生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
「まるで、五十年前のある日突然一人の人間が、地の底からポンッと自然発生したかのように。……そうとしか思えないのよねぇ、これが」
静寂に包まれた薄暗い書斎に、エルムはおどろおどろしげに、そう語った。
先程までのふざけた態度を完全に消し去った彼女の真剣な話振りも相まって、その言葉は目の前にいる三人に底知れぬ恐怖を感じさせるには、十分すぎるほどの迫力を持っていたようだ。特に、こういった得体の知れないオカルトめいた話への耐性が全くないらしいラピスラズリは、両手でギュッと自分のフリルのスカートを握りしめ、ビスクドールのような顔を真っ青にさせていた。
「ひぃっ……! オ、オバケ……!?」
幽霊だの亡霊だのといった非科学的な単語が脳裏をよぎっているのだろう。カタカタと小刻みに震えながら一際怖がっている。そんな彼女を見て、横に座るコバルトはどこか気まずそうに視線を泳がせている。
多分だけど、同類だよね、きみ。戸籍辿れないのって。
その点にコバルトは思い至っているのだろう。しかしラピスラズリに気を遣ってか、指摘するのは憚られているようだ。
エルムは、そんな三人の強張った様子を、無言のままじっと眺めていた。
そして数秒後、彼女は納得のいく反応を得られたことに満足したのか、プハッと盛大に吹き出した。
「あーはっはっは! まさかまさか! オバケなんているわけないっしょ!」
先生、ここにいます。
さて、先ほどまでのミステリアスで気味の悪い雰囲気を自らぶち壊すように、エルムはテンションを一気に陽気なものへと戻し、いつものふざけた口調で話を再開した。
「……では、ここからが本題。荒唐無稽でおバカなお話のはじまりはじまり。オバさんのイかれた推理を披露するよー?」
「こ、これ以上、何が出てくるんですの!?」
ラピスラズリは未だに恐怖を引きずっているようで、ビクビクとしながらもエルムの次の言葉を待つ。
「五十年前といえば、世界を揺るがした大事件がこの国で起こったのだけれど、アンタたち、知ってるかい?」
エルムが探るように問いかけた。
「五十年前、と言うと……、サミットでの銃撃事件かしら? あわや世界大戦を引き起こしかけたとか」
ラピスラズリが恐る恐る答える。
「正解!」
エルムはパチンと指を鳴らし、大きく相槌を打った。
「ウェイターに扮した少年テロリストが、晩餐会で同盟国の要人の頭を撃ち抜いたって事件ね。もしその時の標的が、敵対国や武力報復を辞さない第三国だったら、間違いなく戦争の火種になりかねなかったという、暗殺事件」
暗殺者として育てられたからには、世界情勢や過去の事件を学んでいるのだろう。コバルトが流暢に事件の概要を補足した。
「おっ、やるじゃん。優等生かキミたち。話が早くて助かるわー」
エルムは心底感心したように二人を賞賛する。
「でね。その実行犯だった『少年テロリスト』についてはどうやら、とある理由で国家レベルの戒厳令が敷かれて、名前から生い立ち、何から何まで、全てが厳重に隠匿されたのよ」
エルムは声を落とし、勿体ぶるように身を乗り出した。
その言葉に、シルヴァレッタの身体がピクリと反応した。
「まさか、それが……!」
「焦んない焦んない。アタシ、最初に『荒唐無稽でおバカなお話』って言ったでしょ?」
前のめりになるシルヴァレッタを、エルムはヒラヒラと手を振って軽く受け流す。
「ですが、全くの無関係ではないのでしょう?」
ラピスラズリが、探偵の意図を汲み取るようにシルヴァレッタのフォローに入った。その言葉を聞いて、エルムはニヤリと人の悪い微笑みを浮かべる。
「警察のデータベースや報道機関の記録じゃ、その少年の名前や顔を知ることは絶対にできなかった。よほど力のある人間が動いて、厳重に情報を隠匿したみたいでね。判ったのは一つ、工場労働者だったって事だけ」
エルムはそこで一呼吸置き、たっぷりとしたタメを作ってからこう言った。
「で、ここからが面白いトコロ。五十年前、アタシのひいお爺様……アカシャウスイが社長だった時代に、ウチのグループが経営していた下請けの工場に、一人の『少年労働者』がいたのよ。この情報は事件の後すぐに隠蔽された形跡があったわ。……こうなると、戒厳令を敷かせたのは、当時のウスイの権力によるものと見て取れちゃうわよねぇ」
現代の日本三大企業の一つ、アカシャグループ。事件当時の50年前も相当な政治的影響力があったと伺える。その強大な権力が絡んでいるとなれば、話のスケールは一気に大きくなる。自社の工場から世界的テロの実行犯が出たとなれば、企業にとっては致命傷だ。
「そしてその後、その少年テロリストは一年も掛からずに裁判で有罪が確定して、即座に死刑が執行された」
エルムの声が、再び一段低くなった。
「何もかもが異例の結末を迎えたのよ。普通なら、動機の解明や背後関係の捜査で何年、下手したら何十年もかかるような国際的な大事件。まるで犯人を『一刻も早くこの世から消し去らなければならない』とでも言わんばかりのスピードで処理されましたとさ」
異例のスピード死刑。それはつまり、少年が捜査や法廷で余計なことを喋る余裕が生まれないよう、気が動転しているうちに口を封じたかったという見方が自然だろう。
「……因みに、こっちは偶然の一致でしょうけど」
エルムは少しだけ視線を宙に浮かせ、不気味な事実を付け加えた。
「元々身体を弱らせていたウスイは、少年の死刑執行の日に亡くなっているわ。心労が祟ったのかしらね」
それはまるで、少年の祟りによって道連れにされたかのような物言いにも聞こえた。あるいは、その両方を同時に「始末したかった」巨大な意思が存在するかのようにも聞き取れた。
「で、PDFスキャンされてたウチの実家の極秘な古い文献と、その少年の特徴を付き合わせてみたら……一つの名前がヒットしたわ」
エルムはゆっくりと息を吸い込み、静かな書斎にその名前を落とした。
「『ソラハキミト』。他に少年労働者はそうそういなかったし、五十年前の事件の直前に退職手続きが取られていたから、この少年が実行犯でほぼ確定よ」
——ソラハ。
その名前を聞いた瞬間、ぼくの脳裏にだけ、凄まじい落雷を受けたかのような強烈な衝撃が走った。
三人はその名前にピンときていないが、ぼくだけは知っている。はっきりと憶えている。あのメンタルクリニックの二階で、複雑な思いを胸に抱いていた様子のクロガネが、コバルトを見つめながら切々と語った過去。
『最高傑作のモデルに選ばれたのは、ソラハという少女です』
『美人のモデルケース、その検体として用意された存在だったのです』
非合法の研究組織RGBが産み出した『最高傑作』——すなわちコバルトの、外見のオリジナルとなった少女の名前だ。美人の解析データを抽出するためだけに、あらかじめ短命になるようデザインされて産み出されたという、薄幸の美少女。それが「ソラハ」だ。
ソラハキミトという五十年前の少年テロリスト。そして、コバルトの遺伝子モデルとなった、ソラハという名の少女。さらに、彼女の生みの親と思われるウラベ博士の偽名はウラベキミト。
この偶然とは思えない一致の連続。この場でそれを知るのは、あの激闘の最中にクロガネの告白を聞いていたぼくだけだ。この符号は、絶対に何か深い意味を持っているに違いない。ウラベキミトが五十年前から記録を持たないこと、巨大企業を従えていたアカシャウスイの時代に行われた不自然な隠蔽工作。その全てが、一本の太い線で繋がっているような気がする。
だが。
その真相までは、社会の底辺を這いずり回ってもバイトすらまともにこなせなかったような、拙いぼくの頭では、どう足掻いても辿り着けそうにないだろう。
考えるだけ無駄だ。
ぼくは数秒だけ必死に頭を悩ませてはみたが、「まあいいや」とあっさり諦めることにした。
この物語の主役はシルヴァレッタたちだ。彼らが自力で真相に辿り着くその時まで、ぼくはこの特等席でじっくり顛末を眺めていればいい。
「『ソラハ』って名前に、アンタたち聞き覚えはある?」
エルムは期待を込めた目で、三人の顔を順番に見回した。しかし、シルヴァレッタも、コバルトも、ラピスラズリも、一様に首を横に振った。彼らにとって、それは完全に未知の単語だった。
「そっかー……。アタシ的にメチャ良い推理だと思ったんだけどなぁ。残念、ここで打ち止めかー」
エルムは目に見えてガックリと肩を落とし、書斎机に突っ伏して残念そうに俯いた。すると、その隣で大人しく回転椅子に座っていたルクが、スクッと椅子の上に立ち上がってエルムの側に近寄った。
「よしよし」
ルクは小さな手で、落ち込むエルムのボサボサの頭を優しく撫で始めた。その顔には、何故だかひどく嬉しそうな、満面の笑みが浮かんでいる。絶対性格悪いよ、この子。
「うわーん、ルクー! ありがとー慰めてくれてー!」
エルムは泣きながら、ルクの小さな身体にギュッと抱きつく。されるがままに抱きしめられながらも、ルクの顔には、まるで感情の抜け落ちた人形のように、ピタリと均整の取れたニコニコとした笑顔が貼り付いていた。
人間に目で助けを求める、ご主人に抱きつかれたイエイヌみたいだな……とぼくは思った。
「……そういえば」
コバルトが、咳払いをして二人の茶番を遮った。
「今日は『経過報告』を伝えるために呼び出したって話だったわよね。まだ調査は途中ってこと?」
疑問を投げかけるコバルトに対し、エルムはルクから離れて顔を上げた。
「そう。その『ソラハ』って名前から先を紐解くための情報が、どうしても足りなくてね。アンタたちがもし何か知っていれば、そこから突破口を開けると思って今日呼んだってわけ」
エルムはクシャッとした笑顔を添えて、そう答えた。
「なら、調査を続けてくれるのか?」
シルヴァレッタが、藁にもすがるような期待を込めた声で問いかける。
「当然っしょ。アタシとしても、自分の推理がこんな不完全燃焼のまま終わるなんてプライドが許さないし」
エルムはニシシと笑うと、再び探偵の顔つきに戻って問いかけた。
「クライアントであるアンタたちが、このまま続けて良いって言うんなら、こっちも全力で調査を続行するけど。……どや?」
その問いに、シルヴァレッタは迷うことなく深く頷いた。
「当然だ。貴女の実力は信頼できる。是非とも、引き続きお願いしたい」
「ようっし、契約成立ー!」
エルムはバンッと両手を叩き、歓声を上げた。
「いやー、久々のマジな仕事だ。腕が鳴るなー!」
「それにしても、凄いわね」
コバルトが、素直な感嘆の声を漏らした。
「ウラベキミトという故人の名前程度しか手がかりがなかったのに、たった数日でそこまでの成果を出してくれるなんて。……流石は、あのケイさんがオススメするだけの探偵だわ」
コバルトの賞賛の言葉を聞いて、エルムはなぜかひどくバツが悪そうな顔をして、視線を斜め下に泳がせた。
「まー、これに関してはアタシの力って言うより、ルクのチートのおかげっつーか……」
エルムはボソボソと言い訳のように呟くと、舌打ち交じりにポツリと漏らした。
「……ケイめ、最初からここまで展開を読んだ上で、ウチに回しやがったな。あんにゃろう」
エルムの視線の先では、ルクがニコニコと笑顔を絶やさずに、ただ静かにエルムを見つめていた。絶対性格悪い。
「ところで」
シルヴァレッタが、不意に少し申し訳なさそうに声を上げた。
「お代は幾らだろうか。今日は、持てるだけの手持ちを持ってきたのだが……」
彼は上着のポケットから、それなりに膨らんだ茶封筒を取り出した。日々の清掃の仕事で稼いだ、大切なお給料の束だろう。普段はどんな脅威にも冷静で、銃弾を撃ち込まれようが無表情な彼であっても、現実的な「お金の心配」ばかりはどうしようもない。
「んー、お代ねぇ。どうすっか。悩ましいな……」
実家が太いと散々自慢してきているのに、何処か歯切れの悪いエルム。金には困っておらず、出来高制と本人も口にしたが、その金額は幾許だろうか。
エルムが腕を組んでウンウンと悩んでいると、いつの間にか椅子を降りていたルクがちょいちょいと彼女のジャージの裾を引っ張った。
「どうした、ルク?」
エルムがルクにしゃがみ込んで尋ねると、ルクは三人を指差して、この日一番の、本当に子供らしい可愛らしい声でおねだりをした。
「ルク、おねえちゃんたちといっしょにまちにいきたい!」
「……!」
その言葉を聞いて、エルムはポンッと手を打った。
「よし、それだ!」
エルムは立ち上がり、ビシッとシルヴァレッタたちを指差して高らかに宣言した。
「今回は初回サービスだ。ルクを街に連れ出して、一緒に遊んでやってくれ。調査報告のお代はそれでいい!」
「子守りね、任せてちょうだい!」
「うふふ。街ブラだなんて、楽しそうですわ!」
ラピスラズリはすっかり先ほどの恐怖を忘れ、目を輝かせて乗り気になっていた。
「承知した、喜んで引き受けよう」
シルヴァレッタも、ホッとしたように胸を撫で下ろしながら、そう言った。
何を企んでいるんだろう? この幼女。