生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
駅前のロータリーから少し外れた、人通りの少ない路地裏。シルヴァレッタとラピスラズリ、そして幼女のルクは、十数名にも及ぶ屈強な暴漢たちに追われて、今は完全に包囲されていた。
彼らは手にバールや鉄パイプ、あるいは鈍く光るナイフを握りしめ、獲物を逃さぬようジリジリと距離を詰めてきている。言うまでもなく、彼らの狙いはルクだ。シルヴァレッタは背中にルクを庇うように立ち、その場から一歩も動かずにいた。コバルトからの戦闘訓練を受けているとは言え、彼の実力では十数人を相手にするのは不可能だった。
だからこそ、彼は完全な「盾」に徹し、戦闘の全てを、前に立つ小柄なゴスロリ少女——ラピスラズリに任せることにした。
殺気立った暴漢たちと対峙する彼女の後ろ姿を見つめながら、ぼくはふと、過去にシルヴァレッタがコバルトから戦闘訓練を受けていた時に語られていた、ある雑談を思い出していた。
『あの子、昔はスピードの遅さが致命的な弱点だったの』
休憩中、スポーツドリンクを飲みながら、コバルトはかつての旧友についてそう語った。
『とは言っても、ちょっとでも触れてしまえば即座に相手の骨を砕いて破壊できる怪力があったから、弱点は有って無いようなものだったんだけどね』
そう言うコバルトの顔は、昔を懐かしんでいるのか、とても朗らかだった。ジュエルという暗殺組織は彼女にとって大切な思い出なのだろう。
『でも、ジュエルが壊滅して別の組織に拾われた後、その怪力は扉をこじ開けたり金庫を壊したりするのには役立ったみたいだけど、スピードの遅さには随分と悩まされたそうなの』
コバルトはそう言うと少しだけ、苦虫を潰したような顔をして話を続けた。
『空き巣って、何よりも手早さと離脱のスピードがないと駄目らしくてね。「パワーだけのノロマなチビ」って、何度も同僚たちに蔑まれたそうよ』
それは、実力主義の裏社会において、最も残酷な評価だったのだろう。旧友が悪く言われたことに腹を立てているコバルトの苦悩が、その表情から痛いほど伝わってきた。
『それであの子、スピードを身に付けようと血の滲むような努力をしたみたい。試行錯誤の末に……全身の筋肉を爆縮させて、文字通り空間を飛び回る術を手に入れたそうよ』
コバルトの目に、誇らしげな光が宿った。
『結果、あの子は部屋中を荒らし回る「台風」のような存在になった。その圧倒的な制圧力がお偉いさんの目について気に入られて、あんな見晴らしの良い豪華な部屋を当てがわれるようになったらしいわ』
——思考は現実の路地裏へと戻る。
「うふふ。あたしの大切なお友達に、気安く近づかないでくださる?」
ラピスラズリのフリルのスカートが、ふわりと舞い上がった。次の瞬間。ドンッ! という、空気を圧縮して爆発させたような凄まじい踏み込みの音が響いた。
コバルトが語った『筋肉の爆縮』による突撃。それは、人間の眼球では到底追いきれない圧倒的なスピードだった。ラピスラズリの小さな身体が弾丸のように空間を跳ね回り、暴漢たちの群れへと突っ込んでいく。
「がはぁッ!?」
「ぐべッ……!」
鉄パイプを振り上げた男に一瞬で近付き、相手が振り下ろす間もなく一気に突き飛ばす。その一撃は巨漢の男を数メートルも宙に浮かせ、ゴミのように壁に叩きつけた。続けざまに、壁や地面を蹴って三角跳びの要領で方向を変え、次々と敵の死角から強烈なタックルをお見舞いする。
その光景はまるで、狭い路地裏に白い竜巻が巻き起こったかのようだった。
「何だコイツ!? クソッ、速すぎてターゲットに近付けねぇ!」
残された暴漢たちが、パニックに陥って愚痴をこぼす。無理もない。突撃にぶつかった者は文字通り一撃でのされていて、反撃の隙すら与えられずに次々と地面に沈んでいく。圧倒的な蹂躙劇。勝負はすでについていた。
だが、そんな圧倒的な劣勢の中、たった一人だけ、息を殺してシルヴァレッタとルクの背後から音もなく近づく男がいたらしい。仲間が次々と狩られていくのを囮に使い、ただひたすらにターゲットの少女だけを狙う、卑劣だがプロフェッショナルな動き。男の手には、黒く塗られたナイフが握られていた。
刃がルクの小さな背中に届く、まさにその寸前。シルヴァレッタがその気配を察知した。
「……ッ!」
彼は迷うことなく身を翻し、ルクを庇うように覆い被さる。
「どけ、クソがッ!」
邪魔に入られた男が舌打ちをして、ナイフをそのままシルヴァレッタの背中へと力任せに突き刺す。ブスリ、という肉を裂く嫌な音が響き、赤い鮮血がシルヴァレッタの服に滲む。普通の人間なら即座に肺が潰れ、激痛に悶え苦しんで倒れ伏す。言うまでもなく致命傷だ。
しかし、シルヴァレッタはピクリとも動かず、ルクを庇い続けた。痛覚があるはずなのに、彼はただ黙って耐え忍んでいた。
そしてその光景を、ラピスラズリは目の当たりにしたらしい。
「……あ、あなた……よくも……よくもあたしの、シルヴァレッタ様をォォォッ!!」
彼女の華麗な顔が、夜叉のように歪む。
「それ以上、近付かないでッ!!」
ドゴォォォォン!!
これまでの突撃とは比べ物にならない、コンクリートの地面がクレーターのように陥没するほどの凄まじい爆縮。ラピスラズリはナイフを持った男の正面に一瞬で現れると、その腹部に容赦のない掌底を叩き込んだ。
男の身体は大型トラックにでも轢かれたかのようにフワリと宙に舞い、十メートル先のゴミ捨て場へと叩き込まれ、ピクリとも動かなくなった。
周囲に立っている敵が一人もいなくなったのを確認し、シルヴァレッタはホッとしたようにルクから身体を離し、その場に崩れ落ちた。緊張の糸が切れたのだろう。
「あぁっ! シルヴァレッタ様! 血が、血が止まりませんわ!」
パニックに陥ったラピスラズリが、泣きそうな顔でシルヴァレッタを抱き抱える。
「しっかりしてくださいませ! ああどうしましょう、まずは止血……ッ!」
彼女はシルヴァレッタの背中の傷を必死に圧迫し、完全に彼に夢中になっていた。周囲に倒れている暴漢たちのことなど、今の彼女の意識には一切入っていないようだった。
そんな中。
シルヴァレッタの背後に守られていたルクが、ゆらりと立ち上がって気絶した男たちの元へと近づいていく。
薄れゆく意識の中、シルヴァレッタはその行動を目にして、彼女を止めようと手を伸ばしかけたが、出血のせいか力が入らず、声も上手く出せないようだった。
だが、彼女の行動は彼の予想を遥かに超える『蛮行』だった。
気絶して泡を吹いている大柄な男の頭を、ルクは靴で『ゲシッ』と冷酷に蹴り飛ばしたのだ。
「……えっ」
シルヴァレッタが、思わず目を丸くする。
あの無邪気で可愛らしい社長令嬢の、あまりにも容赦のない、そして慣れた足つきの暴力。
本性表したね。
ルクは倒れた男たちを見下ろしながら、ブツブツと、今までのお人形のような声とは全く違う、ひどく大人びた、冷たく底意地の悪い口調で怨嗟を呟き始めた。
「全く、ヒバリがいないからって調子に乗って。実力の差を弁えないからこんな目に遭うのよ。ざまあみろだわ」
ヒバリ。親しげに口にしたその様子から、どうやらそれは彼女専属のボディガードか何かの名前だろう。
「そもそも、ヒバリもヒバリよ。私のことを差し置いて、あの子とのデートを優先するなんて。信じられない。何が『有給は国民の権利です』よ。誰のお陰で今の仕事にありつけてるのか本当に解ってるのかしら。バカバカ」
彼女は不満げに頬を膨らませ、もう一度男の頭を軽く蹴った。
「でも、まあいいわ。ヒバリが今日の一件を後で知ったら、私を置いてデートに行ったことを後悔するはず。二度とあんな減らず口はたたけないでしょうねぇ。ふふふふ」
ルクはクスクスと、毒を含んだ小悪魔のような笑いで体を小刻みに揺らす。
「さすが私、完璧なマッチポンプだわ。適当な隙を見せて誘拐犯を誘い出して、ヒバリに罪悪感を植え付ける。……たまたま手練れの少女達が現れたから成立したオリチャーではあるんだけれどもね。ま、手練れと言ってもあの程度、ヒバリの足元にも及ばないけど」
撒けるという選択肢は無い。
専属のボディガードに嫉妬し、その人物を後悔させるためだけに、あえて自分を危険に晒してまで誘拐犯を誘い込んだようだ。彼女は最初から、今日という日に自分を狙う襲撃者が現れることを計算に入れていて、コバルトたちを「一日のお出かけ」に巻き込んだのである。正気かお前?
ひとしきり愚痴をこぼし終え、スッキリしたのか、ルクが満足げに振り返った。
その視線の先、血まみれになりながらも、彼女の腹黒い独白をバッチリと聞いていたシルヴァレッタとバッチリ目が合うのだった。
「…………」
「…………」
数秒の、永遠にも似た重たい沈黙が路地裏に落ちた。ラピスラズリだけが、「どうして血が止まりませんの!?」とパニックになっている。
やがて、ルクはコホンと小さく咳払いをすると、首をコテンと傾け、取り付く島もないほどに完璧な、無邪気で幼い声を絞り出した。
「……きいてた?」
その顔には、明らかな焦りが浮かんでいる。
シルヴァレッタは数秒間じっと彼女を見つめた後、小さく息を吐いて、ただ一言だけ返した。
「……知らない」
嘘つき。
その絶妙な間と無機質な返答に、ルクの顔が一瞬にしてカーッと真っ赤に染まった。
⬛︎◆▲
数時間後。
ぼくたちは、ルクの実家であるアカシャ家の迎賓館に招かれていた。
広大なエントランスホールには、巨大なクリスタルのシャンデリアが眩い光を放ち、壁には著名な絵画が並んでいる。圧倒的な財力を誇示するその空間で、数人の使用人たちが慌ただしく駆け回っている。
「救急箱をお持ちしました! すぐにお手当てを!」
「お怪我をされた方はどちらですか!」
使用人たちが医療キットを抱えて殺到するが、当のシルヴァレッタはすっかり傷が塞がってピンピンとした顔でソファーに座っていた。時間はかかったが、驚異的な治癒力が発揮されて名誉の負傷は完治していた。
「お気になさらず……。大した怪我ではなかったので」
クロムとの戦闘を終えて合流したコバルトが、困惑する使用人たちに向かって苦笑いしながら労いの言葉をかけていた。彼女の後ろには、両手を拘束具で縛り上げられ、ふてくされた顔をしたクロムの姿があった。
「ルク! アンタたち、大丈夫だった!?」
エントランスの奥から、ヒールの音を響かせて血相を変えた女性が駆け寄ってきた。ヤドリギ探偵事務所の所長であり、ルクの叔母であるアカシャエルムだ。
先ほどのヨレヨレのジャージ姿ではない。高級なシルクのブラウスにタイトスカート、髪も綺麗にセットされた彼女は、ふざけた「ギャクタマ候補」の探偵などではなく、日本三大企業の一角を担うアカシャグループのトップ層としての、立派な大人の女性の威厳を放っていた。
「うん、だいじょうぶ! おねえちゃんたちがまもってくれたの」
ルクが幼い声ながらも芯のある口調で、エルムに報告する。
「良かった……怪我がなくて本当に良かった。ヒバリには、後でアタシからキツく言っておくからね」
エルムはルクを力強く抱きしめ、心底安堵したように息を吐いた。そして、シルヴァレッタたちに向き直り、深く頭を下げる。
「アンタたち……本当にありがとう。命がけでこの子を守ってくれたこと、調査で必ず報いるわ」
飄々とした態度はどこへやら。そこには、身内を想う真っ当な大人の姿があった。
「礼には及びませんわ。あたしの大切な方が無事でしたから、それだけで十分ですの」
ラピスラズリが優雅にお辞儀を返す。
エルムは姿勢を戻すと、コバルトの後ろで拘束されているクロムに冷たい視線を向けた。
「で? その身の程知らずな嬢ちゃんが、今回の襲撃の指揮官かい」
その声には、巨大権力を握る者特有の、背筋が凍るような威圧感が込められていた。
「ええ」
コバルトが頷く。
「久しぶりね、クロム。まさかこんな形での再会になるなんて、本当に残念だわ」
ラピスラズリが、かつての同僚に向けて悲しげに目を伏せた。
「……ケッ」
クロムはバツが悪そうに顔を背け、舌打ちをした。ジュエル時代、散々ノロマだとバカにしていたラピスラズリが、あの大勢の刺客を一掃したのだと聞き、バツが悪そうだった。
「クロム。あなた達の組織について、知っていることを全部喋りなさい」
コバルトが一歩前に出て、静かに、しかし有無を言わさぬ声で宣告した。
「アカシャグループの令嬢を誘拐しようとしたんだから、普通ならタダじゃ済まないわ。でも、全てを話すなら、昔のよしみで警察に突き出すのは勘弁してあげる。……どう?」
彼女は取引を持ちかける。クロムが所属するような闇深い組織であれば、警察では事態の追及は困難を極めるだろう。この持ちかけは何よりも、今後のルクの身の安全を最優先に考えての行動だ。
クロムはしばらくの間、ギリッと奥歯を噛み締めて悩んでいたが、やがて自嘲気味に息を吐き出し、観念したように肩をすくめた。
「……どうせ、この規模の作戦で大失敗をやらかした身だ。組織に居場所はもうねーだろーよ。……分かった、洗いざらい話してやる」
あっさりとした快諾だった。
「賢明な判断ね」
コバルトが腕を組む。
「まずは、あなたを拾った組織の名前でも教えてもらおうかしら」
コバルトの問いに対し、クロムはふんぞり返り、さも大したことではないという風にあっさりと答えた。
「お安いご用だ。アタシが所属してた組織はな——」
クロムは、ぼくたち全員を見回して、その名前を口にした。
「『盗賊団DOE』って名前だよ」