「あ、これまずいのでは?」
と、私はテレビを見ながら呟きました。
液晶の中では、赤色タイツの人間が縦横無尽に飛び回っています。
大企業のビルに張り付きます。
かと思ったら、次の一瞬に鉄骨へと飛んでいます。
かと思ったら、撮影ヘリに蜘蛛の巣を飛ばして『ぴょんぴょんぴょんぴょん』跳ねまわります。
上、左、下、右。跳弾——というよりは跳躍でしょうか。
「はは、はははは」
乾いた笑いと共に、私はリモコンの赤いボタンを押します。
私は今しがた洗濯した
「これ、とてもマズいのでは?」
*
私はニューヨーク育ちの女の子です。
名前は匿名という事でお願いします。私のようなモブキャラに名前も役名も必要ありません。
私が住むニューヨークという都市では、まあまあ頻繁に少しだけ犯罪が起こります。
端的に言うのなら、多少治安が悪いのです。
先日の事でした。
私がお気に入りのバーガーショップに向かっていると、角の生えた人間と出会ったのです。
確か……『俺の名前はライノだー! この袋に金を詰め込めー!』なんて言ってました。
灰色のダサいスーツだなぁ——なんて考えながら無視して歩いていると、目の前にあったお気に入りのバーガーショップが爆発しました。
文字通り爆発です。
私は唖然と眺めていました(爆発したバーガーショップの看板)。
すると爆発の影響で、瓦礫が私の頭上に飛んできたのです。
死を悟って目を瞑り——気が付くと、赤いスーツの男が私を担いでスウィングしていました。
私は命を拾いました。
ですが、問題はここからです。
その後日の事です。
私が住むニューヨークのマンション、その一室で。
彼氏が——窓から入ってきたのです。
その光景を眺めて、私は唖然としていました。
怪我をしてボロボロの彼氏、鞄の中身は頑なに見せようとせずに、私に抱き着くように眠りに堕ちました。
もちろん、私は節操のない女なので、鞄の中身を拝見させてもらいました。
そして、見つかる赤いスーツ。
やばいって。
おっと、敬語が崩れてしまいました。
端的に言うのなら、これはとてもマズい状況です。
*
「どうしましょう!? スパイダーマンと言ったらカノンイベント!? 身近な人は不幸になって手当たり次第不幸になって! 最後の最後は彼女まで毒牙にかかります!!」
カノンイベント。
親愛なる隣人には必ずこのイベントが発生します。
身近な人が手当たり次第に不幸になっていくのです。
まずは家族関係が手当たり次第にイカれて、次に親友が持っていかれます。
それと比べたら確率は低いですが、彼女も持っていかれます。
付け加えるなら、初めてできた彼女は高確率で死にます。
「マイル―ス!!! 早く映画を公開してくださいよ! 私の生死がかかっているんですよ!? スタン・リー!、貴方のせいで私の人生は滅茶苦茶! カノンイベントなんていう当事者からしたら迷惑極まりない文化を作らないで下さーーい!!!!」
貴方のせいで蜘蛛男の家族は軒並み死んでいるんですよ?
いや本当に悪いのは、その後カノンイベントを文化にした人なのかもしれませんが……!
「マイルス…………? 2023年公開じゃないんですか? なんで、なんで、まだ公開しないの? あれから三年放置ってどういうこと……?」
カノンイベントの解決は彼に任されているんですよ?
彼が三年もファンを放置するせいで、白黒映画の蜘蛛男は妻を亡くしました。
そして、気が付きます。
「あっ……妻死んでる」
私は咄嗟にトイレに駆け込み、堪える吐き気を解放しました。
*
「なんとか解決しなくては……」
私は淹れたてのチャイ・ティーを飲みながら、窓の外を眺めます。
ちなみに、彼氏(スパイディー)は私のベッドで寝ています。
「カノンイベントとはつまり……スパイダーマンの覚悟を決める必須のイベント……。それで死ぬのは大体家族……低い確率で親友や彼女……」
恐らくですが、まだ彼はカノンイベントを経験していないはずです。
彼の赤いスーツはお世辞にもよくできているとは言えません。ただの赤い服に溶接工具のゴーグル。
これは序盤も序盤の証です。
「一先ず……カノンイベントが起きるまで彼から離れる……? でもそしたら、彼の叔父さんや叔母さんが……」
ダメです。八方ふさがりです。
私は頭を抱えます。
どうして……彼と付き合ってしまったのでしょう。
ここがあのNYだという事には早々に気が付いてはいたのです。
ですが、私はただのモブです。できる限り危険なフラグを踏まないように回避していれば、NYでもそれなりに平和に生活ができると踏んでいたのですが……。
やっぱり、ピーター・パーカーと付き合ってしまったことに最大の問題があるのでしょう。
いや、私も最初は『あ、これマズイな』とは思ったんですよ?
ここが危険なNYだというのは知っていましたし、スパイダーマンの存在も知っていました。その内スパイダーマンが生まれるんだろうなーって……。
でも……ピーター・パーカー(名前が似てるだけだと思っている彼氏)がピーター・パーカー(スパイダーマン本物)だとは思わないじゃないですか。
油断した。
完全な慢心と油断です……。
「はー……別れたくはないですし……」
と、私が大きなため息を漏らしていると——背後の扉がガチャリと開きました。
「どうしたの?」
「ひぃ!?」
「何を急にそんなに驚いてるんだい?」
ピーターが私の背後に陣取っていました。
以前まではここまで機敏な動きではありませんでした。
私はビクビクと立ち回りを考えながら、言葉を紡ぎます。
「あ、あーのー? 昨日は大丈夫でしたか? 窓から入られた時は驚きましたよ」
「もちろん。少し野犬に追われてさ。焦って入ってきただけだから」
いや、それ嘘でしょう貴方。
窓から入ってくる奴は大体スパイダーマンなんですよ。
「あれ? そういえば僕のカバンはどこに——」
彼は鞄を探そうとウロウロ歩き出しました。私は洗濯された赤いコスチュームへと視線を送ります。
途端、ビクリと肩を揺らす彼。
「あー……これは……」
「先日、テレビでやっていた蜘蛛男ですよね? あれの——ファンなんですか?」
「あ、そうそう! 僕、昨日助けられてハマっちゃってさ! 彼のファンになったんだ!」
「ミーハーなのはいい事だと思いますよ」
スパイダーマンの約束事その一。
——絶対にスパイダーマンの正体を知るな。
スパイダーマンの中身を知った人間は、殆どが死に至ります。
もしくは仲間になるか、記憶が消されます。
しかし、それはレアケースなので中身を知らないフリに徹することに越したことは無いでしょう。
アベンジャーズとか親友だったらギリセーフなんですけど……彼女枠は大体碌なことになりません。
「はあ……」
これからは死亡フラグを立てないように慎重に動くしかありません。
死なないように立ち回り、その果てにどうにか幸せを掴みたいものです。
大丈夫。
私には知識があります。
きっといけるはずです。
ですが……神妙な面持ちで赤いスーツを眺めているピーターを見ると——ふと、ある言葉が脳裏を過ってきました。
邪念です。邪念でしかありません。
この言葉は口にしてはいけません。
致死率百パーセントの毒です。
ですが——
「言いたい……!!」
私がポツリと言葉を漏らすと、ピーターが振り返りました。
「どうしたの?」
「難しい問題に直面しているんですよ……!」
「???」
その言葉は、長年に渡って語り継がれてきたスパイダーマンを象徴する言葉。
ここまで言えば、わかる人にはわかるのでしょう。
私は、私は————
「ピーター……」
「今日はいつもと違うね? 大丈夫?」
ガシリ、と彼の両肩を掴みます。
普通なら、それは甘い恋の予感——否、これは死のカウントダウン。
私は彼を真っ直ぐに見つめ、力強く言葉を解き放ちました。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
「へ?」
「……と、思います」
あー……、やっちゃいました。
死ぬな、生きろ。