生きるのに向いてないぼくは地の文になりました   作:あさはかな

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ぼくは大事に至らない 五

「まずはお礼を。隠し棚を見つけてくれてありがとうございます」

 クロガネは書斎の入り口に陣取ったまま、ゆったりとした口調で感謝を口にした。その立ち姿には一切の隙がなく、ドアの枠に寄りかかるようにして退路を完全に塞いでいる。コバルトが反射的に身構え、すぐさま彼に飛びかかろうと重心を低くした。しかし、彼女の足はピタリと止まる。クロガネの右手に、小さなリモコンのような、スイッチらしきものが握られていることに気がついたからだ。

 

 そのスイッチが何を意味するのか——起爆装置か、あるいはクリニック全体を封鎖するトラップの類か。その意図が不明なうちは、いくらコバルトでも迂闊に手出しはできないようだった。

「……感謝される覚えはないわ」

 コバルトは殺気を漂わせながら、ギリッと奥歯を噛み鳴らして反論する。それに対して、クロガネは肩をすくめてみせた。

「いやいや、自分は半ば諦めてしまっていたものですから。いざとなったら業者を呼んで、力づくでこの家中取り壊してでもウラベ先生のレポートを見つけるつもりだったんです。おかげで、余計な出費が浮きました。本当に助かりましたよ」

 

 ふざけた返事だった。だが、彼にとってもあの隠し棚の存在や解除ギミックは完全に未知のものだったらしい。つまり、彼はウラベ博士の残した『研究データ』があること自体は知っていたが、それがどこに隠されているかまでは把握していなかったのだ。クロガネの爛々とした瞳が、シルヴァレッタへと向けられる。

「それで? レポートは見たんでしょう? 君がどれだけウラベ先生に大事にされてきたか、身に染みたんじゃないですか。イサクくん」

 嫌悪感を催すような、ねっとりとした問いかけだった。しかし、シルヴァレッタは表情を一切変えることなく、淡々と返す。

「生憎、記憶喪失なんだ。俺が大事にされていた実感なんて、欠片も湧かないな」

「おや。そういえばそうでしたね。これは失礼しました」

 クロガネは悪びれる様子もなく、口元に弧を描いて薄ら笑いを浮かべる。

 

「アンタ達RGBって組織がイカれてるって話ぐらいよ、私たちが見たのは」

「ああ、そこからですか……。RGBは既に壊滅してますよ。三年前に起きた裏社会の一斉摘発、通称『アルファベット狩り』によってね。盗賊団DOE、暗殺集団JW。その他、名だたる組織たちが闇から姿を消したのです」

「……何ですって?」

 既に組織は滅びているとクロガネは言う。なら何故、彼は個人的なリスクを負ってまで、ぼくなんかに執着するのだろうか。

「EODの象徴である君の存在は、今の自分にとって残された宿題を解き明かすための、たった一つの希望なんですよ。どうでしょう、イサクくん。大人しく私の研究に協力していただけませんか」

 

「EOD?」

 聞き慣れない単語に、コバルトが怪訝な顔で反応する。

「おや、もしかして先ほどのレポートには書かれていませんでしたか」

 クロガネは芝居がかった手つきで大袈裟に驚いてみせると、まるで大学の講義でも始めるかのような滑らかな口調で語り出した。

 

「Evil Of Diversity。ウラベ先生が提唱した、多様性が生み出す悪性因子、というものです」

 多様性。現代社会で盛んに持て囃されているその言葉を、クロガネはひどく汚らわしいもののように吐き捨てた。

 

「今の世の中で、多様性という美辞麗句がどれだけの混乱を世界に招いているかご存知ですか? ウラベ先生は古くからこの危険性と、未来において蔓延することは避けられないのだと早期に予見したのです。この先の世界で、多様性という名の無秩序が世に蔓延れば蔓延る程、生まれてくる命の『悪性因子』が強く、広くなっていく。……そう遠くない未来、社会というシステムに全く適合できない、絶望的な精神欠陥を抱えた個体が無数に生じていくことでしょう」

 クロガネの言葉が、冷たい書斎に響く。

 

「そこで博士は考えました。大勢の欠陥品が自然発生的に生まれてしまう前に、先んじて人為的に『最悪のケース』を構築し、観察すればいい。そうすれば、その対処法をあらかじめ用意出来ると考えたわけです。実に素晴らしい解決策だとは思いませんか?」

 半ば冗談めいた、しかし根底に確かな狂気を孕んだ口調で語るクロガネ。

 

 うーん……、諦めが前提にある時点で詰んでいる気がするけどなぁ。

 

「ふざけんなッ!」

 コバルトの怒号が爆発した。彼女の善性が、命を単なるデータやコマとしてしか扱わないクロガネの傲慢さを許容できるはずがなかった。スイッチの警戒などかなぐり捨て、コバルトの小さな身体が弾かれたように前へ飛び出す。圧倒的なスピード。クロガネがスイッチを押す暇も、反応する暇すら与えない完璧な踏み込み。

 

 目前に迫ったコバルトに対し、クロガネは驚きで両目を大きく見開いた。

 バキィッ!

 コバルトの拳が、クロガネの顔面を完璧に捉えた。勝負あった。ぼくもそう確信した。けれど……

 

 ——様子がおかしかった。

 

 拳を振り抜いたはずのコバルトは、追撃をかけることも、体勢を立て直すこともなく、そのまま糸が切れた操り人形のようにグラリと揺れ、地面にバタリと倒れ伏したのだ。ピクリとも動かない。気絶、している?

「……やれやれ。貴女とももう少し話を続けたかったですが、今はイサクくんだけで我慢しましょう」

 顔を殴られたクロガネは、それなりのダメージを負った様子で足元をふらつかせながらも、倒れたコバルトを見下ろして慈しむようにポツリと漏らした。

 

「おい! コバルト! 大丈夫か!」

 シルヴァレッタが叫びながら、倒れたコバルトへと駆け寄ろうとする。しかし、クロガネの動きの方が速かった。彼は無防備に近付いてきたシルヴァレッタの腹部を、容赦なく蹴り飛ばす。

「ぐはッ!」

 重い一撃を食らい、シルヴァレッタの身体が宙を舞い、背後の分厚い医学書が並ぶ本棚に激突する。バラバラと本が崩れ落ちる中、シルヴァレッタは苦悶の声を上げて床に蹲った。

 

「心配しなくて良いですよ。彼女はただ、寝ているだけですから」

 クロガネは乱れた服と姿勢を正して、事もなげに状況を説明する。

 

「イサクくん。何故、視力に全く問題のない自分が、わざわざあんな色の濃いサングラスをしていたか。不思議じゃないですか?」

 倒れ伏したまま、シルヴァレッタは荒い息を吐きながら睨み返す。

「それは、ゴホッ! 自分の本心や、表情を隠す為だろう……?」

 その回答に、クロガネはひどく残念そうな、そして見下すような反応を返した。

「残念、不正解です。ウラベ先生の忘れ形見にしては、随分と勘が鈍いですね。そんな事をしなくても自分の演技は完璧です」

 

 そんなやり取りをしている中、五感を通じて状況を観察していたぼくの脳裏には、一つの明確な推論が組み上がっていた。

 

 入り口を見張っていたはずの優秀な便利屋が「寝ている」とコバルトは言っていた。そして今、戦闘のプロであるコバルト自身が、クロガネと顔を突き合わせた直後に、不自然に「眠り」に落ちている。更に、ヒントとして提示された、色の濃いサングラス。

 

 そこから導き出される答えは、一つだろう。

 

「自分と至近距離で目を合わせた相手は、強制的に眠りに落ちてしまうのですよ」

 クロガネが、冗談めかした口調で答え合わせを口にした。

「素晴らしい能力ではあるのですが、日常生活ではいちいち人が寝てしまって不便なので、サングラスで遮断しなければならないのが億劫ですがね」

「そんな、バカな話が……」

 シルヴァレッタが驚愕に目を見張る。目を合わせるだけで相手を眠らせるなど、まるで神話かファンタジーの魔法だ。けれど、クロガネは嘘を言っていない。

 

「できれば、お互い合意の元、穏便に研究を続けたかったのですが……仕方ありませんね」

 クロガネはゆっくりと、冷たい靴音を響かせながらシルヴァレッタへと歩み寄ってくる。

 

「君にも、少し眠ってもらいましょう」

 クロガネがしゃがみ込み、シルヴァレッタの顔を両手でガッチリと掴んだ。逃げ場はない。

「お休みなさい、イサクくん。良い夢を」

 クロガネが、獲物を捕食する蛇のように、爛々と見開いた目をシルヴァレッタの目に真っ直ぐに合わせた。

 

 直後。

 ぼくの視界は、暗転した。

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