「君をAEGIS本部へ招待するために来た」
御影慧は、まるで放課後に遊びへ誘うような気軽さでそう言った。
「…………」
一ノ瀬遥人は黙る。
そして。
「嫌です」
「即答だね」
御影が笑った。
「だって絶対面倒じゃないですか」
「否定はしない」
「ほら!」
「でも拒否権もない」
「じゃあなんで聞いたんですか!?」
「一応、君の意思を尊重したという形は必要だからね」
「大人って汚い!」
学園長が頭を抱えた。
「一ノ瀬……頼むからAEGISのS級にそんな口を利くな……」
「いやでも!」
御影は楽しそうに笑っている。
「構わないよ。僕はこういう方が好きだ」
「俺は嫌いになりそうです」
「それも構わない」
「強いなこの人……」
『実際に強いぞ』
頭の中でルシファーが言った。
遥人は僅かに眉を動かす。
(分かるのか?)
『立ち方を見れば十分だ』
御影は一見すると無防備だ。
武器も持っていない。
構えてもいない。
ただ立っているだけ。
なのに。
隙がない。
「それで」
遥人は御影を見る。
「本部で何するんですか?」
「検査と事情聴取」
「検査?」
「君とルシファーの契約状態を確認する」
御影の表情から笑みが少し消えた。
「昨日の戦闘映像は確認した。君は契約直後にもかかわらず天使を撃破している」
「まあ……」
「異常だよ」
遥人が黙る。
「契約した悪魔が強ければ、それだけで契約者が最強になるわけじゃない」
御影は人差し指を立てる。
「悪魔からどれだけ力を引き出せるか」
中指。
「その力に人間の肉体が耐えられるか」
薬指。
「能力を理解しているか」
「そして――」
四本目。
「契約悪魔との信頼関係」
御影は手を下ろした。
「契約者の強さは、色々な要素で決まる」
遥人は自分の右手を見る。
昨日。
自分はルシファーの力で天使を倒した。
だが。
戦い方なんて知らなかった。
ルシファーに言われた通り動いただけ。
「つまり」
遥人は顔を上げる。
「俺自身は弱いってことですか?」
「うん」
「即答!?」
「事実だからね」
「もうちょっと言い方ありません!?」
「ルシファーの力は規格外。でも一ノ瀬遥人という契約者は――」
御影は遥人を見る。
「現時点では素人だ」
「…………」
反論できなかった。
『正論だ』
(お前まで!)
「だから」
御影が続ける。
「本部へ行く前に、一つ確認したい」
「何を?」
御影の笑顔が戻る。
嫌な予感がした。
「君の現在地」
「…………はい?」
「模擬戦をしよう」
「…………」
遥人は御影を見る。
御影を見る。
胸元の身分証を見る。
もう一度見る。
「S級ですよね?」
「そうだね」
「俺、昨日初めて戦ったんですけど?」
「知ってる」
「死にません?」
「殺さないよ」
「そういう問題かな!?」
御影は楽しそうだった。
◇ ◇ ◇
十分後。
学園地下。
対契約者戦闘訓練場。
「なんでこうなった……」
遥人は訓練用の服へ着替えていた。
観客席には学園長。
教官数名。
そして。
「遥人ー!」
「……なんでいるんだよ」
朱音だった。
「御影さんから聞いた」
「帰ってくれ」
「嫌」
「即答かよ」
「怪我したらフェニックスで焼くから」
「治療じゃないの!?」
朱音が笑う。
冗談――だと思いたい。
向かい側。
御影が立っている。
武器はない。
契約悪魔も召喚していない。
「ルールは簡単」
御影が言う。
「僕に一撃入れれば君の勝ち」
「御影さんは?」
「僕は――」
少し考える。
「そうだな」
笑った。
「君を地面に倒したら勝ち」
「舐められてる……!」
『当然だ』
「ルシファー!」
黒い炎が遥人の周囲に立ち上る。
観客席の空気が変わる。
御影はそれを見る。
「それが昨日の黒炎か」
目が細くなる。
「面白いね」
「後悔しても知りませんよ」
「しないよ」
御影は。
構えない。
「いつでもどうぞ」
「…………」
遥人は腰を落とす。
昨日の感覚を思い出す。
力を脚へ。
一気に。
「行きます!」
――ドン!!
床が弾けた。
遥人が消える。
一瞬で御影の懐へ。
右拳。
黒炎。
「――っ!」
振り抜く。
だが。
「速い」
御影が半歩動く。
拳が空を切った。
「!?」
「でも」
御影の声が耳元で聞こえた。
「直線的だ」
足を払われる。
「うわっ!?」
遥人の身体が宙へ浮いた。
――ドン!
背中から床へ落ちる。
「ぐっ……!」
「一本」
「早っ!?」
開始から。
僅か数秒。
「もう一回!」
遥人が立ち上がる。
「もちろん」
再び突っ込む。
今度はフェイント。
右。
御影が動く。
「もらった!」
左拳。
しかし。
御影は既にそこにいない。
「え?」
背後。
「発想はいい」
肩を押される。
遥人の体勢が崩れる。
「でも視線で分かる」
「くっ!」
転がる。
立ち上がる。
もう一度。
また。
もう一度。
何度やっても。
届かない。
「なんでだよ……!」
遥人は息を切らす。
御影は。
ほとんど動いていない。
『落ち着け』
ルシファーが言う。
(分かってる!)
『分かっていない』
(じゃあどうすればいい!)
『考えろ』
(お前もそればっかりだな!)
御影が遥人を見る。
「右足に力を入れる癖がある」
「……え?」
「加速する直前、僅かに右肩が下がる」
御影が指摘する。
「攻撃する場所を見る癖もある」
遥人の顔が引きつる。
「黒炎を使う時は呼吸が一瞬止まる」
一歩。
御影が近づく。
「焦ると拳を握る」
また一歩。
「左からの攻撃に対する反応が少し遅い」
遥人は。
無意識に後退した。
「それから――」
御影の瞳が遥人を見る。
「ルシファーの声を聞く時、ほんの僅かに目線が右上へ動く」
「…………」
背筋が冷えた。
『なるほど』
ルシファーが呟く。
先ほどまでの軽い調子ではない。
『そういうことか』
(何が?)
『奴はただ強いのではない』
御影が止まる。
「一ノ瀬君」
「……はい」
「戦闘っていうのはね」
御影が笑う。
「相手を知った方が勝つ」
その瞬間。
――ゾクン。
遥人の身体から。
力が抜けた。
「……え?」
膝が落ちる。
黒炎が弱くなる。
「な……んだ……?」
立てない。
さっきまで身体中に溢れていた力が。
急速に失われていく。
「遥人!?」
朱音が立ち上がる。
「御影さん、何したんですか!?」
御影は答えない。
遥人を見る。
「三十七秒」
「……?」
「今の僕が、君を観察した時間」
御影が遥人の前へ立つ。
「十分とはいかないか」
小さく呟く。
「まだ情報が浅い」
「何……言って……」
『ベリアル』
ルシファーが答えた。
遥人が目を見開く。
『奴の契約悪魔だ』
「ベリアル……」
『そして、この力』
ルシファーが。
珍しく。
楽しそうに笑った。
『《無価値》か』
御影の眉が僅かに動く。
「さすがだね、ルシファー」
「……無価値?」
御影は遥人を見る。
「ベリアルの能力だ」
静かに説明する。
「相手を知れば知るほど」
一歩。
「理解すればするほど」
もう一歩。
「その存在を――弱くする」
「…………!」
遥人は立ち上がろうとする。
だが。
力が入らない。
「普通なら効果を実感できるまで十分ほど観察が必要なんだけど」
御影は少し困ったように笑う。
「僕は人を見るのが得意でね」
「得意って……レベルじゃ……」
「でも、まだ三十七秒」
御影が遥人の額へ指を当てる。
軽く。
押す。
それだけで。
遥人は。
――ドサッ。
仰向けに倒れた。
「…………」
天井を見る。
何もできなかった。
ルシファーと契約した。
天使を倒した。
もしかしたら。
自分は強くなったのかもしれない。
そんな気持ちが。
心のどこかにあった。
でも。
現実は。
たった一人の人間に。
触れることすらできなかった。
「……俺の負けです」
「うん」
御影は手を差し出す。
遥人はその手を取る。
「でも」
御影が遥人を引き起こす。
「悪くない」
「ボコボコにされたんですけど」
「昨日初めて戦った人間が、S級相手に三十七秒動けた」
「それって凄いんですか?」
「かなり」
「……慰めてません?」
「僕、そういうの苦手なんだ」
御影は笑う。
そして。
「何より」
遥人の胸を見る。
その奥。
ルシファーを見ているかのように。
「まだ君は、ルシファーの力をほとんど使えていない」
「…………」
「だから」
御影は続ける。
「強くなるよ、君は」
遥人は拳を見る。
さっきまであった黒炎は。
もう消えている。
悔しい。
初めて。
明確にそう思った。
天使に負けそうになった時とは違う。
自分と同じ人間。
契約者に。
完全に負けた。
「……御影さん」
「ん?」
「次」
遥人が顔を上げる。
「絶対、一発入れます」
一瞬。
御影が目を丸くした。
そして。
笑った。
「楽しみにしてる」
『フッ』
ルシファーも笑う。
(何だよ)
『いや』
少しだけ。
声が楽しそうだった。
『それでこそ、私の契約者だ』
◇ ◇ ◇
模擬戦終了後。
御影は一人。
廊下を歩いていた。
『どうだった?』
声がする。
御影の影から。
ベリアルの声。
御影は少し考える。
「面白い」
『それだけ?』
「じゃあ訂正しよう」
御影が足を止める。
「異常だ」
『ほう』
「契約初日であの身体能力」
御影は先ほどの戦闘を思い返す。
「黒炎についてはまだ理解不足」
「動きは素人」
「判断も甘い」
「それでも」
御影の表情から。
笑みが消える。
「僕の《無価値》が――完全には通らなかった」
沈黙。
『気づいてた?』
「もちろん」
御影は自分の右手を見る。
「三十七秒観察した」
通常の人間なら。
十分。
御影なら数秒。
それだけで十分なはずだった。
なのに。
遥人は完全には弱体化しなかった。
「一ノ瀬遥人が抵抗したのか」
御影が呟く。
「それとも――」
視線を上げる。
「ルシファーという存在そのものを、僕がまだ理解できていないのか」
『知りたい?』
ベリアルが笑う。
御影も笑った。
「当然」
それこそが。
御影慧という男の本質だった。
知らないものがある。
なら。
知ればいい。
理解すればいい。
そして。
理解した瞬間。
どれほど強大な存在であろうと。
彼の前では――
**《無価値》になる。**