「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
あまりの形相に私は悲鳴を上げてしまいます。
でも、大丈夫。落ち着きなさい私。
相手はただの強盗犯です。殺人鬼でもなければ有名なヴィランでもありません。
わざわざ私を殺す理由なんてどこにも……。
強盗犯は私の手元に視線を落とします。
「てめぇ、拳銃を持って……!?」
グロック!!
そういえば私の手にはグロックが握られているのでした。
「いや、これは違っ——!?」
私は咄嗟に否定の言葉を叫びます。
ですが、興奮状態の強盗犯は聞く耳など持たず、私に向かって容赦なく拳銃を構えました。
反射的に身を屈め、射線上から逃げようとします。
————バン、と。
空間を引き裂くような銃声が、夕闇の世界に響き渡りました。
「……あ」
ガクン、と膝から脚が崩れ落ちます。
腹部に広がる熾烈な痛みは、当然——銃撃を受けたからでしょう。
私がゆっくりと視線を落とすと、服の上からでもはっきりと分かるほど、鮮やかな赤に染まりあがっていました。
マジか。
「ぁぁ……」
力が抜けて横に倒れます。
バタバタと遠ざかっていく足音は、恐らくですが強盗犯のものでしょう。
力なく息を吐いて、夜空を眺めます。
途切れ途切れの視界の中で眺める夜空は、それはもう酷く綺麗なものでした。
「ああ、そんな、嘘だろ……!」
瞳を瞑りかける頃、どこからともなく声が届きます。
私を囲む野次馬をかき分けながら、誰かが傍に寄ってきます。
「僕の彼女だ!! どいてくれ!!!」
激しい耳鳴りと頭痛が支配する中、私の視界に現れたのは彼でした。
ピーターは私のすぐ傍に膝をつき、私の肩を強く掴みます。
「ピーター……」
「そんな……僕のせいで……」
「……大丈夫、です」
薄れかける意識の中で、私は言葉を残します。
ピーターの目尻に涙が溜まり、それは雨となって私に降りかかってきました。
「ピー……ター……」
最後にそう言葉を残して、私は静かに瞳を閉じました。
すぐに彼は、どこかへと去っていきました。
*
「恥に埋もれて死ぬかと思いました」
と、私は研究室で鬱憤を晴らします。
友人Rは私の話を聞いてカラカラと笑っています。
——事後報告。
端的に言うと、私は死んでなどいませんでした。
確かに拳銃を一発腹にもらいましたし、腹部が赤く染まったことは間違いではないのですが。
「どう? やっぱり私が隠しておいた血糊は正解だったでしょ?」
血糊。
腹部に仕掛けていたそれが、強盗犯の弾丸を受けて破裂したようでした。
当然、私は防弾ベストに仕掛けられた血糊なんて知りません。
あの時は確実に死んだと思いましたよ。
しかも何が悪いって……。
「救助隊が貴方を運ぼうとして、貴方が何食わぬ顔で立ち上がった時は腹を抱えて笑ったわ」
そういうことなのでした。
「やはり日本は最高ね」
「私からしたら最悪ですけどね……」
どうやら、この作戦は日本のアニメから閃きを得たようです。
今度、そのアニメを個人的に見てみることにしました。
「はぁ……」
カタ、と私はティーカップを口に運びます。
まあ色々とありましたが、本来の目的であるカノンイベントの回避には成功しました。
あー美味し、チャイ・ティー美味しいー。
新聞に防弾ベスト女として一面を飾りましたが、あーチャイティー美味し~
これから『実は生きていたよ』とピーターに伝えないといけないのですが、あーチャイティー美味し~
「はあ………………」
私は何度目かわからないため息をつきます。
チャイティーを片手に、小さく言葉を吐きました。
「やっぱり……」
私は億劫な気持ちでテレビを見据えました。
そこにはスパイダーマンが映っており、私はそれを眺めながら薄く笑って、言葉を漏らします。
「カノンイベントがクソ過ぎる」
「強引なタイトル回収に成功!!」
*
液晶の中では、赤色タイツの人間が縦横無尽に飛び回っています。
大企業のビルに張り付きます。
かと思ったら、次の一瞬に鉄骨へと飛んでいます。
かと思ったら、撮影ヘリに蜘蛛の巣を飛ばして『ぴょんぴょんぴょんぴょん』跳ねまわります。
上、左、下、右。跳弾——というよりは跳躍でしょうか。
一つ違うのは、以前の自作スーツから一変したこと。
完璧で、洗練された、クールな赤いスーツ。
彼は一体、どこであのようなものを手に入れたのでしょうか。
「ふふっ」
彼のスパイダーマンとしての物語は始まったばかりなのでしょう。
恐らくですが、きっとカノンイベントはまた振りかかってきます。
それでも、きっと、また回避できるはずです。
私はそんな淡い希望を抱きながら、日常に戻っていくのでした。
『完』
「はあ」
隣から重いため息が聞こえた瞬間。
液晶が黒に染まりました。
私が隣を見据えると、そこには不機嫌そうな友人R。
彼女はため息と不穏な怒りを交えながら、言葉を吐き捨てました。
「スパイダーマン、ね。自警団気取りのタイツ男。警察権力も無いくせに好き放題して……それって犯罪者と何が違うんだろうね?」
「——」
「って言うのは冗談。私は彼に賛成~」
「急に恐ろしいことを言わないでください……。既に『完』の文字は出させてもらっているんですよ?」
「なんて?」
貴方がヴィランにでもなるのかと思ったじゃないですか。
不穏なセリフを吐かないでください。
もう、この物語は幕を閉じたんですよ。
カノンイベントは回避して、あとは彼——スパイダーマンの物語ですので。
私達のようなモブキャラは盤外に隠居しましょう。
まあ……私と比べると……貴方は少しだけモブキャラと呼ぶには相応しくない感じがしますが……。
……あれ。
「ははっ——」
カラカラと彼女は笑いながら、ティーカップのフチに唇を当てます。
その様子を眺め胸をなでおろした、その直後。
————彼女はティーカップを滑らせ、床へと落としてしまいます。
「ぁ」
「——」
「ごめんごめん」
彼女は慌てた様子で破片を片付けます。
そして、手のひらに集まった陶器の破片をじっと見つめながら、薄く侮蔑を孕んだ微笑みで呟きました。
「はは、最近体の調子が悪くてさ。彼を見てると……少しだけ羨ましく思うよね。あそこまでの身体能力は……」
「いえ、それは……」
私の心臓は、激しく脈を打ち始めました。
バクバクと、ドキドキと。嫌なほどに胸が高鳴り、うるさいほどに鳴り響いて。
喉が急激に渇きます。水分を補給したいのに、身動きが取れません。
「あのっ」
私は恐怖と、抗えない直感から、気がつくと口を開いていました。
「貴方の、お名前は?」
友人R。
この際ですので公開しますが、彼女の名前は——リブ。
それは一種のあだ名のようなもので、私は彼女の本名というものを何も知らないのでした。
「? ……私の名前? ああ、そういえば言ってなかったね。別に隠してるわけじゃないんだけど、あんまり好きじゃないんだよね。なんていうか、ふざけすぎ?」
「なるほど……?」
「ま、貴方ならいいか」
鼻で笑いながら、彼女は己が名前を告げます。
「私の名前は——」
彼女は、私と同じ大学のよしみで、大学の研究室を借りて特許をいくつかとっている特大の天才。あるいは私の友人。大学で初めてできた友人で、旅行も課題の締め切りすら共にした友人。そう、ただの友人です。彼女は、ただの——
「——ドクター・オリヴィア・オクタビアス」
そう、彼女は砕けた破片を指先で弄びながら、その名前を告げました。
生きた。