一本、二本。軽く揺らしてみるが、落ちそうにはない。寄生ゴブリンは抵抗しない。もちろん、返事もしない。

 

 

 

「割るなよ」

 

 

 

 言ってから、たぶん意味がないと分かる。

 

 ただ、そう思ったせいか、そいつは少しだけ腰を引いた。小瓶の位置を守るようにも見えた。

 

 

 

 偶然かもしれない。

 

 俺の意図に引っ張られただけかもしれない。

 

 どちらにしろ、持たせることはできそうだった。

 

 

 

 箱の中は空になった。

 

 俺は蓋を開けたまま、少しだけ見下ろす。

 

 ポーションらしき小瓶二本。脚絆一対。使い道は分かりやすい。分かりやすいが、効果までは分からない。

 

 

 

 このダンジョンは、分かりやすい顔をして、平気で話をずらしてくる。

 

 キノコ狩りの親玉だと思ったものが、あの植物の怪物だったみたいに。

 

 

 

「確認は、後だな」

 

 

 

 俺は立ち上がった。

 

 そこで、赤錆の山刀の重さを改めて感じた。

 

 ずっと握っていた。ボス戦中は当然だ。植物相手にはよく通るし、これがなければ何度も詰んでいたと思う。だが、今は戦闘中ではない。宝箱を開ける時も、装備を巻く時も、片手に山刀があるのは邪魔だった。

 

 

 

 常に俺が握っている必要はない。

 

 使う時に戻せばいい。

 

 

 

 近くの寄生ゴブリンを見る。脚絆を着けた方だ。手は空いている。こいつに持たせるか。

 

 一瞬、迷った。

 

 

 

 武器を預ける。

 

 それはただの荷物持ちとは少し違う気がした。だが、こいつらは勝手に振り回さない。少なくとも、俺がそう思わない限りは動かない。

 

 

 

 俺は山刀を柄から渡す。

 

 寄生ゴブリンは受け取った。刃を下に向け、片手で持つ。構えるわけではない。ただ、持っているだけだ。

 

 

 

「使うなよ。持ってるだけだ」

 

 

 

 やっぱり返事はない。

 

 けれど、俺の中で、持つだけ、という意図は確かに残した。寄生ゴブリンは山刀を握ったまま、動かない。

 

 

 

 少しだけ変な感じがした。

 

 自分の武器を、敵だったものに預けている。

 

 

 

 普通なら、絶対にやらない。まともな判断ではない。けれど、今の俺のまともさなんて、どこを基準に測ればいいのか分からない。

 

 少なくとも、両手が空いた。

 

 それは助かる。

 

 

 

 俺は改めて部屋の奥へ向かった。

 

 最深部の壁際に、下へ続く段差がある。さっき見つけた黒い石の階段だ。植物の根も、灰色の菌糸も、その入口手前で途切れている。そこから先の空気は違う。

 

 

 

 湿ってはいる。

 

 だが、甘く腐った匂いは薄い。

 

 代わりに何があるのかは、まだ分からない。分からない方がいい。少なくとも、このフロアとは別だと分かれば十分だった。

 

 

 

 フロアは切り替わる。

 

 暗渠の中なのに、階層ごとに中身が違う。ゴブリンの層。植物の層。そして、その下。

 

 

 

 俺は階段の入口にライトを向けた。黒い石段が、暗い奥へ沈んでいる。数段先までは見える。そこから先は闇だ。

 

 下りるか。

 

 いや、今はまだやめておく。

 

 

 

 ポーションは未確認。新しい脚絆も、どれだけ使えるか分からない。赤錆の山刀を預ける運用も、今試したばかりだ。寄生ゴブリン二体は大きく壊れていないが、ボス部屋まで来た時点で俺自身の消耗もある。

 

 

 

 それに、上にはまだ四体がいる。

 

 ボス部屋の入口を守らせたままだ。

 

 一度戻って全体を整理した方がいい。

 

 

 

「……撤収、ではないな」

 

 

 

 撤収というには、まだ下が気になりすぎる。

 

 だが、突入でもない。

 

 確認して、戻る。そう決めた。

 

 

 

 俺は階段の入口に小石を一つ落とした。数段転がり、暗い下で止まる。音は遠くまで響かなかった。何かが反応する気配もない。

 

 今は、それでいい。

 

 

 

 俺はライトを引き戻し、寄生ゴブリン二体を見る。一体は脚絆を着け、赤錆の山刀を持っている。もう一体はポーションらしき小瓶を腰に差している。

 

 どう見ても、普通ではない。

 

 それでも、ただ壊れるまで前に出すよりはましだと思った。

 

 

 

 まし。

 

 またその言葉だ。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 

 

「戻るぞ」

 

 

 

 返事はない。

 

 二体は、俺の動きに合わせて向きを変える。

 

 

 

 階段の先は見た。

 

 次へ進む道も見つけた。

 

 なら、今やるべきことは一つだ。

 

 

 

 俺は植物の気配が薄れていくボス部屋を後にし、いったん上のボス部屋へ戻ることにした。

 

 

 

 一層のボス部屋に戻ると、残していた四体の寄生ゴブリンはまだ入口側に立っていた。傷ついた二体も、動かないまま立っている。休んでいるわけではない。けれど、少なくとも壊れてはいない。

 

 

 

 俺は六体を見回した。

 

 下へ続く階段は見つけた。植物のフロアも越えた。宝箱も回収した。なら、今ここでさらに進む理由はない。

 

 

 

 脚絆を着けた個体には、そのまま赤錆の山刀を持たせる。ポーションらしき小瓶も、別の一体に預けたままにする。効果の分からないものを家へ持ち帰るのも気味が悪いし、暗渠の外で割ったり落としたりするのも避けたい。

 

 

 

「ここで待て」

 

 

 

 言葉に意味があるかは分からない。

 

 ただ、俺はそう思った。

 

 

 

 ボス部屋の入口側に四体。下層へ続く階段側に二体。そう配置を分ける。六体は、俺の意図に合わせるように、音もなく位置を変えた。

 

 便利だ。

 

 便利すぎる。

 

 

 

 それでも、今日はこいつらを連れて外には出せない。

 

 俺はライトを一度だけ下層側へ向けた。植物の気配が薄れた先に、さらに下へ沈む黒い階段がある。

 

 

 

 見つけた。

 

 それだけで十分だ。

 

 

 

「今日はここまでだ」

 

 

 

 返事はない。

 

 俺は一人でボス部屋を出た。

 

 

 

 暗渠の通路を戻り、横道を抜け、外の空気に触れる。夜の空気は冷たく、湿っていた。ダンジョンの中より安全なはずなのに、背中にはまだ、六体分の無音の気配が残っている気がした。

 

 

 

 家に帰ろう。

 

 風呂に入って、服を替えて、傷を確認する。

 

 それから、次のことを考えればいい。

 

 

 

 俺は暗渠を振り返らず、帰り道へ足を向けた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。