生きるのに向いてないぼくは地の文になりました   作:あさはかな

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少女は事情を探りたい 五

 大理石が敷き詰められた高級マンションのエントランス。豪奢なシャンデリアの下で、ぼくたちは初老の男性——D.O.Eの代表代行を見送っていた。

 

 代行の背中は、数十分前にこの部屋を訪れた時の自信に満ちた姿から一変し、まるで十年は老け込んでしまったかのように小さく、丸まっていた。長年連れ添った親友の訃報、あるいは己が人生の指針であった偉大な存在の喪失を突きつけられたことが強くのしかかっているようだった。

 

 その後ろを付き従うモデルのように美しい秘書は、主をこんな状態に追いやったシルヴァレッタたち三人に対して、ギロリと氷のように冷たい睨みを利かせていた。だが、彼女は腐ってもプロなのだろう。表情とは裏腹に、極めて事務的で、丁寧な声色で感謝の意を告げた。

「本日は、貴重なお時間をいただき誠にありがとうございました」

 

 完全に上辺だけの、温度を一切感じないお礼の言葉を残し、二人は自動ドアの向こうへと消えていった。迎えに来ていた黒塗りのハイヤーに代行が力なく乗り込むのを見届けてから、コバルトが深い、本当に深いため息を吐き出した。

「……振り出しに戻ったわね」

 彼女の率直な感想に、シルヴァレッタも黙って頷くしかなかった。

 

 結局のところ、今回彼と接触しても、本当に知りたかった事は何一つ分からなかったのだ。ぼくの頭に撃ち込まれた『銀色の弾丸』について代行を問い詰めても、「そんな物騒なものは知らん」の一点張り。弾丸が収められていた装飾箱、そこに刻まれていた【Past Path Pacific Purpose】という奇妙な英単語の羅列についても、「代表が生前、ふとそんなことを口にしていたような気がしないでもないが……」と、要領を得ない返答しか返ってこなかった。

 

 無理もない。ウラベキミトという名前を聞いた瞬間から、代行の頭の中は代表の死という事実で完全にキャパオーバーを起こしていたのだ。これ以上の有益な情報を引き出すことは、誰の目から見ても困難なのは明らかだった。

「あたしの力が至らず……本当に、申し訳ございません」

 純白のゴスロリドレスの裾をギュッと握りしめ、ラピスラズリが深々と頭を下げる。自分を拾ってくれた恩人である組織のトップを引っ張り出したというのに、結果がこれでは彼女の面目も丸潰れだろう。

 

「謝る事はない。気にするな」

 シルヴァレッタは、落ち込む彼女に向かって静かに首を振った。

「元々、雲を掴むような話だったんだ。ウラベキミトという人物と、身体を含めて俺自身。その二つに繋がりがあるという手掛かりを得られただけでも充分すぎる成果だ」

 シルヴァレッタはそう言って励ますが、状況が手詰まりであることに変わりはない。唯一にして最大の手掛かりであるウラベ博士は、既に故人なのだ。この先、死人に口なしの状態でどうやってルーツを追求していけばいいのか、その道筋は完全に途絶えてしまっていた。

 

「どうした、お前ら。揃いも揃ってシケたツラして」

 重苦しい空気が漂うエントランスに、不意に気の抜けた声が響いた。振り返ると、そこに立っていたのは、見慣れた清掃員の制服に身を包んだ無精髭の男——ケイだった。首に巻いたタオルで汗を拭いながら、片手を上げてこちらに歩み寄ってくる。

 

「すみません、ケイさん。突然仕事を休んだりして」

 シルヴァレッタが、申し訳なさそうに頭を下げる。本来なら今日は彼と一緒のシフトで業務に当たっていたところを、私用で突然休んだのだ。

「謝る事はない。ほら、この前話しただろ、イキのいいヤツがいるって。あいつにお前の分のモップ掛けから何から、全部の仕事をドサッと振ってやったんだ。弛んでる若造には、ちょうどいいお灸だろうぜ」

 ケイは気にする様子もなく、ケラケラと笑い飛ばした。

 

「で? せっかく仕事をサボってまで休みを手に入れたってのに、その顔を見る限り、収穫がゼロだったって辺りか?」

 ケイが鋭く核心を突いてくる。

「全く無い訳ではなかったが……その唯一の手掛かりとなる人物が、故人だったんだ」

 シルヴァレッタが苦い顔で返す。

「ウチの組織、リアルタイムの情報を掴むのは得意ですけど、過去の埋もれた情報を拾い上げるのには長けていないじゃないですか。だから、故人の足跡を追おうと思うと、正直お手上げで……」

「ふーん、なるほどねェ。『死者』の過去か」

 ケイは顎の無精髭をジョリジョリと撫でながら、何か合点がいったといった様子で何度か頷いた。そして、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「そういう事なら、知己の探偵に話を繋いでやろうか?」

「「「探偵?」」」

 

 

⬛︎◆▲

 

 そして数日が経ち、日曜日。その探偵から「経過報告を伝えたいから事務所まで来るように」と呼び出されていた。ラピスラズリも交えた三人で目的の場所まで赴くこととなった。

「乗りかかった船ですもの。こうなれば最後までお供しますわ」

「心強い。荒事があっても二人がいれば安心だ」

「当然!」

 コバルトが勢いよく腕を突き上げる。過剰戦力では?

 

 指定された場所は、普段住んでいる郊外からは電車で何駅か移動した先にある、大きな繁華街を擁する都市部のターミナル駅だった。駅前には大型の商業施設が立ち並び、細い路地にはサブカルチャーの香りが色濃く漂う飲食店や古着屋がひしめき合っている。休日ということも相まって、若者や家族連れでごった返す賑やかな駅を抜け、シルヴァレッタたちは駅を降りて徒歩で十数分ほど郊外に向けて進んだ。

 

 やがて、コンクリートの喧騒は唐突に終わりを告げ、豊かな水源と広大な緑に囲まれた大きな公園の敷地へと入っていく。白鳥の形をしたボートが浮かぶ大きな池を横目に、落ち葉を踏みしめながら木漏れ日の遊歩道をさらに奥へと進む。深い木立の向こうに、周囲の都市景観にはおよそ似つかわしくない、一際目立つ建物が姿を現した。

 

 それは、まるでヨーロッパの童話絵本から飛び出してきたかのような、巨大な木造のコテージだった。色とりどりの土壁に、曲線を描く不思議なデザインの屋根。建物の外壁には這うようにツタが絡まり、屋上は緑と人工物が有機的に融合した、奇妙な建築物。その面妖な外観に、三人は思わず足を止めて見上げてしまった。

 

 ここが、ケイから紹介された探偵の事務所らしい。

 

「本当にここなのかしら……」

 コバルトが半信半疑のまま、重厚な木製のドアに取り付けられたアンティーク調の真鍮のノッカーを叩く。コンコン、という鈍い音が響き、ゆっくりとドアノブを回して中へと足を踏み入れた。

 

 入り口の電気はついているものの、廊下はひどく薄暗かった。つい先ほどまで賑やかな都市にいたはずなのに、一歩足を踏み入れた途端、急に田舎の古い木造住宅に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。床板がギシギシと鳴る音だけが、やけに大きく響いていた。

 廊下の突き当たりにある、すりガラスの嵌まった分厚いドア。コバルトが先頭になってそれを押し開き、「お邪魔します」と声をかけて部屋の中へと入る。

 

 そこは、いかにも探偵事務所といった風情の書斎だった。

 

 部屋の中央にはマホガニー材の大きな書斎机が鎮座しており、その後ろには、探偵映画の主役が深く腰掛けていそうな、立派な革張りの巨大な回転椅子が置かれている。しかし、その椅子は入り口側に背を向けており、座っている人物の姿は見えない。

 

「あの、ケイさんに紹介されて来たんですが……」

 いつまでも向こうを向いている椅子に向かって、コバルトが恐る恐る話しかけた。

 その声に反応するように、革製の回転椅子がクルリと音を立てて半回転する。

 

 そこに座っていたのは——小学校低学年ぐらいの、愛らしい幼女だった。

 フリルのついた可愛らしいワンピースを着て、足が床に届かずにブラブラと揺れている。三人と目が合った幼女は、何の警戒心もない、太陽のように満面のニコッとした笑みを浮かべた。

 

 この幼女が探偵? いやいや、まさか。

 ぼくが心の中で盛大にツッコミを入れた、次の瞬間だった。

 

『ジャーーーーーッ!』

 廊下の方から、勢いよく水が流れる音が書斎に響き渡った。間違いない。誰かがトイレで用を足し終わって水を流した音だ。このミステリアスな雰囲気を台無しにする、あまりにも生活感に溢れた轟音。

 

 ガチャリ、とトイレのドアが開く音がして、パタパタとスリッパの足音が近づいてくる。

「いやー、メンゴメンゴ! 昨日ちょーっと飲みすぎちゃってさー。今ぜーんぶ便器に戻してきたからだいじょーび!」

 ガラッと書斎のドアを開けて現れたのは、グッと親指を立てて三人に陽気な挨拶をかます、三十代後半ぐらいの女性だった。ボサボサに跳ねた髪に、ヨレヨレのジャージ姿。目元にはくっきりと隈が浮いているが、その瞳の奥には妙な鋭さが宿っている。

 

「さて、改めて自己紹介をしようか」

 女性はズカズカと書斎机に歩み寄り、幼女の横に立つと、パシッと机を叩いた。

「アタシがこの『ヤドリギ探偵事務所』の所長、アカシャエルム。んで、この椅子に座ってる可愛らしい子が、姪っ子のルク。ほら、お客さんに挨拶し?」

「こんにちは!」

 ルクと呼ばれた幼女が、元気よくお辞儀をする。

「うーん、良い子だ!」

 エルムはそう言うと、ルクの頭をガシガシと遠慮なく撫で回した。されるがままに揉みくちゃにされ、髪の毛がボサボサになりながらも、ルクはニコニコと笑顔を崩さず全く動じない。

 

「ちょっと待って。アカシャって……まさか、あの『アカシャ』!?」

 コバルトが、何かに気づいたように驚きを露わにして声を上げた。

「そ」

 エルムは得意げに鼻を鳴らす。

「日本三大企業に名を連ね、IT分野じゃ世界と覇権争いしてる一大コーポレーション、アカシャグループ。その社長ってのが、このルクの父親。……つまりアタシは、大企業の社長の姉さんってワケ。もっと言うなら、そうね……ギャクタマ候補ってヤツよ!」

 ふんぞり返り、どこまでも年齢と立場に見合わない、ふざけた言動を続けるエルム。

 

「要するに、この探偵事務所は金持ちの道楽の一環。有り余る実家の資産で暇つぶしやってる訳。でも、情報収集の実力は世界有数IT企業のノウハウで鳴らしたもんだから確かよ? 安心し?」

 ドン、と胸を力強く叩いたエルムだったが、直後に「ゲホッ、ゲホッ!」とむせ返り、苦しそうに咳き込んだ。二日酔いの胃腸に打撃は良くなかったらしい。

 

 あまりの胡散臭さに、シルヴァレッタたち三人は顔を見合わせて不安そうにしている。

 だが、ぼくは彼らとは違った感想を抱いた。

 

 この女、明らかにわざと道化を演じている。これだけふざけた態度をとって、依頼人が激怒して帰るか、それとも踏み止まるのか。ぼくたちの忍耐力と器を、隙だらけの態度の裏で冷徹に見定めているように映ったのだ。

 

「で? ケイから聞いた話だと『故人の情報収集』との事だけど、アンタら、どこまで聞きたいの?」

 咳がおさまり、エルムは少しだけ真面目なトーンに戻って尋ねてきた。

 

 それに対し、シルヴァレッタは迷うことなく、すかさず回答する。

「全部だ」

「へぇ……」

 エルムは意外そうに目を細め、続きの言葉を待つ。

「今は、どんな些細な情報でも構わない。ウラベ博士に関係しそうな話なら、なんだって全て聞いておきたいんだ」

 シルヴァレッタの目は真剣そのものだった。コバルトとラピスラズリの二人は、事の成り行きを彼に一任して傍観を決め込んでいる。

「それが、どんなに荒唐無稽で馬鹿げた話になっても?」

 エルムは試すように問いかける。

「今のうちに言っておくけど、アタシの事務所は完全出来高制。内容の価値をどう感じようが、こっちは提供した『話の数』だけきっちり料金をいただく。そういうシステムになってるけど、それでもよろし?」

「構わない。元より承知の上だ」

 シルヴァレッタが即答する。

 

 その時だった。

「ふぅん……」

 三人は気づいていないようだが、シルヴァレッタとエルムのやり取りの最中で、幼女のルクが一瞬だけ、ひどく大人びた、全てを値踏みするような冷たい声で相槌を打ったのだ。この物語を傍観しているぼくだからこそ気づけた、彼女のその異常性。ひょっとして、この子は……

 

「そ。……んじゃ、出し惜しみせずにまずは本題からいこうか」

 エルムは書斎机の上にドカッと腰を下ろし、足を組んで切り出した。

「アンタらが探してるウラベキミトは、間違いなく一年前に死んでいるわね。地方の路地で、トラックに撥ねられてる。事故の記録と検死のデータは、侵入した警察のデータベースで完全に裏が取れた。偽装の線はゼロ」

 まずはクロガネの話の裏付けだった。彼が語った恩師の死は、嘘ではなかったということになる。 

 

「で、問題は彼の過去、来歴についてなんだけど。……面白い話と、奇妙な話。どっちから聞きたい?」

 エルムがもったいぶるように尋ねてくる。

「好きな方で構わない」

 シルヴァレッタが素っ気なく返すと、エルムは「ノリが悪いねぇ」と肩をすくめた。

「じゃ、面白い話から行こっか」

 エルムは指を一本立てる。

「『ウラベキミト』、その名は偽名だったわ。およそ五十年くらい前に、裏社会の戸籍ブローカーのルートで手に入れたみたいね。その当時の取引データを探ってみたら、痕跡が見つかったの。ふふ、アタシレベルのITスキルと実家の太さじゃないと、この話の尻尾にすら辿り着けなかったでしょうね、エッヘン!」

 

 得意げに胸を張るエルムの口から、衝撃の事実が飛び出した。ウラベキミト、その名前という根幹すら作り物だったという。

「……なら、奇妙な話というのは?」

 コバルトが身を乗り出して尋ねる。

「お、すぐ聞いちゃう? このせっかちさんめ。……ねえルク、こういうの今風の言葉で言うと、ドパガキ? タイパ重視のドーパミン中毒ってやつ」

 エルムが同意を求めるように、横にいるルクに話しかける。

「しらなーい」

 ルクは無邪気に首を振って応える。

 

 知らないというのはですね、嘘つきの言葉なんです。

 

 選択肢に知る・知らないが最初に浮かぶ時点で、一定の理解があるという事だ。年相応の返事なら、もっと違う、よりシンプルな回答を返すだろう。この幼女はエルムの言ったネットスラングの意味を完璧に理解し、心当たりがある上でとぼけている。

 

 やっぱり、猫を被っているなこの子。

 

「では奇妙な話とやらを教えてあげましょ」

 エルムは姿勢を正し、少しだけ声を低くした。

「ウラベキミトが偽名なんだとしたら、当然、五十年よりも前に彼が名乗っていた『本当の彼』の人生が存在するはずよね? 出生記録から学校の卒業記録、病院のカルテ、親族の戸籍。……でもね」

 エルムは、カッと目を見開いて、ぼくたちを見据えた。

「いくら世界中のデータベースを遡って調べても、この五十年前から『前』の記録が、世界のどこにも見つからなかった」

 

 エルムの言葉が、静かな書斎に重く響いた。

「まるで、五十年前のある日突然一人の人間が、地の底からポンッと自然発生したかのように」

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