ネフェルピトーに執着されるだけ   作:おいかぜ

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とんでもない量のエロ感想と大量のヒソカでワロてしまいました。健全なバトルの決着だったのに……。
僕がヒソカに仕込んでいた原作タイトル回収にも言及していただけて地味に嬉しかったです。
 
 
 



十話 未明

 目を覚ましたとき、自分の目が覚めたことに首を傾げた。

 

 首元に痛みを感じて鏡を見る。しっかりと歯型の痣ができていた。

 左肩の傷を確認すると、そこにもう印は残っていなかった。より目立つ場所へ移動したらしい。まあ、いっそ隠すことに諦めもつく。

 

 日付と時刻を確認する。

 半日以上眠っていたらしい。大きな怪我もないのに恥じ入るばかりだ。

 身体のあちらこちらに包帯が巻かれていたが、動くのに支障はなかった。

 

「あ、リグ。早く来てくれよ」

 

 仮設の病室を抜け出すと、ちょうどキルアと出くわした。彼は俺の首元に視線をやってから、何事もなかったように右手をあげた。

 

「何か問題でも?」

 

「ピトーだよ。結局揉めてるんだ」

 

「宮殿へ抜けられたんだろう?」

 

 時間は稼いだが、負けた。モラウたちには事前に連絡も入れていたし、最善は尽くしたつもりだが、結果として有効打も入れられずに敗北したわけだ。

 そのまま正面突破されて宮殿へ抜けられただろう、と考えていた。予想通りに死者の念が発動したか、あるいは単に死体が増えて待機時間が伸びたか。

 

「いや、それは解決したんだ。ピトーは防毒装備をした上で宮殿に入ることを受け入れたから」

 

 なんだそれ、と思わず零した。キルアは苦笑し、後頭部で両手を組む。

 

「ダンナが気にしてたぜ。一人で任せちまったって」

 

「それが役割だったろ。お互い様じゃないか」

 

「まー、一旦終わった後だったからな。オレは割り込み損ねたし」

 

 キルアに導かれるまま、仮設の拠点を移動する。どうやらペイジンではなく、まだ宮殿の方に拠点を置いているらしかった。幾つか理由を考えてはみたが、まだ宮殿の処理が終わっていないことと、ネフェルピトーを抱えていること。この二つが大きな理由だろうと当たりをつける。

 

「ピトーなんだけどさ。三ヶ月間監視をつけて、問題なければ自由らしい」

 

「随分甘い処置だな」

 

「降伏したとはいえコルトには監視もついてないし、他にも逃げたキメラアントだっているんだぜ? 停戦中だから監視って扱いだ。軽くねぇよ」

 

「そりゃそうだが。どっちかと言うと感情論を振りかざすイメージだったハンター協会が、良く許したな」

 

「それどころじゃないんじゃないの? ジイさんが死んじゃったから次の準備なんでしょ?」

 

「政治ね。嫌な話だ」

 

 拠点に入ると、協会から派遣されてきただろう事務処理担当とモラウが揉めていた。早速予想通りの光景に頭が痛くなる。

 

「おう、リグ。目が覚めたか。昨夜は良くやった」

 

「どうも。何揉めてるんですか?」

 

「ピトーの監視役の選定についてだ。名前も知らんカスばかり挙げて来やがるもんでな」

 

「いっそ誰がやっても変わらん気がしますが」

 

「……お前さんがやってもか?」

 

「止められる訳じゃないんでね」

 

 正気を保てれば充分だろう、と言うと、モラウは首を竦めた。キルアとモラウ。この二人の反応から、裏で進んでいるだろう流れは概ね理解できてしまった。

 

 俺にとってそれが良いことかどうか、しばらく考えて、既に答えは出ていたと思い直した。

 

 ゴンの姿を探していると、ついでにカイトを見つけた。右手は普通に動かせているように見える。

 

「ああ、これか? 少なくとも9割は戻りそうだ」

 

「なら良かった。引退されると取り立てにくくなるからな」

 

「……とりあえず、いつもの所でいいか?」

 

「今回ばかりは高いメシを奢ってもらいたいもんだね」

 

「ふん。いい思いもしてるみたいだが」

 

 ゴンが安堵の息を吐いていた。

 医者の腕が良かったのもあるだろうが、やはり念能力者というのは存在が既に超人級なのだ。既に指先の細かい作業も少しずつこなしているようだし、もし実力が100%戻らなかったとしても、シングルハンターとして十分な域には戻せるだろう。

 

 いつもの通り、雑で面倒な依頼の対価に食事でも奢らせるつもりだったが、今回ばかりは高くつけることを決意した。これくらいは許されるはずだ。

 

「代わろうか?」

 

「御免だね」

 

 俺の傷跡を見て、カイトは心底愉快そうに笑った。

 

「いいハンターってのはキメラアントに好かれちまうもんだ」

 

「他人事だと思いやがって」

 

 カイトの尻に蹴りを放つが、ひらりと躱された。

 改めてゴンを見下ろした。何も捨てることなく、ユピーとの激戦を乗り切った主人公。物語としての面白みには欠けるかもしれないが、この方が良いと思う。

 俺はついぞユピーやプフと対面することなく終わってしまったが……

 

 彼はまず間違いなく一皮剥けたことだろう。ゴンが重い誓約を背負わなかったことでゾルディック家の騒動や選挙がどうなるかは未知数だが、少なくとも選挙の大局は変わらないだろうし、ゾルディック家に関してもキルアの針が取れた今、何かしらは起こることだろう。騒動の引き金は残されている。

 

 ここまで来たら乗りかかった船だ。先の見えない、未知なる旅路に飛び込む覚悟はできている。そもそも、ゴンに出会う前もそうだったのだから大したことではないのだが。

 

「リグさん。オレ、ピトーと話したよ」

 

「どうだった?」

 

「うーん、ちょっと納得はした、かも。キメラアントには嫌な奴も、メレオロン達みたいに分かり合える人もいたけど、オレとピトーはちょっと相性が悪いみたい」

 

「……ゴン。あまり知ったような口は利きたくないが、仮にコルトやメレオロンが女王の師団長のままだったら仲良くできたと思うか?」

 

「……分かんない」

 

「どれだけ人間臭くても、たとえ元は人間であっても、アイツらはキメラアントだ。アリなんだよ。社会性昆虫としての絶対的なプログラムがあって、その上に獣や人間の意志が載ってるだけだ。それを無視して付き合うことは、アイツらにとっても不誠実だろ」

 

「そうかな。メレオロンはもう完全に人間って感じがするけど」

 

「役割から解放されたかどうかだと思ってるが……まあ、分からんな。あれもこれから人間臭くなるのかもしれないし、ずっとあの調子かもしれない。役割や本能に忠実でもいいやつはいるし、人間臭くても悪いやつはいる。コルトはいいやつだが、ヂートゥとは仲良くなれる気がしなかった」

 

 カイトが椅子に座ったので、俺とゴンも席についた。キメラアントとの交流のやり方を議論する意味は薄いだろう。水掛け論にしかならないし、俺もゴンも、大概偏った見方をしているだろうから。

 

「話半分でいいぞ。俺も歪んでるからな」

 

「オレも自分の腕をぶった切った奴と仲良くする気にはならんからな」

 

「嘘つけ。お前はそういうことするやつだよ。幻獣ハンターなんてやってるんだから」

 

「どうかな。オレには、もう人間に見える」

 

「ああ、なるほどね。案外俺は人でなしなのか?」

 

「今更だろ」

 

 食事をしながらしばらく話をしていると、キルアが顔を見せる。彼は空いた席にどっかりと座り込むと、ゴンの皿に乗っていたパンを一欠片盗み食いした。

 

「あ」

 

「ピトーの監視役が来たぜ」

 

「協専のハンターか?」

 

「だってさ。見たとこ、一日持ちそうにないな」

 

「その協専ってなに?」

 

「雑に言えば、ハンター協会が政府・企業から依頼された仕事を専門にしてる奴らのことだな。もちろん実力はピンキリだが、目的もなく安い仕事ばかり請け負っている奴らだ。残念ながら、キリが多い」

 

 失敗すれば死が待っているような世界で、成功失敗を問わず報酬が出るような依頼ばかり選んでいる奴らだ。評判は悪い。

 ハンター協会にとって政府は上客であるから、相応の実力者は揃っているはずだが、その割に悪い噂しか聞かないのは、下層の連中のプロ意識が薄いからだろう。

 

 オレはと言うと、連中とあまり関わったことがない。仕事を振るような立場でもなければ、そもそも幻獣ハンターなんてものは辺境に引きこもっているからして。

 

「ゴン、何日持つか賭けようぜ。オレ一日」

 

「えー」

 

 クソガキめ、とカイトの目が笑っていた。

 

 

 監視役の着任は昼で、離任は同じ日の夜だった。

 理由は本人が報告書に書いている。曰く、「対象と同室で意識を保つことが困難」。

 

 二人目は翌日にやってきた。自信はたっぷりだったが、一人目と同じ結果になった。

 モラウが言うには、あれを雁字搦めに縛ろうとして逆に心を折られたらしい。

 

 三人目は二人目が折れる前に用意されていた。

 反対を押し切り建物に爆弾を仕掛けるほどの徹底ぶりで、三日耐えた。いざとなれば心中するつもりだったらしい。ピトーに一瞬で爆弾が解体され、任務の続行不可を悟ったそうだ。

 

「で、リグに白羽の矢が立ったわけだ」

 

「モラウさんは最初から俺にやらせる気だっただろうな」

 

 キルアが目を逸らして口笛を吹いた。

 

「俺はパームでいいだろって言ったんだぜ」

 

「パーム? ……無事だったのか?」

 

「あれ、聞かされてないの? アイツ無傷で出てきたんだよ。ピトーの円で動けなかったんだってさ」

 

「そうか……いや、良かった」

 

 キルアはしまったという顔をしたが、とりあえず見なかったことにする。俺に知らせない判断は機密上のものだったのだろうが、今となっては時効だろう。

 

 しかし──そうか。

 そもそも捕まらないという可能性を読み落としていた。ピトーが円を張り続ければ、地下からは出られない。

 

 

 改めて、モラウが俺に辞令を持ってやってきた。正確には一枚の依頼書だが。前任の三人は俺にこの辞令を回すための茶番だったわけだ。

 

「俺もあれを止められる訳じゃない。意味がないと思いますが」

 

「隣で座っていられればいいんだ」

 

 じゃああんたがやればいい、とは言えなかった。現場の事後処理はほとんどモラウとノヴが担当していたから、彼をピトーの監視に回せばそれだけ手が減る。

 実務だけなら俺でも代われるかもしれないが、実績と顔の広さは遠く及ばない。

 

 首元を撫でる。考えたが、やはり監視の意味はない。

 室内では一分と持たないだろう。

 

 

 ネフェルピトーの隔離棟は、仮設拠点から500mほど離れた場所に用意されていた。つまり実質的には距離を空けていないも同然だった。

 

「そろそろキミが来る頃だと思った」

 

 俺を目視するなり、耳と首を傾けて、ピトーはそう言った。尾が垂直に立っている。

 

 建物の中は質素だった。椅子とテーブルと寝床が備えられた部屋が複数。安い民宿のような造りだ。これでも仮設にしてはかなり上等だが。

 

 彼女の視線が俺の首元へ向いた。満足そうに鼻を鳴らす。

 

「随分熱心に鏡を見てたね?」

 

「服で隠しにくくなったからな。途方にくれてた」

 

「ふぅん」

 

 乾燥させた香草が置いてあったので、湯を沸かして茶をいれる。カフェインは……と考えて、馬鹿な思考をしたことを内省した。

 目が合う。彼女はゆっくりと瞬きをしていた。努めて視線を切った。

 

「気に入らない監視役を追い出したのか?」

 

「勝手に折れただけニャ」

 

 白々しいセリフだったが、咎めはしない。カップの匂いを嗅いで、ピトーも口を付けた。

 

「なぁ、なんで殺さなかったんだ?」

 

 俺は気になっていたことを尋ねた。

 彼女はずっとそれを望んでいたはずだ。初めて出会った日、カイトの腕を俺が回収したその瞬間から。

 

「楽しかったから」

 

「……そうか」

 

 皮肉を探したが、上手い言い回しは思い付かなかった。

 

「獲物(エモノ)冥利に尽きるね」

 

 ハーブは前世で言うレモングラスによく似ている。香りはレモンに近いが、味は思い切りハーブだ。僅かな苦味があり、薄味。

 

「ボクは戦うのが好きだし、追いかけるのも好きみたい」

 

「俺たちに似てるな」

 

「人間(ヒト)に?」

 

「ハンターに」

 

「ふーん」

 

 ピトーはちびちびとカップのハーブティーに口を付けていた。それから、思い出したかのように棚からロープを取り出した。俺が普段使っているものだが、短い。数日前の防衛戦でピトーに切断されたもののどれかだろう。

 

 ロープは2本。その1つを、プルージックで結んであった。俺の結び目ではないから、ピトーが結んだものだろう。

 

「誰に習ったんだ?」

 

「キミ」

 

 答えが自明な問いを投げた。彼女は得意な顔をする。実際、問題なく結べている。

 

「こういうのって、何種類あるの?」

 

「俺がよく使うものだけでも40程度だな。数を挙げればキリがない」

 

「へーぇ、そんなに。まああの日、何されてるのか全然分かんなかったケド。これはなんて言うの?」

 

「プルージックという名前がついている。荷重をかけなければ結び目を滑らせることができるうえ、荷重をかければ摩擦で噛むから、野営で重宝する結び方だ。ちなみに、俺の能力を使えば荷重をかけたまま滑らせることもできる」

 

 縄を受け取り、プルージックを解く。ハイウェイマンズヒッチに結び直して、道具袋を引っ掛けた。そして『手綱』を使って解くと、結び目が一瞬で解けて道具袋が落ちてくる。

 

「これはあっさり避けられたやつだ」

 

「自由落下は反応できるニャ」

 

 それはそうだろう。風切り音を誤魔化すこともできただろうが、使うリソースに対してバリューが薄かったし、諦めざるを得なかった。

 

「じゃあ、キミの能力は? ボクの予想があってるなら、『摩擦』だよね? 制約は直接キミのオーラが触れること。それと、いや、うん」

 

「……だいたい合ってるな。固体の表面であれば流体のせん断応力もある程度操作できる」

 

「それと、遠隔で結び目を解く能力?」

 

「結び直すこともできる。俺が自分で結んだものに限ってだが」

 

「……てっきり変化系だと思ってたけど、強化系か特質系?」

 

「いや、変化系だよ。後者の能力はお前を倒すための急造だ」

 

 能力を晒す。ピトーが誰かに俺の能力を喧伝するとも思えないし、元より知られ尽くしている。隠す意味自体が薄いこともあって、心理的なハードルは低かった。

 

 彼女自身が俺を利用するために使った核心的な誓約に関しては、言葉は結ばれなかった。

 

 次も戦うことがあればこの『発』の露呈はどうかと考えてみるも、ほとんどが割り出されている情報ばかりだ。あまり意味はない。

 

「ボクの能力も知りたい?」

 

「教えてもらえるのなら」

 

「キミについてるそれは『幕見夢想(コッペリア)』。キミの狩りを覗き見する能力で、狩りをしている間キミの視界を間借りすることができる。それと、キミがいる大まかな方角と鼓動も分かる。制約は、印をつけた相手には覗き見が伝わること。それと、見れるのは『狩り』に限ること」

 

 ピトーは自慢げだった。

 この能力がなければ、俺があれほど容易く削り切られることはなかっただろう。ピトー自身の優秀な嗅覚もあるのだろうが、俺の狙いを悉く崩されたのはこれに依るところが大きいと見ている。

 

 そうでなくとも、俺が仕掛ける罠を丸裸にする能力だ。掻い潜るには策を二重に練る必要があり、負担が増す。

 

「それからヒトガタのものを操るのが『踊屍不想(ミルタ)』、自分を操るのが『黒子舞想(テレプシコーラ)』。ボクが学んだことも自動操作に取り入れられるのが強みと言えば強みかな」

 

「操れるのは人型のものなのか。随分甘い制約だな」

 

「あ、念能力者は死体じゃないと操れないニャ。ボクよりすごく弱かったり、弱ってたりすると分からないケド」

 

 無法だ。一つ目の能力の制約は他にも、おそらく直接傷をつけることと、数の制限。二つ目は操れる対象と力量差。三つ目は分からないが……緩い条件でそれなりの効果を出すための能力、という印象だ。

 特に二つ目は少し調節したらさらに凶悪な能力に化けかねない。

 

「……うーん、キミのチカラの方が出来が良いね?」

 

 深く考える間もなく、ピトーが言い出した。

 その答えは、おそらく是だ。原作であれば、『玩具修理者(ドクターブライス)』の補助によって2つ目の能力の精度を上げていた。死体を補修することで死体人形を長持ちさせたり、殺すときに気を使う必要がなかったりと、使い勝手に寄与していたはずだ。

 

 今はそれが成立しない。一つ一つの能力が独立していて、組み合わせのシナジーが生まれていない。

 

「そもそも、戦闘用に能力を作ることが本末転倒だという考えがある。他人を殺すことに価値を見出さない限りは、できることを増やすための『発』の方が良い」

 

 ピトーの能力は、王のためのものだ。本来は王を癒し、配下を増やし、兵隊としての己の力量を底上げするものだった。

 

「敵を殺せなきゃ意味がないでしょ?」

 

「銃で撃つか『硬』で殴れば人間は死ぬんだ」

 

「ニャ」

 

「だからお前の能力は正しいよ。王のための兵隊を効率的に集める能力。プフの洗脳能力も含めて、俺たちが恐れていたのは、キメラアント5万匹の軍隊ができることだった」

 

 ピトーは目を細めた。

 俺が意図して、生前の王の覇道に掠めさせた言葉は、彼女の秘めていたフラストレーションを引っ掻くのに充分だったらしい。

 

 彼女は深く息を吐き、一度俯いて、右手で髪をかき流した。それから、ほとんど空になったカップの中身を飲み干す。ポットからおかわりを注ぐと、薄黄色の水面をしばらく見つめていた。

 

 俺の『纏』が、意図せず一瞬揺れた。

 

「この五日、ずっと考えてた。ボク達とキミ達の戦いは、種の存続を懸けたものじゃなかった。……王を、メルエム様を弑(ころ)した毒と爆弾は、キミ達にとっては量産品の安物に過ぎなかった。キミ達は、キメラアントを滅ぼすために犠牲になる人間の数を、50万人にするか500万人にするかという、コストを減らすために戦っていただけだ」

 

「……否定はしない。極まった武力を持つ少数が多数を支配する段階は、とうに過ぎ去っている。ボタンを掛け違えていれば、犠牲は50万どころか1億人にも増える余地があったかもしれないが」

 

 NGLにカイトたちが乗り込んでいなければ。東ゴルトーの異変に、誰も気づかなければ。

 王によるキメラアントの王国が一時的に成立していた可能性は否定しない。5万匹のキメラアントの兵隊は、近隣諸国を食い潰せるだけの力を秘めているだろう。

 だが、極端なことを言えば、人類が負けることはまずない。

 

 薔薇のような小型の核も、諸島ごと消し飛ばす軍事力も、とうに人間は手にしている。人類の敵として立ち上がってしまえば、キメラアント達が勝ち残るすべはほとんどなかったと言っていいだろう。

 

「……人間を学ぶことにした。メルエム様の続きをやる気はないけど、ボクは、この世界についてもっと知る必要がある」

 

「じゃあ、監視が解けたら旅でもするといい」

 

「そのつもり。それまではキミに訊くことにする」

 

「俺に答えられることならな」

 

 即座に返事はなかった。

 

 ピトーはカップを置いた。陶器が木の天板に触れる音が、やけに長く聞こえた。それまで矢継ぎ早だった言葉の応酬が、初めて途切れている。

 

 耳が、ゆっくりと俺の方へ倒れた。テーブルに両肘を突き、組んだ手の上に顎を載せる。瞳孔が縦に細い。俺の一挙手一投足も見逃さない、というように、視線が俺の全身を隈なく撫でた。

 

「なら、一つ目」

 

 彼女は言った。

 

「──キミに、つ(・)が(・)い(・)はいる?」

 

 

 

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