GEIS   作:カルラリハ

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## 第2話 堕天の王

 

 

――天使。

 

百年前、突如として世界に現れた人類の天敵。

 

その姿は美しく。

 

その力は圧倒的で。

 

そして――人間に対する慈悲を持たない。

 

『市街地第三区画にて天使反応を確認』

 

警報が鳴り響く訓練場。

 

誰もが窓の向こうに浮かぶ白い光を見つめていた。

 

「全員、地下シェルターへ移動!」

 

教官の声が飛ぶ。

 

「契約悪魔の召喚は禁止! AEGISが到着するまで絶対に交戦するな!」

 

生徒たちが一斉に動き始める。

 

普段なら天使との戦いを想定した訓練を受けている者たちだ。

 

それでも実戦は違う。

 

まして、出現した天使の階級は不明。

 

学生が戦っていい相手ではない。

 

「遥人!」

 

「分かってる!」

 

九条朱音に呼ばれ、遥人も走り出す。

 

廊下へ出る。

 

大勢の生徒が避難誘導に従い、地下へ向かっていた。

 

その時。

 

――ドォォォン!!

 

「っ!?」

 

校舎が大きく揺れた。

 

窓ガラスが震える。

 

天井から細かな埃が落ちてきた。

 

「何だ!?」

 

「攻撃!?」

 

直後。

 

『警告。天使反応、移動』

 

放送が響く。

 

『現在位置――』

 

一瞬のノイズ。

 

そして。

 

『契約者育成学校方面』

 

空気が凍った。

 

「こっちに来てる……?」

 

誰かが呟く。

 

朱音の表情が変わった。

 

「遥人、急ぐよ」

 

「ああ」

 

二人は走る。

 

階段を下りる。

 

あと少しで地下シェルター。

 

その時だった。

 

「おかあさん……!」

 

遥人の耳に、小さな声が届いた。

 

「……え?」

 

足が止まる。

 

「遥人?」

 

廊下の向こう。

 

避難する人々とは反対方向。

 

開いた非常口の外に、小さな女の子がいた。

 

学校の敷地に隣接する道路。

 

転んだのだろう。

 

膝から血を流し、泣いている。

 

そして――

 

その遥か上空。

 

白い光。

 

遥人の背筋が凍った。

 

「……まずい」

 

「遥人?」

 

考えるより先だった。

 

遥人は走り出していた。

 

「遥人!?」

 

朱音の声が背後から聞こえる。

 

非常口を飛び出す。

 

「おい!」

 

教官の怒声も無視した。

 

女の子のところまで走る。

 

「大丈夫か!?」

 

「お、お兄ちゃん……」

 

「立てる?」

 

女の子が首を振る。

 

遥人は抱き上げた。

 

軽い。

 

その瞬間。

 

――ゾクリ。

 

全身が粟立った。

 

見られている。

 

遥人はゆっくりと空を見上げた。

 

「…………」

 

そこに。

 

――天使がいた。

 

白い翼。

 

頭上の光輪。

 

白銀の髪。

 

人間とほとんど変わらない姿。

 

息を呑むほど美しかった。

 

絵画の中から抜け出したような神々しさ。

 

しかし。

 

その瞳には――何もなかった。

 

怒りも。

 

憎しみも。

 

殺意すらない。

 

ただ。

 

人間を見ている。

 

まるで道端の石を見るように。

 

「……これが」

 

遥人の喉が鳴った。

 

「天使……」

 

授業では何度も見た。

 

映像でも見た。

 

写真でも見た。

 

だが。

 

実物は違う。

 

身体が勝手に震える。

 

本能が叫んでいる。

 

逃げろ。

 

勝てない。

 

これは――人間が戦っていい存在ではない。

 

「お兄ちゃん……怖い……」

 

胸の中で女の子が震えた。

 

「…………」

 

遥人は歯を食いしばった。

 

「大丈夫」

 

自分だって怖い。

 

それでも。

 

「絶対、大丈夫だから」

 

遥人は天使へ背を向けた。

 

走る。

 

その瞬間。

 

天使が指を向けた。

 

光が集まる。

 

「遥人!!」

 

朱音の叫び。

 

炎が遥人の横を駆け抜けた。

 

――ドンッ!!

 

天使の光と炎が衝突する。

 

爆風が広がった。

 

「うわっ!」

 

遥人は女の子を抱えたまま地面を転がった。

 

「遥人!」

 

朱音が駆け寄ってくる。

 

その背後。

 

巨大な炎の鳥が翼を広げていた。

 

第37魔神――

 

フェニックス。

 

「朱音……!」

 

「何やってるの!!」

 

本気で怒っていた。

 

「死にたいの!?」

 

「いや、でもこの子が!」

 

「だからって!」

 

朱音が言葉を止める。

 

遥人に抱かれて震える少女を見る。

 

「…………もう」

 

小さく息を吐く。

 

「そういうところ、本当に昔から変わらない」

 

「悪い」

 

「褒めてない」

 

朱音は天使を見る。

 

その表情が変わる。

 

「その子を連れて逃げて」

 

「朱音は?」

 

「時間を稼ぐ」

 

「無茶だ!」

 

「私にはフェニックスがいる」

 

炎が朱音を包む。

 

「遥人には――」

 

そこまで言って。

 

朱音が止まった。

 

「…………」

 

遥人には契約悪魔がいない。

 

戦う力がない。

 

その事実を言えなかった。

 

「……分かってる」

 

遥人が答えた。

 

「俺じゃ、何もできない」

 

「遥人……」

 

「だから、この子を連れて逃げる」

 

朱音が頷く。

 

「お願い」

 

遥人は走った。

 

背後で炎が爆発する。

 

フェニックスと天使が激突した。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

走る。

 

少女を抱えたまま。

 

校舎まで。

 

あと少し。

 

「先生!」

 

教官がこちらへ走ってくる。

 

「一ノ瀬!」

 

「この子を!」

 

遥人は少女を教官へ渡した。

 

「お前も入れ!」

 

「でも朱音が!」

 

「九条は契約者だ! お前が行って何になる!」

 

胸に突き刺さった。

 

――何になる。

 

分かっている。

 

俺には悪魔がいない。

 

戦う力もない。

 

行ったところで邪魔になるだけ。

 

「…………」

 

遥人は拳を握る。

 

その時。

 

――ドォォォォン!!

 

爆発。

 

「朱音!」

 

炎の鳥が空から墜ちた。

 

地面へ叩きつけられる。

 

「フェニックス!」

 

朱音の叫び。

 

天使が降りてくる。

 

無傷。

 

「嘘だろ……」

 

遥人は呟いた。

 

ソロモン七十二柱。

 

朱音ほどの契約者でも――

 

勝てない。

 

天使が右手を上げた。

 

狙いは。

 

朱音。

 

「――っ!」

 

遥人は走った。

 

「一ノ瀬!!」

 

教官が叫ぶ。

 

分かっている。

 

馬鹿だ。

 

何もできない。

 

契約悪魔すらいない。

 

それでも。

 

身体が勝手に動いていた。

 

「朱音!」

 

「遥――」

 

遥人は朱音を突き飛ばした。

 

瞬間。

 

白い光が胸を貫いた。

 

「…………え?」

 

痛みすら。

 

最初は分からなかった。

 

遥人は自分の胸を見る。

 

血。

 

「遥人……?」

 

朱音の声。

 

身体から力が抜ける。

 

「遥人!!」

 

地面へ倒れた。

 

音が遠くなる。

 

視界が霞む。

 

朱音が何か叫んでいる。

 

教官が走っている。

 

フェニックスが吠えている。

 

でも。

 

聞こえない。

 

――死ぬのか。

 

遥人は思った。

 

契約者になれなかった。

 

二十七回も失敗した。

 

何度やっても悪魔は来なかった。

 

結局。

 

何もできないまま。

 

「……嫌だな」

 

小さく呟く。

 

まだ。

 

死にたくない。

 

契約者になりたかった。

 

朱音と一緒に戦えるくらい強くなりたかった。

 

誰かを守れる人間になりたかった。

 

もっと――

 

「……強く、なりたかったな」

 

意識が沈んでいく。

 

その時。

 

『――ならば』

 

声がした。

 

「……?」

 

時間が。

 

止まった。

 

風が止まる。

 

炎が止まる。

 

天使の動きさえ止まった。

 

世界から色が消えていく。

 

朱音も。

 

フェニックスも。

 

教官も。

 

何もかもが静止していた。

 

その中で。

 

遥人の目の前に。

 

一人の男が立っていた。

 

「……誰……だ……?」

 

黒い髪。

 

黄金の瞳。

 

背後には――

 

六枚の黒翼。

 

男は遥人を見下ろした。

 

その存在を見ただけで理解した。

 

悪魔。

 

だが。

 

今まで授業で学んできたどの悪魔とも違う。

 

格が違う。

 

存在そのものが違う。

 

男は静かに遥人の前へ歩いてくる。

 

『二十七回』

 

「……え?」

 

『随分と呼んだものだ』

 

遥人の目が見開かれる。

 

「……知って……」

 

『当然だ』

 

男は笑った。

 

『すべて聞いていた』

 

「だったら……」

 

遥人は震える声で言った。

 

「なんで……来なかった……」

 

男の笑みが深くなる。

 

『勘違いするな』

 

六枚の黒翼が開く。

 

世界が軋んだ。

 

『貴様が悪魔に選ばれなかったのではない』

 

黄金の瞳が遥人を射抜く。

 

『私が――選ばせなかった』

 

「…………は?」

 

遥人の思考が止まる。

 

男は当然のことのように続けた。

 

『下級悪魔』

 

一歩。

 

『中級悪魔』

 

さらに一歩。

 

『上級悪魔』

 

そして。

 

『七十二柱』

 

遥人の前で止まる。

 

『その程度の者どもに、私が目をつけた人間を渡すと思ったか?』

 

「……お前……」

 

遥人の声が震える。

 

「何者だ?」

 

男は笑った。

 

その瞬間。

 

背後の闇が吹き飛んだ。

 

六枚の黒翼。

 

黄金の瞳。

 

頭上に浮かぶ――砕けた光輪。

 

かつて天に存在し。

 

神に最も近い場所に立ち。

 

そして。

 

天へ反逆した者。

 

『我が名は――』

 

男が告げる。

 

『ルシファー』

 

遥人の心臓が跳ねた。

 

知っている。

 

知らないはずがない。

 

悪魔について学ぶ者なら。

 

いや。

 

世界中の人間が知っている名前。

 

堕天の王。

 

七つの大罪――《傲慢》。

 

そして。

 

悪魔の頂点。

 

「……ルシファー……?」

 

『そうだ』

 

ルシファーは遥人へ手を差し出した。

 

『一ノ瀬遥人』

 

初めて名乗ったはずなのに。

 

彼は遥人の名前を知っていた。

 

『死にたくないのだろう?』

 

「…………」

 

『強くなりたいのだろう?』

 

遥人は差し出された手を見る。

 

『ならば選べ』

 

黄金の瞳が輝く。

 

『ここで人として死ぬか』

 

黒翼が広がる。

 

『私の手を取り――』

 

世界を覆うほどの闇が広がった。

 

『悪魔の王と共に歩むか』

 

遥人は。

 

震える手を――

 

ゆっくりと持ち上げた。

 

 

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