寄生虫と行く現代ダンジョン   作:脳タリン

80 / 145
第80話 受付番号

 

 

 合同庁舎の入口は、今日も普通だった。

 

 

 

 自動ドアの脇には消毒液が置かれ、床には案内矢印が貼られている。警備員は入ってきた人間へ順番に会釈していた。昨日の夜、夢の中で腹に槍が刺さっていた人間が来る場所としては、かなり現実的すぎる。

 

 

 

 俺は案内板を見上げた。異常空間民間調査員制度、五級仮登録者向け追加確認。会場は三階の小会議室。

 

 

 

 化け物か人間かで悩んだ翌日に、小会議室で受付番号を取ることになるとは思わなかった。考えてみれば、かなり日本らしい。

 

 

 

 三階へ上がると、廊下の一角に臨時受付が作られていた。長机の上にはノートパソコンと番号札の発券機が置かれ、その横に消毒液と注意事項の張り紙が並んでいる。職員が二人いて、来た人間へ順番に書類を渡していた。

 

 

 

「五級仮登録者向け追加確認の方ですか」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「登録証をお願いします」

 

 

 

 白い登録証を出す。

 

 

 

 職員は端末で確認し、俺の名前と番号を見た。何かを見抜いた様子はなく、手続きとして画面を確認しているだけだった。それでも、少し息が詰まる。

 

 

 

「ありがとうございます。こちらの問診票と確認事項をお読みください。受付番号は二十一番です。呼ばれるまで待合でお待ちください」

 

 

 

 番号札を渡された。二十一番という数字を見て、少し安心する。

 

 

 

 ここでは名前を呼ばれない。人間か化け物かも問われず、今は二十一番で済む。

 

 

 

 待合には、すでに十人ほどいた。年齢も服装もばらばらで、作業着の男、学生っぽい若い女、登山用のジャケットを着た中年、スーツ姿のまま来たらしい男が、同じように問診票を見て微妙な顔をしている。

 

 

 

 俺も空いている椅子に座り、紙を開いた。

 

 

 

 一枚目は、水門事案を受けた追加確認の説明だった。異常空間内からの生配信の扱い、同行者の安全確保、撤退指示の再確認、未確認入口への単独進入禁止。書かれていることはまともで、その分だけ昨日の自分には全部刺さる。

 

 

 

 二枚目は体調確認だった。

 

 

 

 異常空間活動後に睡眠へ支障が出ていますか。異常空間に関係する夢を見ますか。活動後、匂い、音、皮膚感覚などが残ることがありますか。異常空間への再進入衝動、または強い不安を感じることがありますか。

 

 

 

「……衝動」

 

 

 

 声に出しかけて、やめた。

 

 

 

 書き方が事務的すぎる。昨日の黒い階段の奥を思い出す。見たくないと思ったのに、目が離れなかった暗さ。あれも、この欄に丸をつける話なのだろうか。

 

 

 

 俺はペンを持った。睡眠への支障は少しある。夢も見る。匂いも残る。再進入衝動と不安についても、どちらかと聞かれれば否定できない。

 

 

 

 全部を正直に書くと、かなり面倒な人間に見える。かといって、何もないと書けば露骨すぎる。

 

 

 

 結局、「時々」と「軽度」に丸をつけた。嘘だけで埋めたわけでもなく、すべてを書いたわけでもない。いつものやり方だった。

 

 

 

「二十一番の方」

 

 

 

 しばらくして呼ばれた。

 

 

 

 小会議室の中には長机が三列並び、それぞれの席で職員が仮登録者と話していた。面談というより、追加説明と確認作業らしい。怒られる空気はなかったが、俺は勝手に背筋を伸ばした。

 

 

 

 担当の職員は、以前見たことのある人ではなかった。三十代半ばくらいの男性で、机の上に俺の問診票と確認事項を置く。

 

 

 

「戸張さんですね。本日は水門事案を受けた五級仮登録者向けの追加確認です。特定の方を対象にしたものではなく、該当する仮登録者の方へ順次実施しています」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 その一言で、肩の力が少し抜けた。

 

 

 

 俺だけを呼び出したものではない。それくらい分かっていたはずなのに、言葉にされるまで落ち着かなかった。

 

 

 

 職員は淡々と説明を進めた。水門事案では、銃火器で制圧しきれない敵性生物が確認されたこと。非戦闘員同行時の配置が見直されること。生配信は当面停止し、確認済み録画と遅延公開を基本とすること。五級仮登録者は、従来以上に撤退指示と進入範囲の確認を徹底すること。

 

 

 

 どれも、俺が隠している場所とは関係のない話だった。それでも、黒い階段を十段ほど降りた自分が、机の下で小さくなる。

 

 

 

「未確認入口を発見した場合、原則として進入せず、位置情報と状況を報告してください」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「仮登録期間中の単独活動は完全禁止ではありませんが、管理されていない異常空間への単独進入は非常に危険です。特に、階層の変化や未確認通路を確認した場合、自己判断で先へ進まないでください」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 昨日の俺に聞かせたい言葉だった。

 

 

 

 いや、聞かせたところで降りた気がする。下が通路か部屋か、それだけ見ると言って降りた。そういうところが駄目なのだと思う。

 

 

 

 職員は問診票に目を落とした。

 

 

 

「睡眠に少し影響があるとのことですが、活動後からですか」

 

 

 

「最近、少し寝つきが悪いです」

 

 

 

「異常空間に関係する夢を見る、にも丸がありますね」

 

 

 

「まあ、多少は」

 

 

 

「頻度としては週一回以上ですか」

 

 

 

 頻度という言葉が、妙に事務的だった。夢の中で槍に刺されるやつを、週次報告みたいに聞かれるとは思わなかった。

 

 

 

「……まだ、そこまでは」

 

 

 

「分かりました。悪夢が続く場合や、日常生活に支障が出る場合は相談窓口があります。こちらに記載されています」

 

 

 

 差し出された紙には、相談窓口の電話番号と受付時間が印刷されていた。

 

 

 

 本当に現代日本だ。化け物かどうかの悩みも、受付時間内なら相談できるのかもしれない。たぶん、相談内容に困る。

 

 

 

「活動後に匂いが残る感覚がある、と」

 

 

 

「はい。実際についているのか、気のせいなのかは分かりません」

 

 

 

「珍しくありません。異常空間内の臭気は強く記憶に残る場合があります。防護服や装備に付着していない場合でも、しばらく感じる方はいます」

 

 

 

「そうなんですか」

 

 

 

「はい。自己判断で消臭剤や薬品を大量に使う方がいますが、皮膚炎や吸入リスクがありますので避けてください」

 

 

 

 注意の方向がそこなのかと思ったが、大事ではある。俺は頷いた。

 

 

 

 次に、貸与装備の説明があった。水門事案後、記録担当や非戦闘員同行時の護衛配置が見直されること。武器類の持ち出し、私物化、改造は従来どおり禁止。貸与品は活動後すぐ返却し、破損時は隠さず申告する。

 

 

 

「現地の物を武器として使用した場合も、退場時に申告してください」

 

 

 

「現地の物」

 

 

 

「石、棒、金属片、敵性生物の残留物などです。使用自体が直ちに違反になるわけではありません。ただ、持ち帰りや投棄、他者への危害、採取物の未申告が問題になります」

 

 

 

 石まで制度に組み込まれている。俺の中の原始人部分が、少し肩身を狭くした。

 

 

 

「投石についても、周囲確認を徹底してください。跳ね返りや後方への誤射があります」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「人に向けないでください」

 

 

 

「それは、はい」

 

 

 

 当然すぎる注意なのに、紙に書かれると少し情けない。職員は真面目な顔で続けた。

 

 

 

「一部で、石を使った対処が有効とする切り抜きや投稿が出ていますが、模倣は非常に危険です。投げる、逃げる、拾う、という単純な行為でも、異常空間内では判断が遅れると負傷に繋がります」

 

 

 

「分かりました」

 

 

 

 蛮族ニキの罪が、制度側の資料になっている気がする。直接俺のせいと決まった話ではないが、心当たりは少しあった。

 

 

 

 面談の最後に、職員は定型の確認を読み上げた。

 

 

 

「最近、未申告の異常空間へ単独で進入したことはありますか」

 

 

 

 心臓が、嫌な跳ね方をした。

 

 

 

 職員の声も目つきも変わらない。全員に聞いているだけで、隣の机でも別の職員が似た文言を読み上げている。

 

 

 

 俺は一拍だけ遅れて答えた。

 

 

 

「ありません」

 

 

 

 嘘をついた。言葉は普通に出て、そのことが少し嫌だった。

 

 

 

 職員は頷き、確認欄にチェックを入れる。

 

 

 

「ありがとうございます。今後、未確認入口や未申告の異常空間に関する情報を得た場合は、自己判断で進入せず、担当窓口へ報告してください」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 昨日までの自分を考えれば、素直に返していい言葉ではなかった。それでも、ここで言えることは他にない。

 

 

 

 追加確認は二十分ほどで終わった。最後に、今後の講習日程と相談窓口、貸与装備の見直しに関する紙を渡される。俺はそれらを鞄にしまい、小会議室を出た。

 

 

 

 廊下の空気が軽く感じられた。何も見抜かれなかったからだろう。

 

 

 

 安心しているのか、さらに嘘を積んだだけなのか。その辺りは考えないことにした。

 

 

 

 一階へ降りる途中、自販機の前で足を止めた。水を買い、ペットボトルの蓋を開けたところで声をかけられる。

 

 

 

「すみません。五級の方ですよね」

 

 

 

 反射的に身構えかけた。

 

 

 

 声の主は、二十代後半か三十代前半くらいの男だった。派手ではないジャケットに、首から簡単な名札を下げている。名札には「仮登録者互助会準備会」と印刷されていた。

 

 

 

 もう、その時点で少し怪しい。男は俺の視線に気づき、苦笑した。

 

 

 

「あ、怪しい勧誘ではないです。と言う人間ほど怪しいのは分かっています」

 

 

 

「……何ですか」

 

 

 

「槙野と言います。自分も五級仮登録者です。今、仮登録者同士の情報交換会を作ってまして」

 

 

 

「情報交換会」

 

 

 

「はい。探索者ギルド、と言いたいところなんですけど、その名前でやると役所と警察と税務署に怒られそうなので、表向きは互助会です」

 

 

 

 妙に正直だった。

 

 

 

 俺はペットボトルを持ったまま男を見る。槙野と名乗った男は、名刺サイズのカードを一枚差し出してきた。そこには、仮登録者互助会準備会、連絡用のメールアドレス、参加用フォーム、注意事項が小さく印刷されている。

 

 

 

「活動記録の書き方とか、装備の返却で困った話とか、協力金の申告例とか、そういうのを共有したいんです。あと、撤退した話ですね。失敗談が一番ほしい」

 

 

 

「攻略情報じゃなくてですか」

 

 

 

「攻略情報も、将来的には。けど今それを前に出すと、無断進入の相談所になりかねないので。まずは戻った話と、怒られなかった報告書の書き方からです」

 

 

 

 変な言い方だが、分からなくはない。強い人間を集めるというより、事故らないための集まりに聞こえる。少なくとも、表向きは。

 

 

 

「今日来た人全員に声をかけてるんですか」

 

 

 

「全員ではないです。声をかけられそうな人に、できる範囲で」

 

 

 

「基準は?」

 

 

 

 俺が聞くと、槙野は表情を整えた。笑顔は残っているが、軽さが薄くなる。

 

 

 

「初回申請の時に、個別確認が長かった人。あと、今日みたいな追加確認にちゃんと来ている人です」

 

 

 

 ペットボトルを持つ手に力が入った。

 

 

 

「個別確認が長かったかどうかなんて、分かるんですか」

 

 

 

「正確には分かりません。なので、かなり雑です。会場ごとに知り合いに見てもらって、入った時間と出た時間、顔の特徴を簡単にメモしてもらっただけなので」

 

 

 

「それ、かなり怪しくないですか」

 

 

 

「怪しいです」

 

 

 

 即答だった。

 

 

 

「ただ、登録者同士の横の繋がりを作るなら、早めに経験者を拾わないと間に合わないと思ったんです。長く残った人が全員すごいわけじゃないし、短時間で帰った人の中にも経験者はいると思います。でも、何もないよりはましです」

 

 

 

 正直に言われると、余計に困る。

 

 

 

 こいつは寄生体も、暗渠も、黒い階段も知らない。見抜いたから声をかけたのではなく、外から見える時間と顔だけで俺を候補に入れた。

 

 

 

 理屈ではそれだけだと分かっているのに、触られたくない場所を見られた気がした。

 

 

 

「何が目的ですか」

 

 

 

「半分は、普通に互助会です。単独で突っ込んで死ぬ人を減らしたい。制度側に聞きにくいことを聞ける場所も要ると思っています」

 

 

 

「もう半分は」

 

 

 

 槙野は少し笑った。

 

 

 

「ゲームのギルドに憧れてました」

 

 

 

 言い方が、あまりにも素直だった。

 

 

 

「依頼があって、情報が集まって、装備の相談ができて、帰ってきた人間が飯を食いながら失敗談を話す場所。ああいうの、好きだったんです。でも現実にやろうとすると、まず法律と責任と税金と保険と銃刀法と採取物の所有権が来る」

 

 

 

「夢がないですね」

 

 

 

「現実なので」

 

 

 

 槙野は肩をすくめた。

 

 

 

「でも、だから面白いとも思っています。ゲームのギルドをそのまま作るんじゃなくて、今の日本で怒られない形に削っていく。削りすぎると、ただの連絡網になるんですけど」

 

 

 

 少しだけ分かってしまった。

 

 

 

 俺も、ダンジョンなんてものが現れなければ、会社を辞めて暗渠に潜るような人間ではなかった。ゲームみたいなものが現実に出てきて、心が動いた側の人間だ。

 

 

 

 俺は体ごと踏み込み、こいつは名簿と連絡網で踏み込もうとしている。やり方は違うが、引っかかったものは似ているのかもしれない。

 

 

 

「参加すると何をするんですか」

 

 

 

「今は聞くだけでも大丈夫です。匿名でも構いません。ただ、違法な情報共有はしません。未確認入口の場所を回すとか、採取物の闇取引とか、貸与武器を持ち出す相談とか、そういうのは切ります」

 

 

 

「本当に切れますか」

 

 

 

「切りたいです」

 

 

 

「言い直しましたね」

 

 

 

「できると言い切ると嘘になるので」

 

 

 

 信用できるのかは分からないが、できると即答する人間よりはましかもしれなかった。

 

 

 

 俺はカードを受け取った。

 

 

 

「考えておきます」

 

 

 

「それで十分です。無理な勧誘はしません。あ、あと」

 

 

 

 槙野が声を落とした。

 

 

 

「あなたみたいに、個別確認が長かった人は警戒すると思ってました。なので、ここで断っても追いません。連絡するかどうかは任せます」

 

 

 

「だったら、最初から声をかけなければいいのでは」

 

 

 

「声をかけないと、繋がれないので」

 

 

 

 槙野は、少し照れたように笑った。

 

 

 

「ギルドって、最初は誰かが声をかけないと始まらないじゃないですか」

 

 

 

 その言い方は、ずるい。

 

 

 

 俺はカードを鞄に入れた。警戒する理由は増えたし、善意だけで動いている人間とも思えない。俺を勝手な基準で候補に入れていた事実も変わらなかった。

 

 

 

 それでも、捨てる気にはなれなかった。

 

 

 

 庁舎の外へ出ると、昼過ぎの光が少し眩しかった。鞄の中には、追加確認の紙と、互助会準備会のカードが入っている。

 

 

 

 人間側の手続きと、ゲームに憧れた名刺。形は違っても、どちらも紙だった。

 

 

 

 紙ばかり増えていくと思いながら、俺は駅へ向かって歩き出した。

 

 

 

 黒い階段の奥へ行くつもりは、今のところない。その代わり、鞄の中には別の入口が一つ増えていた。

 

 

 

 人間が作ろうとしている、少し怪しい入口だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。