前案が操作系の別能力でしたので消し忘れておりました。
ヒソカやキルアのような使用感をイメージして頂ければと思います。正確には、よく滑るor引っかかるオーラを物体の表面に塗り付ける、膜にするというイメージです。
操作系ではロープの操作はできても、あらゆる物体表面の物性の変更はできないと解釈しています。
少女──コムギは浅い眠りと半覚醒を行き来していた。時々、指が動く。眠りの中で、駒を並べているらしかった。
「キミ達に殺されようとも、ボクはここを離れない」
「キミが逃げるなら、今の内だ。王が戻ればキミは死ぬ」
「……乗りかかった船だ。今更逃げはしないさ」
王はここへ戻ってくる。故に臣下はこの場を離れない。問うまでもなく自明だった。原作通りに記憶を失った王が現れれば、そのまま目に付いた俺を殺すかもしれない。
わかっていても、逃げるという選択肢はなかった。プフが生きていてコムギを殺しにくるという可能性が否定できたのは僥倖だったが、それはそれとしてピトーを野放しにはできない。
ユピー達を取り逃した討伐軍の面々がこちらへ集ってくる。
ピトーの耳が盛んに動き、警戒を顕にした。
「リグさん!」
「生きてるよ、全員」
ゴン、キルア、ナックル、モラウ。……シュートは原作通りに退避中だろうか。メレオロンも見えないだけでいるかもしれない。だとしたら、相方はノヴだろう。
全員が疲労困憊で、少なからず怪我を負っている。特にゴンとモラウは気力だけで立っているような有様だった。戦えるのはキルアとナックルくらいで、ナックルもかなり消耗しているように見える。
そして、状況が膠着した。
ピトーとコムギは俺のすぐ隣にいる。討伐軍の誰かが手を動かすより、ピトーが俺とコムギに攻撃を仕掛ける方が早いだろう。
巻き添えを恐れてピトーは動けない。討伐軍に対してはコムギと俺が人質になっている。
「ハコワレは?」
「ユピーについたままだが──」
ナックルが南の方へ視線を向け、それからどかりと座り込んだ。
「ハコワレがあろうとなかろうと、戦意がねェんじゃ仕方ねぇ」
「王が帰ってきたらどうする。ここであいつを倒しておくメリットは計り知れないぞ」
モラウの指摘は真っ当だ。俺の理性もその意見に賛同する。
王は帰還するが、毒を浴びている。ここでピトーを仕留めておけば、俺たちが全滅しても、心中には成功する。
450万人の東ゴルトー国民は生還するだろう。
「……だけど、勝てんの?」
キルアが口を開いた。
「王が帰ってくるってことは、ジイさんが負けたってことでしょ。ユピーも残ってる。俺たちにできることは、その女を交渉材料にすることなんじゃないの」
「……リグ、説明しろ」
「……俺は、ネテロ会長の襲撃で負傷したこの少女の治療を求められました。こいつ曰く、『王にとって最も重要な人間』らしい。少なくとも、護衛軍が身を挺して守る程度には。よって俺はこの少女の手当をする代わりにこいつをこの場に拘束していた。分かるのは以上です」
キルアが頷く。モラウは頭を抱え、ゴンは沈黙を保っていた。
「……頭が痛くなるな。俺たちはどうするべきだ?」
モラウがもう一度俺にパスを投げる。判断材料を寄越せということらしい。それにおそらく、俺の感情への譲歩でもある。俺がピトーを殺すなと言えばそれで済むのだろう。少なくともこの場においては、だが。
「状況を整理します。①王が無傷で帰還した場合。こいつを無傷で残す方が心象は良いでしょう。少女も持ち直したとはいえまだ重傷ですから、治療と引き換えに譲歩を引き出すことができるかもしれない。俺たちに勝利するすべはないが、やれることはある。②ネテロ会長が帰還した場合。こいつの反応次第で処理すればいい。③どちらも帰らなかった場合。今の状況から悪くなることはない。④どちらも帰ってきた場合。①と同じです」
王が余命一日で戻ってきた場合、という選択肢は無い。俺にしか見えていないのだから、この場で論ずることは不可能だ。
そしてその場合、感情論を除いてピトーを排除する選択肢は取れない。
「よし、わかった。ピトー、俺達にはその娘を回復させる医療技術がある。王への交渉材料として覚えておけ。……俺たちは国民の誘導と残りの蟻の隔離だ」
モラウがそう締めくくり、ナックルが立ち上がる。その瞬間、ピトーが南へ耳を傾け、即座に円を展開した。
最悪のタイミングだ。全員が反応し、冷や汗を流す。
ピトーだけが動いた。
俺の前を横切って、窓に向かって両手と膝をつく。頭を下げ、完全な最敬礼。
直後、疾風。
──塔の窓に、隻腕の王が降臨した。
左腕が肩から無い。身体中に傷が残っている。ユピーのみでは完全回復が叶わなかったか、敢えて治さなかったのか。とうのユピーの姿は見えない。
記憶と一致するのは、その小柄な肉体と、記憶を失っているだろう空虚な眼差しだけだ。そして、彼は跪いたピトーには視線をくれず、その視線は後方で横たわる少女にのみ注がれた。
「王。よくぞお帰りに──」
存在理由の全部を注いだ呼び掛けが、宛先不明で戻ってきた。
あれは姿勢を崩さなかった。崩さないまま、石のように硬直した。尾も、耳も、指の一本も動かない。息すら止めているように見えた。
「……思い出したぞ、コムギ」
絞り出された言葉の意味を、俺以外の全員が理解するのに数秒を要した。
王は、一歩進んだ。
王が真横を通る。俺は動かなかった。動けなかったのではなく、動かないことを選んだ。ここで何かをすれば、全て崩れる。
視線は、こちらにも来なかった。
俺という人間は、この瞬間の王にとっては部屋の空気と同じ軽さで扱われている。否やはなかった。
ピトーのオーラの中でさえ最早平静を保てるようになった肉体が、震えている。
身をもって思い知る。俺に、王と相対して生き延びる未来はない。
そのとき——
石が、盤を打つ音がした。
少女が、半分眠ったまま、指を動かしていた。
枕元に置いた盤にも駒にも、まだ触れていない。触れていないのに、指が升目を数え、駒を置く形をして、爪が石の床を打った。眠りの中で、独りで両側を打っている。
「総帥、さま?」
コムギが目を覚まし、見えない眼を音の方へ向けた。
王が、止まった。
その内側に灯りが点くのを見た。
比喩ではない。気配の質が、そう変わった。輪郭の内側に中身が戻った。空の玉座が満たされるように、彼のオーラが、覇気が変質した。
王は、こちらを一瞥もしなかった。
石と硝子を踏む音だけさせて、まっすぐに、少女の傍らへ歩いた。
背後で、ピトーが顔を上げた気配がした。
顔を上げて、王の背中を見て——それから、俺を見た。
その視線の意味を読み解こうとして、やめた。
「ネフェルピトー」
「はっ!」
「──大儀であった」
ピトーの身体が硬直した。
「コムギの負傷が致命に至るものであったことは余も理解している。お主は手を尽くし、余の命に応えた」
「……私には勿体なきお言葉でございます」
「そこの人間。コムギを治したのはお主だな」
王は振り返り、俺に視線を向けた。正確には、俺の肩に付いた傷跡へ。
「因果なものだ。余が許した臣下の稚気が、余の失いがたきモノを救うとは」
王の呼吸は、苦笑に似ていた。
そして、刹那に解れた空気が重く、低く、引き締まる。
「——出よ」
ひどく短い命令だった。オーラは最早、人類が太刀打ちできる領域ではなかった。遮二無二従い、逃げ去りたくなるほどに。
「人も、蟻も。この宮殿から出よ」
ピトーが、顔を上げた。
何かを言おうとして、言い返す言葉を探していた。
「余の身体は、毒となった」
王は、コムギの方を向いたまま言った。
「触れれば
感傷ではなく、その言葉は慈悲に溢れていた。
ピトーの背が震え、そして、俺の背後にいたモラウが、白い爆発の正体に気が付く。
「王、それでは解毒を──」
「無駄だ。余と相対したあの人間は、尋常の使い手ではなかった。非合理な研鑽の果て、極みに至ったあの男がなお手を出した毒……安易な解毒方法など残されておらぬ」
王の言葉にピトーは口を噤んだのみだった。
「喜ぶが良い、人間。遠からず余は死ぬ。……お主らの勝利だ」
モラウが息を吐き、討伐軍のメンバーを引き寄せた。
「だが、余の最期に近づくことは許さぬ」
少女が、身体を起こした。
裂けた方の脚を投げ出す座り方で、ふらつく上体を杖が支えていた。
「……わだすは、ここに、います」
王は、拒まなかった。
拒む言葉を探して、見つからなかったのかもしれない。あるいは、探しさえしなかったのかもしれない。俺には分からない。
俺はピトーに視線を送った。……動きそうにない。
無理もない事だった。即座に自刃を選ばないだけ、まだ理性的であるとさえ思う。
代わりに遊戯室から盤と駒を運び直し、埃を拭き、駒の数を確かめ、欠けを検めて、二人の間に置いた。
盤を置いた俺に、少女が顔を上げた。
「……打っても、いいですか」
「ああ。もう、打てる」
俺の最後の診断は、死にに行く許可だった。
退出は、静かだった。
人間側は扉から。俺は最後尾を歩いた。
廊下の長さの半分ほど来たところで、背後の部屋から、王の声が聞こえた。
「ネフェルピトー」
俺は歩調を変えなかった。
言葉の後に続いた命令は俺には聞こえなかったが、原作の知識が幾つか予想を落とした。
宮殿を出ると、直ちに避難誘導が始まった。集められた国民たちはまずペイジンへと移動させられた。誘導はモラウが主導し、スムーズに進められた。彼の能力の汎用性には息を巻くばかりだ。
俺の能力も大概万能に作ったつもりだが、彼には遠く及ばない。
俺の仕事は、人の気配が薄れた宮殿に線を引くことだった。ロープを張り、門を閉鎖する。ただそれだけだ。
ただし、ロープには『滑走路』を掛けてあり、誰かが触ると音が鳴るようになっている。スティックスリップの応用で、上手くやれれば獣の鳴き声さえ再現できる技だ。
生き残りのアリ達は、大半が逃げ出したようだった。原作通りであればビゼフ長官と共に流星街へ向かったのだろう。
人間に危害を加えるか、という点でウェルフィンは怪しいところだが、イカルゴの取りなしもあって捕縛は行われなかった。今後も監視はつくだろうが、即座の討伐には至らない。
ユピーは死体で発見された。原作通りの縮んだ姿のまま、血を吐いて倒れていた。薔薇の毒の影響だろう。本人の消耗が原作より大きかったためか、一人で王を蘇生するために力を割き過ぎたのか、そこまでは判断がつかなかった。
ピトーは最後に出てきた。
包囲していた人間たちの間を、風のように通り抜けた。誰も止めなかった。止められる人間が、この場にいないからだ。
線を越えて瓦礫の斜面を降り、森の際まで下がった拠点の、一番端まで。即席で建てられた小屋の屋根に乗り、その上に座った。
顔は宮殿へ向いている。
測ったような位置だ。ピトーの円は、ギリギリで王のいたあの部屋に届く。ノヴと俺の測量の結果だ。そうズレてはいないはず。
人間側は、夜が明け切るまでにひとまずの体制を整えた。
宮殿に近付くものも、出ようとするものも通さない。ネズミや鳥でさえあの場には近付けない。例外として間に合わなかったのが、あの肉の繭だ。
遥か未来で目覚めを待つ5000匹のキメラアント達の処理は、除染の後に行われることになった。
それが保護か処分かは、俺には分からない。
俺は一晩を掛けて、宮殿裏の森の全域にロープを張った。