生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
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「……そろそろ退勤の時間ね」
組織への報告書ファイルを極秘チャットアプリで送信し、一仕事終えたノートPCに写された時計を見つめて、私は小さく呟いた。彼、シルヴァレッタを要人と見做して身辺警護に当たってはいるが、特段これと言った危険が迫っている様子はない。ないったらない。
なので今日は安心して、早朝6時から職場へ向かう彼の気配を部屋から察知だけして、私は溜まりに溜まった組織への報告消化にあたった。ここ数日のドタバタ劇を出来る限り事実ベースでおとなしい文章へと落とし込み、彼に対して悪意を向ける個人や組織が存在する可能性は薄いことを簡潔に伝えた。
「さて、せっかくの初出勤ですし、今日くらいは出迎えてやりますか」
誰に言い訳するでもなくそう口にすると、私はパーカーを羽織りアパートを後にした。最寄りのローカル駅とは反対方向、細い路地を北へ北へと突き進み20分ほど、すると急に広い幹線道路が姿を表し、目前には件の高級高層マンションが道路越しに鎮座していた。
「何度見ても圧巻ね。悪目立ちしてるとも言えるけど」
周囲は木造住宅か、あるいは築年数の経過した、せいぜい5・6階程度の高さのマンションしかない中に、それはあった。出る杭は打たれるというが、むしろこちらは、打たれた杭たちを嘲り笑うかのように堂々と突っ立っているように見えた。隣には先日ラピスラズリと戦った舞台である建築途中で放棄された工事現場がある。目的地のマンションが「イーストタワー」と名付けられていることから、本来は二棟建てられる予定だったのだろう。理由は定かではないが、これだけ高さのある建築物だ。周辺住民の反対にあったか何かで片方は切り捨てられたのかもしれない。
時刻は前日に彼から聞いていた退勤時間を少し超えていた。私はマンションのエントランス前の道路にあるバス停のベンチに腰掛け、彼の姿が見えるのを待つことにした。勤務初日ということも考慮して、多少の遅れがあって然るべきだろうと予測しての行動だった。断じて遅刻ではない。
しかし——。
「……遅いわね」
予定の時刻から三十分が経過しても、シルヴァレッタが姿を現す気配はない。着替えに手間取っているのかとも考えたが、清掃員の制服も彼の普段着も、大して時間がかかるようなコードではないはずだ。それに、アパートからこのマンションまでの最短経路は一本道。もし自分が来る途中に彼が帰路に就いていたのなら、絶対にどこかですれ違っていないとおかしい。彼の性格上寄り道をするとも思えないので、それを見逃すわけがないのだ。
嫌な予感が、私の背筋を這い上がった。
周囲に警戒を向けながら、スマートフォンを取り出し、シルヴァレッタの番号へ発信する。
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため——』
「ッ!」
無機質なアナウンスが耳に届いた瞬間、私の中で最悪のピースが組み上がっていく。
(通信妨害、あるいは意図的な電源の切断……! 帰り道ですれ違っていない以上、アイツは勤務直後に『何者か』に拉致された?)
私が血相を変えてスマートフォンの通話を切った、まさにその時だった。マンションのエントランスから、一人の少女が姿を現した。
いつもの過剰なフリルのドレス姿ではない。首元に大きなリボンがあしらわれた、くすんだブルーのシフォンブラウス。ハイウエストの黒いフレアスカートは歩くたびにふわりと揺れ、足元の黒タイツと艶やかなエナメルのストラップシューズが、お人形のような愛らしさを引き立てている。いわゆるフレンチガーリーと呼ばれる、街の風景に溶け込みつつも洗練された装いをしたラピスラズリがそこにいた。
「ラピスラズリ!」
買い物に出かけようとしていたらしい彼女を引き止め、私は詰め寄った。
「あら、コバルト。あなたもお出かけかしら」
「悠長なこと言ってる場合じゃないわ! アイツ……シルヴァレッタが消えたの!」
「えっ?」
ラピスラズリの目が、驚きに見開かれる。
「今日、仕事中のアイツを見なかった?」
「ええ。お声がけしたけれど、ご同僚の殿方に止められてしまって……。でも、間違いなくここで働いていましたわ」
その証言で、私の推測は確信へと変わった。
「やっぱり……仕事終わりに連れ去られたんだわ。まだ遠くへは行ってないはず。今から探せば、間に合うかもしれない!」
「連れ去られたって、何を根拠に?」
そう聞き返すラピスラズリに、私は今任務にあたっている要人警護のことを伝え、彼が(少なくとも私が所属する組織にとっては)価値のある人物であることを説明した。それを聞いたラピスラズリも事の重大さを理解したのか、真剣な表情で頷く。
「あの方の危機なのでしたら、あたしも協力いたしますわ」
「助かるわ。手分けして探すわよ! 私は北に行って主要駅近くの繁華街からアタリをつける。アンタは自分の部屋に戻って街の南を隈なく見渡してちょうだい」
「そうね、見てもらった通りあたしの部屋からなら一望できます。上から見えるあの方の姿には慣れてますわ、見間違うことはありません」
「その趣味が人の役に立つことってあるのね」
ラピスラズリと連絡先を交換した私はマンションを出て、元来た道を引き返した。
⬛︎◆▲
すっかり日が落ち、ネオンが街を毒々しく彩り始めていた。
私は駅前の繁華街から裏路地に至るまで、自分の才能、空間認識を常にフルに働かせて捜索を続けていた。しかし、シルヴァレッタの存在どころか痕跡はすら感知することはなかった。
気がつけば、私の足はある場所へと向かっていた。表通りのパチンコ屋の喧騒が遠くボヤけて聞こえる、見晴らしの悪い奥まった路地裏。かつて、姉貴分であるマラカイトの放った大口径の弾丸が、シルヴァレッタの心臓を撃ち抜いた場所だ。
「……ッ」
コンクリートの壁には、弾丸が着弾した際の生々しい削り跡が今も残っている。
シルヴァレッタは死なない。それは分かっている。しかし、もしD.O.Eのような得体の知れない組織が彼を捕らえ、終わりのない実験の材料にしているとしたら? 死ねないという事は、永遠に苦痛を与えられ続けるという事でもある。
路地裏の暗がりを見つめる私の胸に、重く冷たい不安がのしかかる。
(どこなの……。私が、私がついていながら、アイツを……ッ!)
ギリッと唇を噛み締めたその時。静寂を破るように、スマートフォンが着信を告げた。
画面には「ラピスラズリ」の文字。私は弾かれたように通話ボタンを押した。
「見つかったの!?」
悲痛な叫びを上げてしまった私に対して、スピーカー越しに聞こえてきたのは、ひどく平坦で、呆れ果てたような声だった。
『……あなた、また勘違いなさったの?』
「は? 勘違いってどういう事よ!」
事態が飲み込めず、私は声を荒げる。
『どういう事も何もありませんわ。南を隈なく探してみて見つからず途方に暮れたところ、いつものアパートに目を向けてみたら……』
ラピスラズリはふう、と上品なため息をついて、こう告げた。
『ベランダで、普段通り星空を眺めていましたわ』
「…………は?」