生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
その街は、都市の喧騒と豊かな自然、そして雑多なサブカルチャーが奇跡的なバランスで同居している、休日のひとときを楽しむのにうってつけの場所だった。
駅前のアーケードを少し外れると、細い路地には個人経営のカフェや雑貨屋、そして所狭しと服が並べられた古着屋がひしめき合っている。シルヴァレッタたちは今、そんな古着屋の一つに足を踏み入れている。
「ルクちゃん、こっちの赤いチェックのワンピースも絶対に似合いますわ!」
「いやいや、このストリート系のオーバーサイズなパーカーをダボっと着せる方が今風でしょ。ほらルク、これ当ててみて」
「あーれー」
店内では、純白のゴスロリドレス姿のラピスラズリと、黒いパーカーを羽織ったコバルトが、完全に我を忘れてルクの着せ替え人形遊びに興じていた。
世界を股にかけるIT企業『アカシャグループ』の社長令嬢であるルクは、普段から一級品仕立ての服を着ているだろう。しかし、この街の古着屋特有の、どこかレトロで雑多なデザインの服の数々は彼女の風貌にマッチしたらしく、二人の少女の「お姉さん心」を激しくくすぐったらしい。すでに二時間も、店をハシゴしては「あーでもない、こーでもない」とファッションショーが繰り広げられている。
その間、シルヴァレッタは店の隅で邪魔にならないよう、ひっそりと彫像のように直立不動で待機していた。しかし、全く苦にする様子もなく、むしろ目の前で繰り広げられる平和な光景を、瞬きもせずにじっと興味深そうに観察している。
一通りファッションショーを満喫し、いくつかの服を買い込んだ一行は次に映画館へと足を運んだ。上映されていたのは、国民的な人気を誇る児童向けのアニメ映画だった。魔法の力を持つ動物たちが、力を合わせて悪い魔法使いから森を守るという、王道中の王道ストーリー。薄暗いシアターの中、ルクはポップコーンを頬張りながらスクリーンを見つめていた。コバルトとラピスラズリも、適度にリラックスしながら付き添いとして映画を眺めている。
しかし、この空間で誰よりも、それこそ劇場のどの子供たちよりも映画にのめり込んでいたのは、他でもないシルヴァレッタだろう。
スクリーンの中で、傷ついた主人公のペンギンが仲間たちの声援を受けて立ち上がるシーン。
「……ッ!」
シルヴァレッタは両拳をギュッと握りしめ、身を乗り出してスクリーンを凝視していた。その瞳には、うっすらと涙すら浮かんできているではないか。
彼にとって新鮮な刺激なのだろう。友情、勇気、自己犠牲、そして勝利。子供向けの分かりやすい感情のパレットが、彼の真っ白な精神に強烈な色彩を塗りたくっていく。悪の魔法使いが倒された瞬間、シルヴァレッタは声こそ出さなかったものの、ギュッと拳を握り締めて、暗闇の中で無音のスタンディングオベーションを送らんばかりの感動に打ち震えていたようだった。
ぼくは呆れを通り越して、少しだけ彼が羨ましくなった。
映画館を出た後は、すっかり夕刻に差し掛かっていた。「なにかたべませんか?」というルクの無邪気な声に応え、一行はこの街の名物であるご当地グルメの行列に並ぶことになった。
細い路地に面した、古びた精肉店。そこから漂ってくるのは、食欲を暴力的に刺激する、ラードで揚げられた肉と玉ねぎの甘く香ばしい匂いだった。休日の夕方ということもあり、名物の特製メンチカツを求める客の列は角を曲がってさらに続いていた。
「すごい行列ですわね……」
「でも、並ぶ価値はあるわよ、きっと」
コバルトの言葉通り、三十分ほど並んで手に入れたそれは、紙袋越しにも火傷しそうなほどの熱気を放っていた。サクリと衣をかじる。瞬間、和牛の濃厚な旨味が溶け込んだ肉汁が、火山のマグマのように口の中いっぱいに溢れ出した。粗微塵にされた玉ねぎの甘みが、肉の暴力的な旨味を完璧に中和し、いくらでも食べられそうな錯覚に陥る。
「おいしーい!」
ルクは口の周りを油でテカテカにしながら、満面の笑みでメンチカツを頬張っている。シルヴァレッタも、熱さに目を白黒させながら、しかし一口ごとに深く頷き、この世の奇跡でも味わうかのように大切に咀嚼していた。
なお、すべての支払いはルクが出した。現金とブラックカードで。社長令嬢恐るべし。
⬛︎◆▲
一通り街の娯楽と食を堪能し尽くした頃、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。ネオンが瞬き始めた繁華街はまだまだ人混みで溢れているが、家路を急ぐため駅へと向かう人々の波が明らかに増え始めている。
駅前のロータリーの喧騒の中で、ルクが満足げに三人を振り返った。
「きょうはありがとう、おねぇちゃんたち! とってもたのしかった!」
「どういたしまして。本当に楽しかったわ」
コバルトが優しく微笑み返す。
「お家はどの辺りかしら? もう暗いし、私たちが送っていくわよ」
そう提案するコバルトに対し、ルクは首を横に振った。
「だいじょうぶ! もうすぐおむかえのくるまがきます」
そう言ってルクはポシェットからスマホを取り出す。彼女専用に作られた送迎アプリが表示されており、GPSのアイコンが少しずつこちらへと近づいて来ているのが確認できた。
「そう。じゃあ私は少し用事ができたから、先にバイバイだね」
コバルトはニッコリと、年相応の優しい笑顔をルクに向けた。
「うん! バイバイ、コバルトおねぇちゃん!」
ルクが手を振る姿を見てから、コバルトは振り返ってこちらを見る。
すると顔から、ふっと「優しいお姉さん」の表情が消え失せた。
「……二人とも、自然にしてて」
コバルトは、隣に立つシルヴァレッタとラピスラズリに向けて、口元をほとんど動かさずに微かな声で耳打ちをした。その声には、一切の感情を排したプロの用心棒としての冷たい響きが混じっている。
「ずっとつけられてたわ。狙いはあの子よ」
「えっ……」
ラピスラズリが息を呑むが、コバルトは視線でそれを制した。
「おそらく、身代金目的の拉致だと思う。……私はこれから敵陣の『目』に突っ込む。二人はあの子を何があっても守ってちょうだい」
その衝撃の事実に、シルヴァレッタは小さく眉をひそめた。
「……そんなプレッシャーをずっと一人で抱えていたのか」
彼の労わりの言葉に、コバルトはクスリと笑みをこぼす。
「抱えるってほど深刻な相手じゃないわよ。向こうも、街中であの子の周囲を固める私たちを警戒して、ずっと手を出しあぐねてたみたいだし。でも、暗くなった夜道で強行策に出そうな雰囲気を出してきたから、流石に連携しなきゃと思って相談しただけ」
コバルトの余裕そうな、しかし確かな親しみを込めたような態度から何かを察したのか、ラピスラズリが静かに尋ねる。
「相手に心当たりがありますの?」
「ええ、ジュエルの二期生よ。指揮官ぶって、偉そうに一人で高いところから見下ろしてるから、ちょっとお灸を据えてやるわ」
その言葉を聞いて、ラピスラズリは「そう……」と、どこか懐かしむような、感慨深そうな表情を浮かべた。そして、上品な所作でふわりと微笑む。
「そちらは頼みましたわよ。……実技トップさん?」
明確な挑発。しかし、コバルトはそれを心地よさそうに受け取り、ニッと獰猛な笑顔で返した。
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駅から徒歩数分離れた一角。私は、築数十年は経っていそうな古びたマンションの非常階段を音を立てずに駆け上がっていた。
空間認識能力をフルに稼働させ、上空から注がれる微かな『監視』の線を逆算する。街全体を俯瞰し、部下に的確な指示を出すための『目』として機能するには、このマンションの屋上は確かに絶好のポジションだった。
屋上へと続く錆びついた鉄扉の前に立つ。鍵は開いている。私は一切の躊躇なく、その扉を蹴り開けた。
バァンッ! という鋭い音が容赦なく響く。
「元気してた? クロム」
貯水タンクの陰、手すりから身を乗り出すようにして双眼鏡を構えていた人影に向かって、私はすかさず挨拶を投げかけた。
ビクッと肩を揺らしたその人物が、ゆっくりとこちらを振り返る。ショートに切り揃えられた金糸の混じる髪、耳と唇には無数のピアス。使い込まれた革のライダースジャケットに身を包んだ、パンキッシュでボーイッシュな出で立ちの女性。
かつて『ジュエル』で同じ釜の飯を食い、暗殺の技術を競い合った旧友、クロムだ。
「……ケッ」
クロムは双眼鏡から目を離し、苛立ちを隠そうともせずに私を睨みつけた。
「やっぱり勘付いてたかコバルト。実技トップ様は何でもお見通し、ってか?」
「随分と趣味の悪いピアスね。邪魔じゃないのそれ?」
私の軽口を無視して、クロムは手に持っていたトランシーバー型の無線機を口元に引き寄せ、怒鳴りつけた。
『お前ら、緊急事態だ! 今すぐガキを拉致れ!』
無線の向こうの部下たちに強行突破の指示を出した後、クロムは無線機を無造作に投げ捨て、ヘラヘラと下劣な笑みを浮かべて私を挑発した。
「バカだねぇ、コバルト。いくらお前が強くても、あのガキの元を離れたのは失敗だ」
「そんな事ないわ。適材適所よ」
私はパーカーを脱ぎ捨て、静かに身構えた。
「あの子の護衛には、私よりも『適任』がいるもの」
「ハッ! 強がり言ってんじゃ——」
クロムの言葉が終わるより早く、私は屋上のコンクリートを蹴り飛ばした。一足飛びで距離を詰める。クロムも瞬時に反応し、ライダースの袖口から鈍く光るナイフを滑り出させた。
「死ねぇッ!」
ボーイッシュな外見に違わぬ、荒々しくも体重の乗った鋭い刺突。しかし、私の眼には彼女の筋肉の収縮、肩の入り方、そして刃の軌道が、スローモーションのように明確な線として描かれていた。空間を完全に支配している私にとって、直情的な彼女の攻撃はあまりにも読みやすい。
私は上体をわずかに反らして刃先を紙一重で躱すと同時に、クロムのナイフを持った右腕の手首を下から強く叩き上げた。
「ガッ!?」
姿勢を崩したクロムの懐に潜り込み、彼女の膝の裏を容赦なく蹴り抜く。バランスを失い、前のめりに倒れ込むクロム。私はそのまま彼女の背中に回り込み、ナイフを持った腕を関節の可動域ギリギリまでねじり上げ、冷たいコンクリートの床へと強引に押さえ込んだ。
カラン、と乾いた音を立てて、クロムの手からナイフがこぼれ落ちる。戦闘開始から僅か数秒。武器を持った相手を徒手空拳で制圧した、完全な私の勝利だった。
「勝負あったわね」
私はクロムの背中に膝を押し当て、勝ち誇った声で告げた。
しかし。
床に顔を押し付けられ、関節を極められているというのに、クロムの口角はニィッと吊り上がり、余裕の笑みを絶やしていなかった。
「……どうかな?」
「負け惜しみのつもり?」
「今回の誘拐作戦はな、ウチの組織でもかなり大掛かりな動員をかけてんだよ」
相当な大所帯の組織なのだろう。彼女は自信たっぷりといった様子であった。
「いつもターゲットにくっ付いてた、おっかねーボディガードの男がいない今日のお出かけは、ウチらにとっては絶好のチャンスだったんだ。……それを逃すわけにはいかねーからな」
「だから何よ。私がいなくても、あの子にはもう一人の護衛がいるわ」
私がラピスラズリの存在を仄めかすと、クロムは鼻で笑った。
「ラピスラズリか? クックック」
「……ラピスラズリの『怪力』は、同年代で親しかったあなたが一番よく知ってるでしょ?」
私は呆れたと言わんばかりにため息をついた。ジュエル時代、あの小柄な身体からは想像もつかない常識外れの怪力を見せつけていた彼女の異常性を、クロムが忘れるはずがない。
だが、クロムはせせら笑うように余裕の返答をした。
「確かに、アイツのパワーは異常だった。でもな、『遅い』のは致命的だ。あのノロマに、複数の襲撃者からターゲットを守り切るボディガードなんて器用な真似、務まる訳がねーだろ。何人かウチの連中が犠牲になるだろうが、数で押し切りゃ確実に任務達成だ」
クロムのその言葉を聞いて、私は呟きを返す。
「……そうだったわね」
私の呟きを聞いて、クロムは自身の勝利を確信したように上機嫌で罵ってきた。
「分かったか? 何が適材適所だ、バーカ。今頃、あのガキはウチの連中がお持ち帰りしてる頃だぜェ」
床に押さえつけられたまま、勝ち誇るクロム。
しかし、私は彼女の背中の上で、決して笑みを絶やすことはなかった。
「そうだった、と私は言ったのよ」
「あ?」
クロムがいぶかしげに声を漏らす。
「あの子、スピードも手に入れちゃったのよね」
私は感慨深く、困ったような笑顔を浮かべながら溜息をついた。