――修行開始から二週間。
午前四時。
契約者育成学校、第三訓練場。
「――っ!」
一ノ瀬遥人の拳が空を切った。
その先。
ルシファーが僅かに首を傾ける。
拳が頬のすぐ横を通過。
『遅い』
「まだ!」
遥人は拳を引かない。
身体を回転。
蹴り。
ルシファーが腕で受ける。
――ドン!
衝撃が訓練場に響いた。
『軽い』
「だったら!」
遥人の右腕に黒炎が灯る。
『ほう』
黒炎を纏った拳。
ルシファーへ振り抜く。
しかし。
掴まれた。
「っ!」
『力に頼ったな』
「しまっ――」
視界が回転。
――ドン!!
「ぐはっ!」
遥人の身体が地面へ叩きつけられた。
「いってぇ……!」
『十九秒』
ルシファーが言う。
「……昨日は?」
『十七秒』
遥人は地面に倒れたまま拳を握った。
「二秒伸びた!」
『喜ぶところか?』
「二週間前なんて一秒も持たなかっただろ!」
『私が本気なら今でも一秒以下だ』
「それ言ったら終わりだろ!」
遥人は起き上がる。
息を整える。
二週間。
毎日。
朝三時。
走る。
殴る。
避ける。
倒される。
また立つ。
何度繰り返したか分からない。
でも。
確実に。
変わっていた。
「もう一回」
『休まないのか?』
「今の避け方、なんか掴めそうなんだよ」
ルシファーの黄金の瞳が僅かに細くなる。
『……来い』
遥人が構える。
黒炎は――出さない。
まず。
自分の力で。
地面を蹴る。
ルシファーへ迫る。
右拳。
避けられる。
想定内。
左。
防がれる。
これも。
想定内。
なら。
「――ここ!」
一歩踏み込む。
肘。
ルシファーの頬へ。
あと数センチ。
『甘い』
手首を掴まれた。
「うわっ!」
再び地面へ。
――ドン!
「くっそぉ……!」
『だが』
ルシファーが遥人を見る。
『今のは悪くない』
「……!」
遥人が笑う。
「もう一回!」
『好きにしろ』
◇ ◇ ◇
午前八時。
教室。
「…………」
遥人は机に突っ伏していた。
「遥人」
「…………」
「遥人?」
「…………」
朱音が遥人の肩を揺らす。
「死んでる?」
「……半分」
「また三時?」
「三時」
「何時まで?」
「七時」
「……毎日?」
「毎日」
朱音が呆れる。
「ルシファーって悪魔の王なんだよね?」
「そうだけど」
「契約者を殺そうとしてない?」
「最近俺も疑ってる」
『聞こえているぞ』
「聞かせてるんだよ」
朱音が笑った。
そして。
遥人を見る。
「でも」
「ん?」
「ちょっと変わったね」
「何が?」
「身体」
遥人が固まる。
「え?」
朱音が腕を見る。
「前より筋肉ついた」
「マジ?」
遥人が腕を曲げる。
「おお……!」
『毎日あれだけ鍛えれば当然だ』
「成果出てる!」
遥人は嬉しそうに腕を見る。
朱音はそんな遥人を見て。
小さく笑った。
「……よかったね」
「おう!」
その時。
教官が入ってくる。
「席につけ」
生徒たちが移動する。
「今日は予定を変更する」
教官が端末を操作。
訓練場が画面に映る。
「契約者同士の模擬戦を行う」
教室がざわついた。
「組み合わせはこちらで決めた」
名前が表示されていく。
遥人は自分を探す。
そして。
止まった。
**一ノ瀬遥人**
対戦相手。
**九条朱音**
「…………」
遥人が隣を見る。
朱音も見る。
数秒。
「……マジ?」
「みたいだね」
朱音が笑った。
◇ ◇ ◇
第一訓練場。
観客席にはクラスメイト。
中央。
遥人と朱音が向かい合っている。
「なんか変な感じだな」
遥人が言う。
「何が?」
「朱音と戦うの」
「昔はよく喧嘩したじゃない」
「小学生の話だろ!」
「遥人、弱かったよね」
「今それ言う!?」
朱音が笑う。
だが。
その後ろ。
炎が生まれる。
巨大な翼。
炎の鳥。
第37魔神。
**フェニックス。**
空気が変わった。
遥人も表情を変える。
『油断するな』
ルシファーが言う。
(分かってる)
朱音は強い。
ずっと。
遥人より先を歩いていた。
「遥人」
「ん?」
「手加減したら怒るから」
「…………」
遥人は笑う。
「そっちこそ」
開始音。
――ピッ!
朱音が手を上げる。
「フェニックス!」
炎。
「うおっ!」
遥人が横へ飛ぶ。
炎が地面を走る。
熱い。
「いきなり!?」
「手加減しないって言ったでしょ!」
フェニックスが上空へ。
火球。
三つ。
遥人へ降る。
一発目。
避ける。
二発目。
身体を低く。
三発目。
「――っ!」
右手。
黒炎。
振り払う。
――ボン!
火球が弾ける。
観客席がざわめく。
「黒炎だ!」
「あれがルシファーの……!」
遥人は右手を見る。
黒炎。
以前とは違う。
暴れていない。
自分の意思で。
必要な分だけ。
『ようやく形になったな』
「二週間毎日燃やされればな!」
「遥人!」
朱音が迫る。
速い。
拳。
遥人は受けない。
避ける。
次。
蹴り。
身体を引く。
「!」
朱音の目が僅かに見開く。
以前の遥人なら。
今ので倒れていた。
「……本当に強くなった」
「まだまだ!」
遥人が踏み込む。
右拳。
朱音が防ぐ。
そこから。
左。
避けられる。
追う。
「くっ!」
朱音が距離を取る。
フェニックスが炎を放つ。
遥人の周囲。
炎の壁。
「逃げ場――」
朱音が止まる。
黒炎。
遥人の足元から広がっている。
だが。
爆発させない。
薄く。
身体を包む。
炎の中。
遥人が走った。
「なっ……!」
『《憤怒》を防御に回したか』
ルシファーが呟く。
遥人が炎を突破。
朱音の目の前。
「取った!」
拳。
朱音の頬。
その直前。
――止まった。
「…………」
遥人の拳が。
朱音の数センチ手前で止まっている。
静寂。
朱音が瞬きをする。
「……なんで止めたの?」
「いや」
遥人が困った顔をする。
「顔は殴れないだろ」
「…………」
朱音の眉が動く。
「手加減したら怒るって言ったよね?」
「え?」
「フェニックス」
「ちょっ――」
――轟!!
「うわああああああ!?」
◇ ◇ ◇
数分後。
「……負けた」
遥人は床に座っていた。
髪の毛が少し焦げている。
「自業自得」
朱音が隣に座る。
「幼馴染の顔を本気で殴れるかよ」
「戦闘なら殴って」
「無茶言うな」
「敵に私と同じ顔の能力がいたら?」
「…………」
遥人が止まる。
『ほう』
ルシファーが笑う。
『良い指摘だ』
「お前まで……」
朱音が立ち上がる。
そして。
遥人へ手を差し出す。
「でも」
「ん?」
「強くなったね」
「…………」
遥人はその手を見る。
ずっと。
朱音の背中を見ていた。
契約できなかった自分と。
フェニックスに選ばれた朱音。
遠いと思っていた。
でも。
今日は。
届いた。
「……まだ負けたけどな」
「次は分からないよ」
遥人は笑う。
その手を取った。
「次は勝つ」
「楽しみにしてる」
◇ ◇ ◇
放課後。
遥人の端末が鳴った。
「……御影さん?」
メッセージ。
**AEGIS日本支部へ来てほしい。**
そして。
その下。
**天使について話がある。**
遥人の表情が変わる。
◇ ◇ ◇
一時間後。
AEGIS日本支部。
会議室。
遥人。
朱音。
御影。
三人がいた。
「なんで朱音も?」
「私も当事者だから」
「九条さんにも関係がある」
御影が端末を操作する。
画面。
あの日。
学校を襲った天使。
「解析が終わった」
御影が言う。
「結論から話す」
遥人が息を呑む。
「この天使」
御影の目が細くなる。
「学校を襲うことが目的ではなかった可能性が高い」
「……どういうことですか?」
「行動経路を解析した」
地図。
天使が出現した場所。
移動した方向。
すべてが表示される。
「無差別に人間を殺すなら、もっと人口密度の高い場所があった」
御影が線を引く。
「でも無視している」
「じゃあ……」
朱音が呟く。
「何かを探してた?」
「その可能性が高い」
遥人の背筋が冷える。
御影が。
遥人を見る。
「そして」
画面が切り替わる。
「君と遭遇した瞬間」
天使の行動が変わった。
映像。
遥人を見る天使。
その後。
一直線に攻撃。
「偶然かもしれない」
御影は言う。
「でも」
沈黙。
「一ノ瀬君」
「……はい」
「天使は――」
その瞬間。
――ビーッ! ビーッ! ビーッ!
警報。
「!?」
御影が立ち上がる。
『緊急警報』
機械音声。
『天使反応を確認』
遥人と朱音の表情が変わる。
『出現地点――』
場所が表示される。
御影の目が細くなる。
「……またか」
遥人が画面を見る。
契約者育成学校。
――ではない。
今度は。
AEGIS日本支部から数キロ。
市街地。
『天使反応――複数』
「複数!?」
朱音が立ち上がる。
警報が続く。
『三体』
御影が上着を脱ぐ。
「九条さん」
「はい」
「一ノ瀬君を連れて地下へ」
「え?」
遥人が御影を見る。
「待ってください!」
「駄目だ」
「俺も戦えます!」
「知ってる」
「だったら!」
御影が遥人を見る。
その目は。
今までとは違う。
S級契約者。
戦場に立つ人間の目。
「だからこそだ」
「……?」
御影が言う。
「もし」
一瞬。
間を置く。
「奴らの目的が、本当に君だったら?」
遥人が黙る。
御影は扉へ向かう。
「確認してくる」
「御影さん!」
御影が振り返る。
少しだけ笑った。
「心配しなくていい」
そして。
影が揺れる。
『やっと仕事?』
ベリアルの声。
御影が答える。
「ああ」
扉が開く。
「行こう、ベリアル」
『了解』
S級契約者。
御影慧。
その姿が消える。
◇ ◇ ◇
市街地。
空。
三つの白い影。
天使。
その中央。
一体だけ。
他の二体とは違う存在がいた。
四枚の翼。
そして。
その天使が。
ゆっくりと目を開く。
「――確認」
人間の言葉。
「対象の反応を検出」
別の天使が尋ねる。
「対象名」
四枚翼の天使は答えた。
「一ノ瀬――遥人」