生きるのに向いてないぼくは地の文になりました 作:あさはかな
「貴女たちを信頼していなかったわけじゃないわ。そこは信じて欲しい」
マラカイトは、手元のチェリーカクテルを見つめながらポツリと、クロムに対する贖罪の言葉を紡ぎ始めた。
「ただ、怖かったのよ。……人と違う異常な能力を持つアタシが、みんなから怖がられて、距離を置かれるんじゃないかって」
彼女の声には、冷酷なスナイパーとしての強がりは一切なく、ただの孤独を恐れる一人の女性の脆さが滲んでいた。ジュエルという孤児たちの暗殺組織において、彼女たちは擬似的な家族として寄り添って生きてきた。だからこそ、自分だけが異端である事実を隠し通したかったのだろう。
「姉さん……」
クロムが、少しだけ声音を和らげる。マラカイトはゆっくりと顔を上げ、自身の隠し続けてきた秘密を明かした。
「アタシの能力はね……手で強く触れた物体から、音が聴こえるようになるの」
「音?」
シルヴァレッタが聞き返す。
「ええ。自分がマーキングした物体周辺の環境音が、耳元で鳴っているように聴こえるようになるのよ。持続時間はおよそ丸一日、二十四時間といったところかしら。よく響くコンクリートの壁なんかだとハッキリと聴こえるけれど、ハンカチのような柔らかい布地だと、くぐもったような音が聴こえるわ」
その告白を聞いて、ぼくの脳内で散らばっていたパズルのピースが、カチリと音を立てて組み合わさっていくのを感じた。……なら、あの戦闘の後に見つかったのもそういうことか。
「あの日の秘匿通信……コバちゃんがあの貸し会議室を使うことは、アタシの依頼人、つまりコバちゃんの依頼人の執事から事前に聞かされていたの」
マラカイトは、あの日シルヴァレッタに投げかけた言葉の真相を語り始める。
「だから、深夜のうちにビルに忍び込んで、部屋の壁に手のひらをぐっと押し当ててスタンバイした。そうやってあなたたちの会話を盗み聞きしたの」
彼女は自嘲気味に笑った。
「……これが、一つ目の真相よ」
「一つ目という事は、もう一つあったのか?」
「ええ。……おかしいと思わなかった? 最初に路地裏であなたたちと接触して戦闘になった際、コバちゃんの機転で逃げられてしまった。でも、アタシはすぐに、遠く離れたあなたたちの居場所を特定して、機会を伺って上空から狙撃したわよね」
あの路地裏での戦闘の最中。コバルトはマラカイトの懐に潜り込み、格闘戦を繰り広げた。そして二人が逃げる直前、コバルトは『思い切り突き飛ばされて』シルヴァレッタの元へと弾き飛ばされてきたのだ。
あの時、マラカイトはただコバルトを突き飛ばしたのではない。思い切り掌底をコバルトの服に押し当てて、自身の能力の『発動条件』を満たしていたのだ。
「コバちゃんの服からパチンコ屋の喧騒が聞こえてきたの。そして、あなたたち二人は息を潜める選択肢を取った。どちらも、アタシにとって好都合だった」
マラカイトは、まるでチェスのチェックメイトを解説するように、優雅に言葉を続ける。
「後は、コバちゃんの異常な空間認識のサーチに引っかからないよう、殺気を一切出さずに上空の狙撃ポイントまで移動するだけ」
スナイパーにとって、相手の正確な現在位置をリアルタイムで音声として把握できるというのは、これ以上ないアドバンテージだ。
「コバちゃんの索敵範囲は異常だけど、これまでアタシが出会ったターゲットにも、直感で殺気に気付く人は何人もいたわ。だから、スナイパーとして一流になるには、何よりも『殺気を出さない術』を手に入れる必要があった……」
マラカイトは、誇らしげに胸を張った。
「あの勘の良いコバちゃんにすら気付かれずに狙撃ポイントまで移動できたのは、我ながら勲章ものよね」
彼女の言う通りだ。コバルトは最後まで頭上からの狙撃に気付かなかったのだから。
「へえ、すげーな」
クロムが感心したように身を乗り出す。
「殺気を消すコツがあるなら、ウチにも教えてくれよ。後々役に立ちそうだし」
クロムの純粋なリクエストに対し、マラカイトは得意げにフフッと笑って見せた。
「簡単よ。一般人の気持ちを理解する。……これに尽きるわね」
「一般人?」
「ええ。人を殺そうとか、任務を遂行しようとか、そういう裏社会の思考を完全に頭から消し去って、普通の女の子の感情で心を満たすの。そうすれば、殺気なんて一滴も漏れないわ」
理屈は分かる。だが、幼い頃から暗殺組織で生きるか死ぬかの訓練を受けてきた彼女たちにとって、「一般人の気持ちになる」というのは、言うほど簡単なことではないはずだ。
「ハッキリしねーな。どうやってその『一般人の気持ち』になるんだよ。なんか手っ取り早い方法はねーの?」
クロムがグラスの氷を揺らしながら、さらに食い下がる。
その瞬間。
誇らしげだったマラカイトの顔から、スッと表情が抜け落ちた。
「…………」
彼女は突然押し黙り、手元のチェリーカクテルをジッと見つめて俯いてしまった。場の空気が、先ほどまでの緊迫感とは全く違う、何かドロドロとした重たいものに変わっていく。
「どうした?」
シルヴァレッタが心配そうに尋ねる。
数分の、息詰まるような沈黙。
やがて、マラカイトは消え入るような声で、ポツリと呟いた。
「……彼氏よ」
「は?」
クロムが素っ頓狂な声を上げる。それを引き金にして、マラカイトの堰が切れた。
「彼氏を作るのよォォォッ!!」
突如として、バーの静寂を切り裂くような絶叫が響き渡った。バーテンダーがビクッと肩を震わせ、グラスを磨く手を止める。
「彼氏を作って! それで恋をして! 街を二人でイチャイチャしてブラついたり、夜はオシャレな店でご飯を食べながら、愛を語り合うの! その甘くて幸せな思い出の引き出しを開ければ、アタシの心は完全に満たされて、殺気なんてゼロになる! その状態のアタシは無敵! 無敵だったのよォォ!!」
髪を振り乱し、半狂乱になって身を乗り出すマラカイト。その目は血走り、完全に据わっていた。冷酷なスナイパーの面影はそこにはなく、ただの情緒不安定なヤバい女がそこにいた。
「お、おう……」
あまりの剣幕と、殺気を消すための手段の生々しさに、さしものクロムも圧倒されてドン引きしている。
「ねえ、どうしてかしら!? アタシは尽くしたわよ!?」
マラカイトはバンッ!とカウンターを叩き、シルヴァレッタとクロムに同意を求めるように捲し立てる。
「四六時中彼のことを思って、彼が何をしてるか、どこにいるか知りたくって、毎日毎日、手作りのプレゼントを渡してたの!」
まだだ、まだ慌てるようなタイミングじゃない。
「そのプレゼントを彼が持っててくれれば、アタシの能力で、一日中ずーっと彼と繋がっていられる! 仕事中も、寝る時も、彼が誰と話してるかも、全部ぜーんぶ分かって幸せだったの!」
能力の完全な悪用。お手製のプレゼントでマーキングし、彼氏の日常を24時間体制でフルタイム盗聴。本人はハッピーかもしれないが、とんだ
「でもね! 途中から彼は、せっかくアタシが愛を込めて渡したプレゼントを、ゴミ箱に捨てるようになったのよ! 信じられる!?」
そりゃそうじゃ。沙羅双樹の花の色。
マラカイトは涙目になりながら、ギリギリと歯を食いしばる。
「どうして捨てるのって優しく問い詰めたら、ブルブル震えながら持ち続けてくれるようになったけど……今度は別の女と会うようになったの! だから、『私がいるのにどうして? あの時の女は誰?』って聞いたら、急に『別れよう』だなんて……! アタシ、何も悪いことしてない……世の中おかしいわ!!」
マラカイトは目をグルグルとさせながら、チェリーカクテルを一気に飲み干し、ドンッとグラスを叩きつけた。自分は悲劇のヒロインであり、全ては浮気した彼氏と世の中のせいという結論に達したようだ。
「姉さん……」
クロムが、ひどく冷めた目で、慈悲の欠片もないトーンで指摘した。
「それ、俗に言う『重たい女』ってやつだぜ……」
「…………え?」
クロムの客観的すぎるツッコミを受け、マラカイトは雷に打たれたように硬直した。
「お、重たい……? アタシの、この純粋な愛が……重い……?」
今まで自分が重度のストーカーだったことに全く気付いていなかったのか、彼女はガーンと擬音が聞こえそうなほど打ちひしがれ、カウンターに突っ伏してしまった。
⬛︎◆▲
「ううっ……ひぐっ……アタシはただ、愛を確かめたかっただけなのにぃ……」
グスグスと情けない声を上げて泣き始めるマラカイト。可哀想ではあるが、自業自得としか言いようがない。
そんな彼女を見下ろしながら、クロムはやれやれとため息をつき、頭を掻きながら口を開いた。
「姉さんにひとつアドバイスするとすればだ」
「……なにぃ?」
涙目で顔を上げるマラカイト。
「能力の使用に制限かけた方がいいな」
クロムは、大真面目な顔で真っ当なアドバイスを送った。
「四六時中、他人の生活音を聴き続けてたら、そりゃ精神もおかしくなるって。今ウチが働いてる先の雇用主……お嬢もよ、以前、能力の使いすぎで暴走してえらい目にあったんだと。だから今は、ヒバリってごついボディガードと約束をして制限をかけてるって話だ」
クロムは、アカシャ邸でのノウハウを引き合いに出して説得する。
「同じように、月に一回とか、週に一回とか、回数で制限かけるのが良いんじゃねーか? そうすりゃ、次彼氏が出来た時も、少しはマトモな距離感で付き合えるだろ」
裏社会を生き抜いてきた同僚からの、あまりにも真っ当で現実的なライフハック。マラカイトは絶望に打ちひしがれながらも、クロムの言葉の重みを理解したのか、グスッと鼻をすすって小さく頷いた。
「……分かった。考えてみるわ……」
シュンと大人しくなり、ハンカチで目尻を拭うマラカイト。すっかり毒気を抜かれたようだ。その一連のやり取りを隣で静かに見守っていたシルヴァレッタが、ふと、口元に微かな笑みを浮かべて言った。
「二人は、本当に仲の良い姉妹なんだな」
「は? 急に何だよ気持ち悪りぃ」
クロムが照れ隠しのように即座に反応する。しかし、シルヴァレッタはレモネードを一口飲み、静かな声で持論を展開した。
「いや、二人だけじゃない。コバルトも、ラピスラズリもそうだ。今までのみんなの様子を見ていると、ジュエルという暗殺組織にいた君たちは、ただの殺し屋集団ではなく、確かに『姉妹のような関係』を持っていたように推察できる」
感情の機微に疎い彼にしては、珍しく本質を突いた観察眼だった。
その言葉を聞いて、マラカイトは少しだけ寂しそうな、けれどどこか温かい眼差しで宙を見つめた。
「……これも、シナバーのおかげね」
「……ああ、そうだな」
クロムも、普段の勝気な顔を和らげ、しみじみとその名を噛み締めるように頷いた。
「その、シナバーというのは?」
シルヴァレッタが尋ねる。先ほどの隠れんぼの話でも名前が出てきた、謎の人物だ。
「ジュエル二期生で、最年少の女の子よ」
マラカイトが、誇らしげに語り始めた。
「それまで、孤児として集められたアタシたちはバラバラだった。それを、『姉妹の絆』という形で一つにまとめ上げてくれた、最大の功労者」
暗殺組織という冷酷な環境の中で、彼女たちを姉妹たらしめていた存在。それがシナバーだという。
「結構むちゃくちゃやってたけどな」
クロムが、口を尖らせて少しだけ不満を漏らす。
「ウチらの誕生日を全員、シナバー自身がジュエルに加入した日の『十二月一日』にしようだなんて、身勝手なこと言い出したりよ」
「でも、あの一言のおかげで、アタシたちに『誕生日』という概念が産まれたわ」
マラカイトは、手元の空のグラスを指でなぞりながら、シナバーの行動を高く評価した。
「生まれた日も、親の顔も知らないアタシたちにとって、お祝いをする日なんて無かった。……そんな当たり前がなかった事が、みんなの心がバラバラになっていた原因だって、あの子は気付いてたのよ」
誕生日を共有することで、彼女たちは家族になったのだ。
シルヴァレッタがそれを聞いて、何かを計算するように少しだけ視線を上げた。
「……そうなると、コバルトの誕生日は」
「ああ。十二月一日だ」
クロムは黄昏れるように、ウイスキーのグラスを傾けた。
「そういえば、もうすぐだな」
「ねぇクロム。そういえば貴女、確かまだ未成年だったわよね」
「……ギリ二十ってことで!」
お酒は二十歳になってから!