「――S級って、あんなに強いのか……」
模擬戦から数時間後。
一ノ瀬遥人は車の後部座席で、ぼんやりと右手を眺めていた。
握る。
開く。
当然、何も起きない。
「……黒炎」
小さく呟いてみる。
何も起きない。
「黒炎!」
やっぱり出ない。
『名前を叫べば出ると思っているのか?』
「うるさい」
向かい側。
御影慧が笑った。
「仲良さそうだね」
「どこがですか」
『不敬な契約者だ』
「お前が偉そうなんだよ」
『私は偉い』
「自分で言うな」
『事実だ』
御影が楽しそうに二人のやり取りを聞いている。
「やっぱり珍しいな」
「何がです?」
「契約初日でそこまで普通に会話できること」
「そうなんですか?」
「契約悪魔との関係は人それぞれだけどね。契約直後は意思疎通すら難しい場合もある」
遥人は少し考える。
「……こいつ、初対面からこんな感じでしたよ」
『こいつとは何だ』
「ほら」
「なるほど」
御影は笑った。
車の窓の向こう。
巨大な建造物が見えてくる。
「……あれが」
遥人が身を乗り出した。
世界各国の旗。
巨大な防壁。
空には複数の監視ドローン。
そして中央には、盾に翼と角を組み合わせた紋章。
対天使国際連合。
**AEGIS《イージス》。**
日本支部。
「でっか……」
「日本の対天使戦力の中枢だからね」
車が巨大なゲートを通過する。
何重もの認証。
武装した警備員。
契約悪魔を連れた職員。
遥人は窓に張りついた。
「すげぇ……」
『子供か』
「初めて来たんだから仕方ないだろ」
そして。
遥人は気づく。
「……あれ?」
廊下を歩いている人間。
制服。
スーツ。
戦闘装備。
様々だが。
胸元に共通して付けられているものがある。
アルファベットが刻まれた認識票。
「御影さん」
「ん?」
「あれってランクですか?」
「ああ」
御影は自分の認識票を見せる。
そこには――
**S**
「契約者は基本的に、実力と実績によって階級分けされる」
御影が指を折る。
「F、E、D、C、B、A」
そして。
「S」
遥人は頷く。
「御影さんがそこですね」
「そう」
「じゃあSが最高?」
「通常はね」
「通常?」
御影が遥人を見る。
「S級のさらに上が存在する」
遥人が身を乗り出す。
「何ですか?」
御影は短く答えた。
「――冠位」
「かんい……」
「世界でもごく少数しか存在しない」
「御影さんより強いんですか?」
「単純な戦闘力なら、そういう人もいる」
『曖昧だな』
ルシファーが言う。
御影は肩をすくめる。
「強さっていうのは単純じゃないからね」
遥人は。
先ほどの模擬戦を思い出した。
ベリアルの《無価値》。
そして御影の観察力。
「……確かに」
ランクが高ければ必ず勝つ。
そんな単純な世界ではない。
「ちなみに」
遥人が聞く。
「俺って今どのくらいなんです?」
御影は少し考える。
「分からない」
「え?」
「だから今日調べる」
嫌な予感。
「……何するんです?」
御影が笑った。
「色々」
「その言い方怖いんですけど」
◇ ◇ ◇
AEGIS日本支部。
契約者能力測定区画。
「では一ノ瀬遥人さん」
白衣の女性職員が端末を見る。
「これより契約者登録に必要な基礎測定を開始します」
「お願いします」
遥人の身体には大量のセンサー。
腕。
脚。
胸。
頭。
「……実験動物みたい」
『似たようなものだろう』
「違うわ」
「まず身体能力」
目の前。
巨大な測定装置。
「全力で殴ってください」
「全力?」
「はい」
遥人は拳を握る。
「ルシファー」
『使うな』
「え?」
『まず自分だけで殴れ』
遥人は少し考える。
「……分かった」
腰を落とす。
拳を振る。
――ドン!
数字が表示される。
職員が確認する。
「身体能力……一般契約者平均を上回っています」
「お」
「契約による肉体強化が常時発生しているようですね」
「何もしてないのに?」
「契約悪魔が高位になるほど、その存在だけで契約者へ影響を与える場合があります」
遥人は感心する。
「じゃあ次」
黒炎。
遥人は目を閉じる。
昨日。
そして御影との戦い。
感情。
怒り。
悔しさ。
――負けたくない。
ボッ。
「!」
右手に。
小さな黒炎が灯った。
「出た!」
『騒ぐな』
「初めて自分で出せたんだぞ!」
遥人は笑う。
御影との戦いでは。
結局、自分の意思で自由に出せなかった。
でも。
今は違う。
「よし……!」
炎を大きくする。
職員が計測を開始。
「エネルギー反応確認」
数字が上昇する。
「……え?」
職員の表情が変わった。
数字が。
止まらない。
「測定値、規定値突破」
警告音。
「出力を落としてください!」
「え!?」
「装置の上限を超えます!」
「まだそんなに出してないんですけど!?」
『だから言っただろう』
ルシファーが呆れる。
『無駄に力を使うな』
「これでも抑えてる!」
――ピピピピピ!
「測定中止!」
黒炎を消す。
静寂。
職員が装置を見る。
「…………」
「壊れました?」
「ギリギリ」
「よかった……」
「よくありません」
「すみません」
御影が少し離れた場所から見ている。
その目は。
楽しそうだった。
◇ ◇ ◇
次。
耐久力。
次。
反応速度。
次。
魔力容量。
次。
契約同調率。
測定が進むたび。
職員の顔がおかしくなっていく。
「魔力容量……測定不能」
「契約同調率……数値が安定しません」
「悪魔側出力……上限不明」
そして。
「契約悪魔情報……」
職員が端末を操作する。
**LUCIFER**
表示された瞬間。
エラー。
「……また?」
遥人が聞く。
「データベース上に情報は存在します」
「なら何で?」
「古すぎるんです」
「古い?」
職員が画面を見る。
「AEGIS設立以前」
さらに遡る。
「現在の契約測定方式が作られる以前の記録しかありません」
「…………」
「そもそも」
職員が遥人を見る。
「ルシファーと人間の正式契約について、現代AEGISには比較可能なデータがありません」
遥人は黙る。
改めて。
理解する。
自分が契約した存在。
その異常さを。
『今さらか』
「うるさい」
◇ ◇ ◇
最後。
模擬戦闘評価。
遥人の前に。
戦闘用人形が十体並んでいる。
「制限時間三分」
職員が説明する。
「自由に戦ってください」
「自由に……」
遥人は拳を握る。
黒炎。
出る。
さっきより自然。
「よし」
開始。
遥人が走る。
一体目。
拳。
――ドン!
撃破。
二体目。
黒炎。
破壊。
三体目。
避ける。
反撃。
「おお……!」
動ける。
昨日より。
明らかに。
御影との戦いで何度も倒された。
その経験が。
身体に残っている。
『右』
「分かってる!」
攻撃を避ける。
『左』
「見えてる!」
拳。
撃破。
ルシファーが笑う。
『少しはマシになったな』
「誰のおかげだと思ってんだ」
『私だろう』
「御影さんだよ!」
『…………』
「拗ねるな!」
最後。
十体目。
黒炎を拳へ集める。
「――これで!」
殴る。
――轟!!
人形が吹き飛ぶ。
終了。
「はぁ……はぁ……」
遥人は息を整える。
「どうです?」
職員たちが。
無言。
「……あれ?」
一人が端末を見る。
「評価を出します」
遥人が息を呑む。
画面に。
文字が表示される。
**暫定戦闘評価――B**
「…………」
遥人が固まる。
「B?」
「はい」
「昨日契約したばっかりですよ?」
「だから暫定です」
「いや高くない!?」
職員も困っている。
「私たちもそう思っています」
「ですよね!?」
御影が笑う。
「いいじゃないか」
「御影さん!」
「でも勘違いしない方がいい」
遥人を見る。
「それはルシファー込みの評価だ」
「…………」
御影の言葉が。
胸に刺さる。
「契約者としての技術」
「戦闘経験」
「判断力」
「能力理解」
御影は指を折る。
「全部まだ最低クラス」
遥人は拳を見る。
「ルシファーが強い」
御影が言う。
「だから君も強い」
一瞬。
沈黙。
「でも」
御影の目が鋭くなる。
「君自身が強いわけじゃない」
遥人は。
何も言わなかった。
悔しい。
でも。
正しい。
「……分かってます」
遥人は顔を上げる。
「昨日までは」
何もなかった。
悪魔すらいなかった。
だから。
契約できれば。
それだけでいいと思っていた。
でも今は。
違う。
「俺」
拳を握る。
「強くなりたいです」
御影が黙る。
「ルシファーが強いからじゃなくて」
遥人は続ける。
「俺が――強くなりたい」
『…………』
ルシファーも。
何も言わない。
「だから」
遥人は御影を見る。
「御影さん」
「何?」
「俺を鍛えてください」
沈黙。
御影が目を丸くする。
そして。
「嫌だ」
「えええええ!?」
「面倒だから」
「そこは受ける流れでしょ!?」
「僕、教師じゃないし」
「S級じゃないですか!」
「S級と教師は別職だよ」
「お願いします!」
「嫌だ」
「そこをなんとか!」
二人のやり取りを聞きながら。
ルシファーが。
小さく笑った。
『遥人』
「何だよ!」
『私が教えてやる』
遥人が止まる。
「……お前が?」
『不満か?』
「いや……」
少し考える。
「教えるの下手そう」
『…………』
「痛っ!?」
突然。
頭に衝撃。
「何した!?」
『契約者への教育だ』
「絶対怒っただけだろ!」
御影が笑う。
遥人は知らない。
この瞬間から始まる。
悪魔の王による。
常識外れの訓練が。
自分をどこまで変えていくのかを。
◇ ◇ ◇
その夜。
AEGIS日本支部。
遥人の測定結果が。
一つのデータとして送信された。
送信先。
日本ではない。
海を越え。
さらに遠く。
AEGIS中央本部。
そして。
その資料を開いた人物がいた。
「Lucifer……?」
女の声。
画面には。
一ノ瀬遥人の写真。
その横。
**暫定評価:B**
「面白い」
長い銀髪が揺れる。
彼女の背後。
巨大な影が。
静かに目を開いた。
『羨ましい?』
声がする。
女は笑った。
「ええ」
迷いなく答える。
「とても」
画面の中の遥人を見る。
「だって――」
その瞳に。
強烈な憧憬が宿る。
「悪魔の王に選ばれたんでしょう?」
影が笑った。
『なら』
深海のような魔力が部屋を満たす。
『――あの子みたいになりたい?』
女――
**ヴィヴィアン・グレイ**は。
楽しそうに微笑んだ。
「まだ分からないわ」
そして。
画面を閉じる。
「だって私――」
その視線が。
別の資料へ移る。
そこに表示されていた名前。
**御影 慧。**
ヴィヴィアンは少しだけ頬を膨らませた。
「まずはあの人に勝ちたいもの」