GEIS   作:カルラリハ

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## 第3話 契約

 

 

『悪魔の王と共に歩むか』

 

ルシファーが差し出した手。

 

遥人はそれを見つめていた。

 

死にたくない。

 

強くなりたい。

 

誰かを守れるようになりたい。

 

そんなことは、もう分かっている。

 

それでも。

 

遥人は手を止めた。

 

『どうした?』

 

「……一つ、聞いていいか」

 

『許す』

 

「なんで俺なんだ?」

 

黄金の瞳が僅かに細くなる。

 

「お前は悪魔の王なんだろ?」

 

『そうだ』

 

「だったら俺より強い奴なんて、いくらでもいる」

 

九条朱音。

 

フェニックスに選ばれた幼馴染。

 

学校の教官たち。

 

世界中で天使と戦う契約者。

 

自分なんかより優秀な人間はいくらでもいる。

 

「俺は二十七回も契約に失敗した」

 

『私が妨害していたからな』

 

「それも意味分かんねぇよ!」

 

思わず声が大きくなった。

 

「なんでそこまでして俺なんだ!」

 

沈黙。

 

ルシファーは遥人を見る。

 

そして。

 

『――傲慢だ』

 

「……は?」

 

『理由など、今の貴様が知る必要はない』

 

「いや契約する側としてはめちゃくちゃ知りたいんだけど」

 

『私が貴様を選んだ』

 

ルシファーは当然のように言う。

 

『それでは不満か?』

 

「…………」

 

遥人は思った。

 

――こいつ、話通じないタイプだ。

 

だが。

 

なぜだろう。

 

恐怖はなかった。

 

目の前にいるのは悪魔の王。

 

人類が恐れてきた存在の頂点。

 

それなのに。

 

不思議と。

 

この手を取ってもいい。

 

そう思えた。

 

遥人はもう一度、差し出された手を見る。

 

そして。

 

「……契約したら」

 

ルシファーを見る。

 

「俺は、強くなれるのか?」

 

『愚問だ』

 

即答だった。

 

六枚の黒翼が広がる。

 

『誰と契約すると思っている』

 

黄金の瞳が輝く。

 

『貴様の前にいるのは――悪魔の王だ』

 

遥人は笑った。

 

「……そうだったな」

 

手を伸ばす。

 

そして。

 

ルシファーの手を握った。

 

瞬間。

 

――ドクン。

 

心臓が鳴った。

 

「――っ!?」

 

熱い。

 

全身が燃えるように熱い。

 

何かが身体の中へ流れ込んでくる。

 

力。

 

そんな言葉では足りない。

 

巨大すぎる何か。

 

遥人という小さな器へ、海そのものを流し込まれているような感覚。

 

「ぐっ……あああああああ!!」

 

『耐えろ』

 

「簡単に……言うな……!」

 

骨が軋む。

 

血が沸騰する。

 

視界が黒く染まる。

 

その中で。

 

声が響いた。

 

『汝、一ノ瀬遥人』

 

ルシファーの声。

 

先ほどまでとは違う。

 

世界そのものへ告げるような声だった。

 

『我、明星を背負いし者』

 

遥人の胸に黒い紋様が浮かぶ。

 

『天より堕ち』

 

一枚。

 

黒翼が広がる。

 

『神に背き』

 

二枚。

 

『傲慢を冠し』

 

三枚。

 

『魔を統べる者』

 

遥人の身体から黒い光が溢れ出す。

 

『我が名はルシファー』

 

黄金の瞳が遥人を見据えた。

 

『我が力を汝へ』

 

遥人も。

 

その瞳を見返した。

 

「俺は――」

 

息を吸う。

 

「一ノ瀬遥人」

 

胸の奥で何かが繋がった。

 

「お前の力を借りる」

 

ルシファーが笑った。

 

『――契約成立だ』

 

◇ ◇ ◇

 

時間が動き出した。

 

「遥人!!」

 

朱音の叫びが響く。

 

地面に倒れていた遥人。

 

その胸には、天使の光によって開けられた致命傷。

 

大量の血。

 

どう見ても助からない。

 

「嫌……」

 

朱音の手が震える。

 

「嫌……嫌……!」

 

フェニックスが傷ついた身体を起こそうとする。

 

教官たちが走ってくる。

 

しかし。

 

天使は待たない。

 

白い翼を広げる。

 

右手に再び光が集まった。

 

狙いは朱音。

 

「っ……!」

 

フェニックスが前へ出ようとする。

 

だが。

 

間に合わない。

 

天使が腕を振り下ろした。

 

光が放たれる。

 

その瞬間。

 

――黒。

 

朱音の視界が黒く染まった。

 

「……え?」

 

白い光が。

 

消えた。

 

いや。

 

飲み込まれた。

 

黒い炎に。

 

「…………」

 

朱音は目を見開いた。

 

目の前に。

 

誰かが立っている。

 

見慣れた背中。

 

「……遥人?」

 

返事はない。

 

「遥……人……?」

 

確かに。

 

胸を貫かれた。

 

見間違えるはずがない。

 

なのに。

 

一ノ瀬遥人は立っていた。

 

胸の傷が――消えている。

 

制服には血が残っている。

 

だが。

 

身体には傷一つない。

 

「ふぅ……」

 

遥人が息を吐く。

 

そして。

 

「……生きてる」

 

自分の胸を触った。

 

「本当に治ってる……」

 

『当然だ』

 

頭の中に声が響く。

 

「うおっ!?」

 

遥人が周囲を見る。

 

「どこだ!?」

 

『頭の中だ。いちいち騒ぐな』

 

「先に言え!」

 

『契約とはそういうものだ』

 

「知らねぇよ、初めてなんだから!」

 

朱音は呆然とその光景を見ていた。

 

「遥人……誰と喋ってるの?」

 

「あ」

 

遥人が固まった。

 

「いや……その……」

 

天使が動いた。

 

「遥人!」

 

「っ!」

 

遥人が振り向く。

 

天使の姿が消える。

 

次の瞬間。

 

目の前。

 

「速――」

 

拳が迫る。

 

死ぬ。

 

そう思った。

 

だが。

 

『右だ』

 

ルシファーの声。

 

遥人は反射的に右へ身体を傾けた。

 

――轟ッ!!

 

天使の拳が頬の横を通過する。

 

衝撃だけで地面が吹き飛んだ。

 

「うおおお!?」

 

遥人は転がる。

 

『無様だな』

 

「初戦闘なんだよ!」

 

『言い訳か?』

 

「じゃあ代われ!」

 

『断る』

 

「なんでだよ!」

 

『貴様の戦いだからだ』

 

天使が再び迫る。

 

「くそっ!」

 

遥人は拳を構える。

 

『力を込めろ』

 

「どこに!?」

 

『全身だ』

 

「雑すぎるだろ!」

 

『なら死ぬか?』

 

「やるよ!」

 

遥人は地面を蹴った。

 

――ドン!!

 

「え?」

 

地面が爆発した。

 

遥人の身体が一瞬で天使の目前へ到達する。

 

「速っ!?」

 

自分自身が一番驚いた。

 

『殴れ』

 

「お、おう!」

 

遥人は拳を振るう。

 

天使が腕で防ぐ。

 

瞬間。

 

――轟ッ!!!

 

天使の身体が吹き飛んだ。

 

校庭を横断し。

 

建物の壁へ激突する。

 

「…………」

 

静寂。

 

遥人が拳を見る。

 

朱音が遥人を見る。

 

教官たちも遥人を見る。

 

「……俺がやった?」

 

『他に誰がいる』

 

「いやいやいや」

 

遥人は自分の拳を見る。

 

「ちょっと待て」

 

天使が瓦礫から立ち上がる。

 

無傷ではない。

 

右腕が不自然に曲がっている。

 

遥人の拳。

 

たった一発で。

 

天使に――傷を負わせた。

 

「……マジかよ」

 

心臓が高鳴る。

 

今まで何もできなかった。

 

朱音が戦っていても。

 

誰かが危険でも。

 

自分には何もなかった。

 

でも。

 

今は違う。

 

戦える。

 

「ルシファー」

 

『なんだ』

 

「力、貸してくれ」

 

一瞬。

 

沈黙。

 

そして。

 

ルシファーが笑った。

 

『――最初からそのつもりだ』

 

黒い炎が遥人の右腕を包む。

 

熱くない。

 

むしろ。

 

身体に馴染む。

 

まるで最初からそこにあったように。

 

天使が遥人を見る。

 

初めて。

 

その無機質だった顔に変化が生まれた。

 

「……?」

 

天使の瞳が。

 

遥人ではなく。

 

遥人の背後を見ている。

 

否。

 

遥人の中にいる存在を見ている。

 

そして。

 

天使が口を開いた。

 

「――その力」

 

遥人が目を見開く。

 

天使が。

 

喋った。

 

「知っている」

 

朱音の表情が変わる。

 

「遥人……」

 

天使の瞳が僅かに揺れる。

 

「その炎」

 

黒炎が燃え上がる。

 

「その気配」

 

天使が。

 

一歩――後退した。

 

「あり得ない」

 

明確な動揺。

 

そして。

 

その口から。

 

一つの名が零れた。

 

「――ルシファー」

 

空気が凍った。

 

「…………え?」

 

朱音の声。

 

教官たちの表情が変わる。

 

フェニックスが。

 

遥人を見る。

 

否。

 

遥人の中にいる何かを見る。

 

そして――

 

頭を垂れた。

 

「……フェニックス?」

 

朱音が呟く。

 

ソロモン七十二柱。

 

第37魔神フェニックスが。

 

まるで王を前にした臣下のように。

 

遥人へ向かって頭を下げている。

 

『ほう』

 

ルシファーの声。

 

『久しいな、フェニックス』

 

フェニックスが低く鳴く。

 

遥人の背後。

 

誰にも見えないはずの六枚の黒翼が。

 

一瞬だけ――世界へ浮かび上がった。

 

教官の一人が震える声で呟いた。

 

「そんな……」

 

誰も動けない。

 

「あり得ない……」

 

その視線の先。

 

二十七回。

 

下級悪魔一体とすら契約できなかった少年。

 

未契約者《アンダーコンタクト》。

 

落ちこぼれ。

 

異常者。

 

そう呼ばれてきた一ノ瀬遥人が立っている。

 

そして。

 

その契約悪魔は。

 

悪魔の王。

 

堕天の王。

 

七つの大罪――《傲慢》。

 

**ルシファー。**

 

遥人はそんな周囲の反応を見ながら。

 

一人だけ別のことを考えていた。

 

「……これ」

 

自分を指差す。

 

「めちゃくちゃ大事になってない?」

 

『今さら気づいたか』

 

「お前、悪魔の王なんだよな?」

 

『先ほどからそう言っている』

 

「…………」

 

遥人は頭を抱えた。

 

「契約する前に、もうちょっと考えればよかった……」

 

『ほう?』

 

ルシファーの声が低くなる。

 

『私との契約が不満か?』

 

「そういう意味じゃねぇよ!」

 

黒炎がさらに燃え上がる。

 

そして。

 

目の前では。

 

天使が再び光を集め始めていた。

 

戦いは――

 

まだ終わっていない。

 

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