生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
二人が足を踏み入れた、剥き出しの鉄骨が立ち並ぶ五層階の物件区画。夜空に向けて突き出された無機質な骨組みが、巨大な獣の骸のようにそびえ立ち、冷たい月明かりだけが幾何学的な影を地面に落としている。
シルヴァレッタは物陰に身を潜め、二人の死闘を見守る事にした。
「ふふっ」
ラピスラズリの小さな唇が弧を描いた瞬間、ゴスロリドレスが弾け飛ぶようなスピードで掻き消える。無音の踏み込み。しかし、彼女が立っていたコンクリートの地面は蜘蛛の巣状に砕け散っている。
『ッ! 無音の立ち上がり、あの頃には無かったスキル! でもっ!』
凄まじい推進力を持った拳がコバルトへと迫る。しかし、コバルトは真っ向から受け止めることはせず、紙一重の身のこなしでそれを躱した。
「避けられない程じゃないわ!」
右へ、左へ、あるいは後ろへ。ラピスラズリの猛攻が空を切るたび、強烈な風圧がまるでシルヴァレッタのいる物陰まで届いてくるようだとぼくは錯覚する。
一撃でも掠れば致命傷すら免れない。しかし、コバルトの動きに淀みはない。彼女の並外れた空間認知能力が、相手の踏み込みの予備動作と射程を正確に見切っているのだろう。
「……埒が明かないわ」
数合の接近戦の後、ラピスラズリは小さく息を吐き、不満げに呟いた。
「なら、これはどう?」
彼女はふわりと後方に跳躍すると、周囲を取り囲む鉄骨の一つを力強く蹴り上げた。
キィンッ! と甲高い金属音が鳴り響き、ラピスラズリの軽い身体が弾丸のように跳ね返る。別の鉄骨を蹴り、壁を蹴り、床を蹴る。
それはまるで、巨大なピンボールだった。
規格外のパワーと小柄な体躯を最大限に悪用した立体機動。四方八方から縦横無尽に襲い来る連撃のスピードは、反射を繰り返すたびに加速度的に跳ね上がっていく。
「くっ……!」
これにはたまらず、コバルトの表情が歪んでいた。
空間をいくら正確に把握していても、それを処理する肉体が追いつかなければ意味がない。トップスピードに近づいていくラピスラズリの軌道に、コバルトの回避が徐々に遅れ始める。
このままだと削り殺されると判断したのか。コバルトは一瞬の隙を突き、上方へ——夜空が広がる空中へと大きく跳躍して逃れた。二階部分の鉄骨へ向けて空を駆けようとしたのだろう。
それがラピスラズリの狙いだと知らずに。
「待っていたわ。空中なら、もう身動きは取れない!」
ラピスラズリが歓喜の声を上げた。
空中に足場はない。いかに運動神経が良くとも、物理法則には逆らえない。軌道を変える手段を失ったコバルトに向け、ラピスラズリは最も太い鉄柱を足場にし、この死闘において最速となるトップスピードの突進を仕掛けた。
下から上へ、文字通り必殺の弾丸となってコバルトを穿とうとするラピスラズリ。
万事休す。誰もがそう思った瞬間——月を背にしたコバルトは、ふっと余裕のある笑みを浮かべた。
「私、実技でトップだって言ったわよね」
「?」
「ジュエルの実技で、色んな武器を持たされたわ」
空中という絶体絶命の状況で、コバルトの静かな声が響く。
「例えば、ムチとかね」
パーカーの中に隠し持っていたのだろう。漆黒のムチを取り出しその穂先を進行方向とは別の鉄骨へと繰り出した。
「なっ——」
足場がなければ、腕を使えば良い。コバルトはムチを使い空中でスライドする。ラピスラズリの必殺の突進が、わずか数センチの差で虚空を切り裂いた。
「!?」
驚愕に見開かれたラピスラズリの瞳が、コバルトと交差する。
空振りに終わった突進。しかし、ラピスラズリは自身に込めたその絶対的なスピードとパワーを、空中で殺し切ることなどできない。重力と慣性の法則に従い、彼女はコントロールを失ったまま、コンクリートジャングルを通り抜け遥か上空から何もない地面へと自由落下していく。
ズシャァア!! と、ラピスラズリの小さな身体が地面に激突し、ゴロゴロと転がって濛々と土煙が舞い上がった。
静寂が戻ったコンクリートジャングルに、コバルトは軽やかに着地する。
土煙が晴れると、ラピスラズリは全身を強打した事でピクリとも動けなくなっていた。
「誰が小さいって?」
コバルトは勝ち誇って笑みを浮かべた。