GEIS   作:カルラリハ

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## 第1話 未契約者《アンダーコンタクト》

 

 

――今から、およそ百年前。

 

世界は戦争の炎に包まれていた。

 

国が国を憎み、人が人を殺す。

 

砲弾が街を焼き、銃声が空を裂き、昨日まで笑っていた者が、次の日には冷たい骸となって転がっている。

 

誰もが願っていた。

 

この戦争を終わらせてくれる何かが現れてほしい、と。

 

そして――

 

それは、現れた。

 

雲が割れた。

 

戦場を覆っていた黒煙の向こうから、眩い光が降り注ぐ。

 

その中心にいたのは、人の姿をした何かだった。

 

純白の翼。

 

頭上に浮かぶ光輪。

 

神々しいほど整った姿。

 

人々は知っていた。

 

絵画で。

 

聖書で。

 

伝承で。

 

何百年、何千年と語り継がれてきたその存在を。

 

「天使だ……」

 

誰かが呟いた。

 

兵士が銃を下ろした。

 

泣き崩れる者がいた。

 

神に祈る者がいた。

 

敵国の兵士同士が、同じ空を見上げた。

 

――助かった。

 

誰もが、そう思った。

 

神が人類を救いに来た。

 

これで戦争は終わる。

 

もう殺し合わなくていい。

 

だが。

 

天使は静かに右手を掲げた。

 

光が生まれた。

 

次の瞬間。

 

一つの都市が――消えた。

 

敵も。

 

味方も。

 

兵士も。

 

民間人も。

 

老人も。

 

子供も。

 

区別などなかった。

 

人間である。

 

ただ、それだけで。

 

天使は人を殺した。

 

そこから始まったのは、戦争などという言葉では到底表せない虐殺だった。

 

人類の兵器は通用しなかった。

 

銃も。

 

戦車も。

 

戦闘機も。

 

人類が生み出したあらゆる兵器が、天使の前では無力だった。

 

国境は意味を失った。

 

昨日まで争っていた国家が手を組んだ。

 

それでも勝てなかった。

 

ヨーロッパが落ちた。

 

アジアが焼けた。

 

アメリカ大陸にも天使が降り立った。

 

人類の生存圏は、日に日に狭くなっていった。

 

そして誰もが悟った。

 

――人類は滅びる。

 

そのはずだった。

 

『――力が欲しいか?』

 

世界のどこかで。

 

誰かが、その声を聞いた。

 

『ならば契約しろ、人間』

 

それは神ではなかった。

 

天使でもなかった。

 

人類が長い歴史の中で、恐怖し、忌み嫌い、邪悪の象徴としてきた存在。

 

――悪魔。

 

一人の人間が悪魔と契約した。

 

そしてまた一人。

 

さらに一人。

 

やがて世界中で、悪魔と契約する人間が現れ始めた。

 

悪魔の力をその身に宿し、天使を殺す者たち。

 

後に人々は彼らをこう呼んだ。

 

契約者――

 

《コンタクター》と。

 

天使によって滅亡寸前まで追い込まれた人類を救ったのは、

 

皮肉にも――悪魔だった。

 

◇ ◇ ◇

 

――西暦二〇二六年。

 

「一ノ瀬」

 

教官の低い声が響いた。

 

「はい」

 

一ノ瀬遥人は立ち上がる。

 

周囲から視線が集まった。

 

期待。

 

嘲笑。

 

同情。

 

そして――好奇心。

 

遥人は、それらを無視して前へ歩いた。

 

巨大な訓練場。

 

その中央には、黒い石で作られた祭壇が設置されている。

 

契約召喚用魔術式。

 

悪魔を呼び出し、契約を試みるための設備だ。

 

「今回で何回目だ?」

 

教官が聞く。

 

「……二十七回目です」

 

小さな笑い声が聞こえた。

 

「二十七回……」

 

「逆にすげぇな」

 

「普通、一回目か二回目で契約するだろ」

 

聞こえている。

 

聞こえているが、遥人は何も言わなかった。

 

教官が周囲を睨む。

 

「静かにしろ」

 

一瞬で静寂が戻る。

 

「始めろ、一ノ瀬」

 

「はい」

 

遥人は祭壇へ手を置いた。

 

深呼吸。

 

魔術式へ力を流す。

 

瞬間。

 

床一面に刻まれた文字が青白く発光した。

 

空気が震える。

 

悪魔を召喚するための門が開く。

 

遥人は目を閉じた。

 

――頼む。

 

下級でもいい。

 

戦闘向きじゃなくてもいい。

 

どんな悪魔だっていい。

 

俺を――選んでくれ。

 

光が強くなる。

 

そして。

 

――消えた。

 

「…………」

 

何もいない。

 

悪魔は、一体も現れなかった。

 

沈黙。

 

その後。

 

「……またかよ」

 

誰かの声が聞こえた。

 

教官が小さく息を吐く。

 

「……召喚失敗。一ノ瀬、戻れ」

 

「はい」

 

遥人は祭壇から離れた。

 

席へ戻る途中、声が聞こえてくる。

 

「二十七回連続って……」

 

「悪魔に嫌われてんじゃね?」

 

「契約者育成校なのに未契約って、何しに来てんだよ」

 

遥人は拳を握った。

 

この学校に入学してから、何度聞いたか分からない。

 

――未契約者《アンダーコンタクト》。

 

悪魔と契約できていない者を指す言葉。

 

本来なら珍しいものではない。

 

問題なのは――ここが契約者育成学校だということだ。

 

ここにいる学生のほとんどは、すでに何らかの悪魔と契約している。

 

だから遥人は異質だった。

 

契約者を育てる学校にいる、契約できない学生。

 

それが一ノ瀬遥人だった。

 

「遥人」

 

席へ戻ると、隣から声がした。

 

「……ん?」

 

「手」

 

九条朱音が遥人の右手を指差した。

 

見ると、強く握りすぎて爪が食い込んでいた。

 

「別に大丈夫」

 

「大丈夫な人はそんな握り方しません」

 

「……はい」

 

朱音が遥人の手を取る。

 

「ちょっ……」

 

「動かない」

 

「いや、これくらい――」

 

「動かない」

 

「はい」

 

逆らえなかった。

 

朱音は昔からこうだ。

 

遥人が無茶をすると、絶対に引かない。

 

「まったく……」

 

朱音は小さく息を吐いた。

 

艶のある黒髪が肩から流れる。

 

整った顔立ち。

 

成績優秀。

 

戦闘訓練でも上位。

 

さらに契約しているのはソロモン七十二柱の一体――第37魔神フェニックス。

 

学校でも知らない者はいないほどの優等生。

 

そんな少女が、未契約者の遥人の手を握っている。

 

当然。

 

「…………」

 

周囲の男子たちから凄まじい視線が飛んでくる。

 

「……朱音」

 

「なに?」

 

「視線が痛い」

 

「気にしなければいいじゃない」

 

「お前はな」

 

朱音は首を傾げた。

 

本当に分かっていないらしい。

 

遥人はため息をついた。

 

「それより」

 

朱音の声が少しだけ優しくなる。

 

「二十七回失敗したくらいで、諦めるつもり?」

 

遥人は朱音を見る。

 

「……まさか」

 

「ならいい」

 

朱音は笑った。

 

「二十八回目で成功すればいいだけでしょ?」

 

「簡単に言うなぁ」

 

「遥人ならできるよ」

 

あまりにも当然のように言われた。

 

遥人は少しだけ目を見開く。

 

周囲の誰もが笑う。

 

教官ですら、遥人が契約できる可能性を疑い始めている。

 

それでも。

 

九条朱音だけは、一度も言わなかった。

 

――諦めろ。

 

と。

 

「……ありがとな」

 

「うん」

 

朱音が微笑んだ。

 

その時。

 

学校中に警報音が鳴り響いた。

 

――ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 

「!?」

 

教室の空気が変わる。

 

『緊急警報。緊急警報』

 

機械音声が響く。

 

『市街地第三区画にて天使反応を確認』

 

全員の表情が固まった。

 

「天使……?」

 

誰かが呟く。

 

『推定階級――不明』

 

教官の顔色が変わった。

 

「全員、待機!」

 

一斉に生徒たちが立ち上がる。

 

「契約悪魔の召喚を禁止する! これは訓練ではない!」

 

遥人は窓を見る。

 

遠く。

 

街の向こう。

 

空に――光が見えた。

 

白い光。

 

美しい。

 

あまりにも美しくて。

 

だからこそ。

 

本能が告げた。

 

――あれは、危険だ。

 

「遥人」

 

朱音が隣に立つ。

 

その表情から、さっきまでの柔らかさは消えていた。

 

「絶対に学校から出ないで」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「子供じゃないんだから」

 

「……遥人だから言ってるの」

 

「どういう意味だよ」

 

朱音は答えなかった。

 

ただ。

 

遥人はまだ知らなかった。

 

この日。

 

この街に現れた一体の天使が。

 

自分の人生を。

 

世界の運命を。

 

そして――

 

百年前から続く、天使と悪魔の戦争そのものを変えることになることを。

 

そして何より。

 

遥人は知らなかった。

 

これまで二十七回。

 

どれほど呼びかけても。

 

どんな悪魔からも選ばれなかった自分を――

 

ずっと以前から見ていた存在がいたことを。

 

暗闇の奥。

 

誰にも届かない場所で。

 

六枚の黒翼が、ゆっくりと開いた。

 

『――ようやくか』

 

黄金の瞳が開く。

 

悪魔の王が――笑った。

 

 

 

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