生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
数日後。シルヴァレッタたちはラピスラズリが根城にしている郊外の高級高層マンションの最上階の一室、すなわち彼女の自室に招かれていた。
大理石が敷き詰められたエントランスを抜け、エレベーターで最上階へ。彼女の部屋は、シルヴァレッタたちが現在寝泊まりしているキャンピングカーの何十倍あるのか見当もつかないほど広々としており、豪華なカーペットが敷かれ、上品なアンティーク家具がセンス良く配置されていた。
今日、この場がセッティングされたのは他でもない。ラピスラズリを拾い、彼女に盗みのノウハウを仕込んだという謎の組織『D.O.E』。その「代表代行」を名乗る人物と面会するためだ。
「ラピスラズリ。改めて、感謝する」
ふかふかの高級ソファに腰を下ろしたラピスラズリに、シルヴァレッタは真剣な眼差しで頭を下げてお礼を伝えた。
「うふふ……。あなた様のためなら、これくらいお安い御用ですわ」
ティーカップに注がれた紅茶を飲みながら、ラピスラズリは照れくさそうに身をよじらせる。彼女の話によれば、その代行とやらは表向き「日本中を常に飛び回る凄腕の不動産経営者」として活動しており、滅多に捕まらないらしい。今回はラピスラズリがどうしても、と必死に頼み込んで、ようやくこの数十分だけの面会時間を勝ち取ったのだという。
やがて、約束の時間を知らせるように、重厚な玄関のチャイムが高らかに鳴った。
ラピスラズリが弾かれたように立ち上がり、そしてドアを開ける。そこに立っていたのは、仕立ての良いスリーピースのスーツを隙なく着こなした、初老の男性だった。ロマンスグレーの髪をオールバックに撫でつけ、目元には柔和だが隙のない笑みを浮かべている。その後ろには、タブレット端末を抱えたモデルのように美しい秘書の女性が控えていた。
「大事な話をする。キミは外に下がっていてくれ」
初老の男性——代行が短く指示を出すと、秘書は「かしこまりました」と素直に一礼し、ドアの外へと消えていった。代行は悠然とした足取りでリビングへと入り、シルヴァレッタとコバルトの対面に腰を下ろした。彼は出された紅茶には手をつけず、壁一面に広がる大きな窓へと視線を向けて言葉を発した。
「いい眺めだろう、この部屋は。ワタシの所有する物件の中でも特にお気に入りなんだ。……夜景はご覧になったかな?」
代行は、まるで長年の友人にでも語りかけるような、ひどく滑らかな声で二人に尋ねた。それに対し、コバルトが冷ややかな視線を返して答える。
「ええ。眼下の街並みを監視する、ラピスラズリの仕事にはうってつけの物件ね」
そのトゲのある言葉を聞いて、代行は不快がるどころか、むしろ嬉しそうに目を細めた。
「ハッハッハ。話が早くて助かるよ。キミたちのような理解ある若者は嫌いじゃない」
人の良さそうな初老の紳士の顔が剥がれ落ち、隙のない「悪人面」の笑顔がこぼれ落ちる。
「ご無沙汰しております、代行様」
ラピスラズリが居住まいを正し、続けて、少し不安げな声でこう問いかけた。
「……代表は、まだ見つかりませんの?」
「そうなんだよ、ラピちゃん。彼とは相変わらず連絡が取れない。でも心配しなくていい。彼の残した素晴らしいノウハウは、このワタシがしっかりと受け継いでいる。キミたちのビジネスは安泰だ」
代行はラピスラズリを安心させるように、手でポンポンと膝を叩きながら柔和な声で応えた。
その会話内容で感じた違和感を、シルヴァレッタは逃さなかった。
「……三年前に起きた、アルファベット狩りの影響はなかったのか?」
裏社会の組織が一斉摘発され、多くの犯罪組織が消滅したという三年前の事件。その言葉を耳にして、代行が発言者であるシルヴァレッタの顔を訝しみながら覗いた、その直後だった。
代行の動きが、ピタリと止まった。
彼は笑みを忘れ、まじまじと、文字通り穴が開くほどの勢いで、帽子を被っているシルヴァレッタの顔を見つめ始めた。瞬きすら忘れたかのような、異様な凝視。沈黙が数秒間、重くのしかかる。
「……何か、顔についているか?」
居心地が悪くなったのか、顔に手を当てながらシルヴァレッタは質問する。
ハッと我に返ったように、代行は慌てて視線を逸らし、咳払いを一つした。
「い、いや、すまない。キミがあまりにも……いや、何でもない。少し驚いただけだ」
誤魔化すように紅茶のカップを持ち上げる代行の手が、微かに震えているのを、ぼくの目は見逃さなかった。何を驚いたのだろうか。……うわ、嫌な予感がする。
「で、聞きたいことというのは、その三年前の何とやらかね? 悪いが、我々にはそのアルファベット云々という出来事に覚えは全く無いが」
代行は平静を装い、紅茶を一口飲んでからそう答えた。
「『盗賊団DOE』という名称に、聞き覚えは?」
シルヴァレッタが、かつてクロガネの口から出た組織名を出して核心を突いた。しかし、代行は心底おかしそうに鼻で笑った。
「盗賊団? ハッハッハ! そんな耳覚えの悪い、下品な活動はしておらんよ」
「でも、ラピスラズリに空き巣のイロハを仕込んだのは、あなたたちって話でしょ?」
すかさずコバルトが鋭く切り込む。
代行は悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「確かにそうだが、我々の活動の本懐は『盗み』ではないのだ。……お嬢ちゃん、もし君が広くて大きな家に住んでいて、それなのにアッサリと盗みの被害に遭ったら、どう思うかね?」
逆に質問を投げかけられ、コバルトは眉をひそめた。
「……嫌な気分になるわね、きっと」
「さらに想像してくれたまえ。両親は仕事や大人の都合であまり家におらず、そんな状況で一人帰ってみたら家の中が荒らされていた。さあ、どうする? どうなる?」
意地の悪い、ねっとりとした質問が続く。
「両親? うーん、そうね……。一人にしないでって、親に泣きつくのかしら?」
孤児として育った彼女にとって、「両親がいる普通の家庭」を想像するのは難しかったはずだ。それでも、天涯孤独の身ながら「もし親に甘えられたら」を一生懸命に想像した結果が、その痛切な回答だった。
「その通りだ」
代行は満足げに手を打った。
「親は誰しも子供の安全を第一に考えなければならん。何より金持ち連中は世間体を大事にする。セキュリティに不安のある広い家を手放し、もっと安全で管理の行き届いた別の住居に引っ越そうと考えて然るべきだ。……では、ここに一つの要素を加えよう。その空き巣事件より前に、土地の買取について打診している『親切な不動産会社』がいたら、どうなるかね?」
怪しいだけでは?
しかし、代行が言わんとしている意図は十分に理解できた。
ラピスラズリたちは単なる泥棒として当てがわれたのではない。空き巣という「被害」を利用して、住人の心理的な不安を煽り、土地を売らせやすくするためのマッチポンプを行っているのだ。
「世の中には『地上げ』というものがある」
代行は、まるで芸術作品でも語るかのように陶酔した口調で告げた。
「その殆どが、嫌がらせや脅迫といった直接的で幼稚な、馬鹿の一つ覚えばかりだが……我々は違う。極めてスマートに、彼ら自身の意志で土地を手放させる」
ブーメラン刺さってますよ。
空き巣一辺倒はそれこそ馬鹿の一つ覚えな事に気づいてないようだ。ボケてるのかな?
さて、つまりはこういう事だ。
彼らの組織は、自身の表向きの不動産会社を潤わせるために、ラピスラズリのような身寄りのない人間を『工作員』として裏で雇っている。彼女たちに狙った物件へ空き巣に入らせることで、住人を心理的に追い詰め、欲しい土地を手に入れやすい状態へと意識誘導を行っているのだ。
「元々、金さえ積めば出ていくような、土地に未練のない連中ばかりだ」
代行は自らの正当性を高らかに謳い上げる。
「そんな奴らが、ただそこに住んでいるというだけの理由で、より良い再開発計画の妨げになるなど、道理ではないだろう? 我々は、ほんの少し背中を押してやっているだけだ」
代行は両手を広げ、演説のように言葉を紡ぐ。
「身寄りのない連中には生きるための価値と仕事を与え、無駄に眠っている土地を脈々と呼び起こす。そうしてビルやマンションを建て、新たに住まう、より多くの人々に感動と生活を与える。せいぜい数人の怠惰な暮らしを、我々の手で数百人規模の幸福へと増やしてやるのだ。……これこそが三年前に代表が発足した、我々D.O.E——Dig Out Equity。持ち過ぎる愚者どもが埋蔵させてしまっている貴重な資産を、持たざる者に掘り起こさせて世界を公平に慣らす。気高きあり方なのだよ」
Dig Out Equity。その言葉を聞いて、ぼくの嫌な予感はますます強まった。
以前、クロガネが口にしたウラベ博士の思想。Evil Of Diversityとセンスが、センスがあまりにも似通いすぎている。 えぇ……?
ぼくの脳内で最悪の仮説が組み上がりつつあった、まさにその時だった。
「ところで、キミ」
代行が、不意にシルヴァレッタに向かって身を乗り出した。先ほどまでの自信に満ちた演説のトーンとは打って変わり、その声には微かな、しかし確かな焦燥感が混じっていた。
「キミに、父親かお祖父さんはいるか?」
唐突な質問だった。しかし、その質問が出たことで、ぼくの嫌な予感はどうやら完全に的中してしまったのだと確信した。してしまった。……先ほど、代行がシルヴァレッタの顔を穴が開くほど見つめていた理由。それは、シルヴァレッタの顔立ちに、彼がよく知る人物の面影を重ねていたからに他ならない。
「いや、一年前に亡くなっていると聞いた」
シルヴァレッタが、クロガネから聞かされた事実を淡々と答える。
「亡くなって……っ!?」
代行は両目を見開き、息を呑んだ。やり手の不動産経営者としての冷静な仮面が、完全に剥がれ落ちる。
「……名前を、名前を伺ってもいいかな!? いや、どうか聞かせてくれ!」
代行はソファから身を乗り出し、テーブル越しにシルヴァレッタの肩をガシッと掴んで懇願した。その目は血走り、悲痛な叫びを上げている。
シルヴァレッタは少し戸惑いながらも、静かに、その名前を口にした。
「ウラベキミト、というらしい」
その瞬間。
代行の全身から、文字通り力が抜け落ちた。
「あぁ……」
彼はシルヴァレッタの肩から手を滑り落とすと、そのままズルズルと床へと崩れ落ち、がくりと膝をついた。
「代行様!? どうされましたか!?」
予期せぬ事態に、ラピスラズリが悲鳴を上げて駆け寄る。
床に這いつくばった代行は、ラピスラズリを見つめながら、魂の抜け殻のような掠れた声を絞り出した。
「ラピちゃん……。どうやら、我々の代表は、死んでしまったそうだ」