ところでピトーのセリフ難しいです。意外と口調バラバラなんだよな……
泥塗れの装備を水で濯いで、俺は拠点に天幕を立て直した。ピトーが捕獲した個体を譲り受けたので、ポイント付近の微妙な立地に拠点を置く必要が無くなったからだ。
己の手で捕獲できなかったのは悔しいが、そちらは追々だ。リベンジの機会はいくらでもある。
丸太を組んだだけの椅子に腰掛けて、焚き火で温めただけの湯に粉末スープを溶かしてピトーに渡す。野営用の保存食ばかりだから、茶会にするには味気ない。
少し冷めるまで待つように言うと、ピトーは両手でマグカップを持ったまま頷いた。
「さて、どうしてこんなところにまで?」
「それはもちろん、用事があったからニャ」
「聞こう」
彼女は、明らかに雰囲気が変わっていた。暗黒大陸産キメラアントの兵隊アリの寿命がどれほどなのかは分からないが、全く違う環境に放り込まれて半年間生活することは自分の価値観を見つめ直すのに十分なストレスのはずだ。
「メルエム様のご命令の意味は、少し分かった。見るべきものにも幾つかアテはできた」
ピトーは、懐から一枚のカードを抜き出した。
見間違えようがない。俺の胸ポケットに六年入っているものと同じ形をしている。厚みも、角の丸みも、表面の加工も。裏の刻印の位置まで同じだ。
俺たちハンターが肌身離さず持っているカード──ハンターライセンスだった。
「……まさか、受けたのか?」
「うん。試験はちょっと退屈だったケド……便利だね、コレ」
見せびらかされたそれには、289と書いてある。今年のもので間違いないはずだ。
「チードルがお前を通したのか?」
「そうだよ? あ、キミが言ってたことも少しわかったかも。アレは面白いリーダーだね」
「嘘だろ……」
ハンター試験は一応すべて、会長が合否の判定を下しているはずだ。もちろん身分の偽装なんかの小手先の技術は通用することもあるだろうが、しかし、キメラアントを……しかもネフェルピトーを見逃すことは流石にない。
つまり、チードルは素面でピトーを通したことになる。
……ルールを考えれば、ありえないことではない。
今の彼女は監視や監査を受けて自由を勝ち取っているし、ハンター十ヶ条には人種どころか種族を制限する条項もない。チードル程のモラリストであれば、規定に則ってピトーを合格させることも有り得るとは思う。
思うが……正気の沙汰とは思えない。
ピトーの指先でライセンスがコマのように回る。
「んふふふ、条件はついてるよ」
「……先に言え」
「あってないようなものだったから。条件は、ボクが暗黒大陸の調査に同行すること」
「そうか。随分長旅だな。そして危険な旅だ。あちらに行けば、お前も一方的な強者ではなくなるんだろう」
こちらの大陸のキメラアントとあちらのキメラアントがおおよそ同じようなヒエラルキーに位置しているとして、ピトーを含めた人類は暗黒大陸においてはただのアリであるわけだ。
狩られるだけの弱者だとは限らないだろう。アリだって狩りをする。しかし、トカゲ一匹、カエル一匹が横切るだけで壊滅する恐れはある。
「うん、だから準備に時間が必要だと思って、直接呼びに来たの」
ピトーはなんでもないように言った。
「キミも行くでしょ?」
「聞いてないが」
「今言ったから。はい、コレ」
うっすらと過ぎった危惧は、瞬間的に現実のものとなった。
ピトーに手紙を手渡される。チードル会長からだった。
暗黒大陸への同行、及びBW1号への乗船を求める旨が書かれている。詳しくは会って話がしたい、とのこと。指定された日付は三日後。今日から移動してギリギリ間に合うかどうかと言ったところだ。
「……直前過ぎる」
「キミが音信不通だったからでしょ」
「幻獣ハンターが携帯を持ち歩くわけないだろう」
「あー言えばこう言う。キミって案外屁理屈屋だし、我儘だよね?」
「変化系は気まぐれで嘘つきらしいぞ」
「特質系は?」
「個人主義かカリスマだったかな」
人肌程度に温度が落ちたスープを舐めながら、ピトーは俺の反応を窺っていた。
期せず手元に転がってきた、暗黒大陸行きのチケット。当然掴むべきだと感情は言っているが、一応思考は回す。
原作の保存は、もう考えない。カイトが生きていて、ゴンが念を失っていない。その時点で原作は壊れている。ネフェルピトーがハンターになっているのだから、これ以上どう壊せばいい。
考えるべきことは、リスクとリターンだ。リスクは極大、リターンも極大。王位継承戦に飛び込む余計なリスクを背負うことと、ネフェルピトーを無事に暗黒大陸へ送り届けるリターンは、どうだろう。
「迷ってるの? 行こうよ」
「考えることを止めたやつから死んでいくんだ。……だがまあ、行くよ。もとより、暗黒大陸には挑戦するつもりだった」
ピトーが尾を立てる。
俺は拠点を引き払うため、出していた道具を片付け始めた。ピトーが手にしていたカップを受け取って、布で拭った後にカバンにしまうと、あとは『手綱』を操作するだけで自動的に天幕が折り畳まれる。
『滑走路』とあわせて、俺の能力は野営にこの上なく便利だった。もちろん、ノヴほどではないが。
ケースの中で、ピトーが捕まえたトカゲが身動ぎした。この状態から逃れることはできないらしい。空港に到着次第、こいつは研究施設に送ることになる。そのためのレポートも簡易的にだが纏めてあった。移動中に推敲して書き上げられる。
「ねえ、もう一つ」
カバンの中身を確認していた俺に、ピトーが顔を近付けた。白い肌と赤い瞳、縦に伸びた瞳孔が非人間性を強調する。
彼女の指先が、俺の首の傷跡に触れた。爪は当たっていない。指の腹で肌を撫でるように傷をなぞる。
「外すね」
音はしなかった。
俺の気配に彼女のオーラが混ざっていることに慣れきってしまったのだろうか。狩りの最中に熱を持つとき以外、意識に上ることもないその印が消えたことに、確かな喪失感を覚えた。
無くなって初めて、そこにあったのが分かる類いのものだった。
「痣はしばらく消えないよ」
「そうか」
名残り惜しげにピトーが俺の首を見つめた。
『
「満足したのか?」
ピトーが俺を縛る枷は無くなった。
もう彼女が俺を監視することはできない。
つまり、いま俺たちは、この星のどこにでもいる他人二人と同じ条件になった。
「ううん」
俺は自分の首を撫でた。傷ではなく跡だ。触れてもほとんど分からない。
「だから、もう一度結んでも良い?」
許可、と来た。荷物を確認するために屈んだ俺を、ピトーは見下ろしている。
「好きにすればいいだろう」
「それじゃあ意味がないニャ」
「断ると言ったら我慢するのか?」
「我慢、するけど、それはそのとき次第」
ピトーに覗かれ続けることは、損得両方を含む。
俺の技能は暴かれ続け、今度こそ彼女を捕らえるための技術を磨く暇もない。それは純粋なデメリットだ。
得は、万が一俺が誰かに囚われたり重傷を負った場合に助けが来る可能性が1パーセントでもあること。……逆に言えばその程度だ。
だが、選ばされるとなると話が変わる。
ハンターとして屈し、獲物に落ちるわけだ。俺が彼女を捕らえる可能性をこれ以上なく下げるのだから、少なくとも俺はそう捉える。
「……許す」
「いいの?」
「気が変わらないうちにしてくれ」
……論理は破綻している。
獲物にお伺いを立てる狩人はいない。もはや彼女は、俺をただの獲物とは見ていない。
過去に拘泥しているのは俺の方だ。
彼女は人間社会の中で何かを学び、その結果、俺との関係も更新しようとしている。
それに報いるべきだ、とまでは思わないが、自己満足な論理に固執するのも格好が悪い。
ピトーはもう一度俺の首の傷跡に触れた。
三度目、傷が熱を持ち、彼女のオーラが俺に流れ込む。吐息が首筋を撫でる。
彼女が満足そうに頷き、喉を鳴らした。
「はい、次、キミの
ピトーは俺の手を取って、自分の首筋に当てた。
指先に細い線が触れた。覚えがある。
彼女の殉死を止める戦いの最後、俺の手繰る鉤爪が付けた傷だ。半年以上が経っても、ごくわずかに傷の治癒した跡が残っている。
俺を見上げる視線から内心を読み解こうとして、失敗する。開示された手札以上のものはない。駆け引きすらもなく、ただ純心のみで動いている。
「聞いていないが」
「今言ったから」
「……二度目だぞ、その理屈は」
俺のオーラが彼女の傷に流れ込み、彼女が目を伏せた。済んだ、らしい。
代わりに、彼女の鼓動が耳元で鳴っている。俺の記憶よりも早い。
受信は意識すればシャットアウトもできるようだが、邪魔になるほどでもないだろう。
「もう一度だけ説明するね。『
俺は彼女の傷に視線を落とした。ピトーが首を傾げる。
俺は畳み終えた天幕を担ぎ直した。協会本部まで三日。道は長く、荷が一つ増えた。
……いや。首のこれは、もう荷物には数えないんだったか。
♦
ハンター協会本部で俺たちを待ち受けていたのは、ハンター協会会長であるチードル・ヨークシャーと、十二支んのクラピカ、ミザイストムだった。
「失礼を承知で言いますが、正気ですか?」
「猫の手も借りたい、ってやつだな」
早々に俺が投げた暴言は、ミザイストムがひらりと受け流した。
俺の背後にいるピトーは至って自然体だ。チードルと既に契約を交わしているのは確からしい。対して、三人には僅かな緊張がある。彼らレベルでもピトーは極大の警戒対象らしい。
「手紙は読んで頂けましたか?」
「ええ」
「この場に来てくださったのは、前向きに検討してくださっているからと考えても良いですね?」
「99パーセント受諾と考えてもらっても構いませんよ。俺が知りたいのは、
チードルとミザイストムはともかく、クラピカも念の練度は一級品だ。ブレない纏だけでもわかる。
念を覚えて二年でこれなのだから、マフィアの抗争とはどれだけハードなのだろうか。才能もそうだが、立場は何より人を育てる。
「最も重視するのは、暗黒大陸調査における先鋒です。現地生物の分析、調査、危機の判定……そして、危険の排除」
使い捨ての露払いだな、という感想を抱く。
ピトーも同様に鼻を鳴らした。
「もちろん、生物調査系の技能に長けたハンター達は大陸調査において指揮系統の上位に立って貰います」
「いえ、納得していますから、大丈夫です。前線に立たせて貰えなければ行く意味が無い」
暗黒大陸においては、俺の制約と誓約は致命傷だろう。悲鳴が絶えない魔境と、背を向けられない制約の噛み合わせは最悪だ。『滑走路』を失うことも覚悟しなければならない。
「そちらではなく、船においての役割です。予備人員でいいのならそれに徹しますが、そうじゃないんでしょう」
「……ええ。彼女を乗せるに当たって、カキン側から幾つか条件が付きました。そのうちの一つが、万が一の場合国軍が対処に当たれるよう、二層以上に彼女を配置すること。かと言って、戦力を完全に死蔵できるほど我々に人的余裕はありません。そこで、彼女を王子の護衛として斡旋することにしました」
「…………正気ですか?」
「むしろ、最も実績がある領域だと承知していますが?」
「王子側が受け入れないでしょう」
「王子のプロファイルから幾人かへ内々に親書を送り、そのうちの一人から配置の許可を得ています」
原作のチードルは、ここまで覚悟が決まっている人間だっただろうか。記憶を遡ろうとして、薄れた記憶は明確な答えを返さなかった。
だが、クラピカやミザイストムの発案ではないだろう。彼らは警護においてリスクを取るタイプではない。この手の荒業を使いこなすのは、ジンやパリストン……彼らの影響か?
単にピトーを戦力として使いたいだけなら、二層の護衛にでも付けておけばいい。わざわざ王子の元へ派遣しようとするのには、何らかの思惑があると考えて間違いないだろう。
原作知識から考えられることは多くない。王子そのものに用事があるのはクラピカくらいだが、クラピカの作為は見て取れない。
「モラウから、キミは護衛向きだと聞いている」
「俺が? 荒事向きと言う意味なら、比較的そうかもしれませんね。しかし対人技能は磨いていない」
「まあ、本職はいるんだ。追加で雇われた外野の護衛としては十分だろう」
ピトーの来襲といい、想定を土台から崩しに来る情報の洪水に目眩がする。
計画を組み立てるにも、足元から揺れている感じが否めない。
「配置の話はとりあえず分かりました。それで、受け入れた王子の名前は?」
「第12王子モモゼ・ホイコーロ。後ほどクラピカ達が集めた情報を共有します」
チードルが挙げた名前は、原作において最初に命を落とす少女の名前だった。つまり、情報は皆無。