生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
少女は事情を探りたい 一
清掃業務を終えたシルヴァレッタは、モップやバケツを所定のシンクで洗い流す。洗剤のツンとした匂いと、バックヤード特有の薄暗くひんやりとした空気が、一日の労働の終わりを実感させてくれる。今日やるべきタスクを完璧にこなしたという充足感を、シルヴァレッタは静かに噛み締めているようだった。そして道具を片付け、私服に着替えて勝手口から外へ出た時、彼女は唐突に現れた。
「あたしに隠し事してませんこと?」
不意に現れたのは、異様な存在感を放つラピスラズリだった。しかし、隠し事ね。ぼくの頭に思い当たる節はない。シルヴァレッタも同じだったようで、淡々と答える。
「いや、特にないな」
その素っ気ない返答を聞いて、ラピスラズリはぷくっと頬を膨らませ、両手を腰に当ててプリプリと怒りを露わにした。納得のいかない答えに、彼女は不満を表現している様子だった。ちょっとウザい。
「ちなみに、これからどちらに行かれるんですの?」
「そうだな、今日は……」
シルヴァレッタが答えようとした、その時だった。
「あら、ラピスラズリじゃない。今日も服キマってるわね」
アスファルトに足音を響かせて現れたのはコバルトだった。彼女の視線の先にあるラピスラズリの今日の服装は、確かに一際目立っていた。
純白を基調とした、目も眩むような豪奢なゴシックロリータ・ドレス。頭には精緻なレースが幾重にもあしらわれた純白の頭巾が乗せられ、首元には銀糸の刺繍が施されたチョーカーが上品な光を放っている。コルセットのように引き締まった身頃から一転、スカート部分は幾層にも重なる柔らかそうな装飾によって、まるで夜に咲き誇る白百合のようにふわりと広がっていた。足元はリボンがあしらわれた白のニーハイソックスに、エナメルの輝きを放つ真っ白なよく分からない何かがあしらわれていた。その姿は、高級アンティークショップのショーケースからそのまま抜け出してきた極上のビスクドールのようで、大通りに面した歩道という、どこにでもあるありふれた空間ですら、彼女を際立たせるための舞台装置に変えてしまうほどの圧倒的な美しさを放っていた。あー、目が潰れそう。
「あら、コバルト。お出迎えかしら」
「そんなところ」
ラピスラズリのトゲのある問いかけに、コバルトは全く意に介さない様子で軽く返事を返す。そして「それよりシルヴァレッタ。ねぇ……」と一息置いてから、彼女は誤解を生んでも仕方のない問いかけを口にした。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも私?」
ラピスラズリはあんぐりと口を開けて固まっている。ぼくも耳を疑った。昼時のホームドラマか何かでしか聞いたことがない、古典的すぎる新婚夫婦が口にするセリフを、コバルトはこともなげに言い放った。
「ああああ、アナタたち! いつの間にそんなふしだらな関係に!?」
当然、ラピスラズリは顔を真っ赤にして驚愕し、戸惑いを隠せない様子で叫んだ。白百合のようなドレスを着た彼女が、頭から湯気を出さんばかりに取り乱している。しかし、言われた張本人のシルヴァレッタと、言った本人のコバルトは、その過剰な反応を見ても、ただキョトンとしているだけだった。
そして、ラピスラズリの事は置いておくことにしたのか、気を取り直して少し考え込む素振りをしたシルヴァレッタは、大真面目な顔で答えた。
「今日は汗を大分かいたから先に風呂だな」
「そうだと思って着替えを持ってきたわよ、フフン!」
上機嫌に、膨らんだエコバッグを揺らすコバルト。あまりにも仲睦まじい、そして極めて実務的な会話のキャッチボールが成立してしまった。何だこのクリティカルヒット。当然と言うか何と言うか、そんな二人の姿を見てラピスラズリの脳内処理は限界を迎えつつあるようだった。
「どうせいッ!?」
裏返った声で叫ぶラピスラズリ。同棲、と言いたいのだろうか。けれどやっぱり、シルヴァレッタとコバルトの二人はキョトンとしている。
まあ確かに、それはある意味正解なのだけれども。
「そうだ、何だったらラピスラズリも一緒に来る?」
無邪気に、そして一切の他意なく尋ねたコバルトのその一言で、ラピスラズリのボルテージはついに最高潮に達した。
「さんぴぃ!??」
甲高い悲鳴を張り上げたかと思うと、彼女は顔を茹でダコのように真っ赤にして、そのままバタリと地面に倒れ伏してしまった。純白のドレスがアスファルトの上に無惨に広がる。
「……どうしたんだ?」
「さあ?」
二人はキョトンとしながらも、倒れたラピスラズリをどうしようかと顔を見合わせる。
「私がおぶっていくわ」
コバルトがそう提案し、小さな身体を背中に乗せる。ラピスラズリは目をグルグルと回しながらも、微かに「おもちかえりぃ……」と幸せそうに呻いていた。
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「お風呂って、本当にお風呂のことでしたのね……」
住宅街の中でひっそりと営業している、昔ながらの銭湯。高い天井から水滴が落ちる音と、桶が床を叩くカーンという音が響く中、その女湯の広々とした湯船に口まで浸かりながら、ラピスラズリがブクブクと泡を立てて抗議の声を上げてきた。
「何を当たり前のこと言ってるのよ」
隣でお湯に肩まで浸かっている私は、心底不思議に思ってキョトンと首を傾げてしまう。清掃業で汗を流したのだから、仕事終わりは銭湯に限る。今の私たちの生活にとってお風呂は死活問題なのだ。
「……まあ、いいですわ。あの方と同じ空間でお湯に浸かるというのも、また一興」
気を取り直したのか、ラピスラズリはほうっと息を吐き、ペンキで描かれた富士山と立ち上る湯気を見つめた。
「思い出しますわね、ジュエルの日々を。あの時もこうやって仲間たちと一緒にお風呂を楽しんでましたわ」
「そうね……」
彼女の懐かしむような声に、私は思わず浮かない表情を浮かべてしまった。温かいお湯に浸かっているというのに、胸の奥に冷たい石が沈み込んでいくような感覚。
「ねえ、アルファベット狩りって言葉に聞き覚えない?」
私が尋ねた。しかし、ラピスラズリは「何のことですの?」と全く知らない様子で首を傾げる。
「私もこの間知ったんだけど、ジュエルの壊滅に関係する作戦名らしいわ。ほら、うちが他の組織から『JW』って呼ばれてたじゃない」
「JW……そうですわね。ジュエル、正式名称は『Jettison Well-being』 捨てられた孤児を宝石に見立てて買い集め、有効活用をお題目に暗殺者を育て上げる。そういう組織でしたもの。……路傍の石のように捨てられてしまう脱落者も沢山いましたわ」
「……そんな意味だったんだ」
自分の育った組織の真実の名前。そして、孤児たちを使い捨ての道具として扱っていたその残酷な実態をすらすらと答えるラピスラズリに対し、頼れる先輩としての尊敬の眼差しを向けた。一方の彼女は、「知らずに育ったんですの?」と心底呆れたような反応を返してくる。
「でも、そうですわね。壊滅した後あたし達には居場所がありませんでしたわ。二期生のみんなが散り散りになって。今、こうしてお話ができるのはあなたしかいませんもの……」
ラピスラズリの言葉は、ひどく感慨深そうで、寂しさを帯びていた。その真っ直ぐな郷愁の念を向けられ、私はさらにバツが悪くなって視線を泳がせる。
(この空気じゃ言えないわね。実は私、組織が壊滅した後に……)
「ふぅ。のぼせそうですわ。これ以上は長風呂になりますわね。もう出ましょう」
私の内心の激しい焦りと罪悪感に気づくことなく、ラピスラズリがザバァッと立ち上がる。私はただ無言でコクリと頷き、共に湯船を後にした。着替えを済ませて暖簾をくぐると、そこは昭和の香りが色濃く残るロビーだった。黒電話が置かれた番台の横には、年代物のマッサージチェアと、よく冷えた瓶牛乳が入ったガラス扉の冷蔵庫が並んでいる。カタカタと音を立てて回る壁掛け扇風機の下で、すでに湯から上がっていたシルヴァレッタが私たちを待っていた。
「コバルト、それにラピスラズリ。しっかり水分補給してくれ」
シルヴァレッタが、しっかり冷えたスポーツ飲料のペットボトルを二本、私たちに手渡してくる。彼の頭には、例の銀色の傷口を隠すためのタオルが巻かれていた。
「ああ、アタシの身体を労ってくれるなんて……!」
それを受け取ったラピスラズリは、両手でペットボトルを大事そうに抱え込み、頬を擦り寄せて嬉しさのあまりクネクネと身悶えし始めた。たかがスポーツ飲料でそこまで喜べるその燃費の良さに、何やってんだか、と私はすっかり冷めた目でその様子を見つめ、キャップを開けて一気に喉を潤す。
ふと、ロビーの隅に置かれた壁掛けのテレビから流れる夕方のワイドショーに目が留まった。
『——ご覧ください、すっかり骨組みだけになってしまっています。火の気のない深夜に突然の出火ということで……』
画面に映し出されていたのは、地方都市での火災事件のニュースだった。現場の周囲には黄色い規制線が張られ、付近の住民が不安げにインタビューに答えている様子が流れる。
そこは間違いなく、私たちが先日訪れた、あのメンタルクリニックの成れの果てだった。
『幸いにして怪我人はおらず、周囲への延焼も免れました。……現在、このクリニックを経営していた院長の男性の行方がわからなくなっており、警察は事件と事故の両面で捜査を進めています——』