寄生虫と行く現代ダンジョン   作:脳タリン

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第87話 囲い込み

 

 

 正式五級への登録は、驚くほどあっさり終わった。

 

 

 

 合同庁舎の会議室に集められ、本人確認をされ、登録証を出し、説明資料を受け取る。席は番号順ではなく、受付を終えた順だった。前の時のように、受付番号二十一番という数字が頭に残ることもない。

 

 

 

 会場には三十人ほどいた。年齢も体格もばらばらだ。明らかに鍛えている人間もいれば、俺と同じように普通の服で来ている人間もいる。妙に姿勢の良い男、落ち着きなく資料をめくる女、隣同士で小声で話す二人組。全員が五級仮登録者で、今日から正式五級になる候補者だった。

 

 

 

 職員の説明は、徹底して事務的だった。

 

 

 

 正式五級登録者は、管理済み低危険度区域における活動範囲が一部広がる。装備貸与の種類が増える。活動後の報告義務は細かくなる。採取物は退場時に申告する。健康確認と心理確認は、定期または必要時に実施する。違反があれば、活動停止や登録取消の対象になる。

 

 

 

 怖がっていた健康確認は、その場で採血されるようなものではなかった。今日やるのは問診票と既往歴の確認、今後の検査予定の説明だけだ。心理確認も同じで、詳細な面談は必要者または希望者から順次実施されるらしい。

 

 

 

 拍子抜けした。同時に、肩透かしに安心しきれない自分もいた。

 

 

 

 今日何も見られなかったからといって、今後も見られないとは限らない。正式登録というのは検査が終わったという意味ではなく、検査される側として制度の中に入ったという意味に近い。

 

 

 

 採取物についての説明は、思っていたより踏み込んでいた。

 

 

 

 正式五級登録者は、管理済み低危険度区域で採取した物品を退場時に申告する。未分類、危険性不明、性質が安定していないものは、検疫検査、一時預かり、研究機関確認の対象になる。

 

 

 

 ただし、すべてが没収されるわけではない。簡易的な検疫検査を通った採取物は、本人への返却か、指定窓口を通じた売却を選べる。採取例が多く、安全性や取扱方法が確認されているものについては、検疫手続き自体を省略する方向で調整しているらしい。

 

 

 

 その説明で、会場の空気が少し動いた。

 

 

 

 誰かが背筋を伸ばし、誰かが資料の同じ部分を指で押さえる。正式五級という言葉が、そこで初めて仕事の顔をした。

 

 

 

 職員は、その反応を予想していたのだろう。すぐに次の説明へ移った。

 

 

 

 申告した採取物には、受付時点で記録番号が振られる。写真、重量、形状、簡易測定値が記録され、検疫、査定、返却、売却、一時預かりの各段階でも履歴を残す。職員、委託業者、研究機関、仲介業者による横領、すり替え、評価額操作、無断保管、横流しについては、異常空間関連物品の不正取扱いとして厳重に処分する。

 

 

 

 そこだけ、職員の声が少し強くなった。

 

 

 

「調査員の皆様が正しく申告した採取物を、制度側が不正に扱うことは、制度そのものへの信頼を損ないます。採取物を隠す動機を作らないためにも、この点は厳格に管理します」

 

 

 

 会場が静かになった。

 

 

 

 政府側も分かっているのだろう。ここで一度でも、検疫名目で採取物が消えた、安く買い叩かれた、職員に抜かれたという話が広まれば、誰も正直に申告しなくなる。

 

 

 

 調査員は減る。残ったとしても、持ち帰ったものを隠す人間が増える。それでは制度として失敗だ。

 

 

 

 申告すれば守られると思わせなければ、この仕組みはたぶん続かない。

 

 

 

 俺は資料の採取物の項目を見ながら、冷蔵庫にある透明な小瓶を思い出していた。暗渠に残してきた赤みのある小瓶二本と赤錆の山刀。雑木林で持ち帰った大型コボルトの魔石と牙。

 

 

 

 申告すれば守られるという仕組みは、これから採るものには意味がある。だが、すでに隠したものには遅い。

 

 

 

 説明会の後半では、守秘義務、報告書、装備返却、活動停止条件などが続いた。重要な話なのは分かるが、頭のどこかには採取物の説明が残っていた。

 

 

 

 合法的に売れる。所持も選べる。横領も罰する。思っていたより、制度は調査員を逃がさないために考えている。

 

 

 

 最後に、正式登録を希望する者はその場で確認書に署名し、登録証の更新手続きをするよう案内された。辞退や保留もできる。

 

 

 

 何人かは席を立たず、資料を見たまま悩んでいた。俺は少し迷ったあと、署名した。自分でも、思ったより早かった。

 

 

 

 新しい登録証には、五級正式登録者と印字されていた。

 

 

 

 カードとしては軽い。財布に入れれば、それで終わるくらいの薄さだ。だが、そこに書かれた文字は、思ったより軽くない。

 

 

 

 合同庁舎を出ると、外の空気が少し冷たかった。

 

 

 

 まだ昼過ぎだ。駅へ向かう人の流れに混じりながら、俺はすぐに違和感に気づいた。

 

 

 

 庁舎の敷地外や歩道の端、近くのカフェの前で、調査員らしい人間に声をかけている者が何人もいる。スーツ姿、清潔感のある白い上着、首から名札のようなものを下げた人間。医療連携、研究支援、健康モニタリング、装備開発、安全管理協力。聞こえてくる言葉は、どれも綺麗だった。

 

 

 

 声をかけられているのは、分かりやすく体格の良い男が多い。肩幅があり、首が太く、立ち方に無駄がない。さっき会場で見た顔もいた。資料袋を持ったまま、医療関係者を名乗る女に説明を受けている。

 

 

 

「活動後の疲労状態や睡眠の記録だけでも」

 

 

 

「正式登録者の方を対象に、初期協力者を探していまして」

 

 

 

「研究目的ですが、謝礼もご用意できます」

 

 

 

「将来的には装備提供や優先モニターの枠も」

 

 

 

 なるほど、ここで囲い込みをかけるのか。俺は妙に納得した。

 

 

 

 正式登録の会場に来る人間は、少なくとも講習を受け、追加確認を通り、制度側から候補者として呼ばれている。完全な一般人よりは信用できる。しかも、今は登録が終わった直後だ。気分が少し浮いている者もいる。正式五級という言葉に、何かが始まった感覚を持っている者もいるだろう。

 

 

 

 そこで医療や研究、装備、将来性、謝礼、実績という言葉を並べる。理にかなっていて、嫌になるくらいだった。

 

 

 

 俺の方にも、一人近づいてきた。三十代くらいの男で、白い上着の下にシャツを着ている。医師というより、医療系企業の営業に見えた。

 

 

 

「本日正式登録された方ですか。活動後の体調変化に関する記録協力をお願いしていまして」

 

 

 

 丁寧な声だった。

 

 

 

 俺は反射的に資料袋を持つ手に力を入れた。体調変化や睡眠、疲労の記録を求められ、その先では血液や回復、神経、異常反応まで調べられる気がした。

 

 

 

「すみません。急いでいるので」

 

 

 

 それだけ言って、歩みを止めなかった。

 

 

 

 男は無理に追ってこなかった。慣れているのだろう。すぐに別の調査員へ視線を移した。

 

 

 

 薄く網を張っている。引っかかれば話をし、引っかからなければ次へ行く。悪意があるかどうかは分からない。むしろ、本当に医療支援や研究協力なのかもしれない。

 

 

 

 だが、条件が雑なら危ない。槙野の声が頭の中で戻ってきた。

 

 

 

「まあ、槙野さんの方が一枚上手だな」

 

 

 

 小さく呟いてから、自分で少し驚いた。ここ数日で、あの胡散臭い男の人となりが、少し分かってきたからかもしれない。

 

 

 

 企業や医療関係者は、正式登録が終わったこの場所で、見た目に調査へ入れそうな人間へ声をかけている。筋肉がある者、若い者、落ち着いている者、単独で動いている者。使えそうな人間を選んでいた。

 

 

 

 槙野は、その前から拾っている。

 

 

 

 仮登録者の段階で、撤退報告を書ける人間、相談できる人間、ルールを読む人間、戻ることを恥にしない人間を集めていた。体格や見た目ではなく、戻ってくる側の性質を見ていた。

 

 

 

 どちらも囲い込みではある。ただ、向いている先が違う。

 

 

 

 企業の誘いは甘い。実績を残せれば、将来は安泰かもしれない。名誉も手に入るかもしれず、普通の会社員では届かなかった金や立場へ手が届く可能性もある。

 

 

 

 だが、輝いて見えるものは、その下を隠す。

 

 

 

 調査に失敗して身体を壊した人間や、記録だけ残って名前の消えた協力者がいるかもしれない。条件を読まずに受け、事故のあとで自己責任という文字だけを渡された者も、表には出にくいだろう。

 

 

 

 栄光の下にある屍は、だいたい見えない場所に積まれる。

 

 

 

 槙野に先に声をかけられた人間は、幸運なのかもしれない。少なくとも、最初に聞かされるのが名誉や謝礼や将来性ではなく、撤退と契約の怖さだからだ。

 

 

 

 俺は駅へ向かいながら、財布の中に入れた正式五級登録証を意識していた。

 

 

 

 それは許可証に近い。同時に、札にも見える。入っていい場所を示し、外からも見つけやすくなる札だ。

 

 

 

 財布の中へしまったはずなのに、妙に外から見えている気がして、改札を抜ける前に一度だけ振り返った。

 

 

 

 合同庁舎の前では、まだ何人かが声をかけられている。登録はあっさり終わったが、その外側ではもう、人間の取り合いが始まっていた。

 

 

 

 俺は登録証の入った財布を上着の内側に押し込み、駅の中へ入った。

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